2024年08月08日
空おぼれ
さみだれは空おぼれするほととぎす時に鳴く音は人も咎めず(新古今和歌集)、
の、
空おぼれ、
は、
空とぼけること、
とあり、
さみだれの縁語、
とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。
空おぼれ、
は、
物などいふ若きおもとの侍を、そらおぼれしてなむかくれまかりありく(源氏物語)、
と、
わざととぼけたさまをよそおうこと、
つまり、
空とぼけ、
の意である(広辞苑)。なお、「とぼける」については触れた。また、
御心のやうにつれなく、そらおぼめきしたるは、世にあらじな(源氏物語)、
と、
そらおぼめき、
というのも同義とある(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)が、
虚(そら)に、おぼめくこと、
知らぬ顔をすること、
とある(大言海)ので、微妙に意味がずれるようだ。
おぼめく、
は、
朧(おぼ)めく意か(大言海)、
オボはオボロ(朧)のオボと同根。メクは、春メク・秋メクのメクと同じで、それらしい様子を表す(岩波古語辞典)、
などとあり、
ぼんやりした、はっきりしない状態、動作、
を表わす(精選版日本国語大辞典)。で、
ゆめのごとおぼめかれゆく世の中に何時(いつ)訪はむとかおとづれもせぬ(後拾遺)、
と、
はっきりしない、
たしかでない、
ぼんやりする、
意で(広辞苑・大言海)、主体の気持に転じて、
いかなることかあらむとおぼめく(源氏物語)、
と、
気がかりに思う、
不審に思う、
意や、
いかに聞こしめしたるにか、おぼめかせ給ふにも(かげろふ日記)、
と、
ほのめかす、
ぼんやりあらわす、
意でも使い(岩波古語辞典)、そこからさらに、
わかやかなるけしきどもして、おぼめくなるべし、ほととぎす言問ふ声はそれなれどあなおぼつかなさみだれの空(源氏物語)、
と、
知っていながらよくわからないようなふりをする、
そらとぼける、
意でも使う(岩波古語辞典・広辞苑)ので、
そらおぼめき、
は、
そら、
で、その「ことさら」ぶりを強調している感じになる。
空がらくる、
で触れたように、
空(そら)、
は、
天と地との間の空漠とした広がり、空間、
の意だが(岩波古語辞典)、
アマ・アメ(天)が天界を指し、神々の国という意味を込めていたのに対し、何にも属さず、何ものもうちに含まない部分の意、転じて、虚脱した感情、さらに転じて、実意のない、あてにならぬ、いつわりの意、
とあり(仝上)、
虚、
とも当てる(大言海)。で、由来については、
反りて見る義、内に対して外か、「ら」は添えたる辞(大言海・俚言集覧・名言通・和句解)、
上空が穹窿状をなして反っていることから(広辞苑)、
梵語に、修羅(スラ Sura)、訳して、非天、旧訳、阿修羅、新訳、阿蘇羅(大言海・日本声母伝・嘉良喜随筆)、
ソトの延長であるところから、ソトのトをラに変えて名とした(国語の語根とその分類=大島正健)、
ソラ(虚)の義(言元梯)、
間隙の意のスの転ソに、語尾ラをつけたもの(神代史の新研究=白鳥庫吉)、
等々諸説あるが、どうも、意味の転化をみると、
ソラ(虚)
ではないかという気がする。それを接頭語にした「そら」は、
空おそろしい、
空だのみ、
空耳、
空似、
空言(そらごと)、
空惚け(そらぼけ・とらとぼけ・そらぼれ)、
空おぼれ、
空腕、
空心、
空言、
等々、いずれも、
何となく、
~しても効果のない、
偽りの、
真実の関係のない、
かいのないこと、
根拠のないこと、
あてにならないこと、
徒なること、
などと言った意味で使う(広辞苑・岩波古語辞典・大言海)。
なお、
空おぼれ、
には、
空とぼけ、
の意の他に、それが常態と見なして、後世、
人違(ひとたがへ)なりけるかと、なみならず驚くものから、惘然(ソラオボレ)して立在(たたずむ)折から(読本「手摺昔木偶(1813)」)、
と、
気ぬけすること、
あっけにとられること、
の意でも使う例がある(精選版日本国語大辞典)。こうみてくると、
空おぼれ、
の、
おぼれ、
は、
空おぼめき、
の、
おぼ、
と同じで、
おぼろ(朧)、
の、
おぼ、
ではないかと思われる。
おぼろ、
の、
おぼ、
は、
オボホレ(溺)・オボメクのオボと同根。ロは状態を示す接尾語、
とある(岩波古語辞典)、
ぼんやりしているさま、
はっきりしないさま、
の、
おぼ、
である(仝上)。
「空」(漢音コウ、呉音クウ)は、「空がらくる」で触れたように、
会意兼形声。工は、尽きぬく意を含む。「穴+音符工(コウ・クウ)」で、突き抜けて穴があき、中に何もないことを示す、
とある(漢字源)。転じて、「そら」の意を表す(角川新字源)。別に、
会意兼形声文字です(穴+工)。「穴ぐら」の象形(「穴」の意味)と「のみ・さしがね」の象形(「のみなどの工具で貫く」の意味)から「貫いた穴」を意味し、そこから、「むなしい」、「そら」を意味する「空」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji99.html)。
参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95