功成惠養随所致(功成って惠養、致る所に随い)
瓢瓢遠自流沙至(瓢瓢として遠く流沙より至る)
雄姿未受伏櫪恩(雄姿 未だ受けず伏櫪(ふくれき)の恩)
猛氣猶思戦場利(猛氣 猶思う戦場の利)(杜甫・高都御驄馬行)
の、
伏櫪、
の、
櫪、
は、
馬の飼料を入れるおけ。馬がかいばおけに首をつっこんで食べること。馬がうまやで養われることをいう、
とあり(前野直彬注解『唐詩選』)、魏の曹操の、
老驥は櫪に伏するも、志は千里に在り(歩出夏門行)、
にもとづく(仝上)とある。
伏櫪、
は、
老驥伏櫪(ろうきふくれき)、
と使われ、
老驥、伏櫪するも、志千里に在り、
烈士、暮年(ぼねん)、壮心(そうしん)已(や)まず(歩出夏門行)、
と、曹操「碣石篇」にあるのによる。
老驥、
は、
老いた駿馬、
の意、
櫪、
はくぬぎの木、
で、転じて、
根太、
の意で、
床下の横木に使うことから馬屋のこと、
とあり(四字熟語辞典)、つまり、
馬小屋で、かいば桶で養われる、
即ち、
老いて養われる、
の意になる(仝上)。で、
老いた駿(しゅん)馬(め)は馬小屋にくすぶっていても、千里を行く志があり、勇士は晩年になっても勇ましい心がなくならない)、
と詠(うた)う(四字熟語辞典)。
櫪馬、
は、
櫪馬非不、所苦常縶維(白居易)、
と、
厩に繋がれている馬、
となる(字源)。
曹操、
は、字は、
孟徳(もうとく)、
後漢末期の軍人・政治家・詩人、
で、魏の創始者、廟号は、
太祖、
諡号は、
武皇帝
である(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B9%E6%93%8D)。
ただ、
伏櫪、
には、別に、漢書・李尋傳に、
不伏櫪不可以趨通、
とあり、その注に、
伏櫪、謂伏槽歷而秣之、
とある。「歷」は「櫪」に通ず(字源)とあり、
伏歷、
は、
伏櫪、
と同義となる(仝上)。
「櫪」(漢音レキ、呉音リャク)は、
会意兼形声。「木+音符歷(レキ 並べる)」
とある(漢字源)。
参考文献;
簡野道明『字源』(角川書店)
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:伏櫪 老驥伏櫪(ろうきふくれき)