2024年06月12日

髪衝冠


此地別燕丹(此の地 燕丹(えんたん)に別わかれしとき)
壯士髮衝冠(壮士 髪(はつ) 冠を衝けり)
昔時人已沒(昔時(せきじ) 人已に没し)
今日水猶寒(今日(こんにち) 水猶なお寒し)(駱賓王・易水送別)

の、

髪衝冠、

は、

怒髪冠(天)を衝く、

のたとえで知られる、

髪が逆立って、冠を押し上げる、

意で、

悲憤慷慨の極致に達した時の形容、

とある(前野直彬注解『唐詩選』)。

樊於期の首級を持参した荊軻が秦王政を襲撃している.png

(樊於期の首級を持参した荊軻が秦王政を襲撃している https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%8A%E6%96%BC%E6%9C%9Fより)

戦国の末期、燕の太子丹は秦王(のちの始皇帝)に怨みを抱き、荊軻という剣客を送って暗殺させようとした。荊軻の出発にあたり、丹は臣下とともに喪服をつけ、易水のほとりで送別の宴を張ったが、そのとき荊軻が、

風蕭蕭兮易水寒(風蕭蕭として易水寒し)
壯士一去兮不復還(壯士一たび去って復た還(かえ)らず)

と詠ったので、人々はみな目を怒らせ、

髪尽(ことごと)く上りて冠を指した、

とある(仝上)。その場面は、「史記」卷八十六・刺客列傳第二十六に、

太子及賓客知其事者、皆白衣冠以送之。至易水之上、既祖、取道、高漸離撃筑、荊軻和而歌、爲變徴之聲、士皆垂涙涕。又前而爲歌曰 風蕭蕭兮易水寒、壯士一去兮不復還、復爲羽聲慷慨、士皆瞑目、髮盡上指冠。於是荊軻就車而去、終已不顧(太子及び賓客その事を知る者は、皆白衣冠を以つて之を送る。易水(えきすい)の上(ほとり)に至り、既に祖して、道を取る。高漸離(こうぜんり)筑を撃ち、荊軻、和して歌ひ、変徴(へんち)の聲(せい)を為す。士皆涙を垂れて涕泣す。又前(すす)みて歌を為(つく)りて曰く、風蕭蕭しょうしょうとして易水寒く、壮士一たび去りて復た還らず、と。復た羽聲(うせい)を為して慷慨す。士皆目を瞋(いか)らし、髮盡(ことごと)く上がりて冠を指す。是に於いて荊軻車に就きて去る。終に已に顧みず)

とあるhttp://from2ndfloor.qcweb.jp/classical_literature/keika1.html

怒髪冠(天)を衝く、

は、史記・藺相如(りんしょうじょ)傳に、

相如視秦王無意償趙城、乃前曰、璧有疵、請指示王、王授璧、相如因持璧却立倚柱、怒髪上衝冠、

とある。しかし、

怒髪上衝冠、

については、

怒にて句すべきを、古来誤読して怒を髪の形容詞とす、

とある(字源)。つまり、

怒、髪上衝冠、

で、本来、

冠を衝くほどの怒り、

という喩えだったという意味のようである。藺相如(りんしょうじょ)については、「刎頸の交わり」で触れた。

秦の昭襄王相手にする藺相如。.jpg

(秦の昭襄王に対する藺相如 http://chugokugo-script.net/rekishi/rinshoujo.htmlより)

なお、陶淵明に「詠荊軻」という詩があるhttps://tao.hix05.com/Hinshi/hinshi03.html

燕丹善養士(燕丹善く士を養ひ)
志在報強秦(志は強秦に報ゆるに在り)
招集百夫良(百夫の良を招集し)
歳暮得荊卿(歳暮に荊卿を得たり)
君子死知己(君子 知己に死す)
提劍出燕京(劍を提げて燕京を出づ)
素驥鳴廣陌(素驥 廣陌に鳴き)
慷慨送我行(慷慨して我が行を送る)

雄髮指危冠(雄髮 危冠を指し)
猛氣衝長纓(猛氣 長纓を衝く)
飮餞易水上(飮餞す易水の上)
四座列群英(四座群英を列ぬ)
漸離撃悲筑(漸離 悲筑を撃ち)
宋意唱高聲(宋意 高聲に唱ふ)
蕭蕭哀風逝(蕭蕭として哀風逝き)
淡淡寒波生(淡淡として寒波生ず)
商音更流涕(商音に更に流涕し)
羽奏壯士驚(羽奏に壯士驚く)
心知去不歸(心に知る去りて歸らず)
且有後世名(且つは後世の名有らんと)

登車何時顧(車に登りては何れの時か顧みん)
飛蓋入秦庭(蓋を飛ばして秦庭に入る)
凌厲越萬里(凌厲として萬里を越え)
逶逶過千城(逶逶として千城を過ぐ)
圖窮事自至(圖窮まって事自から至り)
豪主正征營(豪主正に征營す)
惜哉劍術疏(惜しい哉劍術疏にして)
奇功遂不成(奇功遂に成らず)
其人雖已沒(其の人已に沒すると雖も)
千載有餘情(千載餘情有り)

なお、荊軻については、井波律子『中国侠客列伝』、司馬遷『史記列伝』で触れた。

参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:26| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする