2024年07月07日
大幣(おほぬさ)
大幣の引く手あまたになりぬれば思へどえこそたのまざりけれ(古今和歌集)、
の、
え、
は、
打消しの表現と呼応して、
とても……できない、
の意(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)、
大幣、
は、
国の大奴佐(おほヌサ)を取りて生剥(いきはぎ)・逆剥(さかはぎ)……牛婚(うしたはけ)・鶏婚(とりたはけ)・犬婚(いぬたはけ)の罪の類を国の大祓(おほはらへ)を為て(古事記)、
と、
祓えの行事の折に用いられた大串に下げた長い布。祓えが終った後、人々が争ってそれを身体にあて、罪を拭う、
とあり、
祓えが終ると川に流される、
とある(仝上)。
大麻、
ともいう(広辞苑)。
幣の大きなる串にさすので、小さき、
切幣(きりぬさ)、
に対していう(大言海)。類聚名義抄(11~12世紀)に、
御麻、オホヌサ、
色葉字類抄(1177~81)に、
御祓麻、オホヌサ、
とある。
冒頭の、
大幣で浮気心を喩えた歌、
から、
大幣、
で、
我をのみ思ふと言はばあるべきをいでや心は大幣にして(古今和歌集)、
と、
心があちこちにひかれる、
意や、
大幣になりぬる人のかなしきは(大和物語)、
と、
引く手あまたであること、
ひっぱりだこ、
の意で使われた(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。
ただ、
大幣、
を、
たいへい、
おおみてぐら、
と訓ませると、
在山背国乙訓郡火雷神。毎旱祈雨。頻有徴験。冝入大幣及月次幣例(「続日本紀」大宝二年(702)七月己巳)、
献るうづの大幣帛(おほみてぐら)を、安幣帛の足幣帛と、平らけく安らけく聞し食せと(延喜式(927)祝詞)、
と、
践祚大嘗祭にあたり、伊勢神宮以下一定の神社に奉る幣帛、
の意となり、
大奉幣、
ともいう(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)。
ぬさ、
は、
麻・木綿・帛または紙などでつくって、神に祈る時に供え、または祓(はらえ)にささげ持つもの、
の意で、
みてぐら、
にぎて、
ともいい、共に、
幣、
とも当て、
祈總(ねぎふさ)の約略なれと云ふ、總は麻なり、或は云ふ、抜麻(ぬきそ)の略轉かと、
とあり(大言海)、「ねぎふさ」に、
祈總(ねぎふさ)を当てるもの(国語の語根とその分類=大島正健・日本語源広辞典)、
と
抜麻(ねぎふさ)を当てるもの(雅言考)、
があり、「抜麻」を、
抜麻(ねぎあさ)と訓ませるもの(日本語源広辞典・河海抄・槻の落葉信濃漫録・名言通・和訓栞・本朝辞源=宇田甘冥)、
があり、その由来から、「ぬさ」が、元々、
神に祈る時に捧げる供え物、
の意であり、また、
祓(ハラエ)の料とするもの、
の意、古くは、
麻・木綿(ユウ)などを用い、のちには織った布や帛(はく)も用い、或は紙に代えても用いた、
とあり(大言海・精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)、
旅に出る時は、種々の絹布、麻、あるいは紙を四角に細かく切ってぬさぶくろに入れて持参し、道祖神の神前でまき散らしてたむけた、
とある(精選版日本国語大辞典)。後世、
紙を切って棒につけたもの、
を用いるようになる(仝上)。この、
神に捧げる供物、
をいう「ぬさ」と、本来は、供物の意味をもたない、
しで(四手)、
みてぐら、
と混同が起こったと考えられている(精選版日本国語大辞典)。
「にぎて」は、
下枝に白丹寸手(にきて)、青丹寸手を取り垂(し)でて(古事記)、
と、
にきて、
と清音、
平安以降ニギテと濁音、
とあり(岩波古語辞典)、
和幣、
幣帛、
幣、
と当て(広辞苑・大言海)、
にきたへ(和栲・和布・和妙)の約(広辞苑・大言海・和訓栞・神遊考)、
テは接尾語で、手で添える物の意、あるいはタヘ(栲)の転か(岩波古語辞典)、
ニキは和の意。テはアサテ・ヒラデ・クボデなどのテと同じく「……なるもの」の意(小学館古語大辞典)、
ニキは和の義、テは、是を執って神に見せる義(東雅)、
ニギは和、テは手の義(日本語源=賀茂百樹)、
などとある。「にきたへ」(和栲)は、
片手には木綿(ゆふ)取り持ち、片手には和栲(にきたへ)まつり平(たひら)けくま幸(さき)くいませと天地(あめつち)の神を祈(こ)ひ祷(の)みまつり(万葉集)、
と、
「荒稲(あらしね)」の対、平安時代以後はニギタヘと濁音、
打って柔らかくした布、神に手向ける、
意である(岩波古語辞典)が
たへ→て、
の音韻変化は考えにくく、
「くぼて」「ながて」の「て」と同様に「……なるもの」の意、
と見るべきとされ(日本語源大辞典)、「にき」は、
和魂(にきたま)、
の、
やわらかい、
おだやか、
という意になる(広辞苑)。斎部(いんべ)氏の由緒記『古語拾遺』(807)に、
和幣、古語、爾伎底、
神衣、所謂和衣、古語、爾伎多倍、
と別けて記している(大言海)。「にぎて」は、
木綿(ゆふ)の布、麻の布を神に供ふる時の称、後に、絹、又、後に布の代わりに紙を用ゐる。
とあり(仝上・岩波古語辞典)、
白和幣(しらにぎて 白幣)は木綿の糸似て作り、色白ければ云ひ、青和幣(あをにぎて 青幣)は麻の糸にて作り、稍、青みれば云ふ、古語拾遺に穀(カヂ)を植えて白和幣を造り、麻を植えて青和幣を作る、
とある(仝上)。「にきて」は、神代紀に、
枝下懸青和幣、
とある注に、
和幣此云、尼枳底、
とあるように、
榊の枝などに取り懸けて神をまつるしるしとする、
とあり(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、
棒につけたものを用いるようになる、
と、「ぬさ」と変わらなくなる。
「みてぐら」は、
幣、
幣帛、
などと当てる。古くは、
みてくら、
と清音、その由来は、
御手座の意(本居宣長・広辞苑・岩波古語辞典・デジタル大辞泉・日本釈名・東雅・日本語源=賀茂百樹・日本の祭=柳田國男)、
御手座の義、置座(おきぐら)に手向ける義、或は云ふ、御栲座(みたへぐら)の約、或は云ふ、充座の義とか、いかがか(大言海)、
ミテ(充)クラ(座)、たくさんの供物を案上に置いて献上すること。クラとは、物をのせたり、物をつける台となるものをいう(賀茂真淵)、
ミ(御)タヘ(栲)クラ(台)の約、ミは接頭語、タヘは古代に用いられた織物の総称で、タヘがテとなった(敷田年治)、
御手向クラの義(箋注和名抄)、
マテクラ(真手座)の義(類聚名物考・名言通)、
ミテは天王の御手の意、クラは神にクレ(遣)るの意(雅言考)、
等々とされ、
元来は神が宿る依代(よりしろ)として手に持つ採物(とりもの)、
を指し(百科事典マイペディア)、
祭人が手に持って舞うことにより、神がそこに降臨すると信ぜられた神座をいう。それが祭場に常に用意されるところから、神への供物と考えられるようになった、
とあり(岩波古語辞典)、
神に奉納する物の総称、
として、
布帛・紙・玉・兵器・貨幣・器物・獣類、
のちには、
御幣(ごへい)、
をもいうようになる(岩波古語辞典・デジタル大辞泉)。それは、「みてぐら」に、
幣の字を当てたため、幣帛(にぎて)と混用される、
に至ったもののようである。だから、「みてぐら」は、
絹布などを串に挟みて奉るを云ふ、後には、紙にも代ふ、木綿(ゆふ)の布の遺なるべし。今は、紙を長く段々に切りたるを、みてぐら、又、幣帛(へいはく)と云ひ、紙をたたみて、水竹に挟みたるを、幣束(へいそく)、又御幣(ごへい)とも云ふ、切りたるは御衣(みけし)に裁ちたる意、切らぬは裁たず、たたみながら獻ずる意と云ふ、
とあり(大言海)、これでは、
ぬさ、
も
にぎて、
も、
幣帛(へいはく)、
も
幣束、
も、
御幣、
も、
ほぼ同義になってしまっている。なお、
「木綿・麻」の代わりに、細長く折り下げた紙を両側に垂らす形式、
が見られるようにもなるのは中世(13世紀末頃)。これが、
紙垂(しで)、
である。
榊(玉串・真榊)の他、神前に御幣を捧げる形、
が普及・定着化したのは、室町時代から江戸時代にかけて、中世以降の御幣は、
捧げ物本体である「幣紙」(へいし)
と
神聖性を示す「紙垂」(しで)、
と
それらを挿む「幣串」(へいぐし)、
から成るようになる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E5%B9%A3)。なお、長い棒や竹の先端に幣束を何本か取付けたもののことを、特に、
梵天(ぼんてん)、
という(仝上)らしい。
「ぬさ」については、布や帛を細かく切ったもので、旅人が道の神の前でこれを撒く「ぬさ」と、麻・木綿・帛または紙などでつくって、神に祈る時に供え、または祓(はらえ)にささげ持つ「ぬさ」については、それぞれ触れた。
「幣」(漢音ヘイ、呉音ベ)は、「ぬさ」で触れたように、
会意兼形声。敝の左側は「巾(ぬの)+八印二つ」の会意文字で、八印は左右両側に分ける意を含む。切り分けた布のこと。敝(ヘイ)は、破って切り分ける意。幣は「巾(ぬの)+音符敝」で、所用に応じて左右にわけて垂らし、または、二枚に切り分けた布のこと、
とある(漢字源)。
参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95