赤土流星剣(赤土(せきど) 流星の剣)
烏號明月弓(烏號(うごう) 明月の弓)(楊烱・送劉校書従軍)
の、
赤土、
は、
晋の雷墺が張華の指示に従って地を掘り、名剣を得た。これを華陰(陝西省)に産する赤土で磨くと、更に光輝を増した、
とされ、
流星剣、
は、
呉の孫権が持っていた六振りの宝剣の一つとされる、
とある(前野直彬注解『唐詩選』)。
因みに、孫権の持つとされる、
六振りの剣、
とは、
白虹・紫電・辟邪・流星・青冥・百里、
と命名されており、ほかに、孫権は、
百錬・青犢・漏影、
の名をもつ、
三振りの宝刀、
をも所持していた。中国では、直身で(先のとがった)両刃の物を、
剣、
片刃の物を、
刀、
と呼ぶとされる(中国語辞典)。
烏號、
は、
弓の名、
とあり(前野直彬注解『唐詩選』)、
上古の帝王、黄帝(こうてい)が大きな鼎を作り、それが完成したとき、空から龍が降りてきたので、黄帝は龍に乗って昇天した。群臣があとをしたい、龍のひげをつかむと、ひげが抜け、また黄帝の弓が落ちた。人々はこれを抱いて泣いたので、号泣の意味で烏號と名づけた、
といい(仝上)、また別に、
烏が桑の木にとまり、また飛ぼうとするとき、その枝が強靭で弾性に富む場合は、しなうので飛び立てなくなる。そこで烏が鳴きわめくから、その枝を伐って弓を作れば、よい弓が得られる。これを烏號と呼ぶ、
ともいわれる(仝上)。『史記』封禅書には、
黄帝采首山銅、鑄鼎於荊山下。鼎既成、有龍垂胡髯下迎黃帝。黃帝上騎、群臣後宮從上者七十餘人、龍乃上去。餘小臣不得上、乃悉持龍髯、龍髯拔、墮、墮黃帝之弓。百姓仰望黃帝既上天、乃抱其弓與胡髯號、故後世因名其處曰鼎湖、其弓曰烏號、
と(https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%8F%B2%E8%A8%98/%E5%8D%B7028)、
百姓仰望するに、黄帝既に天に上る。乃ち其の弓と胡(こぜん)とを抱きて號(な)く。故に後世、因りて其の處を名づけて鼎湖と曰ひ、其の弓を烏號(をごう・おごう)と曰ふ、
とある(字通)。で、後世、
其弓曰烏號、
と(字源)。この、
烏號、
の「烏」は、
漢音は「ヲ(オ)、呉音・唐音は「ウ」、
である(漢字源)。
(黄帝(武氏祠画像石) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E5%B8%9Dより)
黄帝、
は、
三皇五帝のひとり、
で、
三皇は神、
五帝は聖人
とされ、諸説あるが、『史記』三皇本紀では、三皇を、
伏羲、女媧、神農、
とし、
天皇・地皇・人皇という説も並記している(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%9A%87%E4%BA%94%E5%B8%9D)。
五帝、
も、諸説あるが、『史記』五帝本紀では、
黄帝・顓頊(せんぎょく)・嚳(こく)・堯・舜、
とし、司馬遷は、
黄帝伝説は史実とは思っていないが、黄帝伝説のあるところに限って共通の民俗風土があり、いくばくかの史実が紛れ込んでいることは否定できない。よって、これらを記録することに価値を見出すものである、
と断って(仝上)、
五帝を歴史の範疇内、
に置き、彼から中国史を記述しはじめている(旺文社世界史事典)。黄帝は、
姓は公孫、名は軒轅であるといわれる。諸侯を攻める炎帝(神農氏)を阪泉(河北涿鹿(たくろく)県北西)にやぶり、反乱を起こした蚩尤(しゆう)を涿鹿で殺し、帝位につく。四方を平定し、天地自然の運行を調和させ、衣服、舟車、家屋、弓矢などの生活用具を初めてつくるとともに、文字、音律、暦などを制定し、また薬草を試用して人民に医術を教えるなど、人類に文化的生活を享受させた最初の帝王、
とされる(世界大百科事典・日本大百科全書)。で、中国人は、黄帝を漢族の祖先と考えた(旺文社世界史事典)。伝説中の帝王であることは言うまでもないが、戦国時代の斉国の青銅器銘文では、黄帝を高祖と呼んでいるから、東方地域の人々の間には、黄帝を始祖とする伝承があったことはあきらかである(デジタル大辞泉)。司馬遷が、
いくばくかの史実が紛れ込んでいる、
と言っているのはこの辺りを指している。『史記』では、中国の歴史を黄帝から始め、
黄帝以下の顓頊(せんぎよく)・帝嚳(ていこく)・尭・舜、夏殷周三王朝の始祖をすべて黄帝の子孫、
と説明し、黄帝を、
黄河流域の古代文明の始祖、
とみなしていた(仝上)。
(「烏」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%83%8Fより)
「烏」(漢音ヲ(オ)、呉音・唐音ウ)は、
象形。カラスを描いたもの。アと鳴く声をまねた擬声語、
とある(漢字源)。そこから、黒い」、「黒色」を意味も意味する(https://okjiten.jp/kanji2246.html)。なお、
象形。上を向いて鳴くカラスの形。古くはカラスは目の位置が分からないので「鳥」の横線を欠いたともいわれたが、鳥類をかたどった漢字の甲骨文には目と思われる部分はめったに無く、また金文中では、正面を向いた鳥を象った「鳥」字と、上を向き口を開けて鳴くカラスを象った「烏」字の形状は大きく異なるためこの説は誤りである、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%83%8F)。
(「鳥」甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%B3%A5より)
カラスは全身真っ黒で目がどこにあるかわからないことから、「鳥」の字の目の部分の一画を外して「烏」とした、
との説(角川新字源)は、「鳥」の象形を見ると、それが妥当な説明ではないことがわかる。「鳥」については触れた。
参考文献;
簡野道明『字源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95