2024年05月07日

帰去来


已矣哉(已んぬるかな)
帰去来(かえりなん)(駱賓王・帝京篇)

の、

帰去来、

については、蔡國強展「帰去来」に触れた「帰去来」で取り上げたことがある。

帰去来、

は、陶淵明の、

歸去來兮(かえりなんいざ)
田園 将(まさ)に蕪(あ)れなんとす胡(なん)ぞ帰らざる
既に自ら心を以て形の役と爲(な)す
奚(なん)ぞ惆悵(ちゅうちょう)として獨(ひと)り悲しむ

とはじまる、

帰去来辞、

の、

帰去来兮、田園将蕪、胡不帰、

による語。

「去」「来」、

は助辞。

かえりなんいざ、

と訓じ、

さあ帰ろう、

と自らを促す意である。

官職を辞し、郷里に帰るためにその地を去ること。また、それを望む心境、

を意味する(精選版日本国語大辞典)。

きこらい、

とも訓ませる。

詩「帰去来辞」は、四段に分れ、それぞれ異なる脚韻をふむ、

とある。

歸去來辭(陶潜)

は、次のようであるhttps://kanbun.info/syubu/kikyorainoji.html

歸去來兮(帰りなんいざ)
田園將蕪胡不歸(田園将(まさ)に蕪(あ)れなんとす胡(なん)ぞ帰らざる)
既自以心爲形役(既に自ら心を以て形の役と爲(な)す)
奚惆悵而獨悲(奚(なん)ぞ惆悵(ちゅうちょう)として獨(ひと)り悲しむ)
悟已往之不諫(已往(いおう)の諫(いさ)むまじきを悟り)
知來者之可追(来者(らいしゃ)の追ふ可(べ)きを知る)
實迷途其未遠(実に途(みち)に迷ふこと其(そ)れ未だ遠からず)
覺今是而昨非(今の是にして昨の非なるを覚りぬ)
舟遙遙以輕颺(舟は遙遙として以て輕(かろ)く颺(あ)がり)
風飄飄而吹衣(風は飄飄として衣を吹く)
問征夫以前路(征夫(せいふ)に問ふに前路を以てし)
恨晨光之熹微(晨光(しんこう)の熹微(きび)なるを恨む)

乃瞻衡宇(乃(すなわち)衡宇(こうう)を瞻(み)て)
載欣載奔(載(すなわ)ち欣(よろこ)び載(すなわ)ち奔(はし)る)
僮僕歡迎(僮僕(どうぼく)歓(よろこ)び迎(むか)え)
稚子候門(稚子(ちし)門(もん)に候(ま)つ)
三逕就荒(三径(さんけい)荒(こう)に就(つ)くも)
松菊猶存(松菊(しょうきく)猶お存(そん)す)
攜幼入室(幼(よう)を携(たずさ)えて室(しつ)に入(い)れば)
有酒盈罇(酒有(あ)りて罇(たる)に盈(み)つ)
引壺觴以自酌(壺觴(こしょう)を引(ひ)きて以(もっ)て自(みずか)ら酌(く)み)
眄庭柯以怡顏(庭柯(ていか)を眄(み)て以(もっ)て顔を怡(よろこ)ばす)
倚南窗以寄傲(南窓(なんそう)に倚(よ)りて以(もっ)て寄傲(きごう)し)
審容膝之易安(膝を容(い)るるの安(やすん)じ易(やす)きを審(つまび)らかにす)
園日渉以成趣(園(えん)は日に渉(わた)りて以(もっ)て趣(おもむき)を成し)
門雖設而常關(門(もん)は設(もう)くと雖(いえど)も常に関(とざ)せり)
策扶老以流憩(策(つえ)もて老(おい)を扶(たす)けて以(もっ)て流憩(りゅうけい)し)
時矯首而游觀(時に首(こうべ)を矯(あ)げて遐觀(かかん)す)
雲無心以出岫(雲は無心にして以(もっ)て岫(しゅう)を出(い)で)
鳥倦飛而知還(鳥は飛ぶに倦(う)みて還(かえ)るを知る)
景翳翳以將入(景(ひかり)は翳翳(えいえい)として以(もっ)て将に入(い)らんとし)
撫孤松而盤桓(孤松(こしょう)を撫(ぶ)して盤桓(ばんかん)す)

歸去來兮(帰りなんいざ)
請息交以絶遊(請(こ)う交(まじわ)りを息(や)めて以(もっ)て游(ゆう)を絶(た)たん)
世與我以相遺(世と我と相(あい)遺(わ)するに)
復駕言兮焉求(復(また)駕(が)して言(ここ)に焉(なに)をか求もとめん)
悅親戚之情話(親戚の情話(じょうわ)を悦(よろこ)び)
樂琴書以消憂(琴書(きんしょ)を楽しみて以(もっ)て憂(うれ)いを消さん)
農人告余以春及(農人(のうじん)余(われ)に告ぐるに春の及べるを以(もっ)てし)
將有事於西疇(将(まさ)に西疇(せいちゅう)に事(こと)有らんとす)
或命巾車(或は巾車(きんしゃ)を命じ)
或棹孤舟(或は孤舟(こしゅう)に棹(さお)さす)
既窈窕以尋壑(既に窈窕(ようちょう)として以(もっ)て壑(たに)を尋(たず)ね)
亦崎嶇而經丘(亦崎嶇(きく)として丘を経(ふ))
木欣欣以向榮(木は欣欣(きんきん)として以(もっ)て栄(えい)に向(むか)い)
泉涓涓而始流(泉は涓涓(けんけん)として始めて流る)
羨萬物之得時(万物の時を得たるを善(よみ)し)
感吾生之行休(吾が生の行々(ゆくゆく)休(きゅう)するを感ず)

已矣乎(已(やん)ぬるかな)
寓形宇内復幾時(形を宇内(うだい)に寓(ぐう)すること復(また)幾時(いくとき)ぞ)
曷不委心任去留(曷(なん)ぞ心に委(ゆだ)ねて去留(きょりゅう)を任(まか)せざる)
胡爲遑遑欲何之(胡為(なんす)れぞ遑遑(こうこう)として何(いず)くにか之(ゆ)かんと欲(ほっ)する)
富貴非吾願(富貴(ふうき)は吾(わが)願(ねが)いに非(あら)ず)
帝鄕不可期(帝郷(ていきょう)は期す可(べ)からず)
懷良辰以孤往(良辰(りょうしん)を懐(おも)いて以(もっ)て孤(ひと)り往(ゆ)き)
或植杖而耘耔(或は杖(つえ)を植(た)てて耘耔(うんし)す)
登東皋以舒嘯(東皋(とうこう)に登りて以(もっ)て舒嘯(じょしょう)し)
臨淸流而賦詩(清流(せいりゅう)に臨みて詩を賦(ふ)す)
聊乘化以歸盡(聊(いささ)か化(か)に乗(じょう)じて以(もっ)て尽(つ)くるに帰し)
樂夫天命復奚疑(夫(か)の天命を楽しみて復(また)奚(なん)ぞ疑わん)

陶淵明.jpg

(陶淵明(『晩笑堂竹荘畫傳』より。絃のない琴を抱えるのは、昭明太子蕭統の「陶淵明伝」に記された故事による) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B6%E6%B7%B5%E6%98%8Eより)

第1段は、官吏生活をやめ田園に帰る心境を精神の解放として述べ、
第2段は、なつかしい故郷の家に帰り着き、わが子に迎えられた喜び、
第3段は、世俗への絶縁宣言をこめた田園生活の楽しさ、
第4段は、自然の摂理のままに終りの日まで生の道を歩もうという気持、

をうたいあげている(ブリタニカ国際大百科事典)。陶淵明の代表作であると同時に、六朝散文文学の最高傑作の一つとされる(仝上)。

陶淵明(とう えんめい 興寧3年(365)~元嘉4年(427))、

は、中国の魏晋南北朝時代(六朝期)、東晋末から南朝宋の文学者。字は、

元亮、

または、名は、

潜、

字が、

淵明、

死後友人からの諡にちなみ、

靖節先生、

または自伝的作品「五柳先生伝」から、

五柳先生、

とも呼ばれるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B6%E6%B7%B5%E6%98%8E

無弦の琴を携え、酔えば、その琴を愛撫して心の中で演奏を楽しんだ、

という逸話がある。この「無弦の琴」は、『菜根譚』にも記述があり、

存在するものを知るだけで、手段にとらわれているようでは、学問学術の真髄に触れることはできない、

と記し、無弦の琴とは、

中国文化における一種の極致といった意味合いが含まれている、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B6%E6%B7%B5%E6%98%8E

参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
Web漢文大系(https://kanbun.info/syubu/kikyorainoji.html)
漢詩の朗読(https://kanbun.info/syubu/kikyorainoji.html)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:帰去来 陶淵明
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