恋ひ死ねとするわざならしむばたまの夜はすがらに夢に見えつつ(古今和歌集)、
の、
すがらに、
は、
……の間ずっと、
の意とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。
すがら、
は、
ぬばたまの夜は須我良(スガラ)にあからひく日も暮るるまで嘆けどもしるしを無み(万葉)、
と、
多く「に」を伴い、副詞的に用いる、
が(精選版日本国語大辞典)、
名詞に付いて、
をみ衣摺り捨てて着つる露けさは春の日すから又ぞ忘れぬ(「公任集(1044頃)」)
と、初めから終わりまで続く意を表わし、
ずっと、
の意のほか、
いかなりけん契りにかと、道すがらおぼさる(源氏物語)
と、何かをするついでに、の意を表わし、
その途中、
意、
只身すがらにと出立侍るを(芭蕉「奥の細道」)、
と、それだけである意を表わし、
そのまま、
の意などと使う(仝上)。
語源から見ると、
スガは「過ぐ」と同源、ラは状態を表す接尾語(広辞苑)、
過ぐと同根(岩波古語辞典)、
「過ぎ+ながら」の略(日本語源広辞典)、
とする説があるが、
ずっと、
の意と、
その途中、
そのまま、
の意とは幅がありすぎるので、別に、
盡(すぐ)るるまで、
通して、
の意の、
すがら、
は、
スガは、盡(すが)るより転ず(大言海)、
とし、
ながら、
ついでに、
そのまま、
の意の、
すがら、
は、
直従(すぐから)の約、
と、語源を区別する説もある(大言海)。
「しな、すがり、すがり」で触れたが、たとえば、
道すがら、
という場合、
道を通りながら、歩きながら、みちみち、途中(広辞苑)、
とあるが、
行く路すがら(大言海)、
とあるので、通り過ぎる、というニュアンスが強いのかもしれない。この場合、語源的には、
過ぎ+ながら、
と、
通りすごしていく、
という意味になる。「すがら」は、
途切れることなくずっと、
という時間経過を示していて、
名月や池をめぐりと夜もすがら、
で、それが空間的に転用されと、
道すがら、
になったと考えられ、当然、
途中、
という意味合いが出てくる。たとえば、
行きしな、
なら、
途中で立ち止まるとか、立ち寄る、
というニュアンスがあるが、
道すがら、
は、
みちみち、眺めた、
という感じなのではないか。
通りすがり、
は、
たまたま通り合わせて、通るついで、通りがけ、
という意味になる。「すがり」は、ここは(どこにも載っていなかったので)想像だが、
過ぐ+り(ある動作が継続中であることを表す助詞)、
で、
ちょうど(たまたま)通り過ぎつつある、
という意味なのではないか。そこでの出会いが、たまたまなのは同じだが、
道すがら、
には何か(そのことに)意味が主体側に見え、
通りすがり、
には行き過ぎていく側には(袖擦り合う程度で、他に)何の意味も見出さない、
というニュアンスがある気がする。しかし、
夜もすがら、
と同義で、
夜すがら、
だと、
この夜須我浪(よスガラ)に眠(い)も寝ずに今日もしめらに恋ひつつそ居る(万葉集)、
と、
夜の間ずっと、
夜通し、
一晩中、
終夜、
という意味になる。確かに、
ずっと、
と、
その途中、
と、
そのまま、
の意味の幅は大きいが、
過ぎていく間、
の、
すべて、
なのか、
その経過中、
なのか、
その最中なのか、
と考えれば、
過ぎ+ながら、
の、
初めから終わりまで、
の何處をとっているかの差にすぎないのかもしれない。ちなみに、
すがる(盡)、
は、字鏡(平安後期頃)に、
羸、須加留、ツカルル、
中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)に、
羸、疲也、
とあり、
末枯(すが)るの略、
とし、
末になり、
盡んとす、
消えむとす、
の意とある(大言海)。しかし、この、
すがる、
は、
鳴きすがる声を聞けども郭公あかでぞ結ぶ山の井の水(「草根集(そうこんしゅう)」)、
の、
盛りを過ぎる、
衰える、
意の、
すがる、
ではないか。この名詞形が、
青梅は匂ひの玉のすがりかな(俳諧・鷹筑波)、
と、
盛りを過ぎて尽きようとするもの、
の意の、
すがり、
で、この意味の幅は、
すがら、
のそれと重なる気がする。憶説だが、
過がる、
とあてたのではないか。
なお、「ついでに」の意味の、
行きしなの「しな」、
道すがらの「すがら」、
通りすがりの「すがり」、
通りがかりの「かかり」、
行きがかりの「かかり」、
行きがけの「かけ」、
については、「しな、すがり、すがら」で触れた。似た意味の、
「~のついでに」「~かたがた」
の意で使う、
花見がてら、
の、
がてら、
についても触れた。
(「過」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%81%8Eより)
「過」(カ)は、
会意兼形声。咼は、上に丸い穴のあいた骨があり、下にその穴にはまりこむ骨のある形で、自由に動く関節を示す象形文字。過は「辶+音符咼」で、両側にゆとりがあって、するするとさわりなく通過すること。勢いあまっていきすぎる意を含む、
とある(漢字源)。しかし、他は、
形声。「辵」+音符「咼 /*KWAJ/」。「すぎる」「こえる」を意味する漢語{過 /*kwaaj/}を表す字、
も(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%81%8E)、
形声。辵と、音符咼(クワ)とから成る。ゆきすぎる、ひいて、度を越す意を表す。転じて「あやまち」の意に用いる、
も(角川新字源)、
形声文字です(辶(辵)+咼)。「立ち止まる足の象形と十字路の象形」(「行く」の意味)と「肉を削り取り頭部を備えた人の骨の象形と口の象形」(「えぐる」の意味だが、ここでは「越」に通じ(「越」と同じ意味を持つようになって)、「遠方に過ぎゆく」の意味)から「すぎる」、「度(限度)を超す」を意味する「過」という漢字が成り立ちました、
も(https://okjiten.jp/kanji733.html)、形声文字とする。
参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95