はなのさかりは、とうじ(冬至)より百五十日とも、じしゃう(時正)ののち、なぬか(七日)ともいえど、りっしゅん(立春)より七十五日、おおようたがわず(徒然草)、
の、
時正(じしゃう)、
は、
昼夜の時間が正しく同じ、
の意で(岩波古語辞典)、
二月と八月とに、昼も五十刻、夜も五十刻、昼夜単長なきを時正と云ふなり(安土桃山時代の謡曲解説書『謡抄(うたいしょう)』・当麻)、
と、
一日の昼と夜との長さが同じであること、
で、
彼岸の中日、
つまり、
春分・秋分の日、
を言い(精選版日本国語大辞典)、
この日を彼岸の初日とする(岩波古語辞典)、
とある(仝上)。また、
十日晴、時正初日なり、令持斎。……十三日……時正中日、……十六日、晴、時正結願也(応永二五・二『看聞御記』)、
と、
彼岸の七日間、
をもいう(仝上)。この日、
太陽は卯の時の真中に出て、酉の真中に沈む、
が(橋本万平『日本の時刻制度』)、中世の「具注暦」には、その時刻を、それぞれ、
卯時正、
酉時正、
と書いている(仝上)という。
すべての辰刻(「辰」も「刻」も、時(とき)の意で、時刻の意)で、丁度真中に当たる時刻を、其の時の正刻(きっかりその時刻)と言うのであるが、暦の中で、日の出入の時刻を示しているものでは、この彼岸の日だけがこの表現を使っており、特異な日として目立つ、
とし(仝上)、これが、
時正、
の由来としている(仝上)。ただ、「類聚名物考」では、
けふ出る春の半の朝日こそまさしく西の方はさすらめ(爲家「歌林拾葉」)、
を引いて、
彼岸の中日には、太陽は真東より出て真西に入るので、西方浄土の真の方角は、この日でなければ知る事が出来ない。即ち、この日は、正しい西の方向を知るのに大事な日であるから、特に時正の日という、
とある(仝上)。ちょっとこじつけのようである。
(「正」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%AD%A3より)
(「正」金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%AD%A3より)
「正」(漢音セイ、呉音ショウ)は、
会意文字。「一+止(あし)」で、足が目標の線めがけてまっすぐに進むさまを示す。征(まっすぐに進む)の原字、
とある(漢字源)が、この説のもとになった、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)では、
「一」+「止」、
と説明されているが、甲骨文字の形や金文の形を見ればわかるように、この字の上部はかつて円形もしくは長方形で書かれ、それらの部分(すなわち「丁」字)が後に簡略化されて横棒となったに過ぎないことから、「一」+「止」は誤った分析である、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%AD%A3)、
形声。「止」+音符「丁 /*TENG/」。「討伐する」を意味する漢語{征 /*teng/}を表す字。のち仮借して「ただしい」を意味する漢語{正 /*tengs/}に用いる、
とある(仝上)。別に、
会意。止と、囗(こく)(=国。城壁の形。一は省略形)とから成り、他国に攻めて行く意を表す。「征(セイ)」の原字。ひいて、「ただす」「ただしい」意に用い、また、借りて、まむかいの意に用いる、
と(角川新字源)、
会意文字です(囗+止)。「国や村」の象形と「立ち止まる足」の象形から、国にまっすぐ進撃する意味します(「征」の原字)。それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「ただしい・まっすぐ」を意味する「正」という漢字が成り立ちました、
と(https://okjiten.jp/kanji184.html)、会意文字とする説もある。
参考文献;
橋本万平『日本の時刻制度』(塙書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95