東路の道のはてなる常陸帯(ひたちおび)のかことばかりも逢はむとぞ思ふ(新古今和歌集)、
の、
常陸帯、
は、
常陸國鹿島神宮の祭礼で、男女の縁結びの占(うら)に用いられる帯、
とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。
かこと、
は、
帯を締めて留める金具の「かこ」と、申し訳・口実の「かこと」の掛詞、
である(仝上)。
(「常陸鹿嶋大神宮」(歌川広重『六十余州名所図会』) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E5%AE%AEより)
常陸帯、
は、
鹿島の帯、
とも、
帯占(おびうら)、
ともいうが(広辞苑・デジタル大辞泉)、
なぞもかく別れそめけん常陸なるかしまのおびの恨めしの世や(「散木奇歌集(1128頃)」)、
などとあり、
常陸國鹿島神社で、正月十四日の祭礼の日に、布帯に男女おのおのその意中の者の名を書いたものを神前に供え、禰宜がこれを結んで縁を定めた帯占、その結び方によって男女の縁のよしあしを占った、
もので(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、後世、
肥立帯の意にかけて、鹿島神宮から常陸帯の安産の守を授けるに至った、
とある(仝上)。
(社殿全景(本殿後背には神木) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E5%AE%AEより)
この由来は、
神功皇后(じんぐうこうごう 第十四代・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の皇后)が お腹に子を宿しながら、急逝された天皇に代わって三韓征伐(さんかんせいばつ)に行かれるとき、鹿島大神のご加護を願って腹帯を付けられました。凱旋帰国後、無事に応神天皇(おうじんてんのう 全国の八幡神社の主祭神)をお産みになり、その腹帯を常陸の国の鹿島神宮に進納されたと伝わっています、
とあり(http://www.kashimajinja.or.jp/yurai/)、この腹帯が、
常陸帯(ひたちおび)、
と呼ばれるもので、現在も殿外不出の神宝として本殿に祀られ鹿島神宮の安産信仰の拠り所となっている(仝上)、とある。で、今日、安産祈願のお守りとなっている。
(常陸帯(鹿島神宮) https://kashimajingu.jp/smaregi_product/sr_product_50/より)
参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95