2024年05月21日

槎(いかだ)


舟凌石鯨度(舟は石鯨(せきげい)を凌いで度(わた)り)
槎拂斗牛囘(槎(いかだ)は斗牛(とぎゅう)を回(めぐ)る)(宋之問・奉和晦日幸昆明池応制)

の、

槎、

は、

筏(いかだ)、

石鯨、

は、

漢代、昆明池に石の鯨をおいた。大きさは三丈、雷雨のときは尾やひれをふるわせてほえたという、

とあり、この詩の唐代には残っていないが、

まだそれが水中にあるものとしてうたった、

と注記する(前野直彬注解『唐詩選』)。

斗牛、

は、

北斗星と牽牛星、または天空を区分した二十八宿のうちの、斗宿と牛宿。ここでは、昆明池のほとりにあったという、牽牛と織女の石像を指す、

とあり(仝上)、この背景にあるのは、

黄河の下流に住む人が、毎年七月七日に上流から槎が流れ下るのを不審に思い、それに乗ったところ、槎はまた川をさかのぼっていった。やがて川ばたで牛にみずをかう男の姿が見え、また女が機を織っている。そこから引き返し、物知りの人に尋ねたところ、君は天の川までさかのぼったので、見たのは牽牛星と織女星だと教えられた、

という古い物語(仝上)とある。

鳳凰樓下交天杖(鳳凰楼下 天杖交わり)
烏鵲橋頭敞御筵(烏鵲(うじゃく)橋頭 御筵敞(ひら)く)
(中略)
今朝扈蹕平陽館(今朝(こんちょう)蹕(ひつ)に扈(したが)う 平陽館)
不羨乗槎雲漢邊(槎に雲漢(うんかん)の辺(ほと)りに乗ずるを羨まず)(蘇頲・奉和初春幸太平公主南荘応制)

の、

烏鵲橋、

は、

鵲の橋」で触れた、

陰暦七月七日の夜、牽牛(けんぎゅう)、織女(しょくじょ)の二星が会うときに、鵲が翼を並べて天の川に渡すという想像上の橋、

とは異なり、

カササギが土砂を運んで天の川を埋め、牽牛と織女の逢う橋を造る、

意とされ(前野直彬注解『唐詩選』)、ここでは、

太平公主の邸宅を天上界に見立てて、こう言ったもの、

と注釈する(仝上)。

雲漢、

は、

天の川、

の意で、

乗槎、

は、上述の、

いかだに乗って黄河をさかのぼり、天の川に至った、

という故事を指している(仝上)。さらに、

傳聞銀漢支機石(傳え聞く 銀漢支機(しき)の石)
復見金輿出紫微(復た見る 金輿(きんよ)紫微より出ずるを)
織女橋邊烏鵲起(織女橋邊(きょうへん) 烏鵲(うじゃく)起(た)ち)
仙人樓上鳳凰飛(仙人樓上 鳳凰飛ぶ)
(中略)
今日還同犯牛斗(今日還(ま)た牛斗(ぎゅうと)を犯せしに同じ)
乗槎共泛海潮歸(槎(さ)に乘りて共に海潮(かいちょう)に泛(うか)んで歸らん)(李邕(りよう)・奉和初春幸太平公主南荘応制)

でも、公主を織女星に、南荘を天の川のほとりに見立てており、上述の、槎に乗って天の川を遡った人は、

支機石、

をもらって帰った、という故事が背景にある。

銀漢、

は、

天の川、

のこと、

支機石、

は、

天上の織女が機(はた)の支えに使った石、

である。

犯牛斗、

の、

牛斗、

は、上述の、

斗宿と牛宿、

の二つの星座を言い、この人が、

黄河をさかのぼって天の川……に入ったとき、地上の占星術者が、牛斗のあたりに客星が辶したのを観察した、

という故事にもとづいている(前野直彬注解『唐詩選』)。

「槎」.gif


「槎」(漢音サ、呉音シャ)は、

会意兼形声。「木+音符差(ふぞろいな)」で、枝がぎざぎさになった木のこと、

とあり(漢字源)、

長短不揃いな材木を並べてつなぎ、水に浮かべるいかだ、

の意である(仝上)。

奉使虚隨八月槎(杜甫)、

とあり、

桴(いかだ)、

と同義(字源)とある。後述するように、「いかだ」の、

大を、

筏、

小を、

桴、

とする(仝上)。

「方」.gif

(「方」 https://kakijun.jp/page/0458200.htmlより)

「方」(ホウ)は、「方人(かたうど)」で触れたように、

象形、左右に柄の張り出た鋤を描いたもので、⇆のように左右に直線状に伸びる意を含み、東←→西、南←→北のような方向の意となる。また、方向や筋道のことから、方法の意が生じた、

とある(漢字源)が、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)は、

舟をつなぐ様、

とし、

死体をつるした様、

とする説(白川静)もあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%96%B9。ために、

象形。二艘(そう)の舟の舳先(へさき 舟の先の部分)をつないだ形にかたどる。借りて、「ならべる」「かた」「くらべる」などの意に用いる、

とも(角川新字源)、

象形文字です。「両方に突き出た柄のある農具:すきの象形」で人と並んで耕す事から「ならぶ」、「かたわら」を意味する「方」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji379.html

方、

には、

方舟而済於河(舟を方(なら)べて河を済(わた)る)、

と(荘子)、

並べる、

意があり、

漢之廣不可方(周南)、

と、

木や竹をならべてしばってつくったいかだ、

の意で、「泭」「筏」と同じ(字源)とある。

「枋」.gif


「枋」(①ホウ、②漢音ヘイ・呉音ヒョウ)は、

形声。「木+音符方」、

とあり(漢字源)、①は、

まゆみ(檀)の一種、車を造るのに用いる、

とあり、②は、

柄、

と同義で、

道具の柄、

の意(仝上)。

方舟投枋(兵法)、

と、

いかだ、

の意もあり、

桴、

と同じとある(字源)。つまり、「小さい」筏ということになる。

「柎」.gif


「柎」(フ)は、

形声。「木」+音符「付 /*PO/」。漢語{柎 /*p(r)o/}を表す字、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9F%8E

うてな、
花の咢、

の意で、

いかだ、

の意もある。

「桴」.gif


「桴」(①慣用フ・漢音フウ・呉音ブ、②フ)は、

会意兼形声。①は「木+音符孚(手でかばってもつ)」で、手で持つばち、
②は「木+音符浮の略体」で、木を組んで水に浮かべるいかだ、

とある(漢字源)。

乗桴浮於海(桴に乗りて海に浮かばん)、

と(論語)、

竹を編みて舟に代用するいかだ、

をいい、前述したように、その「大」を、

筏、

「小」を、

桴、

とする(字源)。

「楂」.gif


「楂」(サ)は、

「浮楂」「星楂」と使い、「査」「槎」と同じ、

とある(字源)。「査」と同じく、

山楂子(さんざし)、

の意もある(https://kanji.jitenon.jp/kanjiy/12138.html)

「査」.gif


「査」(①漢音サ・呉音ジャ、②漢音サ・呉音シャ)は、

会意兼形声。「木+音符且(ソ、シャ)」。もと、阻(ソ はばむ)と同系で、往来をはばむ木の柵。調査の意に用いるのは、もと華南の方言が介入したもの、

とある(漢字源)。①は、「調査」の、「しらべる」意、木の柵の意だが、

長短ふぞろいの材木を組んで水に浮かべるいかだ、

の意があり、

槎、

に当てた用法とある(仝上・https://kanji.jitenon.jp/kanjib/704.html)。②は、山査(サンサ)、つまりさんざしの意で使う。別に、

形声。「木」+音符「且 /*TSA/」。「いかだ」を意味する漢語{槎 /*dzraaj/}を表す字。のち仮借して「しらべる」を意味する漢語{査 /*dzree/}に用いるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9F%BB

形声。木と、音符且(シヨ、シヤ)→(サ)とから成る。木を組んだいかだの意を表す。「楂(サ)」の原字。借りて「しらべる」意に用いる(角川新字源)、

会意兼形声文字です(木+且)。「大地を覆う木」の象形と「台上に神のいけにえを積み重ねた」象形(「つみかさねる」の意味)から、木をかさねた、「いかだ」を意味する「査」という漢字が成り立ちました。のちに、「察(cha)」に通じ(同じ読みを持つ「察」と同じ意味を持つようになって)、「調べる」の意味も表すようになりましたhttps://okjiten.jp/kanji831.html

などともある。

「泭」.gif


「泭」(フ)は、

木や竹で編んだ筏(いかだ)、

の意でhttps://kanji.jitenon.jp/kanjiy/15505.html

小筏、

を指し、

桴、

と同義(字源)とある。

「篺」.gif


「篺」(ハイ)は、

竹で作ったいかだ、

の意で、

筏、桴と同じ、

とある(字源)。大にも小にも用いるという意か。

「筏」.gif



「栰」.gif


「筏(栰)」(慣用バツ、漢音ハツ、呉音ボチ)は、

形声。「竹+音符伐」、

とあり(漢字源)、

木や竹を並べて組み、浮かべて水を渡る、

いかだ、

で、

大を筏、
小を桴、

というのは、前述した(字源)。

参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2024年05月22日

ひつ


夢路にも露やおくらむ夜もすがらかよへる袖のひちて乾かぬ(古今和歌集)、
袖ひちてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ(仝上)、

の、

ひつ、

は、

ひづ(ひず)、

古くは、

ひつ、

とあり、

濡れる、

意である(広辞苑)。

ひつ、

は、

漬つ、
沾つ、

と当て(広辞苑)、

室町時代まではヒツと清音、

で(岩波古語辞典)、江戸期には、

朝露うちこぼるるに、袖湿(ヒヂ)てしぼるばかりなり(雨月物語)、

と、

ひづ、

と濁音化した(デジタル大辞泉)。

奈良時代から平安時代初期、

は(岩波古語辞典)、

相思はぬ人をやもとな白たへの袖(そで)漬(ひつ)までに哭(ね)のみし泣かも(万葉集)、

と、

四段活用、

であったが、平安中期に、

袖ひつる時をだにこそなげきしか身さへしぐれのふりもゆくかな(蜻蛉日記)、

と、四段活用から、

上二段活用、

になった(大言海・精選版日本国語大辞典・仝上)とされる。この他動詞、

ひつ、

は、

手をひてて寒さもしらぬいづみにぞくむとはなしにひごろへにける(土佐日記)、

と、

下二段活用、

で、

水につける、
ひたす、
ぬらす、

意である(仝上)。

上代から中古にかけて和歌に多く用いられた語、

で、平安期には、すでに歌語としての性格を備えていたと思われる。鎌倉期に入ると、藤原俊成の歌論書「古来風体抄」に、

ひぢてといふ詞や、今の世となりては少し古りにて侍らん、

とあるように、古風な言葉と認識されるようになった(精選版日本国語大辞典)とある。

なお、「ひたす(漬・沾・浸)」については触れた。

「漬」.gif

(「漬」 https://kakijun.jp/page/1457200.htmlより)

「漬」(漢音シ、呉音ジ)は、

会意兼形声。朿(シ・セキ)は、ぎざぎざにとがった針やいばらのとげを描いた象形文字。責は「貝(財貨)+音符朿(シ・セキ)」の会意兼形声文字で、財貨を積み、とげで刺すように相手をせめること。債(サイ 積んだ借財でせめる)の原字。漬は「水+音符責」で、野菜を積み重ねて塩汁につけたり、布地を積み重ねて染液につけたりすること、

とある(漢字源)が、他は、

形声。「水」+音符「責 /*TSEK/」。「ひたる」「つかる」を意味する漢語{漬 /*dzeks/}を表す字、

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%BC%AC

形声。水と、音符責(サク)→(シ)とから成る。水中に物を「ひたす」意を表す、

も(角川新字源)、

形声文字です(氵(水)+責)。「流れる水」の象形と「とげの象形と子安貝(貨幣)の象形」(「金品を責め求める」の意味だが、ここでは、「積(セキ)」に通じ(同じ読みを持つ「積」と同じ意味を持つようになって)、「積み重ねる」の意味)から、水の中に積む、すなわち、「ひたす」を意味する「漬」という漢字が成り立ちました、

https://okjiten.jp/kanji1991.html、形声文字とする。

「沾」.gif


「霑」.gif

(「霑」 https://kakijun.jp/page/E8BF200.htmlより)

「沾(霑)」(①テン、②チョウ)は、

会意兼形声。「水+音符占(しめる)」で、ひと所に定着する意味を含む、

とある(漢字源)。「霑」は、「沾」の異字体https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9C%91である。①は、「沾汚」と、よごれがしみつく意、「沾襟」と、「ひたす」の意、②は「沾沾(チョウチョウ)」は、表面を取り繕う意(仝上)。


参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2024年05月23日

ふりづ(振出)


紅のふり出でつつ泣く涙には袂のみこそ色まさりけれ(古今和歌集)、

の、

ふり出づ、

は、

紅に染色するとき、よく染まるように水の中で衣を振る、声を振り絞る意の、「ふりいづ」とかける、

とあり(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)、

思い出づるときはの山のほととぎす韓紅(からくれなゐ)のふり出(で)てぞ鳴く(仝上)、

の、

ふり出(づ)、

は、

ふりいづの約、

であり(岩波古語辞典)、

紅に染色するとき、水の中でよく染まるように衣を振る、

意だが、その、

ふりいづ、

と、聲を振り絞る意の、

ふりいづ、

の掛詞(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)とある。

ふりいづ、

は、

振り出づ、

と当て、

雪かきたれて降る。かかる空にふりいでむも人目いとほしう(源氏物語)、

と、文字通り、

振り切って出かける、

意だが、それをメタファに、

鈴虫のふりいでたるほど、はなやかにをかし(源氏物語)、

と、

声を高く張り上げる、

意でも使い、さらに、冒頭の、

紅のふり出でつつ泣く涙には袂のみこそ色まさりけれ(古今和歌集)、

と、

紅を水に振り出して染める、

意でも使うが、和歌では、多く、

声を高く張り上げる、

意に掛けて使う(岩波古語辞典・学研全訳古語辞典)。

「振」.gif


「振」(シン)は、

会意兼形声。辰(シン)は、蜃(シン はまぐり)の原字で、貝が開いてぴらぴらとふるう舌の出たさまを描いた象形文字。振は「手+音符辰」で、貝のように、小きざみにふるえ動くこと、

とあり(漢字源)、同趣旨で、

会意兼形声文字です(扌(手)+辰)。「5本の指のある手」の象形と「二枚貝が殻から足を出している」象形(「ふるえる」の意味)から、「ふるう」を意味する「振」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1390.htmlが、

形声。「手」+音符「辰 /*TƏN/」。「ふる」「ふるう」を意味する漢語{振 /*təns/}を表す字、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%8C%AF

形声。手と、音符辰(シン)とから成る。すくう、たすける意を表す。もと、賑(シン)の本字。ひいて、さかんにする意に用いる、

とも(角川新字源)ある。

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2024年05月24日

言ひなす


恋ひ死なばたが名はたたじ世の中の常なきものと言ひはなすとも(古今和歌集)、

の、

言ひはなす、

の、

は、

は、係助詞、

言ひなす、

で、

事実と違うことを強く主張する意、

とあり、

恋死にではなく、無常の世だから亡くなるのもやむをえない、と、恋の相手が言うこと、

と注釈する(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。格助詞の、

は、

は、普通、

提題の助詞、

とされ、

その承ける語を話題として提示し、また、話の場を設定してそれについての解答・解決・説明を求める役割をする、

ので、

大和は国のまほろば、

というように、主格に使われることが多い(岩波古語辞典)が、その役の延長で、

わぎもこに恋ひつつあらずは秋萩の咲て散りぬる花にあらましを(万葉集)、

と、

前の語の表す内容を強調する、

という機能があり(広辞苑)、

言ひなす、

と同義で、

~のように言う、
言いつくろう、

という意http://www.milord-club.com/Kokin/uta0603.htmとある。しかし、別に、個人的には、

言ひはな(放)す、

と解釈して、

言い放つ、

と同義の、

思ったことを遠慮なく言う、
人に憚らず言う、

意と取れなくもない気がする。さて、

言ひなす、

は、

言い做す
言ひ成す、
言ひ為す、

等々と当て、

ナス、

は、

意識的・技巧的に用いてする意(岩波古語辞典)、
意識的にする意(広辞苑)、
「なす」は強いてそのようにするの意(精選版日本国語大辞典)、

と、

作為、

の意があり、

あまの戸をあけぬあけぬといひなしてそら鳴きしつる鳥の声かな(後撰和歌集)、

と、

事実とは違うことを言いこしらえる、

意や、

いさや、うたてきこゆるよなれば、人もやうたていひなさんとてぞや(宇津保物語)、

と、

言いつくろう、

意など、冒頭の歌のように、

そうでないことを、事実らしく言う、

意で使うほか、

殿上人などの来るをも、やすからずぞ人々はいひなすなる(枕草子)、

と、

何でもないことをことさらに言う、
言い立てる、

意で使う(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。

なす、

は、

生す、
為す、
成す、
做(作)す、
就す、

等々と当てる(広辞苑・大言海・岩波古語辞典)が、

做す、
作す、
為す、

は、

為(す)るの他動詞、

成す、
就す、

は、

成るの他動詞、

生す、

は、

生(な)るの他動詞、

と、由来を異にするとある(大言海)。しかし、漢字をあてはめなければ、みな、

なす、

で、この始まりは、

皇(おほきみ)は神にしませば真木の立つ荒山中に海をな(生)すかも(万葉集)、

と、

なす(生・成)、

の、

作り出す、

意や、

おのがなさぬ子なれば心にも従はずなむある(竹取物語)、

と、

産む、

意など(岩波古語辞典)、

以前には存在しなかったものを、積極的に働きかけによって存在させる、

意(仝上)であったのではあるまいか、それが意味をスライドさらせ、

なす(成)、

は、

大君は神にし坐(ま)せば水鳥のすだく水沼(みぬま)を都となしつ(万葉集)、

と、

(別個のものに)変化させる、

意や、

鳥が音の聞こゆる海に高山を隔てになして沖つ藻を枕になし(万葉集)、

と、

(他のものに)代えて用いる、

意など、

既に存在するものに働きかけ、別なものに変化させる、

意で使う。この先に、

成すの義、

の(大言海)、

済(な)す、

の、

誠に世話にも申す如く、借る時の地蔵顔、なす時の閻魔顔とは、能う申したもので御座る(狂言「八句連歌」)、

と、

借金などを返済し終わる、

意までつながる(岩波古語辞典・大言海)。

いずれも、

意識的、
意志的、

な働きかけを意味する。その意味では、動詞に、そうした意志的・意識的なことであることを強調する意で、動詞に「なす」をつける使い方は、結構ある。たとえば、

見做す、

は、

雪を花と見なす、

と、

仮にそうと見る、

意、

返事がなければ欠席と見なす、

と、

判断してそうと決める、

意で使うし、

着做す、

黄の小袿(こうちぎ)、…なまめかしく着なし給ひて(夜の寝覚)、

と、

(上に修飾語を伴って)その状態に着る、

意で使うし、

聞き做す、

は、

年ごろそひ給ひにける御耳のききなしにや(源氏物語)、

と、

それとして聞きとる、

意で使うし、

思い做(成)す、

は、

身をえうなきものに思なして(伊勢物語)、

と、

意識的に、また、自分から進んで、そのように思う、
あえて思う、
思い込む、

意で使うし、

しなす(為成・為做)、

は、

おはしますべき所を、ありがたく面白うしなし(宇津保物語)、

と、

ある状態にする、
つくりなす、

意で使うし、

わびなす(侘為・詫為)、

は、

穂蓼生ふ蔵を住ゐに侘なして(俳諧・春の日)、

と、

閑居を楽しむ、

意で使う(岩波古語辞典・デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)。

「做」.gif



「作」.gif

(「作」 https://kakijun.jp/page/0709200.htmlより)


「作」 甲骨文字・殷.png

(「作」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BD%9Cより)

「做(作)」(サク・サ)は、

会意兼形声。乍(サク)は、刀で素材に切れ目を入れるさまを描いた象形文字。急激な動作であることから、たちまちの意の副詞に専用するようになったため、作の字で人為を加える、動作をする意をあらわすようになった。作は「人+音符乍(サ)」、

とある(漢字源)。正字が「作」、「做」は異字体である(字通・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%81%9A)。

会意形声。人と、乍(サク、サ つくる)とから成り、「つくる」意を表す。「乍」の後にできた字、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(人+乍)。「横から見た人の象形」と「木の小枝を刃物で取り除く象形」から人が「つくる」を意味する「作」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji365.htmlあるが、

形声、正字は作で、乍(さ)声、做はその俗字。近世語にこの字を用いることが多い。明の〔字彙〕に至ってこの字を録している、

とし(字通)、

形声。「人」+音符「乍 /*TSAK/」。「なす」「つくる」を意味する漢語{作 /*tsaaks/}を表す字、

とし(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BD%9C)、いずれも、形声文字としている。。

「成」.gif

(「成」 https://kakijun.jp/page/naru200.htmlより)


「成」 甲骨文字・殷.png

(「成」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%88%90より)

「成」 金文・西周.png

(「成」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%88%90より)


「成」 楚系簡帛文字・戦国時代.png

(「成」 楚系簡帛文字(簡帛は竹簡・木簡・帛書全てを指す)・戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%88%90より)

「成」(漢音セイ、呉音ジョウ)は、

会意兼形声。丁は、打ってまとめ固める意を含み、打の原字。成は「戈(ほこ)+音符丁」で、まとめあげる意を含む、

とある(漢字源)。また、同趣旨で、

会意兼形声文字です(戉+丁)。「釘を頭から見た」象形と「大きな斧」の象形から、大きな斧(まさかり)で敵を平定するを意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、ある事柄が「なる・できあがる」を意味する「成」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji628.htmlのは、この元になっている、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)が、

「戊」+音符「丁」、

と分析しているためだが、これは、

誤った分析、

とし(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%88%90)

金文を見ればわかるように「戌」+「丨(または十)」と分析すべき文字である。甲骨文字には「戌」+「丁」と分析できる字があるものの読み方には論争があり、字形上はこの字と西周以降の「成」に連続性はない、

としており(仝上)、また、同趣旨で、

形声。意符戉(えつ まさかり。戊は変わった形)と、音符丁(テイ)→(セイ)とから成る。武器で戦うことから、ひいて、なしとげる意を表す、

としている(角川新字源)。

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2024年05月25日

思ひ寝


君をのみ思ひ寝に寝し夢なればわが心から見つるなりけり(古今和歌集)、

の、

思ひ寝、

は、

人を思いながら寝ること、

で、ここは、

「思ひ」に、「君をのみ思ひ」と「思ひ寝」とが重なる、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

思ひ寝、

は、確かに、文字通り、

思い続けながら寝ること(学研全訳古語辞典)、
物を思いながら寝ること(精選版日本国語大辞典)、
人を思ひつつ寝ること(大言海)、

ではあるが、上記の、

君をのみ思ひ寝に寝し夢なればわが心から見つるなりけり(古今和歌集)、

や、

思ひ寝の夜な夜な夢に逢ふ事をただ片時のうつつともがな(後撰和歌集)、

というように、多く、

恋しい人のことを思いながら眠る場合に用いられる、

ので、

人を恋しく思いながら寝ること、

というのが正確のようだ(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。

似た歌に、新古今和歌集の、

物をのみ思ねざめの枕には涙かからぬあかつきぞなき(源信明)、

があり、

「物をのみ思ひ」から「思ひ寝」(あることを思いつめながら寝ること)へ、さらに「寝覚め」へと言葉を連鎖させる、

と注釈されている(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。この、

思寝覚(おもいねざめ)、

は、

思ひ寝、

から覚めることをいう。

なお、「通ひ路」については触れた。

「寢」.gif


「寝(寢)」(シン)は、「寝(い)を寝(ぬ)」で触れたように、

会意兼形声。侵は、次第に奥深く入る意を含む。寝は、それに宀(いえ)を加えた字の略体を音符とし、爿(しんだい)を加えた字で、寝床で奥深い眠りに入ること、

とある。同趣旨で、

会意兼形声文字です(宀+爿+侵の省略形)。「屋根・家屋」の象形と「寝台を立てて横にした」象形と「ほうき」の象形(「侵」の略字で、人がほうきを手にして、次第にはき進む事から、「入り込む」の意味)から、家の奥にあるベッドのある部屋を意味し、そこから、「部屋でねる」を意味する「寝」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1262.htmlが、別に、

形声。意符㝱(ぼう、む)(〈夢〉の本字。ゆめ。は省略形)と、音符𡩠(シム)(𠬶は省略形)とから成る。清浄な神殿・神室の意を表したが、古代には貴人の病者は神室に寝たことから、ねやの意に転じた。常用漢字は省略形による、

ともある(角川新字源)。

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
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ラベル:思ひ寝
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2024年05月26日

登封


扈従登封(とうほう)途中作(宋之問)、

の、

登封(とうほう)、

は、

天子が名山(主として泰山)に登り、天地を祭って天下泰平を報告する、

という、所謂、

封禅(ほうぜん)の儀を行うこと、

である。このとき、

山頂に登封壇という祭壇がもうけられる、

とある(前野直彬注解『唐詩選』)。

泰山 南天門.jpg


封禅、

の、

封、

は、

土を盛り檀をつくりて天を祭る、

意、

禅、

は、

地を除ひて山川を祭る、

意とある(字源)が、

封と禅は元来別個の由来をもつまつりであったと思われる、

とあり(世界大百科事典)、

山頂での天のまつりを封、
山麓での地のまつりを禅、

とよび、両者をセットとして封禅の祭典が成立した(仝上)とある。その祭祀には、

とくに霊山聖域を選んで行う封禅(ほうぜん)と、主として都城の郊外で行われる郊祀とがあった、

とあり、

封禅、

は、

山上に土を盛り壇を築いて天をまつる封拝、
と、
山下に土を平らにし塼(ぜん)(また壇、禅)をつくって地をまつる禅祭、

とを併称する(仝上)とある。

「史記」に、

封禅書https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%8F%B2%E8%A8%98/%E5%8D%B7028

があるが、その中に、管仲のことばとして

古は泰山に封じ梁父に禪する者七十二家、而して夷吾(管仲)の記す所の者十有二。……周の成王、泰山に封じ社首に禪す。皆命を受けて、然る後に封禪することを得たり、

とある(字源)。十二家とは、

昔無懷氏封泰山、禪云云;虙羲(伏羲)封泰山、禪云云;神農封泰山、禪云云;炎帝封泰山、禪云云;黃帝封泰山、禪亭亭;顓頊封泰山、禪云云;帝嚳封泰山、禪云云;堯封泰山、禪云云;舜封泰山、禪云云;禹封泰山、禪會稽;湯封泰山、禪云云;周成王封泰山、禪社首:皆受命然後得封禪、

とある、

無懐、伏羲、神農、炎帝、黄帝、顓頊、帝嚳、堯、舜、禹、湯、周成王、

を指し、

泰山を封じ、それぞれ山を禅し、皆天命を受けた後に封禅を行った、

とあるhttps://ja.wikisource.org/wiki/%E5%8F%B2%E8%A8%98/%E5%8D%B7028。ために、

封禅、

の、

封、

は、

泰山の山頂に土壇をつくって天を祭ること、

禅、

は、

泰山の麓の小丘(梁父山)で地をはらい山川を祀ること、

と解釈される(広辞苑)ようになる。つまり、

泰山の頂に天を祭る、

のが、

封、

麓の小丘梁父(梁甫)で地を祭る、

のが、

禅、

とされる(旺文社世界史事典)。

泰山では山頂に土を盛り、高い場所をさらに高くして、天に届け、という儀式を行って天を祭る、梁父では丘の土をはらい、地を祭って丘の下の霊と交わる儀式を行う、

のであるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%81%E7%88%B6%E5%90%9F

梁父、

はいわゆる古墳であり、昔、そこに霊が埋葬されたと伝えられていて、始皇帝も泰山と梁父で封禅の儀式を行ったとされる(仝上)。

『史記』の注釈書である『史記三家注』には、

此泰山上築土為壇以祭天、報天之功、故曰封。此泰山下小山上除地、報地之功、故曰禪、

と、

泰山の頂に土を築いて壇を作り天を祭り、天の功に報いるのが封で、その泰山の下にある小山の地を平らにして、地の功に報いるのが禅だ、

とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%81%E7%A6%85)、続いて『五経通義』から、

易姓而王、致太平、必封泰山、

と、

王朝が変わって太平の世が至ったならば、必ず泰山を封ぜよ、

という言葉を引用している(仝上)。この背景にあるのは、戦国時代の斉や魯には五岳中の内、泰山が最高であるとする儒者の考えがあり、帝王は泰山で祭祀を行うべきであると考えていたことがある(仝上)。因みに、五岳は、

東岳泰山、
南岳衡山、
中岳嵩山、
西岳華山、
北岳恒山、

を指すhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%B2%B3

ところで、管仲は、封禅の条件として、

古之封禪、鄗上之黍、北里之禾、所以為盛;江淮之閒、一茅三脊、所以為藉也。東海致比目之魚、西海致比翼之鳥、然後物有不召而自至者十有五焉。今鳳皇麒麟不來、嘉穀不生、而蓬蒿藜莠茂、鴟梟數至、而欲封禪、毋乃不可乎?、

と挙げ、比目之魚、比翼之鳥、鳳凰、麒麟等々という瑞祥があらわれるといい、それがいまは現れていない状態で封禅を行うのかと、斉の桓公を諫めたとされる(史記・封禅書)。

史実として確認できる最初の封禅は、

秦の始皇帝28年(前219)、
漢の武帝の元封1年(前110)、

のそれが有名だが、秦の始皇帝のとき、既に古代の儀式については散逸しており、我流で、

山南から車に乗って泰山の頂上へ登り、封礼を行い、並びに石にそれまでの功績を称え刻み、その後に山の北から下山して梁父山へと行き禅を行った、

というhttps://prometheusblog.net/2017/11/15/post-6346/#google_vignette。それは、戦国時代に天帝を祭った際の様式を改変したものであった(仝上)とある。本来の、

天下太平を天に報ずる儀式、

という政治上の意味よりは、

不死登仙の観念、

が封禅にともなっているとされる(世界大百科事典)ことが面白い。たとえば、方士の李少君は漢の武帝に次のように述べている。

鬼神を駆使して丹砂を黄金に変え、その黄金で食器を作れば命がのび、命がのびれば東海中の蓬萊山の仙人にあうことができる。そのうえで封禅を行えば不死となる、

と(仝上)。背景には、

泰山は古くから鬼神の集まるところと考えられ、そこを天への通路とみなす信仰も存在した。鬼神と交わる術をもっぱらあやつった方士たちは、泰山のこのような宗教的な性格、ならびに《書経》舜典篇などで、泰山が帝王の巡狩の地として政治的に重要視されている事実に注目し、泰山において政治上の成功の報告を行うとともに不死登仙を求めるところの封禅の説をつくりあげた、

と考えられる(仝上)とある。この後、後漢の光武帝、唐の高宗や玄宗、宋の真宗等々も莫大な国費を投じて封禅を行ったとされる(仝上)。確かに、

封禅、

の意義は、初めは、

山神、地神に不老長寿や国運の長久を祈願する、

ところにあったかもしれないが、膨大な国費を投じて行われる国家的祭儀であったため、次第に、

帝王の威武を誇示する政治的な祭儀、

へと形を変えた(ブリタニカ国際大百科事典)といっていい。

「封」.gif

(「封」 https://kakijun.jp/page/0947200.htmlより)

「封」(漢音ホウ、呉音フウ)は、

会意兼形声。左側の字は、いねの穂先のように、△型にとがって上部のあわさったものを示す。封の原字は、それを音符とし、土を添えた。のち、「土二つ+寸(て)」と書き、△型に土を集め盛った祭壇やつかを示す。四方から△型に寄せ集めて、頂点であわせる意味を含む、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(土(丰)+土+寸)。「よく茂った草」の象形(草が密生するさまから、「より集まる」の意味)と「土地の神を祭る為に柱状に固めた土」の象形(「土」の意味)と「右手の手首に親指をあて脈をはかる」象形(「長さの単位」を意味するが、ここでは、「手」の意味)から、土を寄せ集めて盛る事を意味し、そこから、「盛り土」、「土を盛って境界を作り、領土を与えて諸侯とする」を意味する「封」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1404.htmlが、

かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である。楷書では偏が「圭」と同じ形となっているが、字形変化の結果同じ形に収束したに過ぎず、起源は異なる、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B0%81

形声。「寸」+音符「丰 /*PONG/」。「くに」を意味する漢語{封 /*p(r)ongʔ/}を表す字。もと「丰」が{封}を表す字であったが、「寸」を加えた、

とある(仝上)。異字体として、

𡉘(籀文)、𡊽(古字)、𡉚(古字)、𡊋(同字)、𭔵(俗字)、

を挙げている(仝上)。別に、

象形。草を手に持って地面に植える形にかたどる。草木を植えて土地の境界をつくることから、ひいて、とじこめる、土盛りする意を表す、

とする説もある(角川新字源)。

「禪」.gif


「禪(禅)」(漢音セン、呉音ゼン)は、「禅定」で触れたように、

会意兼形声。「示(祭壇)+音符單(たいら)」で、たいらな土の壇の上で天をまつる儀式、

とある(漢字源)。別に、

形声。示と、音符單(セン、ゼン)とから成る。天子が行う天の祭り、転じて、天子の位をゆずる意を表す。借りて、梵語 dhyānaの音訳字に用いる、

とも(角川新字源)、

形声文字です(ネ(示)+単(單))。「神にいけにえを捧げる台」の象形と「先端が両またになっているはじき弓」の象形(「ひとつ」の意味だが、ここでは、「壇(タン)」に通じ(同じ読みを持つ「壇」と同じ意味を持つようになって)、「土を盛り上げて築いた高い所」の意味)から、「壇を設けて天に祭る」を意味する「禅」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji1666.htmlある。

参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
簡野道明『字源』(角川書店)

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2024年05月27日

黄鶴楼


昔人已乗白雲去(昔人(せきじん)已に白雲に乗じて去り)
此地空余黄鶴楼(此の地空しく余す 黄鶴楼)
黄鶴一去不復返(黄鶴(こうかく)一たび去って復た返らず)
白雲千載空悠悠(白雲千載 空しく悠悠たり)
晴川歴歴漢陽樹(晴川(せいせん)歴歴たり漢陽の樹)
芳草萋萋鸚鵡洲(芳草(ほうそう)萋萋(せいせい)たり鸚鵡(おうむ)洲)
日暮郷関何処是(日暮(にちぼ) 郷関 何れの処か是なる)
煙波江上使人愁(煙波(えんぱ) 江上 人をして愁(うれ)えしむ)(崔顥(さいこう)・黄鶴楼)

の、

黄鶴楼(こうかくろう)、

は、

湖北省武昌の西端、揚子江岸、

にあった(前野直彬注解『唐詩選』)。

幾度も焼失と再建が繰り返され、現在、

元の地点から約1キロ離れた位置に再建された楼閣がある

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%B6%B4%E6%A5%BC)

黄鶴楼図(明の安正文).jpg

(『黄鶴楼図』(明・安正文 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%B6%B4%E6%A5%BCより)

この黄鶴楼には、その名の由来となる伝説が残っている。

昔、辛という人の酒屋があった。その店へ毎日一人の老人が来ては酒を飲んで行く。金は払わないのだが、辛はいやな顔もせずに、ただで酒を飲ませ、それから半年くらいたって、ある日、老人は酒代の代わりにといって、橘(たちばな)の皮をとって、壁に黄色い鶴を描いて去っていった。その後、この店で酒を飲む客が歌を歌うと、節にあわせて壁の鶴が舞った。そのことが評判となって店が繁盛し、辛は巨万の富を築いた。十年ののち、再び老人が店に現れ、笛を吹くと白雲がわきおこり、黄色い鶴が壁を抜け出して舞い降りた。老人はその背にまたがり、白雲に乗って天上へと去った。辛はそのあとに楼を建てて、黄鶴楼と名付けた、

という(前野直彬注解『唐詩選』・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%B6%B4%E6%A5%BC)。また一説には、

仙人が黄色の鶴に乗って飛行する途中、この楼に降りて休んだところから名付けられた、

とも(前野直彬注解『唐詩選』)、閻伯瑾の「黄鶴楼記」には、

三国時代の蜀漢の政治家費禕が仙人に登り黄鶴に乗って飛来し、ここで休んだという伝説が記載されている、

ともあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%B6%B4%E6%A5%BC

『江漢攬勝図軸』(明・佚名).jpg

(『江漢攬勝図軸』(明・佚名) 明の時代の武漢三鎮、揚子江の左に聳え立つのが黄鶴楼 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%B6%B4%E6%A5%BCより)

伝説では、李白もこの楼に登り詩をつくろうとしたが、崔顥の詩以上のものは出来ないと言って、筆を投じた、という(前野直彬注解『唐詩選』)。しかし、李白には、

故人西辭黄鶴樓(故人 西のかた黄鶴楼を辞し)
煙花三月下揚州(煙花三月 揚州に下る)
孤帆遠影碧空盡(孤帆の遠影 碧空に尽き)
惟見長江天際流(惟だ見る 長江の天際に流るるを)(黄鶴楼送孟浩然之広陵)

という詩があるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%B6%B4%E6%A5%BC%E9%80%81%E5%AD%9F%E6%B5%A9%E7%84%B6%E4%B9%8B%E5%BA%83%E9%99%B5し、

一為遷客去長沙(一たび遷客(せんかく)と為って長沙に去る)
西望長安不見家(西のかた長安を望めども家を見みず)
黄鶴楼中吹玉笛(黄鶴楼中 玉笛(ぎょくてき)を吹く)
江城五月落梅花(江城(こうじょう) 五月 梅花(ばいか)落つ)(与史郎中欽聴黄鶴楼上吹笛)

という詩もあるhttps://kanbun.info/syubu/toushisen325.html。また、宋代の陸游にも、

手把仙人緑玉枝
吾行忽及早秋期
蒼龍闕角帰何晩
黄鶴楼中酔不知
江漢交流波渺渺
晋唐遺跡草離離
平生最喜聴長笛
裂石穿雲何処吹(黄鶴楼)

の詩があるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%B6%B4%E6%A5%BC

黄鶴楼(1871年).jpg


なお、崔顥の「黄鶴楼」には及ばないとした李白が、崔顥の「黄鶴楼」に対抗しようという意図をもってつくったとされる伝説があるのが、「登金陵鳳皇台」とされる(前野直彬注解『唐詩選』)。即ち、

鳳皇臺上鳳皇遊(鳳皇臺上 鳳皇遊びしが)
鳳去臺空江自流(鳳去り臺空しゅうして江自(おのず)から流る)
呉宮花草埋幽徑(呉宮の花草 幽徑を埋(うず)め)
晉代衣冠成古丘(晉代の衣冠 古丘と成れり)
三山半落青天外(三山半ば落つ 青天の外)
二水中分白鷺洲(二水中分す 白鷺(はくろ)洲)
總爲浮雲能蔽日(總べて浮雲(ふうん)の能く日を蔽(おお)うが爲に)
長安不見使人愁(長安見えず 人をして愁(うれ)えしむ)

と。金陵は、いまの南京、

劉宋の時代に、ある人が都の西南隅の山の上で珍しい鳥が群がるのを見た。美しい鳥なので、鳳皇(鳳凰)ということになり、それは瑞祥なので、それにあやかるために、山の上に台を築き、鳳皇台となづけた、

との故事がある(仝上)。

因みに、落語「抜け雀」は、http://sakamitisanpo.g.dgdg.jp/nukesuzume.htmlに詳しい。

参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)

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2024年05月28日

浅み


浅みこそ袖はひつらめ涙川身さへ流ると聞かばたのまむ(古今和歌集)、
よるべなみ身をこそ遠くへだてつれ心は君が影となりにき(仝上)

の、前者の、

浅み、

は、

浅しの語幹に接尾語「み」がついた形で、理由を表す。相手の気持ちの浅さと涙川の浅さの両義、

後者の、

よるべなみ、

は、

「無し」の語幹に、理由を表す接尾語「み」がついた形、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

若の浦に潮満ち来れば潟をなみ岸辺をさして鶴鳴きわたる(万葉集)、

の、

なみ、

も同じである。接尾語、

み、

には、

春の野の繁み飛び潜(く)くうぐひすの声だに聞かず娘子(をとめ)らが春菜摘ますと(万葉集)、

と、

形容詞の語幹に付いて体言をつくり、その状態を表す名詞を作る、

ものがあり、この場合、

浅み、

は、

深み、

と対になる(岩波古語辞典・学研全訳古語辞典)。これは、

明るみ、
高み、
繁み、

のように、

明けされば榛(はり)のさ枝に夕されば藤の繁美(しげミ)にはろばろに鳴くほととぎす(万葉集)、

と、

そのような状態をしている場所をいう場合と、今日でも使う、

真剣みが薄い、
面白みに欠ける、

のように、

その性質・状態の程度やその様子を表わす場合とがある(精選版日本国語大辞典)。また、

道の後(しり)古波陀(こはだ)をとめは争はず寝しくをしぞもうるはし美(ミ)思ふ(古事記)、

というように、形容詞の語幹に付いて、後に、動詞「思ふ」「す」を続けて、感情の内容を表現する、

ものなどがあるが、上記の、

浅み、

の、

み、

は、

若の浦に潮満ち来れば潟(かた)を無み葦辺(あしへ)をさして鶴(たづ)鳴き渡る(万葉集)、

と、

形容詞の語幹、および助動詞「べし」「ましじ」の語幹相当の部分に付いて、

(…が)…なので、
(…が)…だから、

と、

原因・理由を表す(学研全訳古語辞典)。多く、

上に「名詞+を」を伴うが、「を」がない場合もある、

とある(仝上)。この、

み、

は、従来、

接尾語、

として説かれているが、

瀬を早み、
風をいたみ、

などと使われる「み」は、その機能から見て、

接続助詞、

と考えたいとする説もある(岩波古語辞典)。

「浅」.gif


「淺」.gif

(「淺」 https://kakijun.jp/page/9FC7200.htmlより)

「浅(淺)」(セン)は、

会意兼形声。戔(セン)は、戈(ほこ)二つからなり、戈(刃物)で切って小さくすることを示し、小さく、少ない意を含む。淺は、「水+音符戔」で、水が少ないこと、

とあり(漢字源)、

会意兼形声文字です(氵(水)+戔)。「流れる水」の象形(「水」の意味)と「矛を重ねて切りこんでずたずたにする」象形(「薄く細かに切る」の意味)から、うすい水を意味し、そこから、「あさい」を意味する「浅」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji167.htmlが、

形声。「水」+音符「戔 /*TSAN/」。「あさい」を意味する漢語{淺 /*tshanʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B7%BA

形声。水と、音符戔(セン)とから成る。「あさい」意を表す。教育用漢字は省略形の俗字による(角川新字源)、

と、形声文字とする説もある。

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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2024年05月29日

和羹(わこう)


位竊和羹重(位は和羹の重きを竊(ぬす)み)
恩叨酔酒深(恩は酔酒の深きを叨(みだ)りにす)(張説(ちょうえつ)・恩制賜食於麗正殿書院宴賦得林字)

の、

和羹、

は、

宰相、

の意、

羹は肉入りのスープのような料理、和はその味をととのえたもの。殷の高宗が名宰相の傅説(ふえつ)を任命したとき、「もし和羹をつくろうとするときは、そちが味を調えよ」といった故事から、天下の政治を料理の味つけにたとえて、

とある(前野直彬注解『唐詩選』)。

和羹(わこう)、

は、

和羹如可適、以此作塩梅(「書経」説命)、

と、

肉や野菜など種々のものを混ぜて味を調和させた羹(あつもの)、

を言う(精選版日本国語大辞典)。「羊羹」で触れたように、

羹、

は、

古くから使われている熱い汁物という意味の言葉で、のちに精進料理が発展して「植物性」の材料を使った汁物をさすようになりました。また、植物に対して「動物性」の熱い汁物を「臛(かく)」といい、2つに分けて用いました、

とありhttps://nimono.oisiiryouri.com/atsumono-gogen-yurai/、「あつもの」は、

臛(カク 肉のあつもの)、
懏(セン 臛の少ないもの)、

と載る(字源)。その、

塩梅、

の意をメタファに、上記のように、

君主を助けて天下を宰領すること、また、その人、

つまり、

天下を調理する、

という意で、

宰相、

を言う(精選版日本国語大辞典・字源)。で、上述の、

若作和羹、爾惟鹽梅(書経・説命)、

によって、

和羹塩梅(わこうあんばい)、

という四字熟語があり、

「和羹」はいろいろな材料・調味料をまぜ合わせ、味を調和させて作った吸い物、

で、

「塩梅」は塩と調味に用いる梅酢、

をいい、この料理は、

塩と、酸味の梅酢とを程よく加えて味つけするものであることから、上手に手を加えて、国をよいものに仕上げる宰相らをいう、

とある(新明解四字熟語辞典)。

傅説.jpg

(傅説 デジタル大辞泉より)

傅説(ふえつ)、

は、

紀元前10世紀ごろの人、

で、伊尹や呂尚と並んで、名臣の代表として取り上げられる。「書経」の「説命(えつめい)」に、

中国殷の武丁(高宗)の宰相。武丁が聖人を得た夢を見、その夢に従って捜したところ見い出して、宰相にした、

という(精選版日本国語大辞典)。『史記』殷本紀には、

武丁夜夢得聖人名曰説、以夢所見視群臣百吏、皆非也。於是廼使百工営求之野、得説於傅険中。是時説為胥靡、築於傅険。見於武丁。武丁曰是也。得而与之語、果聖人、挙以為相、殷国大治。故遂以傅険姓之、号曰傅説、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%85%E8%AA%AC

夢に「説」という名前の聖人を見たため、役人に探させたところ、傅険という名の岩屋で罪人として建築工事にたずさわっているのが発見された。傅険で見つかったので傅を姓とした、

という(仝上)。『史記』封禅書には、

後十四世、帝武丁得傅説為相、殷復興焉、稱高宗、

と、

傅説を用いることで、衰えていた殷はふたたび盛んになり、武丁は高宗とよばれるようになった、

とある(仝上)。『国語』楚語上には、

昔殷武丁……如是而又使以象夢求四方之賢、得傅説以来、升以為公、而使朝夕規諫、曰:若金、用女作礪。若津水、用女作舟。若天旱、用女作霖雨。啓乃心、沃朕心。若薬不瞑眩、厥疾不瘳。若跣不視地、厥足用傷、

と、

武丁が夢に見た人間の姿を描いて役人に探させ、傅説を得て公となし、自分に対して諫言させた、

とある(仝上)。傅説は、『荘子』大宗師に、

傅説得之(=道)、以相武丁、奄有天下、乗東維、騎箕・尾、而比於列星、

と、

星になった、

と言われ、尾宿に属する星に傅説の名がある(仝上)。『荀子』非相には、

傅説之状、身如植鰭、

とある。なお、『書経』説命(えつめい)篇は後世の偽書とされ、近年清華簡の中から戦国時代の本物の説命(傅説之命)が発見され、それによると、

傅説ははじめ失仲という人に仕えていた。殷王は傅説の夢をみて、役人に探させたところ、傅巌で城壁を築いていた傅説を弼人が発見した。天は傅説に失仲を討たせた。王は傅説を公に就任させ、訓戒を与えた、

とある(仝上)。

「羹」.gif



「羮」.gif


「羹」(漢音コウ、呉音キョウ、唐音カン)は、

会意文字。「羔(まる蒸した子羊)+美(おいしい)」、

とある(漢字源)。しかし、

「羔」+「美」と説明されることがあるが、これは誤った分析である。金文の形をみればわかるように、この文字の下部は「鬲」の異体字に由来しており「美」とは関係がない、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%BE%B9

会意。「𩱧」の略体で、「羔」+「𩰲火」(「鬲」の異体字)、

とする(仝上)

羮(俗字)、
𩱁(同字)、

は異字体である(仝上)。

参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
簡野道明『字源』(角川書店)

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2024年05月30日

玉芝(ぎょくし)


豈知玉殿生三秀(豈知らんや 玉殿の三秀(さんしゅう)の生ずるを)
詎有銅池出五雲(詎(いずく)んぞ有らん 銅池(どうち)に五雲の出ずるは)(王維)

のタイトル、

大同殿生玉芝竜池上有慶雲百官共覩聖恩便賜宴楽敢書卽事(大同殿に玉芝生じ、竜池の上に慶雲有り、百官共に覩(み)る。聖恩、便(すなわ)ち宴楽を賜う。敢て即事を書す)、

にある(前野直彬注解『唐詩選』)、

玉芝、

は、

霊芝、

とされ、おそらく、

一種の菌、

であろう(仝上)とある。

天宝七載(748)、八載に、大同殿の柱に玉芝が生えた、

といい、竜池(興慶宮の中にある池)に、

慶雲、

つまり、

瑞雲、

が現れた。瑞祥があった時は、

天子は百官に許可を与えて見物させ、臣民もこれにあやかるようにとの恩恵を施すのが慣例、

という。このときは、さらに、天子が、集まった臣下に祝宴を与えるという、

聖恩、

を加えた。この宴席に加わった著者が、見たままを即興的に歌った詩、これが、

即事、

である。これは天子の命令によりつくる、

応制、

ではないので、

敢、

と言った(仝上)とある。詩に、

三秀、

とあるのは、

玉芝、

のことで、「楚辞」三鬼の歌に、

三秀を山間に采(と)る、

とあり、後漢の王逸の注に、三秀は、

芝草なり、

とあるのをふまえる(仝上)とあり、また、

一年に三度花が咲くので、この名がついたともいう、

とある(仝上)。

霊芝.jpg


玉芝、

は、

奇麗な霊芝、

という意味で、漢代の「十洲記(海内十洲記)」(東方朔)に、

鐘山在北海、生玉芝及神草四十餘種、

とある。東方朔については、人日で触れた。

因露寝、兮産霊芝、象三徳兮應瑞圖、延寿命兮光此都(班固・霊芝歌)、

とある、

霊芝(れいし)、

は、

芝草

ともいい(広辞苑)、

王者慈仁の時に生ずる、

とされ(景戒(原田敏明・高橋貢訳)『日本霊異記』)、日本でも、

紀伊国伊刀郡、芝草を貢れり。其の状菌に似たり(天武紀)、
押坂直と童子とに、菌羹(たけのあつもの)を喫(く)へるに由りて、病無くして寿し。或人の云はく、盖し、俗(くにひと)、芝草(シサウ)といふことを知らずして妄に菌(たけ)と言へるか(皇極紀)、

とある。中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)には、

芝は神草なり、

とありhttp://www.ffpri-kys.affrc.go.jp/tatuta/kinoko/kinoko60.htm

三秀、
芝草、

の他、

霊芝、一名壽濳、一名希夷(続古今註)、

と、

寿潜、
希夷、
菌蠢、

といった別名もある(仝上・字源)。『説文解字』には、

青赤黄白黒紫、

の六芝、

とあり、『神農本草経』や『本草網目』に記されている霊芝の種類は、延喜治部省式の、

祥瑞、芝草、

の註にも、

形似珊瑚、枝葉連結、或丹、或紫、或黒、或黄色、或随四時變色、一云、一年三華、食之令眉壽(びじゅ)、

とあるように、

赤芝(せきし)、
黒芝(こくし)、
青芝(せいし)、
白芝(はくし)、
黄芝(おうし)、
紫芝(しし)、

とあるhttps://himitsu.wakasa.jp/contents/reishi/が、紫芝は近縁種とされ、他の4色は2種のいずれかに属するhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%8A%E8%8A%9Dとある。

担子菌類サルノコシカケ科(一般にマンネンタケ科とも)、

のキノコで、

北半球の温帯に広く分布し、山中の広葉樹の根もとに生じる。高さ約10センチ。全体に漆を塗ったような赤褐色または紫褐色の光沢がある。傘は腎臓形で、径五~一五センチメートル。上面には環状の溝がある。下面は黄白色で、無数の細かい管孔をもつ。柄は長くて凸凹があり、傘の側方にやや寄ったところにつく、

とあり(精選版日本国語大辞典)、乾燥しても原形を保ち、腐らないところから、

万年茸(まんねんだけ)、

の名がある。これを、

成長し乾燥させたものを、

霊芝、

として用いるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%8A%E8%8A%9Dが、後漢時代(25~220)にまとめられた『神農本草経』に、

命を養う延命の霊薬、

として記載されて以来、中国ではさまざまな目的で薬用に用いられ、日本でも民間で同様に用いられてきたが、伝統的な漢方には霊芝を含む処方はない(仝上)とある。

参考文献;
簡野道明『字源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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2024年05月31日

あやなし


あやなくてまだきなき名のたつた川渡らでやまむものならなくに(古今和歌集)、

の、

あやなし、

は、

道理がない、
説明がつかない、

意である(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

あやなくも曇らぬ宵をいとふかな信夫(しのぶ)の里の秋の夜の月(新古今和歌集)、

では、

わけのわからないことに、

と訳注している(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。

あやなし、

は、

文無し、

と当て、

あや(文)、

は、新撰字鏡(898~901)に、

縵(マン 無地の絹)、繒无文也、阿也奈支太太支奴(アヤナキタダキヌ)、

また、

腡(ラ)、掌内文理也、手乃阿也(てのあや)、

とあり、

水の上にあや織りみだる春の雨や山の緑をなべて染むらむ(新撰万葉集)、

と、

物の表面のはっきりした線や形の模様、

の意で、それをメタファに、

槇を折るに其の木の理(あや)に随ふ(法華経玄賛平安初期点)、

と、

事物の筋目、

の意で使う(岩波古語辞典)。「易経」繋辞に、

天地之文、

とあり、疏に、

若青赤相雜、故称文也、

とあり、和訓栞には、

韻瑞に、日月、天之文也、山川、地之文也、言語、人之文也、ト見ユ、

とある(大言海)。だから、

あやなし、

の、

あや、

は、

模様、筋目の意、

で(岩波古語辞典)、

あやなし、

は、

模様・筋目がないの意(広辞苑)、
文理(あや)なしの義、文目(あやめ)も分(わ)かず、理(すじ)立たずの意なり(大言海)、

で、

春の夜のやみはあやなし梅の花色こそ見えね香やはかくるる(古今和歌集)、
いかでか三皇(さんこう)今上あまたおはします都の、いたづらに亡ぶるやうはあらんと、頼もしくこそ覚えしに、かくいとあやなきわざの出で来ぬるは(増鏡)

などと、

筋が通らない、理屈に合わない、不条理なことである、無法である、

意で使うほか、

知る知らぬなにかあやなくわきていはん思ひのみこそしるべなりけれ(古今和歌集)、

と、

そうする理由がない、そうなる根拠がない、いわれがない、

意や、その派生で、

さすがに、心とどめて恨み給へりし折々、などて、あやなきすさび事につけても、さ思はれ奉りけむ(源氏物語)、

と、

無意味である、あっても意味がない、かいがない、とるにたりない、

などの意や、

向ふの方より久兵へは歎きにかるい思ひとも、いづれあやなししばらくも宿に独はいられづと(浄瑠璃「八百屋お七」)、

と、

物の判別もつかない、あやめもわからない、不分明である、

などの意や、

また人聞くばかりののしらむはあやなきを、いささか開けさせたまへ。いといぶせし(源氏物語)、

と、

わきまえがない、無考えである、

の意で使われる(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。

あやなし、

は、

会話文に用いられる場合、女性が話者であることはないという。女性の語としては、和歌の中で機知をきかせるのに留まったようである、

とあり、

和語として上代に用例が見いだせないのは、漢語に由来する可能性を示唆する、

との説があり(仝上)、平安時代後期の漢詩文集「本朝文粋」立神祠に、

無文之秩紛然、

とあり、この、

「無文」は形容詞「あやなし」の語義に近い、

とある(仝上)。

「文」.gif

(「文」 https://kakijun.jp/page/0455200.htmlより)

「文」 甲骨文字・殷.png

(「文」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%96%87

「文」(漢音ブン、呉音モン)は、

象形。土器につけた縄文の模様のひとこまを描いたもので、こまごまと飾り立てた模様のこと。のち、模様式に描いた文字や生活の飾りである文化などの意となる。綾の原字、

とある(漢字源)。他に、

象形。衣服の襟を胸元で合わせた形から、紋様、引いては文字や文章を表す、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%96%87

象形。胸に文身(いれずみ)をほどこした人の形にかたどり、「あや」の意を表す。ひいて、文字・文章の意に用いる、

とも(角川新字源)、

象形文字です。「人の胸を開いてそこに入れ墨の模様を描く」象形から「模様」を意味する「文」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji170.html

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:あやなし 文無し
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