しのぶれど恋しき時はあしひきの山より月の出でてこそ來れ(古今和歌集)、
の、
あしひきの、
は、
山にかかる枕詞、
である(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。
阿志比紀能(アシヒキノ)山田を作り山高み下樋(したび)を走(わし)せ(古事記)、
けふのためと思ひて標(しめ)し足引乃(あしひきノ)峰(を)の上(へ)の桜かく咲きにけり(万葉集)、
あしひきの山より出づる月待つと人にはいひて妹待つ我を(万葉集)
などと、奈良時代は、
あしひきの、
と清音、後に、
あしびきの、
と濁音化、
あしひきの、
の、
キ、
は、
kï、
の音の仮名で、
あしひきの、
は、
足引の、
と当てるが、
四段活用の引きではなく、ひきつる意を表す上二段活用の「ひき」であろう、
とある(岩波古語辞典)。平安時代の歌人たちは、
アシヒキのアシを「葦」の意に解していたらしい、
とある(仝上)。枕詞として、
「山」および「山」を含む熟合語、「山」と類義語である「峰(を)」などにかかる、
が(精選版日本国語大辞典)、
語義、かかりかた未詳、
とある(仝上)。
あしひきの、
の由来については、諸説あり、
「ヒ」の母交[iu]を想定してアシフキ(葦葺き)としただけですぐに解ける。〈茅屋(かかや)ども、葦葺ける廊(らう)めく屋(や)などをかしうしつらひなしたり〉(源氏物語)とあるが、アシフキノヤ(葦葺きの屋)をヤマと言い続けて「山」の枕詞としたものであるが、いつしかアシヒキ(足引)に母交をとげたのであった(日本語の語源)、
国土創造の時、神々が葦を引いた跡が川となり、捨てた所が山となったので、葦引きの山という(古今集註)、
古くはヤの音を起こす枕詞らしく、アシフキノヤ(葦葺屋)か、馬酔木の木から山を連想したとする説(豊田八千代)は参考すべき説(万葉集講義=折口信夫)、
という説は、上述の平安時代の解釈をもとにしており、音韻からも、ちょっといただけない気がする。
「あしびきの」で触れたように、
平安時代のアクセントからは、「葦」と理解すべきとの指摘もある、
万葉初期では、「き」が「木」と表記される例もあり、その表記には、植物のイメージがあるかも知れない、
などととし(http://k-amc.kokugakuin.ac.jp/DM/detail.do?class_name=col_dsg&data_id=68193)、「あし」が「葦」と重なる例として、石川郎女が大伴田主に贈った歌を挙げ、
我が聞きし耳によく似る葦の末(うれ)の足ひく我が背(せ)つとめ給(た)ぶべし、
で、
足の悪い田主を「葦の末の足ひく我が背」と、足をひきずる様子が柔らかく腰のない葦の葉に喩えられている、
としている(仝上)。しかし、これは「足」を「葦」と解釈した故で、先後が違う気がする。
推古天皇が狩りをしていた時、山路で足を痛め足を引いて歩いた故事から(和歌色葉)、
天竺の一角仙人は脚が鹿と同じだったので、大雨の山中で倒れて、足を引きながら歩いた故事から(仝上)、
国土が固まらなかった太古に、人間が泥土に足を取られて山へ登り降りするさまが脚を引くようであったから(仝上)、
大友皇子に射られた白鹿が足を引いて梢を奔った故事から(古今集注)、
アシヒキキノ(足引城之)の意。足は山の脚、引は引き延ばした意、城は山をいう(古事記伝)、
足敷山の轉。敷山は裾野の意(唔語・和訓栞)、
足を引きずりながら山を登る意(デジタル大辞泉)、
「ひき」は「引き」ではなく、足痛(あしひ)く「ひき」か(広辞苑)、
『医心方』に「脚気攀(あしなへ)不能行」を「攣」をアシナヘともヒキとも訓ませた(岩波古語辞典)、
等々は、「引く」説、他に、
冠辞考に、生繁木(オヒシミキ)の約轉と云へり(織衣(おりきぬ)、ありぎぬ。贖物(あがひもの)、あがもの。黄子(きみ)、きび)、上古の山々は、樹木、自然に繁かりし故に、山にかかる、萬葉集「垣(かき)越しに犬呼び越して鳥猟(とがり)する君青山の繁き山辺(やくへ)に馬休め君 (柿本人麻呂)」。他に、語源説種々あれど、皆憶測なり(大言海)、
アオシゲリキ(青茂木)の約か(音幻論=幸田露伴)、
イカシヒキ(茂檜木)の意か(万葉集枕詞解)、
も同趣の主張になる。他に種々説があり、たとえば、
悪しき日來るの意、三方沙弥が山越えの時、大雪にあい道に迷った時、「あしひきの山べもしらずしらかしの枝もたわわに雪のふれれば」と詠じたところから(和歌色葉)、
アソビキ(遊処)の音便(日本古語大辞典=松岡静雄)、
アスイヒノキの意。アスは満たして置く義の動詞、イヒは飯、キは界限する義の動詞クから転じた名詞「廓(キ)」(続上代特殊仮名音義=森重敏)、
あはしひくいの(会はし引くいの)。「は」は消音化し「くい」が「き」になった。「あはし(会はし)」は「あひ(会ひ)」の尊敬表現。お会いになりの意。「い」は指示代名詞のそれ。古い時代、「それ」のように漠然とことやものを指し示す「い」があった。「お会ひになり引くそれの」のような意だが、お会いになり引くそれ、とは、お会いになり(私を)引くそれであり、それが山を意味する(https://ameblo.jp/gogen3000/entry-12447616732.html)、
等々がある。しかし、何れも理窟をこねすぎる。
語義、かかりかた未詳、
というところ(精選版日本国語大辞典)が妥当なのかもしれない。
(「足」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%B6%B3より)
「足」(①漢音ショク・呉音ソク、②漢音シュ・呉音ス)は、
象形。ひざからあし先までを描いたもので、関節がぐっと縮んで弾力をうみだすあし、
とあり(漢字源)、「跣足(せんそく)」、「鼎足(ていそく)」、「捷足」(しょうそく)」、「高足」、「過不足」、「充足」等々は①の発音、「足恭(そくきょう・しゅきょう)」の、「あまり……しすぎるほど」「十二分に」の意では②の発音となる(仝上)。
他に、
象形。ひざから足先の形。「あし」を意味する漢語{足 /*tsok/}を表す字、
も(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%B6%B3)、
象形。ひざの関節から下の部分の形にかたどる。ひざから足首までの部分の意を表す。借りて「たす」意に用いる、
も(角川新字源)、象形文字とするが、
指事文字です(口+止)。「人の胴体」の象形と「立ち止まる足」の象形から、「あし(人や動物のあし)」を意味する「足」という漢字が成り立ちました。また、本体にそなえるの意味から、「たす(添える、増す)」の意味も表すようになりました、
と(https://okjiten.jp/kanji14.html)、指示文字とする説もある。
参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95