逢ふまでの形見もわれは何せむに見ても心のなぐさまなくに(古今和歌集)、
の、
何せむに、
は、もともとは、
何せむに命継(つ)ぎけむ我妹子(わぎもこ)に恋ひざる先(さき)に死なましものを(万葉集)、
と、
何をするために、
の意。そこから、
何せむに命をかけて誓ひけむいかばやと思ふ折もありけり(拾遺集)、
と、
何になろうか、
何の役にも立たない、
の意となった。
何せむに命をもとな長く欲(ほ)りせむ生(い)けりとも我が思ふ妹にやすく逢はなくに(万葉集)、
と、
万葉集には多く見られるが、古今和歌集には少なくなった表現、
とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。
何せむに、
は、
玉敷ける家も何せむ八重葎覆へる小屋も妹と居りせば(仝上)、
の、
何せむ、
を、
銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも(万葉集)、
と、強めた言い方でもある(デジタル大辞泉)。
何せむに、
は、
何をしようとして、
何のために、
の意味の、
ナニセムタメニ(何為むために)、
が省略されて、
ナニセムニ、
になった(日本語の語源)のだが、上述のように、疑問の副詞として、
何せむに我を召すらめや明けく我が知ることを歌人(うたひと)と我を召すらめや笛吹きと我を召すらめや琴弾きと我を召すらめやかもかくも(万葉集)、
や、反語の副詞として、上述の、
何せむに命をもとな長く欲りせむ生けりとも我が思ふ妹にやすく逢はなくに(万葉集)、
と使われ、さらに転じ、
ナニシニ、
に変化し(仝上)、
まうとはなにしに此処にはたびたび参るぞ(源氏物語)、
や、
わが心よなにしにゆづり聞こえけむ(仝上)、
と、
理由を問う形で、そんなことをしなくてよかったのにの気持を含め、
どうして、
なぜ、
の意や、
なにしに悲しきに見送りたてまつらむ(竹取物語)、
と、反語の意で、
どうして、
の意で使うに至る(仝上・岩波古語辞典・広辞苑)。
(「何」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BD%95より)
「何」(漢音カ、呉音ガ)は、
象形。人が肩に荷を担ぐさまを描いたもので、後世の負荷の荷(になう)の原字。しかし普通、一喝するの喝と同系の言葉に当て、のどをかすらせてあっとどなって、いく人を押し止めるの意に用いる。「誰何(スイカ)する」という用例が原義に近い。転じて、広く相手に尋問する意になった、
とある(漢字源)。しかし、別に、
象形。物を担いだ人を象ったもの(甲骨文字の形)。周代に形声文字「人」+音符「可 /*KAJ/」として再解釈された。「になう」「かつぐ」を意味する漢語{荷 /*gaajʔ/}を表す字。のち仮借して疑問詞の{何 /*ɡaaj/}に用いる、
とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BD%95)、
形声。人と、音符可(カ)とから成る。背に荷物を負う意を表す。もと、「荷(カ)(になう)」の原字。借りて、疑問詞「なに」の意に用いる、
とも(角川新字源)ある。
参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95