2024年06月14日

いさよひ


君や來むわれや行かむのいさよひに真木の板戸もささず寝にけり(古今和歌集)、

の、

真木、

は、

杉や檜など、固くて建築に適した木、

で(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)、

いさよひ、

は、

物事や行動が思うように進まないこと、転じて、なかなか出てこない十六夜の月をいう、ここは両方の意、

とある(仝上)。

いさよふ、

は、上代は清音だが、鎌倉時代以降、

いざよふ、

と濁音化するが、

山の端にいさよふ(不知世經)月の出でむかと我が待つ君が夜はくたちつつ(万葉集)、
もののふの八十氏河の網代木にいさよふ(不知代経)波の行方知らずも(万葉集)、

と、

(波・雲・月・心などが)ぐずぐずして早く進まない、
動かず停滞している、

意で使う(岩波古語辞典)。この名詞形、

いさよひ、

は、冒頭の歌のように、

ためらう、
いざよう、

意で使い、転じて、

(十六夜)月の出を早くと待っても、月がいざよふ、

という気持から、

はかなくも我よのふけをしらずしていさよふ月を待わたる哉(木工権頭為忠百首)、

と、

陰暦十六日夜の月、また、その夜、

の意となる(仝上)。で、

いざよふつき、

に(古くは「いさよう月」)、

猶予月、

とあてる(精選版日本国語大辞典)。

十六夜の月.jpg

(十六夜の月)

十六夜の月、

については「いざよい」で触れたように、

満月よりも遅く、ためらうようにでてくるのでいう、

とある(広辞苑)。大言海は、

日没より少し後れて出づるに因りて、躊躇(いさよ)ふと云ふなり。イサヨフは、唯、やすらふの意の語なれど、特に此の月に云ふなり。…和訓栞、いさよひ「ヨヒを、青に通ハシ云ふ也」。十七夜の月を立待の月と云ひ、十八夜の月をゐまち(居待)の月と云ふ、

とする。この、

いさよふ、

の語源は、岩波古語辞典が、

イサはイサ(否)・イサカヒ(諍)・イサヒ(叱)と同根。前進を抑制する意。ヨヒはタダヨヒ(漂)のヨヒに同じ、

とし、大言海が、

不知(いさ)の活用にて、否(イナ)の義に移り、否みて進まぬ意にてもあらむか。ヨフは、揺(うご)きて定まらぬ意の、助動詞の如きもの、タダヨフ(漂蕩)、モコヨフ(蜿蜒)の類、

とし、また、

いなと通へり。否の義なりと云へり(和訓栞)、

を引き、

萬葉集「不言(イナ)と言はむかも」の古写本に、不知に作れりと云ふ、同「不聴(イナ)と云へど」(不聴許の意)、此語は、清音にて、いさ知らず、と熟語となるべき語なり、さるに常に然(しか)言馴れては、終に下略して「いさ」とのみも云ふ、因りて、不知の字を、直ちに、「いさ」に用ゐるに至れり、足引きの山、ぬばたまの夜、なるを、足引きの(山の)木間(このま)、ぬばたまの(夜の)月、と云ふが如し、

としていて、微妙に違う。

「よひ」は、

ただよひ、
かがよひ、
もごよひ、

などの「よひ」で、動揺し、揺曳する意(岩波古語辞典)として、「いさ」は、

否、
不知、

と当て、

イサカヒ・イサチ・イサヒ・イサメ(禁)・イサヨヒなどと同根。相手に対する拒否・抑制の気持ちを表す、

とあり(仝上)、相手の言葉に対して、

さあ、いさ知らない、
さあ、いさわからない、

という使い方をしたり、「いや」「いやなに」「ええと」など、相手をはぐらかしたりするのに使う(岩波古語辞典)、とある。これだと、月が、

はぐらかしている、

という含意になる。どちらとも決めかねるが、個人的には、「はぐらかす」よりは、「出しぶる」意味の方がいいような気がするが、月を主体にすれば、「はぐらかす」になり、見る側からみれば「出しぶる」になるので、同じことと言えばいえる。別に、

「いさ」は感動詞「いさ」と同根。「よふ」は「ただよふ(漂)」などの「よふ」か、

とする説(日本語源大辞典)もある。「いさ」は、

さあ、

と人を誘うときや、自分が思い立った時、

の言葉だが(岩波古語辞典)、通常、

いざ、

と濁る。大言海は、この、

いさ、

に、

率、
去来、

と当て、

イは、発語、サは誘う声の、ささ(さあさあ)の、サなり。いざいざと重ねても云ふ。…発語を冠するによりて濁る。伊弉諾尊、誘ふのイザ、是なり。率の字は、ひきゐるにて、誘引する意。開花天皇の春日率川宮も、古事記には、伊邪川(いざかはの)宮とあり、

とする。そして、

「いさ」(不知)と「いざ」(率)と混ずべからず、

としている(大言海)。やはり、感嘆詞は、無理があるかもしれない。因みに、

いざ、

に、

去来、

と当てるのは、「帰去来」からきている。帰去来は、

かへんなむいざ、

と訓ませるが、

訓点の語、帰りなむ、いざの音便。仮名ナムは、完了の助動詞。來(ライ)の字にイザを充(あ)つ。來(ライ)は、助語にて、助語審象に「來者、誘而啓之之辞」など見ゆ(字典に「來、呼也」、周禮、春官「大祝來瞽」。來たれの義より、イザの意となる)。帰去来と云ふ熟語の訓点なれば、イザが語の下にあるなり。史記、帰去来辞(ききょらいのことば)、など夙(はや)くより教科書なれば、此訓語、普遍なりしと見えて、古くより上略して、去来の二字を、イザに充て用ゐられたり、

とある(大言海)。

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:23| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする