2024年05月27日

黄鶴楼


昔人已乗白雲去(昔人(せきじん)已に白雲に乗じて去り)
此地空余黄鶴楼(此の地空しく余す 黄鶴楼)
黄鶴一去不復返(黄鶴(こうかく)一たび去って復た返らず)
白雲千載空悠悠(白雲千載 空しく悠悠たり)
晴川歴歴漢陽樹(晴川(せいせん)歴歴たり漢陽の樹)
芳草萋萋鸚鵡洲(芳草(ほうそう)萋萋(せいせい)たり鸚鵡(おうむ)洲)
日暮郷関何処是(日暮(にちぼ) 郷関 何れの処か是なる)
煙波江上使人愁(煙波(えんぱ) 江上 人をして愁(うれ)えしむ)(崔顥(さいこう)・黄鶴楼)

の、

黄鶴楼(こうかくろう)、

は、

湖北省武昌の西端、揚子江岸、

にあった(前野直彬注解『唐詩選』)。

幾度も焼失と再建が繰り返され、現在、

元の地点から約1キロ離れた位置に再建された楼閣がある

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%B6%B4%E6%A5%BC)

黄鶴楼図(明の安正文).jpg

(『黄鶴楼図』(明・安正文 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%B6%B4%E6%A5%BCより)

この黄鶴楼には、その名の由来となる伝説が残っている。

昔、辛という人の酒屋があった。その店へ毎日一人の老人が来ては酒を飲んで行く。金は払わないのだが、辛はいやな顔もせずに、ただで酒を飲ませ、それから半年くらいたって、ある日、老人は酒代の代わりにといって、橘(たちばな)の皮をとって、壁に黄色い鶴を描いて去っていった。その後、この店で酒を飲む客が歌を歌うと、節にあわせて壁の鶴が舞った。そのことが評判となって店が繁盛し、辛は巨万の富を築いた。十年ののち、再び老人が店に現れ、笛を吹くと白雲がわきおこり、黄色い鶴が壁を抜け出して舞い降りた。老人はその背にまたがり、白雲に乗って天上へと去った。辛はそのあとに楼を建てて、黄鶴楼と名付けた、

という(前野直彬注解『唐詩選』・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%B6%B4%E6%A5%BC)。また一説には、

仙人が黄色の鶴に乗って飛行する途中、この楼に降りて休んだところから名付けられた、

とも(前野直彬注解『唐詩選』)、閻伯瑾の「黄鶴楼記」には、

三国時代の蜀漢の政治家費禕が仙人に登り黄鶴に乗って飛来し、ここで休んだという伝説が記載されている、

ともあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%B6%B4%E6%A5%BC

『江漢攬勝図軸』(明・佚名).jpg

(『江漢攬勝図軸』(明・佚名) 明の時代の武漢三鎮、揚子江の左に聳え立つのが黄鶴楼 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%B6%B4%E6%A5%BCより)

伝説では、李白もこの楼に登り詩をつくろうとしたが、崔顥の詩以上のものは出来ないと言って、筆を投じた、という(前野直彬注解『唐詩選』)。しかし、李白には、

故人西辭黄鶴樓(故人 西のかた黄鶴楼を辞し)
煙花三月下揚州(煙花三月 揚州に下る)
孤帆遠影碧空盡(孤帆の遠影 碧空に尽き)
惟見長江天際流(惟だ見る 長江の天際に流るるを)(黄鶴楼送孟浩然之広陵)

という詩があるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%B6%B4%E6%A5%BC%E9%80%81%E5%AD%9F%E6%B5%A9%E7%84%B6%E4%B9%8B%E5%BA%83%E9%99%B5し、

一為遷客去長沙(一たび遷客(せんかく)と為って長沙に去る)
西望長安不見家(西のかた長安を望めども家を見みず)
黄鶴楼中吹玉笛(黄鶴楼中 玉笛(ぎょくてき)を吹く)
江城五月落梅花(江城(こうじょう) 五月 梅花(ばいか)落つ)(与史郎中欽聴黄鶴楼上吹笛)

という詩もあるhttps://kanbun.info/syubu/toushisen325.html。また、宋代の陸游にも、

手把仙人緑玉枝
吾行忽及早秋期
蒼龍闕角帰何晩
黄鶴楼中酔不知
江漢交流波渺渺
晋唐遺跡草離離
平生最喜聴長笛
裂石穿雲何処吹(黄鶴楼)

の詩があるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%B6%B4%E6%A5%BC

黄鶴楼(1871年).jpg


なお、崔顥の「黄鶴楼」には及ばないとした李白が、崔顥の「黄鶴楼」に対抗しようという意図をもってつくったとされる伝説があるのが、「登金陵鳳皇台」とされる(前野直彬注解『唐詩選』)。即ち、

鳳皇臺上鳳皇遊(鳳皇臺上 鳳皇遊びしが)
鳳去臺空江自流(鳳去り臺空しゅうして江自(おのず)から流る)
呉宮花草埋幽徑(呉宮の花草 幽徑を埋(うず)め)
晉代衣冠成古丘(晉代の衣冠 古丘と成れり)
三山半落青天外(三山半ば落つ 青天の外)
二水中分白鷺洲(二水中分す 白鷺(はくろ)洲)
總爲浮雲能蔽日(總べて浮雲(ふうん)の能く日を蔽(おお)うが爲に)
長安不見使人愁(長安見えず 人をして愁(うれ)えしむ)

と。金陵は、いまの南京、

劉宋の時代に、ある人が都の西南隅の山の上で珍しい鳥が群がるのを見た。美しい鳥なので、鳳皇(鳳凰)ということになり、それは瑞祥なので、それにあやかるために、山の上に台を築き、鳳皇台となづけた、

との故事がある(仝上)。

因みに、落語「抜け雀」は、http://sakamitisanpo.g.dgdg.jp/nukesuzume.htmlに詳しい。

参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:28| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする