強欲登高去(強(し)いて登高(とうこう)し去らんと欲するも)
無人送酒來(人の酒を送り来(きた)るもの無し)
遙憐故園菊(遥かに憐(あわ)れむ故園の菊)
應傍戰場開(応(まさ)に戦場に傍(そ)うて開くべし)(岑参・行軍九日思長安故園)
の、
行軍、
は、
臨時の軍司令部、
九日、
は、
九日の節句、
つまり、五節句の一つである、
九月九日、
の、
重陽(ちょうよう)の節句、
を指す(前野直彬注解『唐詩選』)。
登高(とうこう)、
は、
重陽の節句の行事、
であり、
親しい人々が集まって山や丘に登り、そこで酒宴を開くことをいう、
とある(仝上)。だから、ここでの、重陽の節句に飲む、
酒、
は、
傲睨傾菊酒(傲睨(ごうげい)して菊酒を傾けたり)(蕭穎士・重陽日陪元魯山徳秀登北城曯)
とある、菊花を浮かべた、
菊酒(きくしゅ)、
で、
寿命を伸ばす力がある、
と言われた(仝上)。
登高、
は、文字通り、
君子之道、辟如自邇、辟如登高、必自卑(「礼記」中庸)、
と、
高いところに登ること、
の意味だが(字源・広辞苑)、特に、
陰暦九月九日、丘に登り、菊酒を飲む行事、
をいう(広辞苑)。唐代の『蒙求』に、
九月九日、汝家當有災厄、急宜去。令家人各作絳嚢盛茱萸以繋臂、登高山飮菊酒、此禍可消、景如言、擧家登高夕還、
とある。「重陽」で触れたように、九月九日の重陽(ちょうよう)の節句で、中国では、一族で丘に登るが、これを、
登高、
といい、
重陽、
は、
都城重九後一日宴賞、號小重陽(輦下歳時記)、
と、
重九(ちょうきゅう)、
ともいう(字源)。
歳往月來、忽復九月九日、九為陽數、而日月竝應、故曰重陽(魏文帝、輿鐘繇書)、
と、
陽數である、
九が重なる、
意である。これを吉日として、
茱萸(しゅゆ)を身に着け、菊酒を飲む習俗、
が漢代には定着し、五代以後は朝廷での飲宴の席で、
賦詩(詩などを吟詠する)、
が行なわれた(精選版日本国語大辞典)。「茱萸」(しゅゆ)は、
ごしゅゆ(呉茱萸)(または、「山茱萸(さんしゅゆ)」)の略、
とされ(精選版日本国語大辞典)、
呉茱萸、
は、古名、
からはじかみ(漢椒)、
結子五、六十顆、……状似山椒、而出于呉地、故名呉茱萸(本草一家言)、
とあり、中国の原産の、
ミカン科の落葉小高木、
で、古くから日本でも栽培。高さ約3メートル。茎・葉に軟毛を密生。葉は羽状複葉、対生。雌雄異株。初夏、緑白色の小花をつける。紫赤色の果実は香気と辛味があり、生薬として漢方で健胃・利尿・駆風・鎮痛剤に用いる、
とある(広辞苑)。
からはじかみ、
川薑(かわはじかみ)、
いたちき、
にせごしゅゆ、
ともいう(精選版日本国語大辞典)。
重陽宴、題云、観群臣佩茱萸(曹植‐浮萍篇)、
と、昔中国で、この日、
人々の髪に茱萸を挿んで邪気を払った、
あるいは、昔、重陽節句に、
呉茱萸の実を入れた赤い袋(茱萸嚢(しゅゆのう)、ぐみぶくろ)を邪気を払うために腕や柱などに懸けた、
ので、
茱萸節、
ともいうように、
茱萸、
を節物とした(大言海)。重陽節の由来は、梁の呉均(ごきん)著『続斉諧記』の、
後漢の有名な方士費長房は弟子の桓景(かんけい)にいった。9月9日、きっとお前の家では災いが生じる。家の者たちに茱萸を入れた袋をさげさせ、高いところに登り(登高)、菊酒を飲めば、この禍は避けることができる、と。桓景はその言葉に従って家族とともに登高し、夕方、家に帰ると、鶏や牛などが身代りに死んでいた、
との記事の逸話をもってするとある(世界大百科事典)。この逸話に、重陽節の。
登高、
茱萸、
菊酒、
の三要素が挙げられている。重陽節は、遅くとも3世紀前半の魏のころと考えられる(仝上)とある。呉茱萸は、重陽節ごろ、芳烈な赤い実が熟し、その一房を髪にさすと、邪気を避け、寒さよけになるという。その実を浮かべた茱萸酒は、菊の花を浮かべた略式の菊酒とともに、唐・宋時代、愛飲された(仝上)とある。呉自牧の『夢粱録』には、
陽九の厄(本来、世界の終末を意味する陰陽家の語)を消す、
とある(仝上)という。
こうした行事が日本にも伝わり、『日本書紀』武天皇十四年(685)九月甲辰朔壬子条に、
天皇宴于旧宮安殿之庭、是日、皇太子以下、至于忍壁皇子、賜布各有差、
とあるのが初見で、嵯峨天皇のときには、神泉苑に文人を召して詩を作り、宴が行われ、淳和天皇のときから紫宸殿で行われた(世界大百科事典)。
なお、五節句、
は、重陽で触れたように、
人日(じんじつ)(正月7日)、
上巳(じょうし)(3月3日)、
端午(たんご)(5月5日)、
七夕(しちせき)(7月7日)、
重陽(ちょうよう)(9月9日)、
をいう。
登高、
は、多くの詩人が歌っているが、たとえば、杜甫の「登高」という詩がある。
風急天高猿嘯哀
渚淸沙白鳥飛廻
無邊落木蕭蕭下
不盡長江滾滾來
萬里悲秋常作客
百年多病獨登臺
艱難苦恨繁霜鬢
潦倒新停濁酒杯(https://kanbun.info/syubu/toushisen217.html)
し、王維にも、「九月九日憶山東兄弟」という詩がある。
獨在異郷爲異客
毎逢佳節倍思親
遙知兄弟登高處
遍插茱萸少一人(https://kanbun.info/syubu/toushisen344.html)
(「登」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%99%BBより)
「登」(漢音呉音トウ、慣用ト)は、
会意文字。もと「癶(上に登る両足)+豆(たかつき、容器)+持ち上げている両手」。上にのぼる、上にあげる意を含む、
とある(漢字源)が、別に、
原字は「豆」+「𠬞」で、食器に盛られた食べ物を捧げるさまを象る。「すすめる」「ささげる」を意味する漢語{烝 /*təng/}を表す字。「登」はそれを音符にもつ形声文字で、「癶」は上方向に登っていく足の形。「のぼる」「あがる」を意味する漢語{登 /*təəng/}を表す字、
とする(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%99%BB)、形声文字説、
象形。ふみ台に乗って車にのぼる形にかたどる。「のぼる」意を表す、
とする(角川新字源)、象形文字説、
会意兼形声文字です(癶+豆)。「上向きの両足」の象形と「祭器」の象形と「両手」の象形から祭器を持ち「あげる」を意味する「登」という漢字が成り立ちました、
とする(https://okjiten.jp/kanji533.html)、会意兼形声文字説と別れる。
(「高(髙)」 https://kakijun.jp/page/10230200.htmlより)
(「高(髙)」 金文・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%AB%98より)
「高」(コウ)は、
象形。台地にたてたたかい建物を描いたもの。また槁(コウ 乾いた枯れ木)に通じて、かわいた意をも含む、
とある(漢字源)。別に、
象形。原字は「京」と同じ形で、高い建物(望楼、物見櫓の類)を象る。区別のために羨符「口」を増し加えて「高」となる。「たかい」を意味する漢語{高 /*kaaw/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%AB%98)、
象形。たかい楼閣の形にかたどり、「たかい」、ひいて、とうとい意を表す(角川新字源)、
象形文字です。「高大な門の上の高い建物」の象形から「たかい」を意味する「高」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji158.html)、
と、何れも象形文字とする。
参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
簡野道明『字源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95