2024年05月21日
槎(いかだ)
舟凌石鯨度(舟は石鯨(せきげい)を凌いで度(わた)り)
槎拂斗牛囘(槎(いかだ)は斗牛(とぎゅう)を回(めぐ)る)(宋之問・奉和晦日幸昆明池応制)
の、
槎、
は、
筏(いかだ)、
石鯨、
は、
漢代、昆明池に石の鯨をおいた。大きさは三丈、雷雨のときは尾やひれをふるわせてほえたという、
とあり、この詩の唐代には残っていないが、
まだそれが水中にあるものとしてうたった、
と注記する(前野直彬注解『唐詩選』)。
斗牛、
は、
北斗星と牽牛星、または天空を区分した二十八宿のうちの、斗宿と牛宿。ここでは、昆明池のほとりにあったという、牽牛と織女の石像を指す、
とあり(仝上)、この背景にあるのは、
黄河の下流に住む人が、毎年七月七日に上流から槎が流れ下るのを不審に思い、それに乗ったところ、槎はまた川をさかのぼっていった。やがて川ばたで牛にみずをかう男の姿が見え、また女が機を織っている。そこから引き返し、物知りの人に尋ねたところ、君は天の川までさかのぼったので、見たのは牽牛星と織女星だと教えられた、
という古い物語(仝上)とある。
鳳凰樓下交天杖(鳳凰楼下 天杖交わり)
烏鵲橋頭敞御筵(烏鵲(うじゃく)橋頭 御筵敞(ひら)く)
(中略)
今朝扈蹕平陽館(今朝(こんちょう)蹕(ひつ)に扈(したが)う 平陽館)
不羨乗槎雲漢邊(槎に雲漢(うんかん)の辺(ほと)りに乗ずるを羨まず)(蘇頲・奉和初春幸太平公主南荘応制)
の、
烏鵲橋、
は、
「鵲の橋」で触れた、
陰暦七月七日の夜、牽牛(けんぎゅう)、織女(しょくじょ)の二星が会うときに、鵲が翼を並べて天の川に渡すという想像上の橋、
とは異なり、
カササギが土砂を運んで天の川を埋め、牽牛と織女の逢う橋を造る、
意とされ(前野直彬注解『唐詩選』)、ここでは、
太平公主の邸宅を天上界に見立てて、こう言ったもの、
と注釈する(仝上)。
雲漢、
は、
天の川、
の意で、
乗槎、
は、上述の、
いかだに乗って黄河をさかのぼり、天の川に至った、
という故事を指している(仝上)。さらに、
傳聞銀漢支機石(傳え聞く 銀漢支機(しき)の石)
復見金輿出紫微(復た見る 金輿(きんよ)紫微より出ずるを)
織女橋邊烏鵲起(織女橋邊(きょうへん) 烏鵲(うじゃく)起(た)ち)
仙人樓上鳳凰飛(仙人樓上 鳳凰飛ぶ)
(中略)
今日還同犯牛斗(今日還(ま)た牛斗(ぎゅうと)を犯せしに同じ)
乗槎共泛海潮歸(槎(さ)に乘りて共に海潮(かいちょう)に泛(うか)んで歸らん)(李邕(りよう)・奉和初春幸太平公主南荘応制)
でも、公主を織女星に、南荘を天の川のほとりに見立てており、上述の、槎に乗って天の川を遡った人は、
支機石、
をもらって帰った、という故事が背景にある。
銀漢、
は、
天の川、
のこと、
支機石、
は、
天上の織女が機(はた)の支えに使った石、
である。
犯牛斗、
の、
牛斗、
は、上述の、
斗宿と牛宿、
の二つの星座を言い、この人が、
黄河をさかのぼって天の川……に入ったとき、地上の占星術者が、牛斗のあたりに客星が辶したのを観察した、
という故事にもとづいている(前野直彬注解『唐詩選』)。
「槎」(漢音サ、呉音シャ)は、
会意兼形声。「木+音符差(ふぞろいな)」で、枝がぎざぎさになった木のこと、
とあり(漢字源)、
長短不揃いな材木を並べてつなぎ、水に浮かべるいかだ、
の意である(仝上)。
奉使虚隨八月槎(杜甫)、
とあり、
桴(いかだ)、
と同義(字源)とある。後述するように、「いかだ」の、
大を、
筏、
小を、
桴、
とする(仝上)。
「方」(ホウ)は、「方人(かたうど)」で触れたように、
象形、左右に柄の張り出た鋤を描いたもので、⇆のように左右に直線状に伸びる意を含み、東←→西、南←→北のような方向の意となる。また、方向や筋道のことから、方法の意が生じた、
とある(漢字源)が、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)は、
舟をつなぐ様、
とし、
死体をつるした様、
とする説(白川静)もある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%96%B9)。ために、
象形。二艘(そう)の舟の舳先(へさき 舟の先の部分)をつないだ形にかたどる。借りて、「ならべる」「かた」「くらべる」などの意に用いる、
とも(角川新字源)、
象形文字です。「両方に突き出た柄のある農具:すきの象形」で人と並んで耕す事から「ならぶ」、「かたわら」を意味する「方」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji379.html)。
方、
には、
方舟而済於河(舟を方(なら)べて河を済(わた)る)、
と(荘子)、
並べる、
意があり、
漢之廣不可方(周南)、
と、
木や竹をならべてしばってつくったいかだ、
の意で、「泭」「筏」と同じ(字源)とある。
「枋」(①ホウ、②漢音ヘイ・呉音ヒョウ)は、
形声。「木+音符方」、
とあり(漢字源)、①は、
まゆみ(檀)の一種、車を造るのに用いる、
とあり、②は、
柄、
と同義で、
道具の柄、
の意(仝上)。
方舟投枋(兵法)、
と、
いかだ、
の意もあり、
桴、
と同じとある(字源)。つまり、「小さい」筏ということになる。
「柎」(フ)は、
形声。「木」+音符「付 /*PO/」。漢語{柎 /*p(r)o/}を表す字、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9F%8E)、
うてな、
花の咢、
の意で、
いかだ、
の意もある。
「桴」(①慣用フ・漢音フウ・呉音ブ、②フ)は、
会意兼形声。①は「木+音符孚(手でかばってもつ)」で、手で持つばち、
②は「木+音符浮の略体」で、木を組んで水に浮かべるいかだ、
とある(漢字源)。
乗桴浮於海(桴に乗りて海に浮かばん)、
と(論語)、
竹を編みて舟に代用するいかだ、
をいい、前述したように、その「大」を、
筏、
「小」を、
桴、
とする(字源)。
「楂」(サ)は、
「浮楂」「星楂」と使い、「査」「槎」と同じ、
とある(字源)。「査」と同じく、
山楂子(さんざし)、
の意もある(https://kanji.jitenon.jp/kanjiy/12138.html)。
「査」(①漢音サ・呉音ジャ、②漢音サ・呉音シャ)は、
会意兼形声。「木+音符且(ソ、シャ)」。もと、阻(ソ はばむ)と同系で、往来をはばむ木の柵。調査の意に用いるのは、もと華南の方言が介入したもの、
とある(漢字源)。①は、「調査」の、「しらべる」意、木の柵の意だが、
長短ふぞろいの材木を組んで水に浮かべるいかだ、
の意があり、
槎、
に当てた用法とある(仝上・https://kanji.jitenon.jp/kanjib/704.html)。②は、山査(サンサ)、つまりさんざしの意で使う。別に、
形声。「木」+音符「且 /*TSA/」。「いかだ」を意味する漢語{槎 /*dzraaj/}を表す字。のち仮借して「しらべる」を意味する漢語{査 /*dzree/}に用いる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9F%BB)、
形声。木と、音符且(シヨ、シヤ)→(サ)とから成る。木を組んだいかだの意を表す。「楂(サ)」の原字。借りて「しらべる」意に用いる(角川新字源)、
会意兼形声文字です(木+且)。「大地を覆う木」の象形と「台上に神のいけにえを積み重ねた」象形(「つみかさねる」の意味)から、木をかさねた、「いかだ」を意味する「査」という漢字が成り立ちました。のちに、「察(cha)」に通じ(同じ読みを持つ「察」と同じ意味を持つようになって)、「調べる」の意味も表すようになりました(https://okjiten.jp/kanji831.html)、
などともある。
「泭」(フ)は、
木や竹で編んだ筏(いかだ)、
の意で(https://kanji.jitenon.jp/kanjiy/15505.html)、
小筏、
を指し、
桴、
と同義(字源)とある。
「篺」(ハイ)は、
竹で作ったいかだ、
の意で、
筏、桴と同じ、
とある(字源)。大にも小にも用いるという意か。
「筏(栰)」(慣用バツ、漢音ハツ、呉音ボチ)は、
形声。「竹+音符伐」、
とあり(漢字源)、
木や竹を並べて組み、浮かべて水を渡る、
いかだ、
で、
大を筏、
小を桴、
というのは、前述した(字源)。
参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95