月卿臨幕府(月卿(げっけい)は幕府に臨み)
星使出詞曹(星使(せいし)は詞曹(しそう)より出でたり)(高適・送柴司戸充劉卿判官之嶺外)
の、
幕府、
は、
節度使(劉卿)は本来武官であるが、駐屯する地方の行政権をも委譲されており、その執務する役所を幕府という、
とある(前野直彬注解『唐詩選』)。
月卿、
は、
朝廷にいる公卿、
を指し、「書経」洪範に、
卿士は惟(こ)れ月、
とあるのにもとづく。ここでは、劉卿をさすとある(仝上)。
星使、
は、
朝廷の使者、
をいい、
柴司戸をさす。柴は使者として行くわけではないが、朝廷の命令によって(劉節度使の判官、幕僚として)派遣されるから、使という、
とあり(仝上)、
詞曹、
は、
文学の才によって勤務する役所、ふつう翰林院をいう。これからみれば、柴は翰林から嶺南の判官に転任させられたらしい、
とある(仝上)。
永平の初、東平王蒼……東閤を開き、英雄を延(ひ)く。時に固、始めて弱冠、奏記して蒼に説きて曰く、……竊(ひそ)かに幕府新たに開かれ、廣く群俊を延(まね)くを見る。~明智を收集し、國の爲に人を得、以て本朝を寧(やす)んずべし(後漢書・班固伝)、
とある(字通)、
幕府、
は、
古者出征為将師、軍還則罷、理無常處、以幕帟為府署、故曰幕府(史記・李牧伝、索隠注)、
将軍職、在征伐、所在為治、曰幕府(「故事(胡継宗)」)、
などともあり、もと、
将軍は軍旅の際、幕中で事を治めたから、
将軍の居所、または陣営、
をいい、
柳営、
のこと(広辞苑)とある。
柳営、
は、「漢書」周勃伝の、
中国漢の将軍周亜夫が匈奴(きょうど)征討の時に細柳という地に陣し、軍規正しく威令がよく行なわれた、
というの故事による(精選版日本国語大辞典)、
出征中の将軍の陣営、
つまり、
幕府、
である。「史記」李将軍傳に、
大将軍使長史急責廣、之幕府、対簿、
とあり、当然、
一定のところになく随処に幕を以て府とする、
ものである(字源)。中国では、
天子を輔佐する者や天子の委任を受けた者が、長官として府を開き属官を置いたが、野戦軍司令官の場合は帷幕(いばく)で府を設営するのでこれを幕府といった、
とあり(世界大百科事典)、幕府が、
官署の意味に用いられるようになるのは、後漢の明帝時代、東平王蒼が驃騎将軍となって自己の政庁を置き、天子を輔佐したときあたりからだという。三国以後になると、将軍号を帯びる者が各地に都督府を開き、1州ないし数州の軍事権を掌握した。都督府はしだいに州の行政権も握るようになった、
とある(仝上)。中唐以後には、
各地に節度使が配置されて数州を管轄したが、その政庁は使府とよばれた。属官には判官・推官など令制外の幕職官が置かれ、従来の州県官の権限をしのいで管轄地域の軍事と行政を掌握した。幕職官も節度使の意向によって任用された、
とあるのが、上記の詩の背景となる。
これを転用して、日本では、
幕府、
は、
左右近衛府、大将、唐名羽林大将軍、常は幕府と云ふ、又幕下と云ふ(職下抄)、
と、
皇居警固の陣、
である、
近衛府の唐名、
として用い、転じて、
近衛大将の居館、
また、
近衛大将、
をさす(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。さらに、
右近衛大将であった源頼朝が建久三年(1192)征夷大将軍となったあとも、ひき続いてその居館を幕府と呼称した、
ことから、
武家政権の首長およびその居館の呼称、
つまり、
将軍、公方の政令を発する所、
の意味で(精選版日本国語大辞典)、
朝廷、
に対し、
武家の政府、
の意味で使う(大言海)。で、
柳営、
も、同じ意味で使う。日本では、
鎌倉幕府・室町幕府・江戸幕府、
があるが、歴史学上の用語としては、抽象的に、
武家政権、
を意味し、鎌倉幕府・室町幕府・江戸幕府を一貫して把握するものとされる。したがって政権の首長が征夷大将軍でない時期もその政権を「幕府」と称し、最近では首長の征夷大将軍任命をもって「幕府」の成立とはしない考え方がある、
とある(日本史小辞典)。現に、
1190年(建久1)源頼朝は右近衛大将に任ぜられ、やがて辞退したが、その居館を幕府、頼朝のことを幕下と呼ぶようになった、
けれども、
94年に頼朝は征夷大将軍の辞表を提出しているし、その子頼家が征夷大将軍になったのは、父のあとを継いで3年後である。1203年(建仁3)頼家の弟実朝が兄のあとを継ぐと同時に征夷大将軍に任ぜられ、それ以来武家政権の首長と征夷大将軍とが一体のように考えられるに至った。しかし鎌倉・室町幕府ではその首長が幼少のため、元服して征夷大将軍になるまで、征夷大将軍を欠くようなことは珍しくなく、とくに九条頼経、足利義政などは首長の地位についてから征夷大将軍となるまでの期間が6~7年に及んでいる、
とある(世界大百科事典)。
(「幕」 中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)・漢 https://kakijun.jp/page/0881200.htmlより)
「幕」(漢音バク、呉音マク)は、
会意兼形声。莫(マク・バク)は、四つの屮印(草)の間に陽が隠れるさまを示す会意文字で、暮の原字。隠れて見えない意を含む。幕は「巾(ぬの)+音符莫」で、物を隠して見えなくするおおい、
とあり(漢字源)、
会意兼形声文字です(莫+巾)。「草むらの象形と太陽の象形」(太陽が草原に没したさまから、「ない・覆い隠す」の意味)と「頭に巻く布きれをひもにつけて帯にさしこむ」象形から、「覆う為の布(まく)」を意味する「幕」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji1005.html)が、
形声。「巾」+音符「莫 /*MAK/」。「とばり」「覆いのぬの」を意味する漢語{幕 /*maak/}を表す字、
とも(https://kakijun.jp/page/0881200.html)、
形声。巾と、音符莫(バク)とから成る。おおう布、「まく」の意を表す、
とも(角川新字源)、形声文字とする説がある。
(「府」 金文・戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BA%9Cより)
「府」(フ)は、
会意兼形声。付(フ)は、人の背に手をぴたりとひっつけるさま。府は、「广(いえ)+音符付」で、物をびっしりとひっつけていれるくら、
とあり(漢字源)、同趣旨で、
会意兼形声文字です(广+付)。「屋根」の象形と「横から見た人の象形と、右手の手首に親指をあて脈をはかる象形(「手」の意味)」(人に手で「物をつける」の意味)から重要な書類をよせて(つけて)しまっておく、「くら」を意味する「府」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji572.html)が、
形声。「广」(建物)+音符「付 /*PO/」。「蔵」を意味する漢語{府 /*p(r)oʔ/}を表す字、
とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BA%9C)、
形声。广と、音符付(フ)とから成る。文書などをしまっておく「くら」の意を表す、
とも(角川新字源)あり、形声文字とする。「府」は、
宝物や文書をしまう建物、
つまり、
くら、
の意だが、
政府、
というように、
役所、
も意味し、
唐から清代にかけての行政区画のひとつ、州の上位に位置し、州・県を統括する、
とある(漢字源)。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95