乗興杳然迷出處(興に乗じては杳然として出処に迷い)
對君疑是泛虚舟(君に対して疑うらくは是れ虚舟を泛べしかと)(杜甫・題張氏隠居)
の、
虚舟、
は、
人の乗っていない舟、
の意で、「荘子」山木篇に、
舟で川をわたるとき、「虚舟」がきて衝突したのでは、短気な人でも怒りようがないとあるのにもとづく、
とある(前野直彬注解『唐詩選』)。
虚舟(きょしゅう)、
は、文字通り、
以忠信而済難、若乗虚舟以渉川也(易経)、
と、
からぶね(空船)、
つまり、
人の乗っていない舟、
の意だが、それをメタファに、
願早収綸旨、莫繋小僧虚舟之心(「本朝文粋(1060頃)」)、
と、
胸中になんのわだかまりもないたとえ、
で、
虚心、
の意でも使う(精選版日本国語大辞典)。
「荘子」山木篇にあるのは、
方舟而済于河、有虚船来触舟、雖有惼心之人不怒、
で、同じ趣旨の言葉が『淮南子』詮言訓(淮南王劉安(前179~前122)が招致した数千の賓客と方術の士に編纂された思想書)にも、
方船濟乎江、有虚舟従一方來、雖有忮心、必無怨色、
とあり、
虚舟舟に触るとも人怒らず、
ということわざとなっている。即ち、
無心の行為は、人の感情を害することはない、
と(故事ことわざの辞典)。同趣旨のことわざに、
怒気有る者も飄瓦は咎めずとて、身が達のやうな短気が軒下を通る時、屋根の瓦が落ちかかって、小鬢さきをいはされても、相手は瓦、ひとり腹は立てられまい、この譬がよい教訓(浄瑠璃「男作五雁金」)、
と、
怒気ある者も飄瓦(ひょうが)は咎めず、
というのがある(仝上)。荘子は、
方舟而濟於河、有虚船來觸舟、雖有惼心之人不怒、
に続いて、
有一人在其上、則呼張歙之、一呼而不聞、再呼而不聞、於是三呼邪、則必以惡聲隨之。向也不怒而今也怒、向也?而今也實。人能虚己以遊世、其孰能害之、
とあり、
ぶつかってきた舟に人が乗っているなら、その人は声をかける。一回声をかけても聞こえないなら、二度、三度目の声をかけ、今度は必ず、怒る。要は、虚心であれば、だれが害し得るか、という、
虚舟の喩、
である。ところで、この、
虚舟、
を、
うつろぶね、
と訓み、訛って、
うつお(ほ)ぶね、
というと、
かの変化(へんげ)のものをばうつせほぶねにいれて流されけるとぞきこえし(平家物語)、
と、
空舟、
とも当て、
大木をくり抜いて造った舟、
つまり、
丸木舟、
の意となる(広辞苑)。また、
うつろぶね、
は、江戸時代、享和三年(1803)2月22日、常陸国への漂着したという、今でいう、
未確認物体、
で、文政年間の「弘賢随筆」には、
うつろ舟の蛮女、
として、図が付されている(https://www.archives.go.jp/exhibition/digital/hyoryu/contents/12.html)。
(「うつろ舟」 (弘賢随筆) https://www.archives.go.jp/exhibition/digital/hyoryu/contents/12.htmlより)
後年に曲亭馬琴は、虚舟事件を扱う談話の1つとして兎園小説『虚舟の蛮女』を表したが、似た話は、各地にあり、柳田國男は論文「うつぼ舟の話」で「兎圓」は各地の伝説であり、実際事件ではないと断じた。「うつろ舟」については、https://www.city.joetsu.niigata.jp/soshiki/koubunsho/tenji32.htmlやhttps://web-mu.jp/history/12733/等々が詳しい。
「虚(虛)」(漢音キョ、呉音コ)は、「虚空無性」で触れたように、
形声。丘(キュウ)は、両側におかがあり、中央にくぼんだ空地のあるさま。虚(キョ)は「丘の原字(くぼみ)+音符虍(コ)」。虍(とら)とは直接関係がない、
とあり(漢字源)、呉音コは「虚空」「虚無僧」のような場合にしか用いない、ともある。別に、
形声。意符丘(=。おか)と、音符虍(コ→キヨ)とから成る。神霊が舞い降りる大きなおかの意を表す。「墟(キヨ)」の原字。借りて「むなしい」意に用いる、
とも(角川新字源)、
形声文字です。「虎(とら)の頭」の象形(「虎」の意味だが、ここでは「巨」に通じ(「巨」と同じ意味を持つようになって)、「大きい」の意味)と「丘」の象形(「荒れ果てた都の跡、または墓地」の意味)から、「大きな丘」、「むなしい」を意味する「虚」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji1322.html)。
参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95