2024年07月27日

見まく


いたづらに行きては來ぬるものゆゑに見まくほしさにいざなはれつつ(古今和歌集)、
見てもまたまたも見まくのほしければなるるを人はいとふべらなり(仝上)、

の、

まく、

は、

助動詞「む」を名詞化したク語法、

ほしければ、

は、

まく、

と結合して、

まくほし、

となる(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)とある。

見まく、

は、

見む、

の、

ク語法で、

あしひきの山に生ひたる菅の根のねもころ見まく欲しき君かも(万葉集)、

と、

見るであろうこと、
見ようとすること、
見ること、

の意味となる(岩波古語辞典)。

おもわく」、「ていたらく」、「すべからく」などで触れたことだが、

ク語法、

は、今日でいうと、

いわく、
恐らく、

などと使うが、奈良時代に、

有らく、
語らく、
来(く)らく、
老ゆらく、
散らく、

等々と活発に使われた造語法の名残りで、これは前後の意味から、

有ルコト、
語ルコト、
来ること、
スルコト、
年老イルコト、
散ルトコロ、

の意味を表わしており、

ク、

は、

コト
とか、
トコロ、

と、

用言に形式名詞「コト」を付けた名詞句と同じ意味になる、

とされ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E8%AA%9E%E6%B3%95・岩波古語辞典)、後世にも漢文訓読において、

恐るらくは(上二段ないし下二段活用動詞『恐る』のク語法、またより古くから存在する四段活用動詞『恐る』のク語法は『恐らく』)、
願はく(四段活用動詞「願う」)、
曰く(いはく、のたまはく)、
すべからく(須、『すべきことは』の意味)、

等々の形で、多くは副詞的に用いられ、現代語においてもこのほかに

思わく(「思惑」は当て字であり、熟語ではない)、
体たらく、
老いらく(上二段活用動詞『老ゆ』のク語法『老ゆらく』の転)、

などが残っている(仝上)。

まく、

は、

推量の助動詞ムのク語法、

で、

梅の花散らまく惜しみわが園の竹の林に鶯なくも(万葉集)、
見渡せば春日の野辺に立つ霞見まくのほしき君が姿か(仝上)、

と、

……しようとすること、
……だろうこと、

の意となる(岩波古語辞典)。

む、

は、動詞・助動詞の未然形を承ける語で、

む・む・め

と活用し、

行かまく、
見まく、

の、

ま、

は、ク語法の語形変化であり、「む」の未然形ではない(仝上)とある。

「見」.gif


「見」(漢音呉音ケン、呉音ゲン)は、「目見(まみ)」で触れたように、

会意文字。「目+人」で、目立つものを人が目にとめること。また、目立って見える意から、あらわれる意ともなる、

とある(漢字源)。別に、

会意。目(め)と、儿(じん ひと)とから成る。人が目を大きくみひらいているさまにより、ものを明らかに「みる」意を表す(角川新字源)、

会意(又は、象形)。上部は「目」、下部は「人」を表わし、人が目にとめることを意味するhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A6%8B

会意文字です(目+儿)。「人の目・人」の象形から成り立っています。「大きな目の人」を意味する文字から、「見」という漢字が成り立ちました。ものをはっきり「見る」という意味を持ちますhttps://okjiten.jp/kanji11.html

など、同じ趣旨乍ら、微妙に異なっているが、目と人の会意文字であることは変わらない。

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:見まく ク語法
posted by Toshi at 03:30| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする