2024年06月01日

あしひきの


しのぶれど恋しき時はあしひきの山より月の出でてこそ來れ(古今和歌集)、

の、

あしひきの、

は、

山にかかる枕詞、

である(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

阿志比紀能(アシヒキノ)山田を作り山高み下樋(したび)を走(わし)せ(古事記)、
けふのためと思ひて標(しめ)し足引乃(あしひきノ)峰(を)の上(へ)の桜かく咲きにけり(万葉集)、
あしひきの山より出づる月待つと人にはいひて妹待つ我を(万葉集)

などと、奈良時代は、

あしひきの、

と清音、後に、

あしびきの、

と濁音化、

あしひきの、

の、

キ、

は、

kï、

の音の仮名で、

あしひきの、

は、

足引の、

と当てるが、

四段活用の引きではなく、ひきつる意を表す上二段活用の「ひき」であろう、

とある(岩波古語辞典)。平安時代の歌人たちは、

アシヒキのアシを「葦」の意に解していたらしい、

とある(仝上)。枕詞として、

「山」および「山」を含む熟合語、「山」と類義語である「峰(を)」などにかかる、

が(精選版日本国語大辞典)、

語義、かかりかた未詳、

とある(仝上)。

あしひきの、

の由来については、諸説あり、

「ヒ」の母交[iu]を想定してアシフキ(葦葺き)としただけですぐに解ける。〈茅屋(かかや)ども、葦葺ける廊(らう)めく屋(や)などをかしうしつらひなしたり〉(源氏物語)とあるが、アシフキノヤ(葦葺きの屋)をヤマと言い続けて「山」の枕詞としたものであるが、いつしかアシヒキ(足引)に母交をとげたのであった(日本語の語源)、
国土創造の時、神々が葦を引いた跡が川となり、捨てた所が山となったので、葦引きの山という(古今集註)、
古くはヤの音を起こす枕詞らしく、アシフキノヤ(葦葺屋)か、馬酔木の木から山を連想したとする説(豊田八千代)は参考すべき説(万葉集講義=折口信夫)、

という説は、上述の平安時代の解釈をもとにしており、音韻からも、ちょっといただけない気がする。

あしびきの」で触れたように、

平安時代のアクセントからは、「葦」と理解すべきとの指摘もある、
万葉初期では、「き」が「木」と表記される例もあり、その表記には、植物のイメージがあるかも知れない、

などととしhttp://k-amc.kokugakuin.ac.jp/DM/detail.do?class_name=col_dsg&data_id=68193、「あし」が「葦」と重なる例として、石川郎女が大伴田主に贈った歌を挙げ、

我が聞きし耳によく似る葦の末(うれ)の足ひく我が背(せ)つとめ給(た)ぶべし、

で、

足の悪い田主を「葦の末の足ひく我が背」と、足をひきずる様子が柔らかく腰のない葦の葉に喩えられている、

としている(仝上)。しかし、これは「足」を「葦」と解釈した故で、先後が違う気がする。

推古天皇が狩りをしていた時、山路で足を痛め足を引いて歩いた故事から(和歌色葉)、
天竺の一角仙人は脚が鹿と同じだったので、大雨の山中で倒れて、足を引きながら歩いた故事から(仝上)、
国土が固まらなかった太古に、人間が泥土に足を取られて山へ登り降りするさまが脚を引くようであったから(仝上)、
大友皇子に射られた白鹿が足を引いて梢を奔った故事から(古今集注)、
アシヒキキノ(足引城之)の意。足は山の脚、引は引き延ばした意、城は山をいう(古事記伝)、
足敷山の轉。敷山は裾野の意(唔語・和訓栞)、
足を引きずりながら山を登る意(デジタル大辞泉)、
「ひき」は「引き」ではなく、足痛(あしひ)く「ひき」か(広辞苑)、
『医心方』に「脚気攀(あしなへ)不能行」を「攣」をアシナヘともヒキとも訓ませた(岩波古語辞典)、

等々は、「引く」説、他に、

冠辞考に、生繁木(オヒシミキ)の約轉と云へり(織衣(おりきぬ)、ありぎぬ。贖物(あがひもの)、あがもの。黄子(きみ)、きび)、上古の山々は、樹木、自然に繁かりし故に、山にかかる、萬葉集「垣(かき)越しに犬呼び越して鳥猟(とがり)する君青山の繁き山辺(やくへ)に馬休め君 (柿本人麻呂)」。他に、語源説種々あれど、皆憶測なり(大言海)、
アオシゲリキ(青茂木)の約か(音幻論=幸田露伴)、
イカシヒキ(茂檜木)の意か(万葉集枕詞解)、

も同趣の主張になる。他に種々説があり、たとえば、

悪しき日來るの意、三方沙弥が山越えの時、大雪にあい道に迷った時、「あしひきの山べもしらずしらかしの枝もたわわに雪のふれれば」と詠じたところから(和歌色葉)、
アソビキ(遊処)の音便(日本古語大辞典=松岡静雄)、
アスイヒノキの意。アスは満たして置く義の動詞、イヒは飯、キは界限する義の動詞クから転じた名詞「廓(キ)」(続上代特殊仮名音義=森重敏)、
あはしひくいの(会はし引くいの)。「は」は消音化し「くい」が「き」になった。「あはし(会はし)」は「あひ(会ひ)」の尊敬表現。お会いになりの意。「い」は指示代名詞のそれ。古い時代、「それ」のように漠然とことやものを指し示す「い」があった。「お会ひになり引くそれの」のような意だが、お会いになり引くそれ、とは、お会いになり(私を)引くそれであり、それが山を意味するhttps://ameblo.jp/gogen3000/entry-12447616732.html

等々がある。しかし、何れも理窟をこねすぎる。

語義、かかりかた未詳、

というところ(精選版日本国語大辞典)が妥当なのかもしれない。

「足」.gif



「足」 甲骨文字・殷.png

(「足」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%B6%B3より)

「足」(①漢音ショク・呉音ソク、②漢音シュ・呉音ス)は、

象形。ひざからあし先までを描いたもので、関節がぐっと縮んで弾力をうみだすあし、

とあり(漢字源)、「跣足(せんそく)」、「鼎足(ていそく)」、「捷足」(しょうそく)」、「高足」、「過不足」、「充足」等々は①の発音、「足恭(そくきょう・しゅきょう)」の、「あまり……しすぎるほど」「十二分に」の意では②の発音となる(仝上)。

他に、

象形。ひざから足先の形。「あし」を意味する漢語{足 /*tsok/}を表す字、

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%B6%B3

象形。ひざの関節から下の部分の形にかたどる。ひざから足首までの部分の意を表す。借りて「たす」意に用いる、

も(角川新字源)、象形文字とするが、

指事文字です(口+止)。「人の胴体」の象形と「立ち止まる足」の象形から、「あし(人や動物のあし)」を意味する「足」という漢字が成り立ちました。また、本体にそなえるの意味から、「たす(添える、増す)」の意味も表すようになりました、

(https://okjiten.jp/kanji14.html、指示文字とする説もある。

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2024年06月02日

天花


迸水定侵香案湿(迸水(ほうすい)定めて香案を侵(おか)して湿(うるお)い)
雨花應共石牀平(雨花(うか)は応(まさ)に石牀(せきしょう)と共に平らかなるべし)(王維・過乗如禅師蕭居士嵩丘蘭若)

の、

雨花、

は、

雨のように降る花、

の意で、

天竺の維摩居士が方丈の室で説法すると、天女が、天花をまきちらしたという、

とある(前野直彬注解『唐詩選』)。「方丈」で触れたように、

維摩居士宅……躬以手板、縦横量之、得十笏(尺)、故號方丈(釋氏要覧)、

と、天竺の維摩居士の居室が、

方一丈であった、

ので、

方丈、

という。

天花、

は、

指揮如意天花落(如意を指揮すれば天花落ち)
坐臥閒房春草深(閒房(かんぼう)に坐臥すれば春草深し)(李頎・題璿講魔池)

の、

天上の花、

の意(前野直彬注解『唐詩選』)である。

天華、

とも当て(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、

てんか、
てんげ、

とも訓み、

第九随心供仏楽者、彼土衆生、昼夜六時常持種々天華、供養無量寿仏(往生要集)、

と、

天上界に咲くという霊妙な花、

をいい、それに喩えて、

かの塔のもとには……四種の天華ひらけたり(平治物語)、

と、

天上界の花にもたとえられる霊妙な花、

の意でも使う(仝上)。文字通り、

天上の神々たちの世界に咲く霊妙な華、

の意であるが、

釈尊が法を説くとき、しばしば天から雨のごとく降ったり、梵天が釈尊の上に散じて供養したりする華でもある、

とありhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%A4%A9%E8%8F%AF、『大智度論』に、

天竺国の法として、諸の好き物を名づけて、みな天物と名づく。是れ人の華と非人の華とは天上の華に非ずと雖も、其の妙好なるを以ての故に名づけて天華と為す、

とあり、また義山『観無量寿経随聞講録』に、

吹諸天華とは、天は称美の言にして、天香等と云うが如し、

と、メタファとして、単にすばらしく妙なる華の意としても使われる。

四種の天華、

とは、

四華」、

といい、妙法蓮華経序品第一に、仏陀が、

為諸菩薩説大乗経 名無量義 教菩薩法 仏所護念、

と、

諸の菩薩の為に大乗経の無量義・教菩薩法・仏所護念を説きおわった、

とき、

是時天雨曼陀羅華 摩訶曼陀羅華 曼殊沙華 摩訶曼殊沙華(是の時に天より曼陀羅華・摩訶曼陀羅華・曼殊沙華・摩訶曼殊沙華を雨らして)、
而散仏上 及諸大衆(仏の上及び諸の大衆に散じ)

https://www.kosaiji.org/hokke/kaisetsu/hokekyo/1/01-2.htmあり、

曼陀羅華(まんだらけ 色が美しく芳香を放ち、見るものの心を悦ばせるという天界の花)
摩訶曼陀羅華(まかまんだらけ 摩訶は大きいという意味。大きな曼荼羅華)
曼殊沙華(まんじゅしゃけ この花を見るものを悪業から離れさせる、柔らかく白い天界の花)
摩訶曼殊沙華(まかまんじゅしゃけ 摩訶は大きいという意味。大きな曼殊沙華)

の、

四華(しけ)、

をいう(仝上)とある。これを、

雨華瑞(うけずい)、

といい、

此土六瑞((しどのろくずい)、

のひとつとされ、『法華経』が説かれる際に、

花が雨ふってくる瑞相、

とされる(仝上)。因みに、法要中にする、

散華、

という花びらに似せた紙を散じるのは、この意味である(仝上)。「六瑞」「四華」については、「四華」で詳しく触れた。

「天」.gif

(「天」 https://kakijun.jp/page/0441200.htmlより)

「天」(テン)は、「天知る」で触れたように、

指事。大の字に立った人間の頭の上部の高く平らな部分を一印で示したもの。もと、巓(テン 頂)と同じ。頭上高く広がる大空もテンという。高く平らに広がる意を含む、

とある(漢字源)。別に、

象形。人間の頭を強調した形からhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%A9

指事文字。「人の頭部を大きく強調して示した文字」から「うえ・そら」を意味する「天」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji97.html

指事。大(人の正面の形)の頭部を強調して大きく書き、頭頂の意を表す。転じて、頭上に広がる空、自然の意に用いる(角川新字源)、

等々ともある。

「花」.gif

(「花」 https://kakijun.jp/page/hana200.htmlより)

「花」(漢音カ、呉音ケ)は、「はな」でも触れたが、

会意兼形声。化(カ)は、たった人がすわった姿に変化したことをあらわす会意文字。花は「艸(植物)+音符化」で、つぼみが開き、咲いて散るというように、姿を著しく変える植物の部分、

とある(漢字源)。「華」は、

もと別字であったが、後に混用された、

とあり(仝上)、また、

会意兼形声文字です。「木の花や葉が長く垂れ下がる」象形と「弓のそりを正す道具」の象形(「弓なりに曲がる」の意味だが、ここでは、「姱(カ)」などに通じ、「美しい」の意味)から、「美しいはな」を意味する漢字が成り立ちました。その後、六朝時代(184~589)に「並び生えた草」の象形(「草」の意味)と「左右の人が点対称になるような形」の象形(「かわる」の意味)から、草の変化を意味し、そこから、「はな」を意味する「花」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji66.htmlが、

かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、

としてhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%8A%B1

形声。「艸」+音符「化」。「華」の下部を画数の少ない音符に置き換えた略字である、

とされ(仝上)、

形声。艸と、音符(クワ)とから成る。草の「はな」の意を表す。もと、華(クワ)の俗字、

とある(角川新字源)。

「華」.gif

(「華」 https://kakijun.jp/page/1069200.htmlより)

「華」(漢音カ、呉音ケ・ゲ)は、「花客」で触れたように、

会意兼形声。于(ウ)は、丨線が=につかえてまるく曲がったさま。それに植物の葉の垂れた形の垂を加えたのが華の原字。「艸+垂(たれる)+音符于」で、くぼんでまるく曲がる意を含む、

とあり(漢字源)、

菊華、

と、

中心のくぼんだ丸い花、

を指し、後に、

広く草木のはな、

の意となった(仝上)とする。ただ、上記の、

会意形声説。「艸」+「垂」+音符「于」。「于」は、ものがつかえて丸くなること。それに花が垂れた様を表す「垂」を加えたものが元の形。丸い花をあらわす、

とする(藤堂明保)説とは別に、

象形説。「はな」を象ったもので、「拝」の旁の形が元の形、音は「花」からの仮借、

とする説もある(字統)。さらに、

会意形声。艸と、𠌶(クワ)とから成り、草木の美しい「はな」の意を表す、

とも(角川新字源・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%8F%AF)、

会意兼形声文字です。「並び生えた草」の象形(「草」の意味)と「木の花や葉が長く垂れ下がる象形と弓のそりを正す道具の象形(「弓なりに曲がる」の意味)」(「垂れ曲がった草・木の花」の意味から、「はな(花)」を意味する「華」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji1431.htmlある。

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2024年06月03日

隠沼


紅の色には出でじ隠れ沼(ぬ)の下にかよひて恋は死ぬとも(古今和歌集)、

の、

隠れ沼、

は、萬葉集では、

隠(こも)り沼(ぬ)の下(した)ゆ恋(こ)ふればすべをなみ妹(いも)が名告(なの)りつ忌(い)むべきものを(万葉集)、

と、

隠沼(こもりぬ)、

で、「下」にかかる(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

隠沼(かくれぬ)、

は、

「こもりぬ(隠沼)」の誤読による語か(精選版日本国語大辞典)、
隠沼(こもりぬ)を誤読して出来た語か(デジタル大辞泉)、
万葉集の「隠沼(こもりぬ)の誤読から生れた語(岩波古語辞典)、

等々とあり、

隠れの沼、

ともいい、

隠れた沼、

つまり、

草などに覆われて上からはよく見えない沼、

をいう(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。

隠沼(こもりぬ)、

の、

ヌ、

は、

ヌマと同じ意味で、複合語に使う形、

とあり(岩波古語辞典)、

埴安(はにやす)の池の堤の隠沼(こもりぬ)の行方を知らに舎人はまとふ(万葉集)、

と、

堤などで囲まれて水が流れ出ない沼、

の意や、

味鳧(あぢ)の住む須沙(すさ)の入江の許母理沼(コモリぬ)のあな息づかし見ず久(ひさ)にして(万葉集)、

と、

草木などが茂っている下に隠れて水の見えない沼、

意で使うが、基本、

流れのとどこおった沼(ぬま)のこと、

をいうhttps://art-tags.net/manyo/eleven/m2441.html)

ぬ(沼)、

は、和名類聚抄(931~38年)に、

沼、奴、

とあり、語源に、

粘滑(ヌメル)の義(大言海)、
ナグの反。波の立たない意(名語記)、
粘り気あるいは水気のある意を表す語幹(国語の語根とその分類=大島正健)、
朝鮮語nop(沼)と同源か(岩波古語辞典)、

等々あるが、はっきりしない。では、

ぬま(沼)、

の語源はというと、天治字鏡(平安中期)

渭、奴萬、

字鏡(平安後期頃)に、

淇、水名、奴萬、

とあり、

沼閒の義か(大言海)、
人の股までぬかるところからヌクマタの義(日本声母伝)、
ナメラマ(滑間)の義(言元梯)、
ヌカルマ(渟間)の義(志不可起)、
ヌメリ(滑)の義(名言通)、
ヌルミヅタメ(滑然水溜)の義、あるいはイネミズタメ(稲水溜)の義(日本語原学=林甕臣)、
水底の泥のさまからヌメ(黏滑)の義(箋注和名抄・日本語源=賀茂百樹)、
ヌはヌルの反で、ヌルキ水の義(名語記)、
雨の降らぬ間も水の有るところからか(和句解)、

等々あるが、付会に過ぎる気がする。上代には、沼を指す語として、

ヌマ、

と、

ヌ、

があるが、

ヌマ、

が、

沼(ぬま)二つ通(かよ)は鳥が巣我(あ)が心二(ふた)行くなもとなよ思はりそね(万葉集)、

と、単独で用いるが、上述のように、

ヌ、

は、

隠沼乃(こもりぬの)、
隠有小沼乃(こもりぬの)、

など、ほとんど複合語中に見られるので、

ヌはヌマの古形、

と考えられる(日本語源大辞典)とある。

「隠」.gif

(「隠」 https://kakijun.jp/page/1427200.htmlより)


「隱」.gif


「隱(隠)」(漢音イン、呉音オン)は、

会意兼形声。㥯の上部は「爪(手)+工印+ヨ(手)」の会意文字で、工形の物を上下の手で、おおいかくすさまを表す。隱はそれに心を添えた字を音符とし、阜(壁や土塀)を加えた字で、壁でかくして見えなくすることをあらわす。隠は工印を省いた略字、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です。「段のついた土山」の象形(「丘」の意味)と「上からかぶせた手の象形と工具の象形と手の象形と心臓の象形」(「工具を両手で覆いかくす」の意味)から、「かくされた地点」を意味する「隠」という漢字が成り立ちました。また、「慇(イン)」に通じ(同じ読みを持つ「慇」と同じ意味を持つようになって)、「いたむ(心配する)」の意味も表すようになりました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1278.html

「沼」.gif


「沼」(ショウ)は、

会意兼形声。刀は、曲線状にそったかたな。召は、手を曲げて招き寄せることで、招の原字。沼は、「水+音符召」で、水辺がゆるい曲線をなしたぬま、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(氵(水)+召)。「流れる水」の象形と「刀の象形と口の象形」(神秘の力を持つ刀をささげながら、祈りを唱えて神まねきをするさまから「まねく」の意味)から、河川の流域が変わって、その結果、水をまねき入れたようにできた「ぬま」を意味する「沼」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1081.html

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2024年06月04日

にほどり


冬の池に住むにほどりのつれもなくそこにかよふと人に知らすな(古今和歌集)、

の、

にほどり、

は、

かいつぶり、

の意とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

つれもなく、

は、

つれなくに「も」がはさまった形、

で、

素知らぬ様子で、

の意(仝上)。

カイツブリ.jpg


にほどり、

は、

鳰鳥、

と当て、

鳰(にほ)、

ともいい(岩波古語辞典)、

カイツブリの古名、

である(仝上)。

和名類聚抄(931~38年)には、

鸊鵜(へきてい)、邇保、

字鏡(平安後期頃)には、

鸊鷉(へきてい)、邇保、
鳰、邇保、

色葉字類抄(1177~81)には、

鷸、ツラリ又カイツムリ、鶏属也、

とある。

カイツブリ、

は、

鳰(にお)、
鸊鷉(へきてい)、
鸊鵜(へきてい)、
かいつむり、
いっちょうむぐり、
むぐっちょ、
はっちょうむぐり、
息長鳥(しながどり)、

とも呼び、室町時代、

カイツブリ、

と呼ぶようになる。

カイツブリ、

は、

学名Tachybaptus ruficollis、

カイツブリ目カイツブリ科カイツブリ属、

に分類されるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%84%E3%83%96%E3%83%AA。全長約26cmと、日本のカイツブリ科のなかではいちばん小さい(仝上)とある。

夏羽では首は赤茶色、冬羽では黄茶色です。足には各指にみずかきがあり、潜水は大得意で、足だけで泳ぎます。小魚、ザリガニ、エビ類、大きな水生昆虫などを食べています。日本では全国に分布しています。水ぬるむ春、池や沼や湖で、そこに浮いていたかと思うとアッという間にもぐってしまい、あちらの方でポッカリ浮かびあがる潜水の名手。水草を積み重ねて水面に浮巣をつくり、夏のはじめ、綿毛のようなかわいいヒナを連れて泳いでいます、

とあるhttps://www.suntory.co.jp/eco/birds/encyclopedia/detail/1402.html

鳰の浮巣.jpg


その巣は、

鳰の浮巣、

と呼ばれる(日本語源大辞典)。また、

鳰(にほ)、

は、

鏡の山に月ぞさやけきにほてるや鳰のさざ波うつり来て(菟玖波集)、

と、

鳰(にお)の海、

の意で使われ、

におのみずうみ、

ともいい、

琵琶湖の異称、

である(精選版日本国語大辞典)。
また、後述のように、

鳰、

という漢字も、その生態から、

入(ニフ)をニホに用ゐ、入鳥の合字(田鶴、鴫の類)、

と作字された(大言海)ように、

にほ、

の語源も、

鳰は水に潜りて、水面に浮び出でざまに、長く息をつくという(仝上)生態から、

水に入る意から、入(ニフ)を用いる(大言海)、
水中に潜入するため、ニフドリ(入鳥)と言ったのが、ニホドリ(鳰鳥)・ニホ(鳰)になり、「袖中抄」(顕昭)に「ニとミとかよへり」とあるように、ニフドリがニホドリに転音した。さらに「ニ」が子交[nm]をとげてミホドリ(鳰鳥)になったった。略してニホ(鳰)、ミホ(鳰)という。 (日本語の語源)、

と見なされる。だから、

カイツブリ、

の語源も、

通音に、カイツムリとも云ふ。掻きつ潜りつ(カ(掻)キツ-ムグ(潜)りつ)の音便約略ならむか、或は、ツブリは、水に没する音(大言海)、
小魚を捕食するため水中に潜入するので、カヅキモグリ(潜き潜り)鳥と呼ばれていたが、「ヅキ」の転位でカツキモグリに転音し、モグ[m(og)u]が縮約されて、カキツムリ・カイツブリ(鳰)に転音した(日本語の語源)、
カイは、たちまちの義。ツブリは水に没する音(東雅・閑田次筆・俚言集覧・俗語考)、
カイ・ミヅムグリ(掻水潜)の約轉(言元梯)、
かしらが丸くて貝に似ているところから(和句解)、
水に入る習性から、カキツボマル(掻莟)の義(名言通)、
繰り返し頭から潜る掻き頭潜(つぶ)り(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%84%E3%83%96%E3%83%AA)
瓢箪のような体の形などから櫂(かひ)と瓢(つぶる)(仝上)、

と、多くその生態からとみているようだが、

水を「掻きつ潜(むぐ)りつ)が転じた、「カイ」は、たちまちの意で、潜る時の水音が「ツブリ」に転じたとする説が有力、

とある(仝上)。

かい、

は、

掻、

と当てる接頭語で、

掻き曇り、
掻き消し、

など、

掻きまわしたように、一面……になる、

意の、

掻きの音便、

で、その意味の派生で、

かいころび、
かいくぐり、

と、

ちょいと、ひょいと、軽くなどの気持を添える使い方、

があり、この、

かいつぶり、

のかい、

も、その、

ひょいと、

の意で、

ひょいと潜る、

意と見ていい(岩波古語辞典)。この、

にほどり、

は、冒頭の歌のように、

にほどりの、

で、枕詞として使われ、

いざ吾君(あぎ)振熊(ふるくま)が痛手負はずは邇本杼理能(ニホドリノ)淡海(あふみ)の海に潜(かづ)きせなわ(古事記)、

と、カイツブリがよく水にもぐることから、

かづく、

にかかり、転じて、

爾保杼里能(ニホドリノ)葛飾(かづしか)早稲(わせ)を饗(にへ)すともその愛(かな)しきを外(と)に立てめやも(万葉集)、

と、同音の地名、

葛飾(かづしか)、

にかかり、息が長い意で、

爾保杼里乃(ニホドリノ)息長河(おきながかは)は絶えぬとも君に語らむ言(こと)尽きめやも(万葉集)、

と、地名、

息長(おきなが)、

にかかる(精選版日本国語大辞典)。また、カイツブリが水に浮かんでいるところから、

思ひにし余りにしかば丹穂鳥(にほどりの)なづさひ来しを人見けむかも(万葉集)、

と、

なづさふ、

にかかり、また、カイツブリは繁殖期には雌雄が並んでいることが多いので、

爾保鳥能(ニホどりノ)二人並び居語らひし心背きて家離(ざか)りいます(万葉集)、

と、

二人並びゐ、

にかかる(仝上)。いずれも、万葉歌は、

カイツブリの生態を様々にとらえて修辞に利用しているので「葛飾」に懸かる場合を除き、枕詞でも直喩の性格が強い、

とある(精選版日本国語大辞典)。

「鳰」.gif


「鳰」(ニホ)は、国字。

形声、「鳥+音符入(ニフ)」。水の中に入ることからニフの音を取って、名付けた、

とあり(漢字源)、

入(ニフ)をニホに用ゐ、入鳥の合字(田鶴、鴫の類)。水に入る意、

とある(大言海)。

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2024年06月05日

鳰(にほ)の海


鳰の海や月の光のうつろへば波の花にも秋は見えけり(新古今和歌集)、

の、

鳰の海、

は、

琵琶湖の別名、

鳰の湖、

とも当て(久保田淳訳注『新古今和歌集』)、

におのみずうみ、

とも訓み、

鳰(にほ)、

ともいう(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。

鳰の海の、

は、また、

近江の国の枕詞、

でもある(仝上)。

鳰、

については、「にほどり」で触れたように、

カイツブリの古名、

である。

鳰の海、

は、

湖辺の地名に仁保、または邇保から、萍(うきくさ)の跡、

との説もあるが、

琵琶湖に鳰鳥が多いところから、

ともあり(日本語源大辞典)、その名の由来ははっきりしない。

琵琶湖、

という呼称自体、いつ頃から琵琶湖とよばれたのかはつまびらかではない(日本歴史地名大系)とあり、古くは、

淡海(あふみ)の海(み)夕波千鳥 汝(な)が鳴けば心もしのに古(いにしへ)思ほゆ(柿本人麻呂)、

と、

淡海、
淡海の海、

とも呼ばれていた。琵琶湖のある、

近江、

という国名は、遠江(とおとうみ)国(古称は、とほつあふみ(遠淡海)、琵琶湖を「近つ淡海」というのに対する)の、

浜名湖、

に対して都に近い、

近つ淡海、

つまり、

あはうみ、

から転じたものとされている(仝上)。

鹽海、

に対して、

アハウミ(淡海)、

であり、その

アハウミ、

という琵琶湖の古称から、

近江、

に転訛したということである(名語記・万葉代匠記・和字正濫鈔・日本釈名・語意考・可成三註)。で、

近江海(おうみのみ)、

ともいう(精選版日本国語大辞典)。もっとも、

淡海、

は借字で、

オフミ(大水)の訛、

とする説もある(日本古語大辞典=松岡静雄)が。ちなみに、

琵琶湖、

の呼称は、

ビワ(琵琶または枇杷)の形に似ているから(和漢三才図絵)、
竹生島には弁才天をまつり弁才天は妙音天女ともいい、枇杷につうじるところから(笈埃随筆)、
湖水を琵琶湖と名づくハ、竹生島の天女音楽を好み給ふ故、海を琵琶湖と名づく、因みて神を妙音天女と名づく(淡海録)、
湖海者琵琶形也(竹生島縁起)、
形が琵琶に似るところから(精選版日本国語大辞典)、
アイヌ語の「貝を採るところ」を意味する語に由来し、ビワ(ビハ)は水辺や湿原がある場所を指す(吉田金彦)、

などと、多く、その形からきているという説のようである(日本語源大辞典)。

琵琶湖.jpg


古くは、

淡海の海瀬田の済(わたり)に潜(かづ)く鳥目にし見えねば 憤(いきどほろ)しも(日本書紀)、
いざ吾君(あぎ)振熊(ふるくま)が痛手負はずは鳰鳥(にほどり)の淡海の湖に潜(かづ)きせなわ(古事記)

と、

淡海の海、
淡海の湖、

と使われ、

鳰の海、

を詠んだものは、冒頭の、

鳰の海や月の光のうつろへば波の花にも秋はみえけり(藤原家隆)、

の他、

しなてるや鳰の海に漕ぐ舟のまほならねども逢い見し物を(源氏物語)
我がそでの涙やにほの海ならんかりにも人をみるめなければ(千載集)、

と、新古今集、玉吟集(壬二(みに)集)などに見られ、比較的新しい。

淡海、

は、

「続日本紀」養老元年(七一七)九月一二日条に「淡海」とあり、六国史でも、淡海が公的な名称と考えられる(日本歴史地名大系)とある。

湖水、

という呼び名があるが、「山槐記」元暦二年(1185)七月九日条に、

近江湖水流北、

「石山寺縁起」巻一に、

水海(すいかい)、

とあるが、この、

近江湖水、

または、単に、

湖水、

という呼称は長く通用していた(仝上)とある。

琵琶湖、

という呼称は、元禄期(1688~1704)の「淡海録」に、

琵琶湖、

とあり、東海道分間延絵図は、

近江湖水、

に注記し、

一名琵琶湖、

とするので、江戸中期までには琵琶湖の呼称はほぼ定着していた(仝上)とみられる。琵琶湖には、また、

細波(さざなみ)、

という呼称もあり、

近江の国の風土記引きて言わく、淡海の国は淡海を以ちて国の号と為す。故に一名を細波国と言ふ。目の前に湖上の漣(さざなみ)を向ひ観るが所以なり、

とあるhttps://www.pref.shiga.lg.jp/ippan/kendoseibi/koutsu/12389.html

歌川広重『近江八景』「矢橋帰帆」.jpg

(琵琶湖 『近江八景』(歌川広重)「矢橋帰帆」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%B5%E7%90%B6%E6%B9%96より)

なお、「かいつぶり」については、「にほどり」で触れた。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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2024年06月06日

みるめ


満つ潮の流れひるまを逢ひがたみみるめの浦によるをこそ待て(古今和歌集)、
おほかたはわが名もみなとこぎ出でなむ世をうみべたにみるめ少なし(仝上)、

の、

みるめ、

は、

みるめ(海松布)と見る目(逢う折)との掛詞、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

みるめ、

は、

海松布、
水松布、

と当て、

海藻ミル、

のこと、和歌では多く、

「見る目」とかけて用いられる、

とある(精選版日本国語大辞典)。

みるめ、

の、

メ、

は、

アラメ・ワカメのメと同じ、海藻類の総称、

とあり(岩波古語辞典)、

メ、

に、

布、

の字を当てるについては、「昆布」で触れたように、

(昆布は)蝦夷(アイヌ)の語、kombuの字音訳なり、夷布(えびぬのと云ふも、それなり、海藻類に、荒布(あせめ)・若布(わかめ)・搗布(かぢめ)など、布の字を用ゐるも、昆布より移れるならむ、支那の本草に、昆布を挙げたり、然れども、東海に生ず、とあれば、此方より移りたるなるべし、コフと云ふは、コンブの約なり(勘解由(かんげゆ)、かげゆ。見参(げんざん)、げざん)、廣布(ひろめ)と云ふは、海藻の中にて、葉の幅、最も広きが故に、名とするなり、

とある(大言海)。『続日本紀』に、

霊亀元年十月「蝦夷、須賀君古麻比留等言、先祖以来貢献昆布、常採此地、年時不闕、云々、請於閉村、便達郡家、同於百姓、共率親族、永不闕貢」(熟蝦夷(にぎえみし)なり。陸奥、牡鹿郡邊の地ならむ、金華山以北には、昆布あり、今の陸中の閉伊郡とは懸隔セリ)」

とあり、アイヌと関わることはありそうである。和名類聚抄(931~38年)には、

本草云、昆布、生東海、和名比呂米、一名、衣比須女、

とあり、色葉字類抄(1177~81)には、

昆布、エビスメ、ヒロメ、コブ、

とある。本草和名には

昆布、一名綸布(かんぽ)。和名比呂女、一名衣比須女、

ともあり、

昆布、

は、古くは、

ヒロメ(広布)、
エビスメ、

等々と呼んだ。因みに、後漢代の「本草」(神農本草経)には、

綸布、一名昆布、出高麗如捲麻、黄黒色、柔韌可食、今海苔紫菜皆似綸、恐卽是也、

とある(字源)。この、

昆布、

の音読、

コンブ、

訛って、

コブ、

とする説(日本語源大辞典)もありえる気がする。いずれにしろ、

布、

の字当てる、

メ、

は、

志賀(しか)の海女(あま)は藻(め)刈(か)り塩(しほ)焼き暇(いとま)無(な)み櫛笥(くしげ)の小櫛(をぐし)取りも見なくに(万葉集)、

藻、
昆布、
海布、

等々と当て、

モ(藻)の転か(岩波古語辞典)、
芽の義かと云ふ、或は云ふ、藻の轉(大言海)、

とある。

藻、

は、和名類聚抄(931~38年)に、

藻、毛、一名毛波、一本水中菜、

類聚名義抄(11~12世紀)に、

藻、モ、モハ、

とあるように、

モハの略、

とあり(大言海)、この、

モハ、

の略が、

メ、

に転訛した可能性は高い。



は、

モエ(萌)の約(名語記・古事記伝・言元梯・松屋筆記・菊池俗語考・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子・大言海)、

か、

メ(目)の義(名語記・九桂草堂随筆・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子・岩波古語辞典・国語溯原=大矢徹・国語の語根とその分類=大島正健)、

と別れるが、

草木の種や根・枝から出て新しい葉や茎になろうとする、

という説もあり得ると思うのは、

見る目、

に掛ける、

目(メは、古語マ(目)の転)、

は、

芽と同根、

とされるからだ。いずれとも判別は難しい。個人的には、

モ(藻)→メ(海布)、

の気がするが。

ミル.jpg


海藻、

ミル、

は、

海松、
水松、

と当て(岩波古語辞典)、

ミルメ(海松布)の略、分岐して生えているところからマル(散)と同義か(日本語源=賀茂百樹)、
ムルの転。ムルはマツラクの反、松に似ているところから(名語記)、
海に居て形が松に似ているから(https://www.flower-db.com/ja/flowers/codium-fragile)
「水松」を「うみまつ」と読ませ、「俗にいう海松」と説明している(和漢三才図絵)。

とあり、

海松色
海松模様、

とも言われるので、「松」に加担したいが、これは後世の謂いで、おそらく、

ミルメ(海松布)の略、

かと思われる。

ミルは、

学名:Codium fragile、

世界中の温かい海に生息する緑藻という海藻の一種、日本各地の海の潮間帯下部〜潮下帯の岩礁に生息し、色は深緑で二分枝しながら長さ40cm程に成長します。枝の断面は太さ1cm程で丸く長いのが、人間の指の様に見えます。以前は食用として食べられていましたが現在では日本では食用としていません、

とあるhttps://www.flower-db.com/ja/flowers/codium-fragile

大宝律令で朝廷へ納める税には、海松も納税品の一つとされてたし、神饌(しんせん、みけ)にも用いられ、萬葉集でも、

御食(みけ)向(むか)ふ淡路の島に直(ただ)向ふ敏馬(みぬめ)の浦の沖辺(おきへ)には深海松(ふかみる)摘み浦廻(うらみ)には名告藻(なのりそ)刈り深海松(ふかみる)の見まく欲しけど名告藻(なのりそ)おのが名(な)惜(を)しみ間使(まつか)ひも遣(や)らずて我(われ)は生けりともなし、

と詠われている(仝上)。

海松色.png


因みに、

海松色、

は、

海松(ミル)の色、

を言い、

くすんだ黄緑色、

https://woman.mynavi.jp/kosodate/articles/16490

海松色(みるいろ)、

に合う色のひとつに、

若草色(わかくさいろ)、

があり、

この二つを組み合わせることで、清々しい若さを感じさせる配色になります、

とあるhttps://woman.mynavi.jp/kosodate/articles/16490

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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2024年06月07日

花かつみ


陸奥の安積(あさか)の沼の花かつみかつ見る人に恋ひやわたらむ(古今和歌集)、

の、

花かつみ、

は、

菖蒲、あやめ、薦(こも)等々の説があるが、いかなる植物か不明、

とあり(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)、

花かつみ、

は、

「かつ」「かつて」にかかる序詞、

として用いる(広辞苑)とある。この、

みちのくの安積の沼の花かつみかつ見る人に恋ひやわたむ(古今和歌集)、

を本歌とする、

野辺はいまだあさかの沼に刈る草のかつ見るままに茂る頃かな(新古今和歌集)、

では、

刈る草、

で、

本歌の花かつみを暗示する、

とし(久保田淳訳注『新古今和歌集』)、

花かつみ、

は、

真菰とも野花菖蒲、

ともいうとし、

後者か、

としている(仝上)。

はなかつみ、

は、

花勝見、

と当て(広辞苑)、

水辺の草の名、秋、ヨシに似た穂が出る、

とあり(岩波古語辞典)、一説に、

マコモ、

とあり(仝上・広辞苑)、

諸説、区々なれど、菰(マコモ)なりと云ふ、

ともある(大言海)。この故は、

かつみ、

は、

勝見、

と当て、

かつみぐさの略、

で、

マコモの異称、

とされる(仝上)からである。

真菰.jpg


刈菰」で触れたように、

真菰刈る淀の沢水雨降ればつねよりことにまさるわが恋(古今和歌集)、

などと詠われる、

真菰、

は、

真薦、

とも当て、「ま」は、

接頭語(岩波古語辞典)、
まは発語と云ふ(大言海)、
マは美称の接頭語(角川古語大辞典・小学館古語大辞典)、

とあり、色葉字類抄(1177~81)に、

菰、マコモ、コモ、

とあり、

こも(薦・菰)、

のことで、

かつみ、
はなかつみ、
まこもぐさ
かすみぐさ、
伏柴(ふししば)、

ともよぶがイネとは異なる(広辞苑・大言海)。

真菰、

は、古くから、

神が宿る草。

として大切に扱われ、しめ縄としても使われてきたhttps://www.biople.jp/articles/detail/2071

「こも」は、

薦、
菰、

と当て、

まこも(真菰)の古名、

とある(日本語源大辞典・精選版日本国語大辞典)。

イネ科の大形多年草。各地の水辺に生える。高さ一~二メートル。地下茎は太く横にはう。葉は線形で長さ〇・五~一メートル。秋、茎頂に円錐形の大きな花穂を伸ばし、上部に淡緑色で芒(のぎ)のある雌小穂を、下部に赤紫色で披針形の雄小穂をつける。黒穂病にかかった幼苗をこもづのといい、食用にし、また油を加えて眉墨をつくる。葉でむしろを編み、ちまきを巻く、

とあり、漢名、

菰、

という(精選版日本国語大辞典・日本語源大辞典)。

マコモの種子、

は米に先だつ在来の穀粒で、縄文中期の遺跡である千葉県高根木戸貝塚や海老が作り貝塚の、食糧を蓄えたとみられる小竪穴(たてあな)や土器の中から種子が検出されている、

とある(日本大百科全書)。江戸時代にも、『殖産略説』に、

美濃国(みののくに)多芸(たぎ)郡有尾村の戸長による菰米飯炊方(こもまいめしのたきかた)、菰米団子製法などの「菰米取調書」の記録がある、

という。中国では、マコモの種子を、

波漂菰米沈雲黑(波は菰米(こべい)を漂わして沈雲(ちんうん)黒く)(杜甫・秋興)、

と、

菰米、

と呼び、

色は黒く、食用に供するので米という、

とある(前野直彬注解『唐詩選』)。

古く『周礼(しゅらい)』(春秋時代)のなかで、

供御五飯の一つ、

とされている。なお、茎頂にマコモ黒穂菌が寄生すると、伸長が阻害され、根ぎわでたけのこ(筍)のように太く肥大する。これを、

マコモタケ、

という。内部は純白で皮をむいて輪切りにし、油いためなど中国料理にする。根と種子は漢方薬として消化不良、止渇、心臓病、利尿の処方に用いられる(マイペディア)。(マイペディア)。その故か、

かつみ、

の由来は、

糧實(カテミ)の転(竪(タテ)、たつ)、實の食糧に充つべき意かと云ふ、

とある(大言海)。

ショウブ.jpg


たしかに、

かつみ、

は、

まこも、

だとして、しかし、あえて、それに「花」を冠させて、

花かつみ、

と言ったのには、理由がなければならない。「花」の印象が薄い点では、

ショウブ、

も、

マコモ、

と、どっこいどっこいな気がする。では、

花しょうぶ、

なのか。ただ、

ノハナショウブ、

は、

かきつばた、

とは違い、水辺に生えない。どれかとは決め手がない。

マコモ、
ショウブ、

以外に、

デンジソウ、
ヒメシャガ、

という説もあるらしいhttps://www.tamagawa.ac.jp/agriculture/teachers/tabuchi/theme/02/02_2.htmlが。

ノハナショウブ.jpg



デンジソウ(田字草).jpg

(デンジソウ(田字草) https://shop.shizen-seikatsu.jp/item-detail/771013より)

なお、「あやめ」「かきつばた」「ショウブ」については、「あやめぐさ」、「何れ菖蒲」で触れた。

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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2024年06月08日

西王母


西望瑤池(ようち)降王母(西のかた瑤池を望めば王母(おうぼ)降(くだ)り)
東來紫氣滿函關(東來の紫氣(しき) 函關(かんかん)に滿つ)(杜甫・秋興三)

の、

王母、

は、

西王母(せいおうぼ・さいおうぼ)、

のこと、

瑤池、

は、

崑崙山中にあるという、伝説の池、

で、

この池のほとりに西王母の住居があり、むかし周の穆(ぼく)王が西方を旅行したとき、この池のほとりで西王母のもてなしを受けたと伝えられる、

とある(前野直彬注解『唐詩選』)。

東來紫氣滿函關、

の、

函關、

は、

函谷関、

のこと、

これを越えて西に進めば、長安に至る、

とあり(仝上)、

東來紫氣、

とは、函谷関の関守の伊喜(いんき)が、

紫の気が近づくのを見て、老子の到来を予測した、

という故事にもとづく(仝上)とある。漢の劉向の「列仙伝」に、

老子が西方へ旅行しようとして函谷関まできたとき、関守の伊喜が東方から仙人が近づいているのを認め、老子の到来を予知した、

という (仝上)。

山海経の西王母.jpg

(『山海経』の西王母の挿絵(清代) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E7%8E%8B%E6%AF%8Dより)

崑崙山(こんろんさん)」、

は、

こんろんざん、

とも訓ませ、

中国古代の伝説上の山、

で、「崑崙」は、

昆侖、

とも書き、

霊魂の山、

の意で、

崑崙山(こんろんさん、クンルンシャン)、
崑崙丘(きゅう)、
崑崙虚(きょ)、
崑山、

ともいい(大言海・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%91%E5%B4%99・ブリタニカ国際大百科事典)、中国の古代信仰では、

神霊は聖山によって天にのぼる、

と信じられ、崑崙山は最も神聖な山で、大地の両極にあるとされた(仝上)。中国北魏代の水系に関する地理書『水経(すいけい)』(515年)註に、

山在西北、……高、萬一千里、

とあり、中国古代の地理書『山海経(せんがいきょう)』には、

崑崙……高萬仞、面有九井、以玉為檻、

とあり、その位置は、

瑶水(ようすい)という河の西南へ四百里(山海経)、

とか、

西海の南、流沙(りゅうさ)のほとりにある(大荒西経)、

とか、

貊国(はくこく)の西北にある(海内西経)、

と諸説あり、

その広さは八百里四方あり、高さは一万仞(約1万5千メートル)、

あり、

山の上に木禾(ぼっか)という穀物の仲間の木があり、その高さは五尋(ひろ)、太さは五抱えある。欄干が翡翠(ひすい)で作られた9個の井戸がある。ほかに、9個の門があり、そのうちの一つは「開明門(かいめいもん)」といい、開明獣(かいめいじゅう)が守っている。開明獣は9個の人間の頭を持った虎である。崑崙山の八方には峻厳な岩山があり、英雄である羿(げい)のような人間以外は誰も登ることはできない。また、崑崙山からはここを水源とする赤水(せきすい)、黄河(こうが)、洋水、黒水、弱水(じゃくすい)、青水という河が流れ出ている、

とあるhttp://flamboyant.jp/prcmini/prcplace/prcplace075/prcplace075.html。『淮南子(えなんじ)』(紀元前2世紀)にも、

崑崙山には九重の楼閣があり、その高さはおよそ一万一千里(4千4百万キロ)もある。山の上には木禾があり、西に珠樹(しゅじゅ)、玉樹、琁樹(せんじゅ)、不死樹という木があり、東には沙棠(さとう)、琅玕(ろうかん)、南には絳樹(こうじゅ)、北には碧樹(へきじゅ)、瑶樹(ようじゅ)が生えている。四方の城壁には約1600mおきに幅3mの門が四十ある。門のそばには9つの井戸があり、玉の器が置かれている。崑崙山には天の宮殿に通じる天門があり、その中に県圃(けんぽ)、涼風(りょうふう)、樊桐(はんとう)という山があり、黄水という川がこれらの山を三回巡って水源に戻ってくる。これが丹水(たんすい)で、この水を飲めば不死になる。崑崙山には倍の高さのところに涼風山があり、これに昇ると不死になれる。さらに倍の高さのところに県圃があり、これに登ると風雨を自在に操れる神通力が手に入る。さらにこの倍のところはもはや天帝の住む上天であり、ここまで登ると神になれる、

とある(仝上)。初めは、

天上に住む天帝の下界における都、

とされ、

諸神が集り、四季の循環を促す「気」が吹渡る、

とされていたが、のちに神仙思想の強い影響から、古代中国人にとっての、

理想的な他界、

とされ、女仙の、

西王母(せいおうぼ)、

が居を構え、その水を飲めば不死になるという川がそこの周りを巡っているという、

地上の楽土、

とされた。黄帝の崑崙登山や、上述のように、西周(せいしゅう)の穆(ぼく)王が、この山上に西王母を訪ねた伝説がある(日本大百科全書)。

虎もしくはライオンに乗った西王母.jpg

(虎もしくはライオンに乗った西王母の画像(明代) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E7%8E%8B%E6%AF%8Dより)

西王母(せいおうぼ、さいおうぼ)、

は、

中国で古くから信仰された女仙、女神、

で、

姓は緱(あるいは楊)、名は回、字は婉姈、一字は太虚、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E7%8E%8B%E6%AF%8D。神にも、

姓と名、

はともかくとして、

字、

があるとするのが、中国らしい。

西王母像(漢代の拓本).jpg

(西王母像(漢代の拓本) 三青鳥、九尾の狐、玉兎、蟾蜍(ヒキガエル)が一緒に彫られている https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E7%8E%8B%E6%AF%8D

西王母(せいおうぼ)、

の、

王母、

は、

祖母や女王のような聖母、

といった意味であり、

西王母、

は西方にある崑崙山上の天界を統べる母なる女王の尊称、

である。天界にある、

瑶池と蟠桃園、

の女主人でもあり、すべての女仙を支配する、

最上位の女神、

とさけれ、

東王父(とうおうふ)、

に対応する(仝上)とある。ついでに、「蟠桃園」とは、

西王母の桃園、

で、

夭々灼々として桃は樹に盈ち 歴々累々として果は枝を圧す、玄都凡俗の種にあらず、瑤池の王母みずから栽培せるもの(西遊記)、

という。山海経では、

西方の崑崙山に住む神女、

で、

人面・虎歯・豹尾・蓬髪、

の(精選版日本国語大辞典)、

半人半獣、

で、

不老長寿、

をもって知られ(デジタル大辞泉)、

三青鳥が食物を運ぶ、

とある(マイペディア)が、のち漢代になると西王母は神仙思想と結びついて、

仙女化、

し、淮南子では、

不死の薬をもった仙女、

とされ、さらに周の穆王(ぼくおう)が西征してともに瑤池で遊んだといい(列子・周穆王)、長寿を願う漢の武帝が仙桃を与えられたという伝説ができ、漢代には、

西王母信仰、

が広く行なわれた(精選版日本国語大辞典)とある。『漢武内伝』には、

前漢の武帝が長生を願っていた際、西王母は墉宮玉女たち(西王母の侍女)とともに天上から降り、三千年に一度咲くという仙桃七顆を与えた、

というhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E7%8E%8B%E6%AF%8D。本来、

両性具有、

から、男性的な要素が対となる男神の、

東王父(とうおうふ)、

に分離し、両者で不老不死の支配者という性格が与えられていったことになる(仝上)。

靑雀西飛竟未廻(青雀(せいじゃく) 西に飛んで竟(つい)に未(いま)だ廻(かえ)らず)
君王長在集靈臺(君王(くんのう)は長(つね)に集霊台に在り)(李商隠・漢宮詞)

の、

青雀、

は、

西王母の使者の鳥、

で、

「漢武故事」(班固)によると、

漢の武帝のとき、この鳥が西方から飛来し、西王母の訪問を予告した、

とあり(前野直彬注解『唐詩選』)、

やがて西王母があらわれ、武帝と一夕の宴を共にしたが、不老長生の術は教えずに去った、

という(仝上)。「漢武故事」には、

王母遣使謂帝曰、七月七日我當暫來。帝至日、掃宮內、然九華燈。七月七日、上於承華殿齋。日正中、忽見有青鳥從西方來、集殿前。上問東方朔。朔對曰、西王母暮必降尊像。上宜灑掃以待之。……有頃、王母至。……下車、上迎拜、延母坐、請不死之藥。母曰、……帝滯情不遣、欲心尚多。不死之藥、未可致也。……母既去、上惆悵良久(王母使いを遣し帝に謂て曰く、七月七日我当に暫く来たるべし、と。帝、日至るや、宮内を掃め、九華灯を然(もや)す。七月七日、上(しょう)は承華殿に於いて斎(ものいみ)す。日正(まさ)に中(ちゅう)するに、忽ち青鳥有り、西方より来りて、殿前に集まるを見る。上(しょう)は東方朔(とうほうさく)に問う。朔は対えて曰く、西王母、暮れに必ず尊像を降(くだ)さん。上(しょう)は宜しく灑掃(さいそう)し以て之を待つべし、と。……頃(しばら)く有りて、王母至る。……車を下くだれば、上(しょう)迎えて拝し、母(ぼ)を延(ひ)きて坐(すわら)しめ、不死の薬を請う。母(ぼ)曰く、……帝は滞情(たいじょう)遣らず、欲心尚お多し。不死の薬は、未だ致す可からざるなり、と。……母(ぼ)既に去り、上(しょう)は惆悵(ちゅうちょう)たること良(やや)久しうす)

とある(https://kanbun.info/syubu/toushisen435.html)。この、

青鳥、

とは、『山海経』西山経の、

又西二百二十里、曰三危之山。三青鳥居之(又西二百二十里を、三危の山と曰う。三青鳥之に居る)、

の、

三青鳥、

のことで、郭璞(かくはく)の注に、

三靑鳥主爲西王母取食者。別自棲息於此山也(三青鳥は西王母の為に食を取るを主つかさどる者。別に自ら此の山に棲息するなり)、

とある(仝上)。結局、武帝は不老不死の薬を所望したが西王母は与えず、去って行ったことになる。

参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2024年06月09日

虚舟


乗興杳然迷出處(興に乗じては杳然として出処に迷い)
對君疑是泛虚舟(君に対して疑うらくは是れ虚舟を泛べしかと)(杜甫・題張氏隠居)

の、

虚舟、

は、

人の乗っていない舟、

の意で、「荘子」山木篇に、

舟で川をわたるとき、「虚舟」がきて衝突したのでは、短気な人でも怒りようがないとあるのにもとづく、

とある(前野直彬注解『唐詩選』)。

虚舟(きょしゅう)、

は、文字通り、

以忠信而済難、若乗虚舟以渉川也(易経)、

と、

からぶね(空船)、

つまり、

人の乗っていない舟、

の意だが、それをメタファに、

願早収綸旨、莫繋小僧虚舟之心(「本朝文粋(1060頃)」)、

と、

胸中になんのわだかまりもないたとえ、

で、

虚心、

の意でも使う(精選版日本国語大辞典)。

「荘子」山木篇にあるのは、

方舟而済于河、有虚船来触舟、雖有惼心之人不怒、

で、同じ趣旨の言葉が『淮南子』詮言訓(淮南王劉安(前179~前122)が招致した数千の賓客と方術の士に編纂された思想書)にも、

方船濟乎江、有虚舟従一方來、雖有忮心、必無怨色、

とあり、

虚舟舟に触るとも人怒らず、

ということわざとなっている。即ち、

無心の行為は、人の感情を害することはない、

と(故事ことわざの辞典)。同趣旨のことわざに、

怒気有る者も飄瓦は咎めずとて、身が達のやうな短気が軒下を通る時、屋根の瓦が落ちかかって、小鬢さきをいはされても、相手は瓦、ひとり腹は立てられまい、この譬がよい教訓(浄瑠璃「男作五雁金」)、

と、

怒気ある者も飄瓦(ひょうが)は咎めず、

というのがある(仝上)。荘子は、

方舟而濟於河、有虚船來觸舟、雖有惼心之人不怒、

に続いて、

有一人在其上、則呼張歙之、一呼而不聞、再呼而不聞、於是三呼邪、則必以惡聲隨之。向也不怒而今也怒、向也?而今也實。人能虚己以遊世、其孰能害之、

とあり、

ぶつかってきた舟に人が乗っているなら、その人は声をかける。一回声をかけても聞こえないなら、二度、三度目の声をかけ、今度は必ず、怒る。要は、虚心であれば、だれが害し得るか、という、

虚舟の喩、

である。ところで、この、

虚舟、

を、

うつろぶね、

と訓み、訛って、

うつお(ほ)ぶね、

というと、

かの変化(へんげ)のものをばうつせほぶねにいれて流されけるとぞきこえし(平家物語)、

と、

空舟、

とも当て、

大木をくり抜いて造った舟、

つまり、

丸木舟、

の意となる(広辞苑)。また、

うつろぶね、

は、江戸時代、享和三年(1803)2月22日、常陸国への漂着したという、今でいう、

未確認物体、

で、文政年間の「弘賢随筆」には、

うつろ舟の蛮女、

として、図が付されているhttps://www.archives.go.jp/exhibition/digital/hyoryu/contents/12.html

弘賢随筆に描かれた「うつろ舟」.jpg

(「うつろ舟」 (弘賢随筆) https://www.archives.go.jp/exhibition/digital/hyoryu/contents/12.htmlより)


後年に曲亭馬琴は、虚舟事件を扱う談話の1つとして兎園小説『虚舟の蛮女』を表したが、似た話は、各地にあり、柳田國男は論文「うつぼ舟の話」で「兎圓」は各地の伝説であり、実際事件ではないと断じた。「うつろ舟」については、https://www.city.joetsu.niigata.jp/soshiki/koubunsho/tenji32.htmlhttps://web-mu.jp/history/12733/等々が詳しい。

「虚」.gif


「虚(虛)」(漢音キョ、呉音コ)は、「虚空無性」で触れたように、

形声。丘(キュウ)は、両側におかがあり、中央にくぼんだ空地のあるさま。虚(キョ)は「丘の原字(くぼみ)+音符虍(コ)」。虍(とら)とは直接関係がない、

とあり(漢字源)、呉音コは「虚空」「虚無僧」のような場合にしか用いない、ともある。別に、

形声。意符丘(=。おか)と、音符虍(コ→キヨ)とから成る。神霊が舞い降りる大きなおかの意を表す。「墟(キヨ)」の原字。借りて「むなしい」意に用いる、

とも(角川新字源)、

形声文字です。「虎(とら)の頭」の象形(「虎」の意味だが、ここでは「巨」に通じ(「巨」と同じ意味を持つようになって)、「大きい」の意味)と「丘」の象形(「荒れ果てた都の跡、または墓地」の意味)から、「大きな丘」、「むなしい」を意味する「虚」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1322.html

参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)

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2024年06月10日

まれ


君てへば見まれ見ずまれ富士の嶺(ね)のめづらしげなく燃ゆるわが恋(古今和歌集)、

の、

てへば、

は、

といへばの縮まった形、

で、

まれ、

は、

「AまれBまれ」の形で、AであろうとBであろうと、

の意、土佐日記に、

とまれかうまれ、とく破(や)りてむ、

の例がある(仝上)。

まれ、

は、

もあれの約、

で(広辞苑)、

もあれ、

は、

係助詞「も」にラ変動詞「あり」の命令形「あれ」の付いた「もあれ」の変化したもの、

とされ(精選版日本国語大辞典)、

にてもあれ、

の意で(大言海)、多くの場合、

ひとにまれ、鬼にまれ、かへし奉れ(蜻蛉日記)、

と、

…(に)まれ…(に)まれ、

の形で用いられ、

…(で)あろうと、
…でも、

の意となる(仝上・広辞苑)。

なお、

稀、
希、

と当てる、

まれ、

は、

古形マラの転、事の起こる機会や物が少なくて不安定、まばらであるさま。類義語タマサカは、出会いの偶然であるさま、

とあり(岩波古語辞典)、

まれに来て飽きかず別るる織女(たなばた)は立ち歸るべき道なからなむ(新撰万葉集)、

と、

めったにないさま、

の意や、だから、

里はなれ心すごくて、海士の家だにまれになど(源氏物語)

と、

少ないさま、

の意でも使う。この、

まれ、

は、

閒有(まあれ)の約かと云ふ(大言海)、
閒有(まある)の義(言元梯・名言通・和訓栞・国語の語根とその分類=大島正健)、
マは間の義(国語本義)、

など、

マ(閒)、

と絡める説があるが、意味からはそんな気がする。

「稀」.gif


「稀」(漢音キ、呉音ケ)は、

会意兼形声。希は「爻(交差した糸の模様)+巾(ぬの)」の会意文字で、まばらな織り方をした薄い布。稀は「禾(作物)+音符希」で、穀物のまばらなこと。古典では、希で代用する、

とある(漢字源)。もと、

「希」が{稀}を表す字であったが、「禾」を加えた、

ともあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A8%80

人生七十古來稀(杜甫・曲江)

と詠われた、「稀」である。

「希」.gif

(「希」 https://kakijun.jp/page/0778200.htmlより)

「希」(漢音キ、呉音ケ)は、

会意文字。「メ二つ(まじわる)+巾(ぬの)」で、細かく交差して負った布。すきまがほとんどないことから、微小で少ない意となり、またその小さいすき間を通して何かを求める意となった、

とある(漢字源)。同趣旨だが、

会意。布と、(㐅は省略形。織りめ)とから成り、細かい織りめ、ひいて微少、「まれ」の意を表す。借りて「こいねがう」意に用いる、

とも(角川新字源)、

会意文字です(爻+布)。「織り目」の象形と「頭に巻く布きれにひもをつけて帯にさしこむ」象形(「布きれ」の意味)から、織り目が少ないを意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「まれ」を意味する「希」という漢字が成り立ちました(また、「祈(キ)」に通じ(同じ読みを持つ「祈」と同じ意味を持つようになって)、「もとめる」の意味も表すようになりました)、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji659.htmlが、

糸と糸がまばらに折り重なったさまを象る象形文字が原字で、のち布を表す「巾」を加えて「希」の字体となる。「まばら」を意味する漢語{稀 /*həj/}を表す字。のち仮借して「のぞむ」を意味する漢語{希 /*həj/}に用いる、

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B8%8C、象形文字とする説もある。

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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ラベル:まれ もあれ
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2024年06月11日

二毛


太平時節身難遇(太平の時節 身(み) 遇い難し)
郎署何須笑二毛(郎署(ろうしょ)何(なん)ぞ須(もち)いん二毛を笑うを)(韓愈・奉和庫部盧四兄曹長元日朝廻)

の、

郎署(ろうしょ)、

とは、

尚書省の郎中・員外郎のつとめる役所、

をいい、

漢代では宿衛の役人のつとめるところで、漢の武帝が郎署の前を通ったとき、ここにつとめたまま昇進することもなく年をとった顔駟という運の悪い老人に会ったという故事をふまえる、

とある(前野直彬注解『唐詩選』)。『漢武故事』によると、

顔駟は、文帝・景帝・武帝の3代に仕えた。最初の文帝は学問を好んだが、顔駟は武芸が得意だった。次の景帝は老成した者を好んだが、その時まだ顔駟は若年だった。次の武帝は若者を好んだが、その時すでに顔駟は老人になっており、結局ずっと不遇だった、

とあり、これを知った武帝は、顔駟を都尉に抜擢した(物語要素事典)という。

二毛、

は、

白い毛と黒い毛、

を言い、

白髪まじりの老人、

をいう。「礼記」檀弓篇に、

古之侵伐者、不斬祀、不殺厲、不獲二毛(古(いにしえ)の侵伐する者は、祀を斬(た)たず、厲(れい)を殺さず、二毛を獲(とら)えず)、

とあるのにもとづく(仝上)とある。漢代の「左伝」(春秋左氏傳)僖公廿二年にも、

公(僖公)曰君子不重傷、不禽二毛、古之爲軍也、不以阻隘也、寡人雖亡國之余、不鼓不成列

とあり、

班白、

と同義とあり(字源)、その註に、

二毛、頭白有二色、

とある(大言海)。左伝の他、上述のように、前漢の「禮記」に、

古之侵伐者、不斬祀、不殺厲、不獲二毛、

とあるほかに、前漢代の「淮南子(えなんじ)」にも、

古之伐國不殺黃口(幼兒)、不獲二毛(老人)、於古為義、於今為笑、

とあり、一種、儒者の君子論の中に位置づけられるらしい。これに対して、上述の左伝で、司馬子魚(公子目夷)は、

君未知戦、

と決めつけ、

君は今だ戦を知らず、勍敵の人、隘にして列を成さざるは、天の我を賛くるなり、阻にして之に鼓うつ、亦可ならざらんや。猶懼るること有り、且つ、今の勍き者は皆我が敵なり、胡耇(耆)に及ぶと雖も獲なば則ち之を取らん、二毛において何か有らん、恥を明にし戦を教ふるは、敵を殺さんことを求むるなり、傷つくとも未だ死するに及ばざれば、如何ぞ重ねること勿らんや、若し傷を重ぬるを愛(いとし)まば、則ち傷くること勿きに如かんや、其の二毛を愛まば、則ち服(したが)ふに如かんや、三軍は利を以て用ゐるなり、金鼓は聲を以て気(たす)くるなり、利にして之を用ゐば、隘に阻するも可なり、聲盛にして志を致さば、儳に鼓うたんも可なり、

と反論しているというhttp://nippon-chugoku-gakkai.org/wp-content/uploads/2019/09/27-05.pdf。なお、

軍中に用いる鐘と太鼓、

について、

進むに鼓を用い、とどまるに鐘を用いる、

とありhttps://chdict.conomet.com/word/%E9%87%91%E9%BC%93

金鼓、

は、

金鼓斉鳴、

と、

鐘と太鼓がいっしょに鳴る、

つまり、

激戦のさま、

の意とある(仝上)。

「二」.gif

(「二」 https://kakijun.jp/page/0205200.htmlより)


「二」 甲骨文字・殷.png

(「二」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BA%8Cより)


「貮」.gif

(「貮(弐)」 https://kakijun.jp/page/ni11200.htmlより)

「二」(漢音ジ、呉音ニ)は、

指事文字。二本の横線を並べたさまを示すもので、二つの意を示す、

とあり(漢字源)、

貮(弐)、

は、

古文の字体で、おもに証文や公文書で改竄・誤解を防ぐために用いる、

とある(漢字源)。

「毛」.gif

(「毛」 https://kakijun.jp/page/0465200.htmlより)

「毛」(慣用モ、漢音ボウ、呉音モウ)は、「吹毛の咎」で触れたように、

象形。細かいけを描いたもので、細く小さい意を含む、

とある(漢字源)。別に、

象形文字です。「けの生えている」象形から「け」を意味する「毛」という漢字が成り立ちました、

ともある(角川新字源・https://okjiten.jp/kanji228.html)。

参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)
関口順「春秋時代の『戦』とその残像」http://nippon-chugoku-gakkai.org/wp-content/uploads/2019/09/27-05.pdf

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:二毛
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2024年06月12日

髪衝冠


此地別燕丹(此の地 燕丹(えんたん)に別わかれしとき)
壯士髮衝冠(壮士 髪(はつ) 冠を衝けり)
昔時人已沒(昔時(せきじ) 人已に没し)
今日水猶寒(今日(こんにち) 水猶なお寒し)(駱賓王・易水送別)

の、

髪衝冠、

は、

怒髪冠(天)を衝く、

のたとえで知られる、

髪が逆立って、冠を押し上げる、

意で、

悲憤慷慨の極致に達した時の形容、

とある(前野直彬注解『唐詩選』)。

樊於期の首級を持参した荊軻が秦王政を襲撃している.png

(樊於期の首級を持参した荊軻が秦王政を襲撃している https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%8A%E6%96%BC%E6%9C%9Fより)

戦国の末期、燕の太子丹は秦王(のちの始皇帝)に怨みを抱き、荊軻という剣客を送って暗殺させようとした。荊軻の出発にあたり、丹は臣下とともに喪服をつけ、易水のほとりで送別の宴を張ったが、そのとき荊軻が、

風蕭蕭兮易水寒(風蕭蕭として易水寒し)
壯士一去兮不復還(壯士一たび去って復た還(かえ)らず)

と詠ったので、人々はみな目を怒らせ、

髪尽(ことごと)く上りて冠を指した、

とある(仝上)。その場面は、「史記」卷八十六・刺客列傳第二十六に、

太子及賓客知其事者、皆白衣冠以送之。至易水之上、既祖、取道、高漸離撃筑、荊軻和而歌、爲變徴之聲、士皆垂涙涕。又前而爲歌曰 風蕭蕭兮易水寒、壯士一去兮不復還、復爲羽聲慷慨、士皆瞑目、髮盡上指冠。於是荊軻就車而去、終已不顧(太子及び賓客その事を知る者は、皆白衣冠を以つて之を送る。易水(えきすい)の上(ほとり)に至り、既に祖して、道を取る。高漸離(こうぜんり)筑を撃ち、荊軻、和して歌ひ、変徴(へんち)の聲(せい)を為す。士皆涙を垂れて涕泣す。又前(すす)みて歌を為(つく)りて曰く、風蕭蕭しょうしょうとして易水寒く、壮士一たび去りて復た還らず、と。復た羽聲(うせい)を為して慷慨す。士皆目を瞋(いか)らし、髮盡(ことごと)く上がりて冠を指す。是に於いて荊軻車に就きて去る。終に已に顧みず)

とあるhttp://from2ndfloor.qcweb.jp/classical_literature/keika1.html

怒髪冠(天)を衝く、

は、史記・藺相如(りんしょうじょ)傳に、

相如視秦王無意償趙城、乃前曰、璧有疵、請指示王、王授璧、相如因持璧却立倚柱、怒髪上衝冠、

とある。しかし、

怒髪上衝冠、

については、

怒にて句すべきを、古来誤読して怒を髪の形容詞とす、

とある(字源)。つまり、

怒、髪上衝冠、

で、本来、

冠を衝くほどの怒り、

という喩えだったという意味のようである。藺相如(りんしょうじょ)については、「刎頸の交わり」で触れた。

秦の昭襄王相手にする藺相如。.jpg

(秦の昭襄王に対する藺相如 http://chugokugo-script.net/rekishi/rinshoujo.htmlより)

なお、陶淵明に「詠荊軻」という詩があるhttps://tao.hix05.com/Hinshi/hinshi03.html

燕丹善養士(燕丹善く士を養ひ)
志在報強秦(志は強秦に報ゆるに在り)
招集百夫良(百夫の良を招集し)
歳暮得荊卿(歳暮に荊卿を得たり)
君子死知己(君子 知己に死す)
提劍出燕京(劍を提げて燕京を出づ)
素驥鳴廣陌(素驥 廣陌に鳴き)
慷慨送我行(慷慨して我が行を送る)

雄髮指危冠(雄髮 危冠を指し)
猛氣衝長纓(猛氣 長纓を衝く)
飮餞易水上(飮餞す易水の上)
四座列群英(四座群英を列ぬ)
漸離撃悲筑(漸離 悲筑を撃ち)
宋意唱高聲(宋意 高聲に唱ふ)
蕭蕭哀風逝(蕭蕭として哀風逝き)
淡淡寒波生(淡淡として寒波生ず)
商音更流涕(商音に更に流涕し)
羽奏壯士驚(羽奏に壯士驚く)
心知去不歸(心に知る去りて歸らず)
且有後世名(且つは後世の名有らんと)

登車何時顧(車に登りては何れの時か顧みん)
飛蓋入秦庭(蓋を飛ばして秦庭に入る)
凌厲越萬里(凌厲として萬里を越え)
逶逶過千城(逶逶として千城を過ぐ)
圖窮事自至(圖窮まって事自から至り)
豪主正征營(豪主正に征營す)
惜哉劍術疏(惜しい哉劍術疏にして)
奇功遂不成(奇功遂に成らず)
其人雖已沒(其の人已に沒すると雖も)
千載有餘情(千載餘情有り)

なお、荊軻については、井波律子『中国侠客列伝』、司馬遷『史記列伝』で触れた。

参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2024年06月13日

かたしき


さむしろに衣かたしき今宵もやわれを待つらむ宇治の橋姫(古今和歌集)、

の、

さむしろ、

は、歌語で、

「さ」は、「さ夜」「さ衣」などと同じ接頭語、

とあり(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)、

かたしき、

は、

衣を重ねて供寝するのではなく、一人寝で、自分の衣だけを敷く、

とある(仝上)。

後朝(きぬぎぬ)」で触れたように、

男女互いに衣を脱ぎ、かさねて寝る、

朝に、

起き別るる時、衣が別々になる、

のを、

きぬぎぬ、

と言い、

我が衣をば我が着、人の衣をば人に着せて起きわかるるによりて云ふなり、

とある(古今集註)。

橋姫、

は、

宇治橋を守る女神、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)が、「宇治の橋姫」で触れたように、

橋に祀られていた女性の神、

で(日本伝奇伝説大辞典)、

その信仰から、

橋姫伝説が生まれた、

とある(仝上)。

思案橋(橋を渡るべきか戻るべきか思いあぐねたとされる)、
細語(ささやき)橋(その上に立つとささやき声が聞こえる)、
面影橋(この世のものではない存在が、見え隠れする)、
姿不見(すがたみず)橋(声はすれども姿が見えない)、

等々と言われる伝説の橋には、

橋姫、

が祀られている(日本昔話事典)。「橋」も「峠」と同じく、

信仰の境界であり、ここに外からの災厄を防ぐために、祀られたものらしい(仝上)。主に、

古くからある大きな橋では、橋姫が外敵の侵入を防ぐ橋の守護神として、

祀られているhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%8B%E5%A7%AB。「橋姫」信仰は、広く、

水神信仰、

の一つと考えられ、

外敵を防ぐため、橋のたもとに男女二神を祀ったのがその初めではないか、

とある(日本伝奇伝説大辞典)。つまり、

境の神、

としての、

道祖神、
塞(さえ)の神、

の性格を持ち、

避けて通れぬ橋のたもとに橋姫を祀り、敵対者の侵入を阻止し、自分たちの安全を祈った、

ものとみられる(仝上)。この歌では、

実際に宇治にいる女性というよりは、遠く離れてなかなか会えない女性の比喩か、

と注釈される(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

かたしく、

は、

片敷く、

と当て、

吾が恋ふる妹はあはさず玉の浦に衣片敷(かたしき)ひとりかも寝む(万葉集)、

と、

寝るために自分ひとりの着物を敷く、

つまり、

独り寝をする、

意や、

よるになれども装束もくつろげ給はず、袖をかたしゐてふし給ひたりけるが(平家物語)、

と、

腕や肘(ひじ)を枕にして独り寝する、

意であり、

かたしきごろも(片敷衣)

というと、

岩のうへにかたしき衣ただひとへかさねやせまし峯の白雲(新古今和歌集)、

と、

独り寝の衣、

の意となるが、これは、古く、

男女が共寝するとき、互いの着物の袖を敷きかわして寝たところからいう、

とある(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。ただ、

かた、

が接頭語的に用いられて、

天飛ぶや領巾(ひれ)可多思吉(カタシキ)ま玉手の玉手さしかへあまた夜もいも寝てしかも(万葉集)、

と、

寝るために着物などを敷く、

意でも使う(仝上)。

かたしく、

は、

「万葉集」に詠まれ、平安時代には「古今‐恋四」以来、歌語として盛んに用いられたが、

袖・衣を片敷く、

と詠む例が多いが、「新古今集」の頃から、旅寝の歌などで、

伊勢の浜荻・草葉・露・真菅・岩根・紅葉などをかたしくという表現が目立ちはじめ、新古今和歌集では、冒頭の歌のように、

独り寝をする、

意で使い、

涙・夢・嵐・波・雲・風・梅の匂などをかたしくといった感覚的な表現が出現する、

とある(精選版日本国語大辞典)。さらに、後には、

片敷く、

の文字通り、

ふる雪に軒ばかたしくみ山木のおくる梢にあらしふくなり(寂蓮集)

の、

傾く、

意や、

庭には葎(むぐら)片敷(カタシキ)て、心の儘に荒たる籬(まがき)は、しげき野辺よりも猶乱(源平盛衰記)、

と、

一方にのびひろがる、

意で使われたりするに至る(仝上)。

「片」.gif

(「片」 https://kakijun.jp/page/0470200.htmlより)

「片」  『説文解字』.png

(「片」 中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)  https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%89%87より)

「片」(ヘン)は、

象形。片は、爿(ショウ 寝台の長細い板)の逆の形であるともいい、また木の字を半分に切ったその右側の部分であるとも言う。いずれにせよ、木のきれはしを描いたもの。薄く平らなきれはしのこと、

とある(漢字源)。他に、

象形。枝を含めた木の片割れを象るhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%89%87

象形。木を二つ割りにした右半分の形にかたどり、板のかたほう、また、割る意を表す(角川新字源)、

など、同趣旨だが、別に、

指事文字です。「大地を覆う木の象形の右半分」で、「木の切れはし」、「平たく薄い物体」を意味する「片」という漢字が成り立ちました、

https://okjiten.jp/kanji951.html、指示文字とする説もある。

「敷」.gif

(「敷」 https://kakijun.jp/page/1543200.htmlより)

「敷」(フ)は、

会意兼形声。甫(ホ・フ)は、芽の生え出たタンポポを示す会意文字で、平らな畑のこと。圃の原字。敷の左側は、もと「寸(手の指)+音符甫(平ら)」の会意兼形声文字で、指四本を平らにそろえてぴたりと当てること。敷はそれを音符とし、攴(動詞の記号)を添えた字。ぴたりと平らに当てる、または平らに伸ばす動作を示す、

とある(漢字源)が、また、

会意形声。攴と、旉(フ)(しく)とから成る。しきのべる意を表す、

も(角川新字源)、

会意兼形声文字です(旉+攵(攴))。「草の芽の象形と耕地(田畑)の象形と右手の象形」(「稲の苗をしきならべる」の意味)と「ボクッという音を表す擬声語と右手の象形」(「ボクッと打つ・たたく」の意味)から、「しく」を意味する「敷」という漢字が成り立ちました、

https://okjiten.jp/kanji1111.html同趣旨だが、別に、

形声。「攴」+音符「尃 /*PA/」。「しく」を意味する漢語{敷 /*ph(r)a/}を表す字、

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%95%B7、異なる説もある。

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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ラベル:かたしき 片敷く
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2024年06月14日

いさよひ


君や來むわれや行かむのいさよひに真木の板戸もささず寝にけり(古今和歌集)、

の、

真木、

は、

杉や檜など、固くて建築に適した木、

で(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)、

いさよひ、

は、

物事や行動が思うように進まないこと、転じて、なかなか出てこない十六夜の月をいう、ここは両方の意、

とある(仝上)。

いさよふ、

は、上代は清音だが、鎌倉時代以降、

いざよふ、

と濁音化するが、

山の端にいさよふ(不知世經)月の出でむかと我が待つ君が夜はくたちつつ(万葉集)、
もののふの八十氏河の網代木にいさよふ(不知代経)波の行方知らずも(万葉集)、

と、

(波・雲・月・心などが)ぐずぐずして早く進まない、
動かず停滞している、

意で使う(岩波古語辞典)。この名詞形、

いさよひ、

は、冒頭の歌のように、

ためらう、
いざよう、

意で使い、転じて、

(十六夜)月の出を早くと待っても、月がいざよふ、

という気持から、

はかなくも我よのふけをしらずしていさよふ月を待わたる哉(木工権頭為忠百首)、

と、

陰暦十六日夜の月、また、その夜、

の意となる(仝上)。で、

いざよふつき、

に(古くは「いさよう月」)、

猶予月、

とあてる(精選版日本国語大辞典)。

十六夜の月.jpg

(十六夜の月)

十六夜の月、

については「いざよい」で触れたように、

満月よりも遅く、ためらうようにでてくるのでいう、

とある(広辞苑)。大言海は、

日没より少し後れて出づるに因りて、躊躇(いさよ)ふと云ふなり。イサヨフは、唯、やすらふの意の語なれど、特に此の月に云ふなり。…和訓栞、いさよひ「ヨヒを、青に通ハシ云ふ也」。十七夜の月を立待の月と云ひ、十八夜の月をゐまち(居待)の月と云ふ、

とする。この、

いさよふ、

の語源は、岩波古語辞典が、

イサはイサ(否)・イサカヒ(諍)・イサヒ(叱)と同根。前進を抑制する意。ヨヒはタダヨヒ(漂)のヨヒに同じ、

とし、大言海が、

不知(いさ)の活用にて、否(イナ)の義に移り、否みて進まぬ意にてもあらむか。ヨフは、揺(うご)きて定まらぬ意の、助動詞の如きもの、タダヨフ(漂蕩)、モコヨフ(蜿蜒)の類、

とし、また、

いなと通へり。否の義なりと云へり(和訓栞)、

を引き、

萬葉集「不言(イナ)と言はむかも」の古写本に、不知に作れりと云ふ、同「不聴(イナ)と云へど」(不聴許の意)、此語は、清音にて、いさ知らず、と熟語となるべき語なり、さるに常に然(しか)言馴れては、終に下略して「いさ」とのみも云ふ、因りて、不知の字を、直ちに、「いさ」に用ゐるに至れり、足引きの山、ぬばたまの夜、なるを、足引きの(山の)木間(このま)、ぬばたまの(夜の)月、と云ふが如し、

としていて、微妙に違う。

「よひ」は、

ただよひ、
かがよひ、
もごよひ、

などの「よひ」で、動揺し、揺曳する意(岩波古語辞典)として、「いさ」は、

否、
不知、

と当て、

イサカヒ・イサチ・イサヒ・イサメ(禁)・イサヨヒなどと同根。相手に対する拒否・抑制の気持ちを表す、

とあり(仝上)、相手の言葉に対して、

さあ、いさ知らない、
さあ、いさわからない、

という使い方をしたり、「いや」「いやなに」「ええと」など、相手をはぐらかしたりするのに使う(岩波古語辞典)、とある。これだと、月が、

はぐらかしている、

という含意になる。どちらとも決めかねるが、個人的には、「はぐらかす」よりは、「出しぶる」意味の方がいいような気がするが、月を主体にすれば、「はぐらかす」になり、見る側からみれば「出しぶる」になるので、同じことと言えばいえる。別に、

「いさ」は感動詞「いさ」と同根。「よふ」は「ただよふ(漂)」などの「よふ」か、

とする説(日本語源大辞典)もある。「いさ」は、

さあ、

と人を誘うときや、自分が思い立った時、

の言葉だが(岩波古語辞典)、通常、

いざ、

と濁る。大言海は、この、

いさ、

に、

率、
去来、

と当て、

イは、発語、サは誘う声の、ささ(さあさあ)の、サなり。いざいざと重ねても云ふ。…発語を冠するによりて濁る。伊弉諾尊、誘ふのイザ、是なり。率の字は、ひきゐるにて、誘引する意。開花天皇の春日率川宮も、古事記には、伊邪川(いざかはの)宮とあり、

とする。そして、

「いさ」(不知)と「いざ」(率)と混ずべからず、

としている(大言海)。やはり、感嘆詞は、無理があるかもしれない。因みに、

いざ、

に、

去来、

と当てるのは、「帰去来」からきている。帰去来は、

かへんなむいざ、

と訓ませるが、

訓点の語、帰りなむ、いざの音便。仮名ナムは、完了の助動詞。來(ライ)の字にイザを充(あ)つ。來(ライ)は、助語にて、助語審象に「來者、誘而啓之之辞」など見ゆ(字典に「來、呼也」、周禮、春官「大祝來瞽」。來たれの義より、イザの意となる)。帰去来と云ふ熟語の訓点なれば、イザが語の下にあるなり。史記、帰去来辞(ききょらいのことば)、など夙(はや)くより教科書なれば、此訓語、普遍なりしと見えて、古くより上略して、去来の二字を、イザに充て用ゐられたり、

とある(大言海)。

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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2024年06月15日

蹉跎


宿昔青雲志(宿昔(しゅくせき) 青雲の志)
蹉跎白髪年(蹉跎(さた)たり 白髪の年)
誰知明鏡裏(誰か知らん 明鏡の裏)
形影自相憐(形影(けいえい) 自ら相憐まんとは)(張九齢・照鏡見白髪)

のタイトル、

照鏡、

とは、

鏡に顔をうつしてみること、

とあり(前野直彬注解『唐詩選』)、

ある日、鏡を見たら、頭のしらがが目についた。わが身の老いの実感と、なすこともなく過ぎ去った生涯への追想をこめた詩、

と注釈がある(仝上)。また、

形影(けいえい)、

は、

形は姿、影はその影、

の意で、ここでは、魏の曹植が、

躬を責むる詩を上(たてまつ)る表、

で、

形影相弔(とむら)い、五情愧赧(きたん)す、

とあるのを踏まえ、

鏡にうつった影、

の意とある(仝上)。

蹉跎(さた・さだ)、

は、

時機を失すること、
むなしく時を過ごしてしまうこと、

とあり(仝上)、

蹉跎歳月(さたさいげつ)、

という四字熟語もある(四字熟語辞典)。

蹉跎、

は、「楚辞」九懐に、

楚辞曰、驥垂雨耳兮、中阪蹉跎、

とあり、西京賦薛綜注に、

廣雅曰。蹉跎、失足也、

とある(和名類聚抄)ように、

顛躓、

と同義で、

つまづく、
足を失ひたふる、

意だが(字源)、転じて、

欲自修而年已蹉跎(晉書・周處傳)、

と、

時機を失う、

意となり、さらに、それを敷衍して、冒頭のように、

蹉跎白髪年、

と、

不幸せにて志を得ず、

の意で使われる(字源)。

蹉跎白髪(さたはくはつ)、

は同義になり、

翫歳愒日(がんさいけいじつ)、
無為徒食(むいとしょく)、

も類似の意味になる(仝上)。

翫歳愒日(がんさいけいじつ)、

の、

「翫」と「愒」はどちらも貪(むさぼ)る、

という意味で、「春秋左氏伝」昭公元年が出典、

歳を翫(むさぼ)り日を愒(むさぼ)る、

とも訓読し、

人々を治める者が行ってはならないことを述べたもの、

とある(仝上)。

無為徒食(むいとしょく)、

の、

「無為」は何もしないこと、「徒食」は働かないで食べること、

で、

何もしないでただ過ごすこと、

の意となり、少し意味がずれる。むしろ、

酔生夢死(すいせいむし)、
飽食終日(ほうしょくしゅうじつ)、
遊生夢死(ゆうせいむし)、

が似た意味になり、

走尸行肉(そうしこうにく)、

というと、

走る屍骸と歩く肉、

という意味で、

生きていても役に立たない人、

と、人を侮蔑するときに使う(仝上)。

「蹉」.gif

(「蹉」 https://kakijun.jp/page/E741200.htmlより)

「蹉」(サ)は、

会意兼形声。「足+音符差(ちぐはぐ、くいちがう)」

とあり(漢字源)、「蹉跌」というように、躓く意であり、賓客不得蹉(賓客は蹉するを得ず)と、やり過ごす意、である。

「跎」.gif


「跎」(タ、ダ)は、餘り辞書に載らず、やはり、躓く意である。徒然草に、

日暮れて塗(みち 途)遠し。吾が生已に蹉跎(さだ)たり。諸縁を放下(ほうげ)すべき時なり、

と使われている。この元は、唐書・白居易傳にある詩「念佛偈」らしい。それは、

餘年七十一 不復事吟哦
看經費眼力 作福畏奔波
何以度心眼 一聲阿彌陀
行也阿彌陀 坐也阿彌陀
縱饒忙似箭 不廢阿彌陀
日暮而途遠 吾生已嗟跎
但夕清淨心 但念阿彌陀
達人應笑我 多卻阿彌陀
達又作麼生 不達又如何
普勸法界眾(衆) 同念阿彌陀

とあるものらしいのだが、

日暮れて塗(みち)遠し、

のフレーズは、

年を取ってしまったのに、まだ目的を達するまでには程遠いたとえ、

として、

日暮れて塗(みち)遠し。われ、故に倒行(とうこう)してこれを逆施(ぎゃくし)するのみ

と、「史記」伍子胥伝にある(デジタル大辞泉)。

参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
簡野道明『字源』(角川書店)

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2024年06月16日

羨魚情


坐観垂釣者(坐(そぞ)ろ釣りを垂るる者を観ては)
徒有羨魚情(徒らに魚を羨むの情有り)(孟浩然・臨洞庭上張丞相)

の、

羨魚情(せんぎょのじょう)、

は、

魚を欲しがる気持ち、

とある(前野直彬注解『唐詩選』)。

「漢書」董仲舒(とうちゅうじょ)伝に、

淵に臨んで魚を羨むば、退いて網を結ぶに如かず、

とあるのに拠る。

希望ばかりしているよりは、その希望がかなえられるように、自分で行動すべきだという教え、

とある(仝上)。淮南王劉安(紀元前179~122年)が編纂させた思想書『淮南子(えなんじ)』に、

臨河而羨魚(河に臨んで魚を羨む)、

とあるが、前漢・武帝の時代なので、80年ころ成立の『漢書(かんじょ)』(前漢書)より、こちらのが古いようだ。

羨魚情、

は、

臨淵羨魚(りんえんせんぎょ)、

と、四字熟語となっており、上記漢書の、

臨淵而羨魚、不如退而結網(淵に臨んで魚を羨む、退いて網を結ふに如かず)

にもとづき、

池のそばに立ってのぞきこんでいるだけでは、魚は手に入らないので、家に帰って網を作れ、

という意から(学研四字熟語辞典)、

願望を達成するには有効な手段を考えるべきだ、

という意とある(仝上)。

臨河而羨魚、

も、

臨河羨魚、

となる。他に、

臨淵之羨(りんえんのせん)、
羨魚結網(せんぎょけつもう)、
臨淵之羨(りんえんのせん)、
臨河羨魚(りんがせんぎょ)、

という四字熟語になっている。

「臨」.gif

(「臨」 https://kakijun.jp/page/1828200.htmlより)

「臨」(リン)は、「莅む」で触れたように、

会意。臣は、下に伏せてうつむいた目を描いた象形文字。臨は「臣(ふせ目)+人+いろいろな品」で、人が高いところから下方の物を見下ろすことを示す、

とある(漢字源)。別に、

形声。意符臥(ふせる)と、音符品(ヒム)→(リム)とから成る。物をよく見定める意を表す。転じて「のぞむ」意に用いる、

とも(角川新字源)、

会意文字です(臥+品)。「しっかり見開いた目」の象形と「のぞきこむ人」の象形と「とりどりの個性を持つ品」の象形から、とりどりの個性を持つ品をのぞき込む事を意味し、そこから、「のぞむ」、「みおろす」を意味する「臨」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1072.html

「羨」.gif


「羨」(①漢音セン・呉音ゼン、②漢音呉音エン・慣用セン)は、

会意文字。「羊+よだれ」で、いいものをみてよだれを長く垂らすこと。羊はうまいもの、よいものをあらわす、

とあり(漢字源)、「臨河而羨魚」の、「うらやむ」意や、以羨補不足(羨(あま)れるを以て足らざるを補う)の、「あまる」の意の場合は、①の発音、「羨道(エンドウ)」の、墓の入口から墓室へ通じる長く伸びた地下道の意の場合は、②の発音、とある(仝上)。別に、

会意形声。羊と、㳄(セン)(よだれを流す)とから成り、羊の肉などのごちそうに誘発されてよだれを流す、ひいて「うらやむ」意を表す(角川新字源)、

会意兼形声文字です(羊+次)。「羊の首」の象形(「羊」の意味)と「流れる水の象形と人が口を開けている象形」(「口を開けた人の水「よだれ」の意味)から、羊のごちそうを見て、よだれを流す事を意味し、そこから、「うらやむ」、「うらやましい」を意味する「羨」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2179.html

も、会意兼形声文字とするが、これを否定し、

かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、

として、

形声。「羊」+音符「㳄 /*LAN/」、

と、形声文字とする説https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%BE%A8もある。

参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2024年06月17日

折楊柳(せつようりゅう)


遺却珊瑚鞭(遺却(いきゃく)す 珊瑚(さんご)の鞭)
白馬驕不行(白馬(はくば)驕(おご)りて 行(ゆ)かず)
章台折楊柳(章台(しょうだい) 楊柳(ようりゅう)を折る)
春日路傍情(春日(しゅんじつ)路傍の情)(崔国輔・長楽少年行)

の、

章台、

は、唐詩では、

遊里の代名詞、

のように使い(前野直彬注解『唐詩選』)、

折楊柳、

は、

揚柳の枝を折って鞭のかわりとする、

意味だが、唐詩では、

楊柳の枝を折る、

というと、

思う人との別れに際して形見に送る、

とか、または、

女を男になびかせる

とかの意味がある(仝上)とあり、ここでは、

次の句と結んで、後者の意味を言外にこめ、路傍の人に向かっておこしたあだし心をあらわしていると考えられよう、

との注釈がある(仝上)。別に、

折楊柳、

には、

遊女を相手に遊ぶ、

という意味もある(https://mausebengel.blog.fc2.com/blog-entry-571.html)とある。この詩自体、

白馬にまたがった貴公子がこれから遊里に繰り込もうとする説、
貴公子が遊里をぞめきながら、左右の妓女たちに戯れている説、
思う女のもとを立ち出でた貴公子が道端の娘にふと心を動かしたとする説、

等々があり、確定していない、とあり(前野直彬注解『唐詩選』)、また、

珊瑚鞭を忘れてしまい、遊郭であそぶしかないとする説、

まであるhttps://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900034364/KJ00004164468.pdf)。注釈者は、

読者の想像力にまかせて、ただ春の日の色町の雰囲気を、美しく歌い上げた、

と解釈している(前野直彬注解『唐詩選』)。この詩は、いろんな意味で、有名で、たとえば、山東京伝が、北尾政演(きたおまさのぶ)という画名描いた、浮世絵に『吉原傾城新美人合自筆鏡』(天明四(1784)年)がある。当時評判だった遊女の姿を描いているが、他は自作の歌を書いているが、松葉屋の瀬川は崔国輔の詩「長楽少年行」の後半を書いている。

北尾政演作「吉原傾城新美人合自筆鏡」.jpg

(「吉原傾城新美人合自筆鏡」(北尾政演)  http://torinakukoesu.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-c6d0.htmlより)

また、吉増剛造は、自分の詩の中で、

涙ぐんで長安をおもい
唐詩をくちずさむ
珊瑚ノ鞭ヲ遺却スレバ、白馬驕リテ行カズ
章台楊柳ヲ折ル、春日路傍ノ情(疾走詩篇)

と、この詩の一節を写している。

楊柳、

とは、

楊はカワヤナギ、柳はシダレヤナギ、

の意(広辞苑・字源)で、

昔我往矣、楊柳依依、今我来思、雨雪霏霏(詩経・小雅)、

と、

柳、

を指す。

カワヤナギ(川柳)、

は、

川のほとりにある柳、

で、ふつう、

ネコヤナギ、

をいい(精選版日本国語大辞典)、

シダレヤナギ(枝垂柳)、

は、

イトヤナギ(糸柳)、
ジスリヤナギ、

などの別名がありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%80%E3%83%AC%E3%83%A4%E3%83%8A%E3%82%AE、ふつう、

柳、

というと、これを指す。

シダレヤナギ.jpg



ネコヤナギ.jpg

(ネコヤナギ デジタル大辞泉より)

そして、一般に、

柳を折る、

というと、昔、中国で、

柳の枝を折って旅に出発する人を見送った、

ことから、

旅に出発する人を見送る、

ことを意味する(デジタル大辞泉・ことわざ辞典)。もともと、

早春の寒食や清明などの節日には、家々では競って柳の枝を買って門や軒端に挿し、あるいは枝を髪に結んだり輪にして頭にいただいたりした、

とあり、これに類するのが、

折楊柳、

の習俗で、

親戚知友が遠方に旅立つときには、城外まで見送り、水辺の柳の枝を折り取り環(わ)の形に結んで贈った。〈環〉は〈還〉で、旅人の無事帰還を祈る意味とされているが、実際には日本の魂(たま)むすびの古俗と同じく、旅人が旅に疲れて魂を失散させないよう、しっかりとつなぎとめる意味であった、

とある(世界大百科事典)。また、山口素堂の、

弱笠痩節寄一身(弱笠痩飾に一身を寄す)
離鍵回首悩吟身(離莚回首して吟身を悩ます)
河邊楊棚無由折(河邊の楊柳折るに由し無し)
早動翠條迎老身(早く翠條を動かして老身を迎ふ)、

の、

楊柳折る、

について、六朝時代の地誌『三輔黄図』を参考にすれば、

漠代、長安の人が客を送って鰯橋に至り―長安の東にあった―春の柳の枝を折って環に結んで別れる慣わしがあった、

とある(黄東遠「山口素堂の漢詩文の特色について」)。それが漢詩に反映され、

折楊柳、

といえば、

悲しみを思い起こさせる「送別」、

または、

六朝・唐の詩人たちに歌われた「送別を奏する曲」、

に転じていく(仝上)、とある。

送別の歌、

と、

女性を靡かせる手段、

との関係がよく見えないが、

旅人が旅に疲れて魂を失散させないよう、しっかりとつなぎとめる、

というかつての習慣の意味が、

思い人をつなぎとめる、

意味に変じた、ということのようだ。

参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
黄東遠「山口素堂の漢詩文の特色について」https://core.ac.uk/download/56630493.pdf

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2024年06月18日

てしか


あな恋し今も見てしか山がつの垣ほに咲ける大和なでしこ(古今和歌集)、

の、

山がつ、

は、

山住みの人、

の意で、多く、

身分低く賤しい者の扱い、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

てしか、

は、

希望を表す、

とある(仝上)。

てしか、

は、奈良時代は、

竜(たつ)の馬(ま)も今も得てしか(弖之可)あをによし奈良の都に行きて来むため(万葉集)、

と清音だが、平安時代以降、

てしが、

と濁音化、

完了の助動詞ツの連用形テに、回想の助動詞キの已然形シカのついたものが原形、

であるが、平安時代以後濁音化して、

てしが、

となると、

シは回想の助動詞キの連体形、ガは願望の助動詞とみられるようになった、

とあり(岩波古語辞典)、

(不可能だが)もしそれが可能なら……したい、
……したいものだ、

の意で使われる(仝上)。助動詞、

き、

は、

終止形 連体形 已然形
き  し しか

だけの活用をもつ(「き」の未然形として「せ」を認める説もあるが、これは動詞「す」の未然形とする説もあって確定していない)(仝上)。意味は、

香具山と耳梨山とあひ之(シ)時立ちて見に来之(シ)印南国原(いなみくにはら)(万葉集)、

と、

話し手の直接に見聞したことを表わす場合、話している時点からみて、その出来事が現在から切り離された過去の事実であること、

を表わし、和歌や会話文に用いられ、

かく上る人々の中に、京より下りし時に、みな人、子どもなかりき(土佐日記)、

と、

語り手が直接見聞した以外のことも表わす場合、物語の現段階からみて、ある出来事がそれより以前に起こったこと、

を表わし、物語・日記・随筆などの地の文に用いられる(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。

てしか、

に、詠嘆の助詞、

も、

のついた、

なかなかに人にあらずは酒壺(さかつぼ)になりにてしかも酒に染みなむ(万葉集)、

という、

てしかも、

も、主に奈良時代に使われた(大辞林)が、平安時代以降は、終助詞(感動の助詞ともある)、

な、

のついた、

みみなしの山のくちなし得てしかな思ひ色の下染(したそめ)にせむ(古今和歌集)、

という、

てしかな、

がつかわれ、これも、後に、

てしがな、

と濁音化したが、

……したいものだなあ、
……してしまいたいものだ、

と、

詠嘆の意を込めた願望、

を表した(仝上・デジタル大辞泉・岩波古語辞典)。つまり、

てしか→てしが→てしかも→てしかな→てしがな、

と変化していったことになる。

助動詞、

き、

は、連用形を承けるが、カ変動詞・サ変動詞につく場合は、接続上特殊な変化があり、

カ変は「こし」「こしか」「きし」「きしか」、サ変には、「せし」「せしか」「しき」となる、

とある(岩波古語辞典)。ただ、

「きし」は「きし方かた」、
「きしか」は「着しか」の掛け詞としたもの、

だけであるところから、「きし」を動詞「く(来)」の連用形に、完了の助動詞「ぬ」の連用形、過去の助動詞「き」の連体形の付いた「きにし」の音変化「きんし(じ)」の撥音無表記であるとして、カ変動詞の連用形からの接続を認めないという説もある(デジタル大辞泉)。

なお、同じ過去を表現する、

けり、

との違いについて、

存在態の「あり」を含む「けり」に対して、「あり」を含まない「き」は、出来事が時間的にへだたって存在し、目の前にないことを表わす、

とある(精選版日本国語大辞典)。

然、


とあてる、

しか、

については、「しか」で触れた。

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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2024年06月19日

布衣


尚有綈袍贈(尚お綈袍(ていほう)の贈有り)
應憐范叔寒(應(まさ)に范叔(はんしゅく)の寒を憐みしなり)
不知天下士(天下の士たるを知らずして)
猶作布衣看(猶お布衣(ふい)の看(かん)を作(な)せり)(高適・詠史)

の、

范叔、

は、「史記」范睢蔡澤列傳に、

睢者、魏人也、字叔、

とあり、

范睢(はんしょ)、

のこと、

天下士、

とは、

一国一城にとどまらず、天下全体を対象とするほどの才能を持った士、

のことで、ここでは、

范睢、

を指す(前野直彬注解『唐詩選』)。この詩は、「史記」范睢蔡澤列傳の次のような史実をうたっている(仝上)。つまり、

戦国時代の范睢は魏の大夫須賈(しゅこ)に仕えたが、その供をして斉へ行ったとき、斉王が范睢の弁舌に感じて黄金などを与えたのを、須賈は范が斉王に内通したと疑い、帰国後宰相にその旨を告げ、過酷な刑に処した(史記には、「使舍人笞擊睢、折脅摺齒、睢詳死、即卷以簀、置廁中」とある)。范は、辛うじて逃げ出し、変名して秦に仕え、宰相に至った。そこへ須が使者に来たので、范はわざとみすぼらしい身なりをし、会いに行ったところ、須は寒いだろうと同情して、綈袍(綿入れの上着)をめぐんだ。その後、須は宰相を訪問し、范であることを知って驚き、謝罪すると、范は綈袍をくれたのは昔なじみを思う心がまだ残っていた証拠だといって、須を許した、

という(仝上)。このエピソードから、

綈袍恋恋(ていほうれんれん)、

という熟語ができ、

友情のあついこと、また友情の変わらないことのたとえ、

として使う(デジタル大辞泉)。史記には、須賈が范叔に綈袍をめぐむところを、

范叔一寒如此哉、乃取其一綈袍以賜之

と記し、

范叔一寒此の如きか、

といったことが、上記詩の、

應憐范叔寒、

の意味である。なお、「史記」范睢蔡澤列傳は、https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%8F%B2%E8%A8%98/%E5%8D%B7079に詳しい。

布衣(ふい)、

は、

葛や麻などで織った着物、

をいい(前野直彬注解『唐詩選』)、

これを着るのは無位無官の人、

なので、

布衣、

は、

平民、

を意味する(仝上)。

布衣(フイ・ホイ)、

は(フは呉音、ホは漢音)、

王蠋布衣也(史記・田単傳)、

と、

官位なき人、

の意だが、古えは、

庶人は布を衣る、故に云ふ、

とある(字源)。

布、

は、

綿布、
麻布、

など、植物の繊維にて織りたるもの、

をいう(仝上)。で、

布衣之位、

というと、

賤しき身分、

布衣之友、

というと、

身分地位に関せずして交わる友、

の意味になる(仝上)。

布衣、

より起こって天下を統一した人物として、

漢の高祖、
明の洪武帝、

が例に挙げられるが、「史記」高祖紀に、

高祖之れを嫚罵(まんば)して曰く、吾(われ)布衣を以て、三尺の劍を提げて天下を取る。此れ天命に非ずや。命は乃ち天に在り。扁鵲(へんじやく)と雖も何ぞ益あらんと、

とある(字通)。日本でも、色葉字類抄(1177~81)に、

布衣 ホイ、ホウイ、

とあり、

庶民の着用する麻布製の衣服、

を指し(広辞苑)、

官服、

に対して、

平服、

を言い、

朝服、

に対して、

常着、

を言い、

それを着ている者、
その身分、

を言うので、転じて、

平民、

をさす(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。平安時代以降、

麻布製の狩衣の総称、

として使う(広辞苑)のは、古く、

狩衣、

は、

布製のため、

布衫(ふさん)、

とも言われ、

布衣(ほうい)、

と呼ばれたためである(有職故実図典)。が、次第に、絹・綾・織物の類を用いて、華麗に仕立てられるようになっても、なお、布衣の名は残ったが、江戸時代、上皇が初めて狩衣を着用するのを、

布衣始(ほういはじめ)、

という(とある)。ただ、普通は、地質は絹でも、織模様のある高級な有文ものを、

狩衣、

無地の狩衣を、

布衣、

と区別し(仝上)、後者は、

布衣、

を、

ふい、

と訓ませ(世界大百科事典)、

六位以下の服なれば、転じて、六位以下の官人の称、

ともなり(字源)、武家では、

無位無官の幕臣、諸大名の家士が着用した、

とある(広辞苑)。

布衣.bmp

(布衣 精選版日本国語大辞典より)

「狩衣」は「水干」で触れたように、奈良時代から平安時代初期にかけて用いられた襖(あお)を原型としたものであり、

両腋(わき)のあいた仕立ての闕腋(けってき 両わきの下を縫い合わせないであけておく)であるが、袍(ほう)の身頃(みごろ)が二幅(ふたの)でつくられているのに対して、狩衣は身頃が一幅(ひとの)で身幅が狭いため、袖(そで)を後ろ身頃にわずかに縫い付け、肩から前身頃にかけてあけたままの仕立て方、

となっている(日本大百科全書)。平安時代後期になると絹織物製の狩衣も使われ、布(麻)製のものを、

布衣(ほい)、

と呼ぶようになり、

狩衣は、上皇、親王、諸臣の殿上人(てんじょうびと)以上、

が用い、

地下(じげ 昇殿することを許されていない官人)、

は、

布衣、

を着た。狩衣姿で参内することはできなかったが、院参(院の御所へ勤番)は許されていた(岩波古語辞典)、とある。

ただ、近世では、上述したように、有文の裏打ちを、

狩衣、

とよび、無文の裏無しを、

布衣、

とよんで区別した(デジタル大辞泉・広辞苑)。「襖」は、「束帯」の盤領(まるえり)の上着のうち、武官用の、

闕腋(けってき)の袍、

である、

襴(らん)がなく袖から下両腋を縫わないで開け、動きやすくした袍、

をいう。令義解(718)に、「襖」は、

謂無襴之衣也、

と、

左右の腋を開け拡げているために、

襖、

というが、「襖」を、

狩衣、

の意とするのは、野外狩猟用に際して着用したので、

狩衣が、

狩襖(かりあお)、

といったため、「狩」が略されて、「襖」と呼んだためである(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。

狩衣姿.gif

(「狩衣」 1.立烏帽子たてえぼし、2.単ひとえ、3.狩衣かりぎぬ、4.狩衣の当(宛あて)帯おび、5.狩衣の袖括(そでぐくり)の紐、6.指貫(さしぬき 奴袴 ぬばかま)、7.蝙蝠(かわほり 扇) https://costume.iz2.or.jp/costume/295.htmlより)

狩衣姿の構成は、

烏帽子、
狩衣、
当帯(あておび 腰に帯を当てて前に回し、前身(衣服の身頃のうち、前の部分)を繰り上げて結ぶ)、
衣(きぬ 上着と肌着(装束の下に着る白絹の下着)との間に着た、袿(うちき)や衵(あこめ)など)、
単(ひとえ 肌着として用いた裏のない単衣(ひとえぎぬ)の略。平安末期に小袖肌着を着用するようになると、その上に重ねて着た)、
指貫(さしぬき)、
下袴(したばかま)、
扇、
帖紙(じょうし 畳紙(たとうがみ)、懐紙の意)、
浅沓(あさぐつ)、

とされている(有職故実図典)が、晴れの姿ではない通常は、衣、単は省略する(有職故実図典)。色目は自由で好みによるが、当色以外のものを用い、袷の場合は表地と裏地の組合せによる襲(かさね)色目とした。

なお、「素襖」「直垂」「大門」などについては「素襖」で、「水干」「狩衣」については「衣冠束帯」で触れた。

「布」.gif

(「布」 https://kakijun.jp/page/0557200.htmlより)

「布」 金文・西周.png

(「布」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B8%83より)

「布」(漢音ホ、呉音フ)は、

形声。もと「巾(ぬの)+音符父」で、平らに伸ばして、ぴたりと表面につくぬののこと、

とある(漢字源・角川新字源・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B8%83)。別に、

会意兼形声文字です(ナ(父)+巾)。「木づちを手にする」象形と「頭に巻く布にひもをつけて帯にさしこむ」象形から、木づちでたたいてやわらかくした、「ぬの」を意味する「布」という漢字が成り立ちました。また、「敷(フ)」に通じ(同じ読みを持つ「敷」と同じ意味を持つようになって)、「しく」の意味も表すようになりました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji799.html。なお、別に、

形声、古い字形は父に従い、父(ふ)声。『説文解字』に「枲(あさ)の織(おりもの)なり」とあって、ぬの。木綿が作られる以前は、麻布・褐布が普通であった。蚕は卜文にみえ、また金文に「毳布(ぜいふ)」の名がみえるが、みな富貴の人の用いるもので、のちの世になっても、布衣とは身分のないものをいう。布衣は粗衣、わが国では「ほい」とよむ。敷(ふ)と通用する、

とある(字通)。

「衣」.gif


「衣」(漢音イ、呉音エ)は、「衣手」で触れたように、

象形。うしろのえりをたて、前野えりもとをあわせて、肌を隠した着物の襟の部分を描いたもの、

とある(漢字源)。別に、

象形。胸元を合わせた上衣を象るhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A1%A3
象形。衣服のえりもとの形にかたどり、「ころも」の意を表す(角川新字源)、
象形文字です。「身体に着る衣服のえりもと」の象形から「ころも」を意味する「衣」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji616.html

とあり、「えり」を示していたことは共通している。

参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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2024年06月20日

もがな


ありはてぬ命待つ間のほどばかりうき事繁く思はずもがな(古今和歌集)、
わがごとくわれを思はむ人もがなさてもやうきと世をこころみむ(古今和歌集)、

の、

もがな、

は、

……があれば(であれば)よい、

という願望を表す助動詞(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』、高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)とあるが、

もがな、

は、

終助詞「もが」+終助詞「な」、

で、奈良時代の、

もがも、

の転、

もがも、

は、

終助詞「もが」+終助詞「も」、

で、

終助詞モガに更にモを後に加えた語、

で(岩波古語辞典)、

(終)助詞、

とされ(仝上・広辞苑・デジタル大辞泉)。

体言、形容詞の連用形、副詞などの連用部分につき、その受ける語句が話し手の願望の対象であること、

を表し(広辞苑)、

君が行く道の長手を繰りたたね焼き亡ぼさむ天の火もがも(万葉集)、

と、

……が欲しい、

意や、

天橋(あまはし)も長くもがも高山(たかやま)も高くもがも月(つく)夜見の持てるをち(變若)水い取り来て君に奉(まつ)りてをち(變若)得てしかも(万葉集)、

と、

……でありたい、

意で使う(仝上)。この、

もがも、

が、平安時代、終助詞の、

モ、

が、

ナ、

に代えられて使われ、

末において体言・形容詞や打消および断定の助動詞の連用形・格助詞「へ」などを受け、その受ける語句が話し手の願望の対象であること、

を表わし(精選版日本国語大辞典・広辞苑)、

かくしつつとにもかくにも永らへて君が八千代にあふよしもがな(古今和歌集)、

と、

……が欲しい、

意や、

世の中にさらぬ別れのなくもがな千代(ちよ)もと祈る人の子のため(古今和歌集)、

と、

……でありたい、

意で使う(岩波古語辞典)。成立に関しては一般に、

願望を表わす「もが」に感動を表わす「な」の付いたもの、

とするが、中古、

もがな、

が、

も哉、

とも表記されたこと、また、

をがな、

の形、さらには、

がな、

の形も用いられていることなどから、当時「も‐がな」の分析意識があったと推測される(精選版日本国語大辞典)とある。

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:もがな もがも
posted by Toshi at 03:01| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする