2024年05月05日

しのぐ


奥山の菅(すが)の根しのぎ降る雪の消(け)ぬとかいはむ恋のしげきに(古今和歌集)、

の、

しのぐ、

は、

覆いかぶさる、おさえつける、

意とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

しのぐ、

は、

凌ぐ、

とあてるが、

ふみつけ、おさえる意が原義(岩波古語辞典)、
物事をおのれの下に押し伏せる意(広辞苑)、

などとあるように、上記の歌のように、

押しふせる、
下に押えるようにする、
おおいかぶせる、
なびかす、

意で、それをメタファに、

宇陀の野の秋萩師弩芸(シノギ)鳴く鹿も妻に恋ふらく我れには益(ま)さじ(万葉集)、

などと、

山、波などの障害物などを押しわけ、かきわけ、押しつけるようにして進む、

意や、さらに、それをメタファに、

よろづのゆゑさはりをしのぎて思ひたち給へる御まゐり(宇津保物語)、

と、

辛抱して困難・障害なことをのりこえる、のりきる、

意で使い、その状態表現から、価値表現へと転じて、

雪しのく庵のつまをさし添へて跡とめて来ん人を止めん(山家集)、

と、

たえる、
我慢する、
また、
たえしのんでもちこたえる、

意や、下に踏みつける意から、

村(ふれ)に君(きみ)あり、長(ひとこのかみ)有りて谷に自(みつか)ら疆(さかひ)を分ちて用(も)て相淩躒(あひシノキきしろふ)(日本書紀)、

と、

あなどる、
見くだす、
圧倒する、

意でも使う(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。

この由来は、

しのぶ(忍)の他動の意の、しぬぐ(凌)の転(大言海)、
シノビク(忍来)の義(名言通)、
シノビユクの義(和句解)、

と、

しのぶ(忍)、

と関わらせる説がある。ただ、

しぬぐ(凌)、

は、上記歌の万葉仮名は、

宇陀乃野之秋芽子師弩芸鳴鹿毛妻尓恋楽苦我者不益(宇陀の野の秋萩凌ぎ鳴く鹿も妻に恋ふらく我には益まさじ(万葉集)、

とある、

「しのぐ」の「ノ」当たる甲類の万葉集仮名「怒」「努」「弩」などを江戸時代に「ヌ」と読み誤ってつくられた語、

とあるので、

しぬぐの転訛、

はありえないようだ。他には、

オシノケク(推退来)の義(日本語原学=林甕臣)、
オシノク(推除)の略(和語私臆鈔)、

と、おしのける系、

シノニ、シノノニ(撓)と同源(小学館古語大辞典)、

と、「しのに」系がある。前者は、ちょっとこじつけの気がするが、

しのに、

は、「心もしのに」で触れたように、

秋の穂(ほ)をしのに押しなべ置く露(つゆ)の消(け)かもしなまし恋ひつつあらずは(万葉集)、

と、文字通り、

(露などで)しっとりと濡れて、草木のしおれなびくさま、

の意(広辞苑・精選版日本国語大辞典)で、それをメタファに、

淡海(あふみ)の海夕浪千鳥(ゆふなみちどり)汝(な)が鳴けば心もしのにいにしへ思(おも)ほゆ(万葉集)、

と、

心のしおれるさまなどを表わす語、

として、

しおれて、
しっとり、しみじみした気分になって、
ぐったりと、

といった意味で使う(仝上)。どうも、「しのに」は、

主体の心理的状態、内的状態、

を言っているのに対して、「しのぐ」は、

主体の物理的状態、外的状態、

を言っているように思え、ちょっと差があるのだが、

主体から客体へ、

と状態表現を転移し、それを価値表現へと転化していくことはありえるのかもしれない。また、

しのに、

も、

しぬに、

と用いるのは、

淡海の海夕浪千鳥汝が鳴けば情毛思努爾(こころモシノニ)古(いにしへ)思ほゆ、

の万葉仮名、

情毛思努爾(こころモシノニ)、

の、

努、

などを、

ヌと読み誤ってつくられた語、

である(岩波古語辞典)。その点でも、

しのに、

と、

しのぐ、

との関連を感じなくもない。

しのぶ、

は、

忍ぶ、
隠ぶ、

と当て、

万代(よろづよ)に心は解けてわが背子がつみし手見つつ志乃備(シノビ)かねつも(万葉集)、

と、気持を抑える、痛切な感情を表わさないようにする意で、

じっとこらえる、
我慢する、

という意味や、動作を目立たないようにする、隠れたりして人目を避ける意で、

凡(おほ)ならばかもかもせむを恐(かしこ)みと振り痛き袖を忍(しのび)てあるかも(万葉集)、

と、

隠す、
秘密にする、

という意味で使い、さらに、

辱(はぢ)を忍(しのび)辱を黙(もだ)して事もなく物言はぬさきに我は寄りなむ(万葉集)、

と、

我慢する、
忍耐する、

意でも使うが、この意味は、

感情を抑えてじっと堪える、

意からの転義とも考えられるが、

外部からの働きかけに耐える、

という意味は、和語「しのぶ」には本来なく、「しのぶ」に、漢字、

忍、

の訓として定着したことで、

漢語「忍」のいみが和語「しのぶ」に浸透していき、次第に我慢という意味が色濃くなった、

とあり(日本語源大辞典)、どうも、

しのぶ、

の転義はなさそうに思える。

因みに、

しのぐ、

の連用形の名詞化、

しのぎ、

は、

往生は一人のしのきなり。一人々々仏法を信じて後生をたすかる事なり(蓮如上人御一代記聞書)、

と、

困難なことや苦しみなどをがまんして切りぬけること、
また、
その方法や手段、

の意や、囲碁で、攻められた場合、

最強の抵抗をするか、うまくかわすかして、主力の石を生かしたり、脱出したりすること、

の意があるが(精選版日本国語大辞典)、

ヤクザ・暴力団の収入や収入を得るための手段、

をいう、

シノギ、

も、ここから来たのではないかと疑う。他に、

糊口をしのぐ(飯をのり状の粥にして食いつなぐこと)、
鎬(しのぎ)を削る(両者の刀の鎬が削れるほどの激しい戦いのこと)、

の意からという説もある(日本語俗語辞典)が。

「凌」.gif

(「凌」 https://kakijun.jp/page/1019200.htmlより)

「凌」(リョウ)は、

会意兼形声。夌(リヨウ)は「陸(おか)の略体+夂(あし)」の会意文字で、力をこめて丘の稜線をこえること。力むの力と同系で、その語尾がのびた語。筋骨をすじばらせてがんばる意を含む。凌はそれを音符とし、冫(こおり)を加えた字。氷の筋目の意、

とある(漢字源)が、よく分からない説明だ。別に、

会意兼形声文字です(冫+夌)。「氷の結晶」の象形(「凍る、寒い」の意味)と「片足を上げた人の象形と下向きの足の象形」(「高い地をこえる、丘に登る」の意味)から「(氷が丘のように盛り上がって)凍る」、「氷」、「しのぐ」を意味する「凌」という漢字が成り立ちました、

ともありhttps://www.kanjipedia.jp/kanji/0007160400

形声。冫と、音符夌(リヨウ)とから成る、

と、形声文字とする説(角川新字源)もある。

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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posted by Toshi at 03:32| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする