涸鱗

早發雲臺仗(早(つと)に雲臺(うんだい)の仗を発し) 恩波起涸鱗(恩波を涸鱗(こりん)に起こさんことを)(杜甫・江陵望幸) の、 雲臺仗、 の、 雲臺、 は、 後漢の宮中にあった台の名、 で、 明帝のとき、前代の名将二十八人の肖像をここに描かせた。ここでは、そのような名将たちに指揮された儀仗隊の意、 とある(前野直彬注解『唐詩選』)。 …

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入れ紐

よそにして恋ふればくるし入れ紐の同じ心にいざ結びてむ(古今和歌集)、 の、 入れ紐、 は、 玉状に結んだ紐を、もう一本の輪状にした紐に通して結ぶもの。袍、直衣、狩衣などに用いた。しっかりと結びつけられることの喩え、 とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。 入れ紐の、 は、 「同じ」または「結ぶ」にかかる枕詞、 である(広辞苑)。 …

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をりはへ

明けたてば蝉のをりはへ鳴きくらし夜は蛍の燃えこそわたれ(古今和歌集)、 の、 をりはへ、 は、 ある事柄の時間がずっとつづくこと、 とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。 をりはへ、 は、 折り延ふ、 と当てる、 をりはふ、 の連用形で、多く、 鶯(うぐひす)ぞをりはへて鳴くにつけて、おぼゆるやう(蜻蛉日記)、 …

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葛かづら

神奈備の御室の山の葛かづら裏吹き返す秋は來にけり(新古今和歌集)、 の、 神奈備の御室の山、 は、 「神奈備」も「御室」も神の降臨する場所の意だが、ここでは大和の国の枕詞と考えられている、 とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。 御室、 は、 神の降り来臨する場所、 の意(岩波古語辞典)だが、 三室山(御室山 みむろのやま)、 …

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しのぐ

奥山の菅(すが)の根しのぎ降る雪の消(け)ぬとかいはむ恋のしげきに(古今和歌集)、 の、 しのぐ、 は、 覆いかぶさる、おさえつける、 意とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。 しのぐ、 は、 凌ぐ、 とあてるが、 ふみつけ、おさえる意が原義(岩波古語辞典)、 物事をおのれの下に押し伏せる意(広辞苑)、 などとあるように…

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たぎつ

おろかなる涙ぞ袖に玉はなす我はせきあへずたぎつ瀬なれば(古今和歌集)、 の、 たぎつ、 は、 水が激しく流れる、 意である(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。 たぎつ、 は、 滾つ、 激つ、 と当て、現代でも使う、 たぎる(滾・沸)、 と同語源とあり(精選版日本国語大辞典)、 たき(滝)と同源、 とある(岩波古語…

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帰去来

已矣哉(已んぬるかな) 帰去来(かえりなん)(駱賓王・帝京篇) の、 帰去来、 については、蔡國強展「帰去来」に触れた「帰去来」で取り上げたことがある。 帰去来、 は、陶淵明の、 歸去來兮(かえりなんいざ) 田園 将(まさ)に蕪(あ)れなんとす胡(なん)ぞ帰らざる 既に自ら心を以て形の役と爲(な)す 奚(なん)ぞ惆悵(ちゅうちょう)として獨(ひと)…

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すがる

すがる鳴く秋の萩原朝立ちて旅行く人をいつとか待たむ(古今和歌集)、 の、 すがる、 は、 じが蜂、 のこととある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。 腰が細いことから女性の形容となる、 とあり、 梓弓(あづさゆみ)末の珠名(たまな)は胸別(むなわけ)の広き吾妹(わぎも)腰細の須軽娘子(すがるをとめ)のその姿(かほ)の端正(きらきら)しきに(万葉…

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通ひ路

春霞中し通ひ路なかりせば秋來る雁は帰らざらまし(古今和歌集)、 の、 通ひ路、 は、 空と地上とをつなぐ路、 とあり(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)、 春くれば雁かへるなり白雲の道ゆきぶりにことやつてまし(仝上)、 の、 白雲の道、 と同じく、 雁の通り道、 の意である(仝上)。 住の江の岸に寄る波夜さへや夢の通ひ路人…

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さゆ

笹の葉に置く霜よりも一人寝(ぬ)るわが衣手ぞさえまさりける(古今和歌集)、 の、 さゆ、 は、 冷える、凍る、 意である(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。 さやけし、 で触れたことだが、 サユ(冴)は、 さやけしと同根、 であり(岩波古語辞典)、 さやか(分明・亮か)のサヤと同根、 とある(仝上)。 さや、 …

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五節の舞

天つ風雲の通ひ路吹きとぢよをとめの姿しばしとどめむ(古今和歌集)、 の詞書(ことばがき)にある、 五節の舞姫をみてよめる、 の、 五節の舞、 とは、 大嘗会・新嘗会で行われる少女舞、 とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。 五節の間にきまって歌われる歌謡の一つで、「びんだたら」と呼ばれていた。びんざさら(楽器)をゆるがしてならせばこそ、おも…

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みがくる

川の瀬になびく玉藻のみがくれて人に知られぬ恋もするかな(古今和歌集)、 の、 みがくる、 は、 水隠る、 で、万葉集では、 青山の岩垣沼の水隠りに恋ひやわたらむ逢ふよしをなみ、 の、 水隠り、 は、 みずこもり、 と訓み、古今集時代には、 みがくる、 と訓んだか (高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)、とある。 …

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倭文(しづ)の苧環

いにしへの倭文(しず)の苧環(をだまき)いやしきもよきも盛りはありしものなり(古今和歌集)、 の、 倭文(しづ しず)、 は、 日本古来の織物の一つで、模様を織り出したもの、 とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。奈良時代は、 ちはやぶる神のやしろに照る鏡しつに取り添へ乞ひ禱(の)みて我(あ)が待つ時に娘子(おとめ)らが夢(いめ)に告(つ)ぐらく(万葉…

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澪標

君恋ふる涙の床(とこ)にみちぬればみをつくしとぞわれはなりぬる(古今和歌集)、 の、 みをつくし、 は、 水脈(みを)つ串、 で、 水先案内のため、水脈の標識として立てた杭、 で、 わびぬれば今はた同じ難波なるみをつくしてもあはむとぞおもふ(後撰集)、 と、 難波のものがよく知られる、 とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)…

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玉の緒

死ぬる命生きもやするとこころみに玉の緒ばかりあはむといはなむ(古今和歌集)、 の、 玉の緒、 は、 玉に通した緒、 で、 「短い」、「切れやすい」ことから、はかなさの象徴、 ここでは、 ほんのわずかの時間、 の意(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)とある。 玉の緒(たまのを)、 は、文字通り、 始春(はつはる)の初子(はつ…

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白露

金天方粛殺(金天 方(まさ)に粛殺)、 白露始専征(白露(はくろ) 始めて専征す)(陳子昂・送別崔著作東征) の、 金天(きんてん)、 は、五行思想による、 秋の天、 をさす(前野直彬注解『唐詩選』)。五行思想によれば、 万物を構成する五つの元素、木・火・土・金・水のうち、土を除く四つは、それぞれ四季に配当して考えられ、春は木、夏は火、秋は金、冬は水、 …

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とけい

俊秀公置斗景計晷。及申刻則先鳴鐘集大衆(室町中期「蔭凉軒日録 (いんりょうけんにちろく)」) の、 晷(キ)、 は、 日の影、 日の光、 の意味で、 柱の影によって時間をはかる日時計、 の意味があり、 晷刻(きこく)、 は、 時刻、 の意である(字源)。 斗景、 は、今日、 時計、 と当てるが、ここで…

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時正(じしょう)

はなのさかりは、とうじ(冬至)より百五十日とも、じしゃう(時正)ののち、なぬか(七日)ともいえど、りっしゅん(立春)より七十五日、おおようたがわず(徒然草)、 の、 時正(じしゃう)、 は、 昼夜の時間が正しく同じ、 の意で(岩波古語辞典)、 二月と八月とに、昼も五十刻、夜も五十刻、昼夜単長なきを時正と云ふなり(安土桃山時代の謡曲解説書『謡抄(うたいしょう…

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王莽時(わうまがとき)

「逢魔が時」で触れたように、 逢魔が時、 は、王莽(おうもう)の故事に付会して、 一説に王莽時(わうもがとき)とかけり。これは王莽前漢の代を簒(うば)ひしかど、程なく後漢の代になりし故、昼夜のさかひを両漢の間に比してかくいふならん、 とある(鳥山石燕『画図百鬼夜行全画集』)。 おうまがとき、 を、 わうまがとき、 と掛けたとも見える。 …

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日本人の時間感覚

橋本万平『日本の時刻制度』を読む。 本書は、物理学者である著者が、 「国文学とか国史学の方面において、欠く事のできない知識である」 はずの、 「日本における時刻制度の変遷が、殆どわかっておらない」 ということを知って、二十年余、 「余暇を利用して研究し」 た成果が、本書である。初版が出て(1966)、本増補版が出たとき(1978年)でもなお、…

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