姑射山(こやのやま)
羨爾城頭姑射山(羨(うらや)む 爾が城頭(じょうとう)姑射(こや)の山)(李頎・寄韓鵬)
の、
姑射(こや)の山、
は、
今の山西省臨汾・襄陵のあたりにそびえる山。「荘子」逍遥遊篇に、
藐姑射(はこや)の山に仙人が住むとあり、この山がそれだと言い伝えられる、
とある(前野直彬注解『唐詩選』)。
「藐姑射」で触れたことだが、
藐姑射(はこや)、
…
生きるとは 位置を見つけることだ あるいは 位置を踏み出すことだ そして 位置をつくりだすことだ
位置は一生分だ 長い呻吟の果てに たどりついた位置だ その位置を さらにずらすことは 生涯を賭すことだ それでもなおその賭けに 釣り合う 未来はあるか