木蘭之枻沙棠舟(木蘭の枻(かい) 沙棠舟)
玉簫金管坐兩頭(玉簫金管 兩頭に坐す)(李白・江上吟)
の、
沙棠(しゃとう)、
は、
崑崙山に生えるという木、
で、それで作った舟を、
沙棠舟、
という(前野直彬注解『唐詩選』)とある。
(「李白吟行図」(梁楷(南宋)・墨筆画) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E7%99%BDより)
沙棠、
は、
舟材に用いる、
とあり(字通・字源)、
崑崙之丘有木焉、其状如棠、黄葉赤實、其味如李而無核、名曰沙棠、可以禦火、食之使人不溺、焉舟不沈(山海経)、
とあり、この前漢の地理書『山海経』を受けて、梁の志怪小説集『述異志』には、
漢成帝常趙飛燕、游太液池以沙棠木為舟、其木出崑崙山、人食其實入水不溺、詩曰安得沙棠木、刳以為舟舩、
とある(「志怪小説」については触れた)。
「崑崙山(こんろんさん・こんろんざん)」は、
中国古代の伝説上の山、
で、「崑崙」は、
昆侖、
とも書き、
霊魂の山、
の意で、
崑崙山(こんろんさん、クンルンシャン)、
崑崙丘(きゅう)、
崑崙虚(きょ)、
崑山、
ともいい(大言海・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%91%E5%B4%99・ブリタニカ国際大百科事典)、中国の古代信仰では、
神霊は聖山によって天にのぼる、
と信じられ、崑崙山は最も神聖な山で、大地の両極にあるとされた(仝上)。中国北魏代の水系に関する地理書『水経(すいけい)』(515年)註に、
山在西北、……高、萬一千里、
とあり、中国古代の地理書『山海経(せんがいきょう)』には、
崑崙……高萬仞、面有九井、以玉為檻、
とあり、その位置は、
瑶水(ようすい)という河の西南へ四百里(山海経)、
とか、
西海の南、流沙(りゅうさ)のほとりにある(大荒西経)、
とか、
貊国(はくこく)の西北にある(海内西経)、
と諸説あり、
その広さは八百里四方あり、高さは一万仞(約1万5千メートル)、
あり、
山の上に木禾(ぼっか)という穀物の仲間の木があり、その高さは五尋(ひろ)、太さは五抱えある。欄干が翡翠(ひすい)で作られた9個の井戸がある。ほかに、9個の門があり、そのうちの一つは「開明門(かいめいもん)」といい、開明獣(かいめいじゅう)が守っている。開明獣は9個の人間の頭を持った虎である。崑崙山の八方には峻厳な岩山があり、英雄である羿(げい)のような人間以外は誰も登ることはできない。また、崑崙山からはここを水源とする赤水(せきすい)、黄河(こうが)、洋水、黒水、弱水(じゃくすい)、青水という河が流れ出ている、
とある(http://flamboyant.jp/prcmini/prcplace/prcplace075/prcplace075.html)。『淮南子(えなんじ)』(紀元前2世紀)にも、
崑崙山には九重の楼閣があり、その高さはおよそ一万一千里(4千4百万キロ)もある。山の上には木禾があり、西に珠樹(しゅじゅ)、玉樹、琁樹(せんじゅ)、不死樹という木があり、東には沙棠(さとう)、琅玕(ろうかん)、南には絳樹(こうじゅ)、北には碧樹(へきじゅ)、瑶樹(ようじゅ)が生えている。四方の城壁には約1600mおきに幅3mの門が四十ある。門のそばには9つの井戸があり、玉の器が置かれている。崑崙山には天の宮殿に通じる天門があり、その中に県圃(けんぽ)、涼風(りょうふう)、樊桐(はんとう)という山があり、黄水という川がこれらの山を三回巡って水源に戻ってくる。これが丹水(たんすい)で、この水を飲めば不死になる。崑崙山には倍の高さのところに涼風山があり、これに昇ると不死になれる。さらに倍の高さのところに県圃があり、これに登ると風雨を自在に操れる神通力が手に入る。さらにこの倍のところはもはや天帝の住む上天であり、ここまで登ると神になれる、
とある(仝上)。
「沙」(漢音サ、呉音シャ)は、「沙喝」で触れたように、
会意。「水+少(小さい)」で、水に洗われて小さくばらばらになった砂、
とあるが、別に、
象形。川べりに砂のあるさまにかたどる。水べの砂地、みぎわの意を表す
とも(角川新字源)、
会意文字です(氵(水)+少)。「流れる水」の象形と「小さな点」の象形から、水の中の小さな石「すな(砂)」を意味する「沙」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji2096.html)。
(「尚」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B0%9Aより)
「棠」(漢音トウ、呉音ドウ)は、
形声、「木+音符尚」、
とあり(漢字源)、「甘棠(カントウ やまなし)」「海棠(カイドウ)」の意である。別に、
形声、声符は尙(尚)(しよう)。尙に堂(どう)・當(当)(とう)の声がある。中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)に「牡を棠(やまなし)と曰ひ、牝を杜(あかなし)と曰ふ」とあり、甘棠をいう、
ともある(字通)。「尚」(漢音ショウ、呉音ジョウ)は、
会意文字。「向(まど)+八(わかれる)」で、空気抜きの窓から空気が上に立ち上って、分散することを示す。上、下に上がるの意を含む。また、上に持ちあげる意から、あがめる、とうとぶ、身分以上の願いなどの意を派生し、また、その上になお、の意を含む副詞となる、
とある(漢字源)。しかし、これは、『説文解字』の、
「八」+「向」、
という分析をもとにしているが、金文の形を見ればわかるように、これは誤った分析である、
として、
象形。建物を象る。「たかどの」を意味する漢語{堂 /*daang/}を表す字。のち仮借して「そのうえ」を意味する漢語{尚 /*daangs/}に用いる、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B0%9A)。なお、類聚名義抄(11~12世紀)では、
棠 ヤマナシ・アマシ・サス・ツク・ヨル、
と訓ませている(字通)。因みに、
甘棠(かんとう・かんどう)、
というと、
かんとう(甘棠)の詠(えい)、
の故事をふまえて、
ずみ(桷 漢名「棠梨(とうり)」)の古名、
として用いられる。
この故事は、
周の宰相召公奭(しょうこうせき 召伯)が甘棠樹の下で民の訴訟を聞き、公平に裁断したので、民が召公の徳を慕い甘棠の詩(「詩経‐召南」)をつくりうたったという、
ところからいうらしい(精選版日本国語大辞典)。『詩経』「国風・召南」には、
蔽芾甘棠(蔽芾(へいひ)たる甘棠)
勿翦勿伐(翦(き)る勿(なか)れ伐(き)る勿れ)
召伯所茇(召伯の茇(やど)りし所)
蔽芾甘棠(蔽芾たる甘棠)
勿翦勿敗(翦る勿れ敗る勿れ)
召伯所憩(召伯の憩ひし所)
蔽芾甘棠(蔽芾たる甘棠)
勿翦勿拝(翦る勿れ拝(ぬ)く勿れ)
召伯所説(召伯の説(やど)りし所)
とあり(http://www.atomigunpofu.jp/literary%20works/China_classic/shikyo_kokufu_shonan_kanto.htm)、
甘棠(かんとう)の詠(えい)、
は、
人々が為政者の徳をたたえること、
をいう(精選版日本国語大辞典)。『史記』燕世家には、
召公巡行郷邑、有棠樹、決獄政事其下、自侯伯至庶人、各得其所、……民人思召公之政、懐棠樹不敢伐、歌詠之、作甘棠之詩、
とある。
参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:沙棠の舟