此地別燕丹(此の地 燕丹(えんたん)に別わかれしとき)
壯士髮衝冠(壮士 髪(はつ) 冠を衝けり)
昔時人已沒(昔時(せきじ) 人已に没し)
今日水猶寒(今日(こんにち) 水猶なお寒し)(駱賓王・易水送別)
の、
髪衝冠、
は、
怒髪冠(天)を衝く、
のたとえで知られる、
髪が逆立って、冠を押し上げる、
意で、
悲憤慷慨の極致に達した時の形容、
とある(前野直彬注解『唐詩選』)。
(樊於期の首級を持参した荊軻が秦王政を襲撃している https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%8A%E6%96%BC%E6%9C%9Fより)
戦国の末期、燕の太子丹は秦王(のちの始皇帝)に怨みを抱き、荊軻という剣客を送って暗殺させようとした。荊軻の出発にあたり、丹は臣下とともに喪服をつけ、易水のほとりで送別の宴を張ったが、そのとき荊軻が、
風蕭蕭兮易水寒(風蕭蕭として易水寒し)
壯士一去兮不復還(壯士一たび去って復た還(かえ)らず)
と詠ったので、人々はみな目を怒らせ、
髪尽(ことごと)く上りて冠を指した、
とある(仝上)。その場面は、「史記」卷八十六・刺客列傳第二十六に、
太子及賓客知其事者、皆白衣冠以送之。至易水之上、既祖、取道、高漸離撃筑、荊軻和而歌、爲變徴之聲、士皆垂涙涕。又前而爲歌曰 風蕭蕭兮易水寒、壯士一去兮不復還、復爲羽聲慷慨、士皆瞑目、髮盡上指冠。於是荊軻就車而去、終已不顧(太子及び賓客その事を知る者は、皆白衣冠を以つて之を送る。易水(えきすい)の上(ほとり)に至り、既に祖して、道を取る。高漸離(こうぜんり)筑を撃ち、荊軻、和して歌ひ、変徴(へんち)の聲(せい)を為す。士皆涙を垂れて涕泣す。又前(すす)みて歌を為(つく)りて曰く、風蕭蕭しょうしょうとして易水寒く、壮士一たび去りて復た還らず、と。復た羽聲(うせい)を為して慷慨す。士皆目を瞋(いか)らし、髮盡(ことごと)く上がりて冠を指す。是に於いて荊軻車に就きて去る。終に已に顧みず)
とある(http://from2ndfloor.qcweb.jp/classical_literature/keika1.html)。
怒髪冠(天)を衝く、
は、史記・藺相如(りんしょうじょ)傳に、
相如視秦王無意償趙城、乃前曰、璧有疵、請指示王、王授璧、相如因持璧却立倚柱、怒髪上衝冠、
とある。しかし、
怒髪上衝冠、
については、
怒にて句すべきを、古来誤読して怒を髪の形容詞とす、
とある(字源)。つまり、
怒、髪上衝冠、
で、本来、
冠を衝くほどの怒り、
という喩えだったという意味のようである。藺相如(りんしょうじょ)については、「刎頸の交わり」で触れた。
(秦の昭襄王に対する藺相如 http://chugokugo-script.net/rekishi/rinshoujo.htmlより)
なお、陶淵明に「詠荊軻」という詩がある(https://tao.hix05.com/Hinshi/hinshi03.html)。
燕丹善養士(燕丹善く士を養ひ)
志在報強秦(志は強秦に報ゆるに在り)
招集百夫良(百夫の良を招集し)
歳暮得荊卿(歳暮に荊卿を得たり)
君子死知己(君子 知己に死す)
提劍出燕京(劍を提げて燕京を出づ)
素驥鳴廣陌(素驥 廣陌に鳴き)
慷慨送我行(慷慨して我が行を送る)
雄髮指危冠(雄髮 危冠を指し)
猛氣衝長纓(猛氣 長纓を衝く)
飮餞易水上(飮餞す易水の上)
四座列群英(四座群英を列ぬ)
漸離撃悲筑(漸離 悲筑を撃ち)
宋意唱高聲(宋意 高聲に唱ふ)
蕭蕭哀風逝(蕭蕭として哀風逝き)
淡淡寒波生(淡淡として寒波生ず)
商音更流涕(商音に更に流涕し)
羽奏壯士驚(羽奏に壯士驚く)
心知去不歸(心に知る去りて歸らず)
且有後世名(且つは後世の名有らんと)
登車何時顧(車に登りては何れの時か顧みん)
飛蓋入秦庭(蓋を飛ばして秦庭に入る)
凌厲越萬里(凌厲として萬里を越え)
逶逶過千城(逶逶として千城を過ぐ)
圖窮事自至(圖窮まって事自から至り)
豪主正征營(豪主正に征營す)
惜哉劍術疏(惜しい哉劍術疏にして)
奇功遂不成(奇功遂に成らず)
其人雖已沒(其の人已に沒すると雖も)
千載有餘情(千載餘情有り)
なお、荊軻については、井波律子『中国侠客列伝』、司馬遷『史記列伝』で触れた。
参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
簡野道明『字源』(角川書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95