2024年05月26日
登封
扈従登封(とうほう)途中作(宋之問)、
の、
登封(とうほう)、
は、
天子が名山(主として泰山)に登り、天地を祭って天下泰平を報告する、
という、所謂、
封禅(ほうぜん)の儀を行うこと、
である。このとき、
山頂に登封壇という祭壇がもうけられる、
とある(前野直彬注解『唐詩選』)。
封禅、
の、
封、
は、
土を盛り檀をつくりて天を祭る、
意、
禅、
は、
地を除ひて山川を祭る、
意とある(字源)が、
封と禅は元来別個の由来をもつまつりであったと思われる、
とあり(世界大百科事典)、
山頂での天のまつりを封、
山麓での地のまつりを禅、
とよび、両者をセットとして封禅の祭典が成立した(仝上)とある。その祭祀には、
とくに霊山聖域を選んで行う封禅(ほうぜん)と、主として都城の郊外で行われる郊祀とがあった、
とあり、
封禅、
は、
山上に土を盛り壇を築いて天をまつる封拝、
と、
山下に土を平らにし塼(ぜん)(また壇、禅)をつくって地をまつる禅祭、
とを併称する(仝上)とある。
「史記」に、
封禅書(https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%8F%B2%E8%A8%98/%E5%8D%B7028)、
があるが、その中に、管仲のことばとして
古は泰山に封じ梁父に禪する者七十二家、而して夷吾(管仲)の記す所の者十有二。……周の成王、泰山に封じ社首に禪す。皆命を受けて、然る後に封禪することを得たり、
とある(字源)。十二家とは、
昔無懷氏封泰山、禪云云;虙羲(伏羲)封泰山、禪云云;神農封泰山、禪云云;炎帝封泰山、禪云云;黃帝封泰山、禪亭亭;顓頊封泰山、禪云云;帝嚳封泰山、禪云云;堯封泰山、禪云云;舜封泰山、禪云云;禹封泰山、禪會稽;湯封泰山、禪云云;周成王封泰山、禪社首:皆受命然後得封禪、
とある、
無懐、伏羲、神農、炎帝、黄帝、顓頊、帝嚳、堯、舜、禹、湯、周成王、
を指し、
泰山を封じ、それぞれ山を禅し、皆天命を受けた後に封禅を行った、
とある(https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%8F%B2%E8%A8%98/%E5%8D%B7028)。ために、
封禅、
の、
封、
は、
泰山の山頂に土壇をつくって天を祭ること、
禅、
は、
泰山の麓の小丘(梁父山)で地をはらい山川を祀ること、
と解釈される(広辞苑)ようになる。つまり、
泰山の頂に天を祭る、
のが、
封、
麓の小丘梁父(梁甫)で地を祭る、
のが、
禅、
とされる(旺文社世界史事典)。
泰山では山頂に土を盛り、高い場所をさらに高くして、天に届け、という儀式を行って天を祭る、梁父では丘の土をはらい、地を祭って丘の下の霊と交わる儀式を行う、
のである(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%81%E7%88%B6%E5%90%9F)。
梁父、
はいわゆる古墳であり、昔、そこに霊が埋葬されたと伝えられていて、始皇帝も泰山と梁父で封禅の儀式を行ったとされる(仝上)。
『史記』の注釈書である『史記三家注』には、
此泰山上築土為壇以祭天、報天之功、故曰封。此泰山下小山上除地、報地之功、故曰禪、
と、
泰山の頂に土を築いて壇を作り天を祭り、天の功に報いるのが封で、その泰山の下にある小山の地を平らにして、地の功に報いるのが禅だ、
とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%81%E7%A6%85)、続いて『五経通義』から、
易姓而王、致太平、必封泰山、
と、
王朝が変わって太平の世が至ったならば、必ず泰山を封ぜよ、
という言葉を引用している(仝上)。この背景にあるのは、戦国時代の斉や魯には五岳中の内、泰山が最高であるとする儒者の考えがあり、帝王は泰山で祭祀を行うべきであると考えていたことがある(仝上)。因みに、五岳は、
東岳泰山、
南岳衡山、
中岳嵩山、
西岳華山、
北岳恒山、
を指す(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%B2%B3)。
ところで、管仲は、封禅の条件として、
古之封禪、鄗上之黍、北里之禾、所以為盛;江淮之閒、一茅三脊、所以為藉也。東海致比目之魚、西海致比翼之鳥、然後物有不召而自至者十有五焉。今鳳皇麒麟不來、嘉穀不生、而蓬蒿藜莠茂、鴟梟數至、而欲封禪、毋乃不可乎?、
と挙げ、比目之魚、比翼之鳥、鳳凰、麒麟等々という瑞祥があらわれるといい、それがいまは現れていない状態で封禅を行うのかと、斉の桓公を諫めたとされる(史記・封禅書)。
史実として確認できる最初の封禅は、
秦の始皇帝28年(前219)、
漢の武帝の元封1年(前110)、
のそれが有名だが、秦の始皇帝のとき、既に古代の儀式については散逸しており、我流で、
山南から車に乗って泰山の頂上へ登り、封礼を行い、並びに石にそれまでの功績を称え刻み、その後に山の北から下山して梁父山へと行き禅を行った、
という(https://prometheusblog.net/2017/11/15/post-6346/#google_vignette)。それは、戦国時代に天帝を祭った際の様式を改変したものであった(仝上)とある。本来の、
天下太平を天に報ずる儀式、
という政治上の意味よりは、
不死登仙の観念、
が封禅にともなっているとされる(世界大百科事典)ことが面白い。たとえば、方士の李少君は漢の武帝に次のように述べている。
鬼神を駆使して丹砂を黄金に変え、その黄金で食器を作れば命がのび、命がのびれば東海中の蓬萊山の仙人にあうことができる。そのうえで封禅を行えば不死となる、
と(仝上)。背景には、
泰山は古くから鬼神の集まるところと考えられ、そこを天への通路とみなす信仰も存在した。鬼神と交わる術をもっぱらあやつった方士たちは、泰山のこのような宗教的な性格、ならびに《書経》舜典篇などで、泰山が帝王の巡狩の地として政治的に重要視されている事実に注目し、泰山において政治上の成功の報告を行うとともに不死登仙を求めるところの封禅の説をつくりあげた、
と考えられる(仝上)とある。この後、後漢の光武帝、唐の高宗や玄宗、宋の真宗等々も莫大な国費を投じて封禅を行ったとされる(仝上)。確かに、
封禅、
の意義は、初めは、
山神、地神に不老長寿や国運の長久を祈願する、
ところにあったかもしれないが、膨大な国費を投じて行われる国家的祭儀であったため、次第に、
帝王の威武を誇示する政治的な祭儀、
へと形を変えた(ブリタニカ国際大百科事典)といっていい。
「封」(漢音ホウ、呉音フウ)は、
会意兼形声。左側の字は、いねの穂先のように、△型にとがって上部のあわさったものを示す。封の原字は、それを音符とし、土を添えた。のち、「土二つ+寸(て)」と書き、△型に土を集め盛った祭壇やつかを示す。四方から△型に寄せ集めて、頂点であわせる意味を含む、
とある(漢字源)。別に、
会意兼形声文字です(土(丰)+土+寸)。「よく茂った草」の象形(草が密生するさまから、「より集まる」の意味)と「土地の神を祭る為に柱状に固めた土」の象形(「土」の意味)と「右手の手首に親指をあて脈をはかる」象形(「長さの単位」を意味するが、ここでは、「手」の意味)から、土を寄せ集めて盛る事を意味し、そこから、「盛り土」、「土を盛って境界を作り、領土を与えて諸侯とする」を意味する「封」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji1404.html)が、
かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である。楷書では偏が「圭」と同じ形となっているが、字形変化の結果同じ形に収束したに過ぎず、起源は異なる、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B0%81)、
形声。「寸」+音符「丰 /*PONG/」。「くに」を意味する漢語{封 /*p(r)ongʔ/}を表す字。もと「丰」が{封}を表す字であったが、「寸」を加えた、
とある(仝上)。異字体として、
𡉘(籀文)、𡊽(古字)、𡉚(古字)、𡊋(同字)、𭔵(俗字)、
を挙げている(仝上)。別に、
象形。草を手に持って地面に植える形にかたどる。草木を植えて土地の境界をつくることから、ひいて、とじこめる、土盛りする意を表す、
とする説もある(角川新字源)。
「禪(禅)」(漢音セン、呉音ゼン)は、「禅定」で触れたように、
会意兼形声。「示(祭壇)+音符單(たいら)」で、たいらな土の壇の上で天をまつる儀式、
とある(漢字源)。別に、
形声。示と、音符單(セン、ゼン)とから成る。天子が行う天の祭り、転じて、天子の位をゆずる意を表す。借りて、梵語 dhyānaの音訳字に用いる、
とも(角川新字源)、
形声文字です(ネ(示)+単(單))。「神にいけにえを捧げる台」の象形と「先端が両またになっているはじき弓」の象形(「ひとつ」の意味だが、ここでは、「壇(タン)」に通じ(同じ読みを持つ「壇」と同じ意味を持つようになって)、「土を盛り上げて築いた高い所」の意味)から、「壇を設けて天に祭る」を意味する「禅」という漢字が成り立ちました、
とも(https://okjiten.jp/kanji1666.html)ある。
参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
簡野道明『字源』(角川書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95