「逢魔が時」で触れたように、
逢魔が時、
は、王莽(おうもう)の故事に付会して、
一説に王莽時(わうもがとき)とかけり。これは王莽前漢の代を簒(うば)ひしかど、程なく後漢の代になりし故、昼夜のさかひを両漢の間に比してかくいふならん、
とある(鳥山石燕『画図百鬼夜行全画集』)。
おうまがとき、
を、
わうまがとき、
と掛けたとも見える。
(逢魔時 鳥山石燕『今昔画図続百鬼』より)
王莽時、
は、
おうもうどき、
おもうどき、
おもとき、
おまがどき、
等々と呼ばれ(橋本万平『日本の時刻制度』)、
俗に黄昏をわうまがどきと云ふを、或人の曰く、是れ王莽が時と云ふ事也、
とある(志不可起)。和訓栞は、これを、
羅山人(林羅山)の説に倭俗黄昏を称して王莽時といふといへり、前漢後漢の間の閏位正を乱る意を取て名とす、たそがれ時のごとし、
としている(日本語源大辞典)。羅山文集には、
國俗謂黄昏為王莽時、言晝前漢、夜後漢也、以日気已没夜気未萌故也、
とあるが、大言海は、
附會極まれり、羅山の時、此の語ありしを證す、
と付記している。因みに、
正閏(せいじゅん)、
とは、
正と閏、
つまり、
正位・正統とそうでないもの、
の意で、
閏位、
で、正統でない帝位のことになる(精選版日本国語大辞典)。
逢魔が時、
は、
おおまがとき(大禍時)の転。禍いの起きる時刻の意、
とあり(広辞苑)、
夕暮れの薄暗い時、黄昏、
の意とあり、
おまんがとき、
おうまどき、
とも言い、
大魔時、
大禍時、
逢魔時、
等々と当てるが、
おほまが時、
は、
おまんが時の転訛、
で、
おまんが時、
は、
おまんが紅、
と同じで、
あま(尼)が紅、
からきており、日没の頃の夕焼けの色が空を染める時をさす(橋本万平・前掲書)とあり、この「あま」は、
尼、
ではなく、
天、
の転化としている(仝上)。しかし、どうもこの説も違うようだ。
おまんが紅(おまんがべに)、
は、
おまんが紅(ベニ)は夕日をてらし(洒落本「当世爰かしこ(1776)」)、
と、
夕日で空が赤くなること、
をいい、
おまんが紅、
は、
賀の祝おまんが紅をつける也(「柳多留(1815)」)、
と、江戸時代の享保(1716~36)の頃、
江戸の京橋中橋にあったお満稲荷で売っていた紅粉、
をいう(精選版日本国語大辞典)らしい。「嬉遊笑覧(1830)」には、
おまんとは天が紅の時なるを女子の名にとりていへり、或説に中ばしにおまんいなりとて、べにを供へて願がけする社あり、享保の頃はやれりといへり、
と(仝上)、
おまんいなりの紅、
とする。だとすると、どちらにしても、もともとは、この紅から、
夕焼け時、
を、
おまんがとき、
といったところからきて、
「が」が助詞、「ま」が「魔」と意識され、さらに「魔に逢う」の意識も生じて、
大魔時、
逢魔時、
となり、また、漢の王莽(おうもう)に付会して、
王莽時、
とも書かれたという流れになる(仝上)。
(おまんが紅 精選版日本国語大辞典より)
この時刻は、古くは、
暮れ六つ、
酉の刻、
などといい、現在の、
17時~19時頃、
とされる(http://abcd08.biz/usimitudokioumagatokikimon/)。
それにしても、
たそがれ(誰彼時)、
については、類義語が一杯ある。
あれは誰時、
かいくらみ時、
いりあい、
昏鐘鳴(こじみ)、
むつうちどき、
雀色時、
秉燭(へいしょく)、
火点頃、
夕まぐれ、
桑楡(そうゆ)、
等々。
「入相」については「入相の鐘」、夕方については、「ゆふ」、「ゆうまぐれ」、「逢魔が時」、「たそがれ」で、それぞれ触れた。また、王莽については、「挂冠」で触れた。
参考文献;
橋本万平『日本の時刻制度』(塙書房)
鳥山石燕『画図百鬼夜行全画集』(角川ソフィア文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95