2024年05月01日
涸鱗
早發雲臺仗(早(つと)に雲臺(うんだい)の仗を発し)
恩波起涸鱗(恩波を涸鱗(こりん)に起こさんことを)(杜甫・江陵望幸)
の、
雲臺仗、
の、
雲臺、
は、
後漢の宮中にあった台の名、
で、
明帝のとき、前代の名将二十八人の肖像をここに描かせた。ここでは、そのような名将たちに指揮された儀仗隊の意、
とある(前野直彬注解『唐詩選』)。
涸鱗、
は、
水を離れて、かわいてしまった魚、
の意で、
困窮の状態にある作者自身をたとえたもの、
とあり、これは、「荘子」外物篇の、
車の轍に落ちた鮒が通行人に救いを求め、わずかな水でもよいからすぐに持ってきてほしい、さもなければ自分は乾物になってしまうだろうといった、
という寓話を踏まえる(仝上)とある。
涸鱗、
は、
枯鱗、
とも当てる(精選版日本国語大辞典)。これは、
轍魚、
で触れたように、
義貞が恩顧の軍勢等、病雀花を喰うて飛揚の翅(つばさ)を展(の)べ、轍魚の雨を得て噞喁(げんぐう 魚が水面に口を出して呼吸すること)の唇を湿(うるお)しぬと(太平記)、
と、
困窮に迫られているものの喩え、
に言う(広辞苑)、
轍鮒(てつぷ)、
とも言い、
轍鮒之急、
涸轍之鮒、
とも言うが、これは、『荘子』外物篇に、
莊周家貧、故往貸粟於監河侯、監河侯曰、諾我將得邑金、將貸子三百金、可乎、莊周忿然作色曰、周昨來、有中道而呼者、周顧視、車轍中、有鮒魚焉、周問之曰、鮒魚來、子何為者邪、對曰、我東海之波臣也、君豈有斗升之水而活我哉、周曰、諾我且南遊子呉越之王、激西江之水而迎子、可乎、鮒魚忿然作色曰、吾失我常與、我無所處。吾得斗升之水然活耳、君乃言此、曾不如早索我於枯魚之肆、
とあるのによる(字源)。常與は水、の意。貧乏な莊周(荘子)が、
貸粟、
を頼んだところ、監河侯が、
諾我將得邑金、將貸子三百金、
と悠長なことを言ったのに対し、轍の鮒を喩えて、莊周が、
昨來、有中道而呼者、
見ると、
車轍中、有鮒魚焉、
その轍の鮒に、
君豈有斗升之水而活我哉、
と、一斗一升の水が欲しいと求められたのに対し、
諾我且南遊子呉越之王、激西江之水而迎子、
と間遠な答えをしたところ、
鮒魚忿然作色曰、吾失我常與、我無所處。吾得斗升之水然活耳、
と鮒が憤然として、そのように言うなら、
枯魚之肆、
つまり干物屋で会おうと言われたといって、監河侯をなじったのに由来する(故事ことわざの辞典)。これは、
籠鳥の雲を戀ひ、涸魚(かくぎょ)の水を求むる如くになって(太平記)、
とある、
涸魚(かくぎょ・こぎょ)、
ともいう、
水がない所にいる魚、
の意で、
今にも死にそうな状態、必死に助けを求めている状態などのたとえ、
として使われ、「轍魚」似た意味であるが、「轍魚」より事態は深刻かもしれない。
涸轍(こてつ)、
涸鮒(こふ)、
ともいい、
涸轍鮒魚(略して涸鮒)、
とも言い、出典は、上記「轍魚」と同じく『荘子』である(字源)。
小水之魚(しょうすいのうお)、
焦眉之急(しょうびのきゅう)、
風前之灯(ふうぜんのともしび)、
釜底游魚(ふていのゆうぎょ)、
も似た意味になる(https://yoji.jitenon.jp/yojii/4389.html)。
後の千金、
で触れたように、『宇治拾遺物語』に、「後ノ千金ノ事」と題して、まるで隣家にちょっと借米に行ったような話に変わっているが、
今はむかし、もろこしに荘子(さうじ)といふ人ありけり。家いみじう貧づしくて、けふの食物たえぬ。隣にかんあとうといふ人ありけり。それがもとへけふ食ふべき料(れふ)の粟(ぞく 玄米)をこふ。あとうがいはく、「今五日ありておはせよ。千両の金を得んとす。それをたてまつらん。いかでか、やんごとなき人に、けふまゐるばかりの粟をばたてまつらん。返々(かへすがへす)おのがはぢなるべし」といへば、荘子のいはく、「昨日道をまかりしに、あとに呼ばふこゑあり。かへりみれば人なし。ただ車の輪のあとのくぼみたる所にたまりたる少水に(せうすい)に、鮒(ふな)一(ひとつ)ふためく。なにぞのふなにかあらんと思ひて、よりてみれば、すこしばかりの水にいみじう大(おほ)きなるふなあり。『なにぞの鮒ぞ』ととへば、鮒のいはく、『我は河伯神(かはくしん)の使(つかい)に、江湖(かうこ)へ行也。それがとびそこなひて、此溝に落入りたるなり。喉(のど)かはき、しなんとす。我をたすけよと思てよびつるなり』といふ。答へて曰く、『我今二三日ありて、江湖(かうこ)といふ所にあそびしにいかんとす。そこにもて行て、放さん』といふに、魚のはく、『さらにそれまで、え待つまじ。ただけふ一提(ひとひさげ)ばかりの水をもて喉をうるへよ』といひしかば、さてなんたすけし。鮒のいひしこと我が身に知りぬ。さらにけふの命、物くはずはいくべからず。後(のち)の千のこがねさらに益(やく)なし。」とぞいひける。それより、「後(のち)の千金」いふ事、名誉せり、
と載せている。「かんあとう」は、監河候(かんかこう)の誤りとされ、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)には、
魏文侯、
とあり、詳しく伝わらないが、
河を監督する役人、
ともあり(https://j-trainer.blogspot.com/2021/04/blog-post_5.html)、
官職、
であるらしい(中島悦次校注『宇治拾遺物語』)。
「うろこ」で触れたように、「鱗」(リン)は、
会意兼形声。粦(リン)は、連なって燃える燐の火(鬼火)を表す会意文字。鱗はそれを音符とし、魚を加えた字で、きれいに並んでつらなるうろこ、
とある(漢字源)。別に、
会意兼形声文字です(魚+粦)。「魚」の象形(「魚」の意味)と「燃え立つ炎の象形と両足が反対方向を向く象形」(「左右にゆれる火の玉」)の意味から、「左右にゆれる火の玉のように光る魚のうろこ」を意味する「鱗」という漢字が成り立ちました、
との解釈もある(https://okjiten.jp/kanji2354.html)。
参考文献;
簡野道明『字源』(角川書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95