逢ふことをけふ松が枝のたむけ草幾夜しをるる袖とかは知る(新古今和歌集)、
の、
たむけ草、
は、
幣帛、
とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。
たむけ草、
は、
手向草、
とあて、
たむけぐさ、
たむけくさ、
と訓ませ、
くさ、
は、
種、料、
で(精選版日本国語大辞典)、
手向けにする品物、
の意だが、
旅人が行路の安全を祈るために神に供える、布・糸・木綿など、
をいう(広辞苑)とあるので、
ぬさ、
で触れた、
竜田姫たむくる神のあればこそ秋の木の葉のぬさと散るらめ(古今和歌集)、
秋の山紅葉をぬさとたむくれば住むわれさへぞ旅心地する(仝上)、
神奈備の山を過ぎゆく秋なれば竜田川にぞぬさはたむくる(仝上)、
の、
幣、
と当てる、
ぬさ、
のことで、
布や帛を細かく切ったもので、旅人は、道の神の前でこれを撒くもの、
である(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。
手向け、
は、下二段の動詞、
たむく(手向)、
の名詞だが、
手向く、
自体が、
来栖の小野の萩の花散らむ時にし行きてたむけむ(万葉集)、
と、
神仏や死者の霊に物を捧げる、
意があり、それが転じて、
と、
道中の安全を祈って峠の神に幣(ぬさ)をなどを供える、
旅立つ人に幣などを贈る、
意となり、
老いぬともまたも逢はんとゆく年に涙の玉をたむけつるかな(新古今和歌集)、
と、
旅立つひとにはなむけする、
意として使われるに至る。だから、その名詞、
手向け、
も、
ももたらず八十隈坂に手向(たむけ)せば過ぎにし人にけだし逢はむかも(万葉集)、
と、
神仏に幣(ぬさ)など供え物をすること、また、その供え物、
の意で、多く、旅人などが道の神に対して供える場合にいい(精選版日本国語大辞典)、
畏(かしこ)みと告らずありしをみ越路の多武気(タムケ)に立ちて妹が名告りつ(万葉集)、
と、
道の神に旅中の安全を祈るところ。特に、越えて行く山路の登りつめたところ、
の意で、だから、
峠(とうげ)、
は、手向け(たむけ)の転、
である。さらに、シフトして、
あだ人のたむけにをれる桜花逢ふ坂まではちらずもあらなむ(後撰和歌集)、
と、
旅立つ人へのはなむけ、餞別、
の意で使う(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。
たむけぐさ、
の意となる、
ぬさ、
は、
麻・木綿・帛または紙などでつくって、神に祈る時に供え、または祓(はらえ)にささげ持つもの、
の意で、
みてぐら、
にぎて、
ともいい、共に、
幣、
とも当てる。
ぬさ、
は、
祈總(ねぎふさ)の約略なれと云ふ、總は麻なり、或は云ふ、抜麻(ぬきそ)の略轉かと(大言海)、
とあり、「ねぎふさ」に、
祈總(ねぎふさ)を当てるもの(国語の語根とその分類=大島正健・日本語源広辞典)、
と
抜麻(ねぎふさ)を当てるもの(雅言考)、
があり、「抜麻」を、
抜麻(ねぎあさ)と訓ませるもの(日本語源広辞典・河海抄・槻の落葉信濃漫録・名言通・和訓栞・本朝辞源=宇田甘冥)、
があり、その他、
ヌはなよらかに垂れる物の意。サはソ(麻)に通じる(神遊考)、
抜き出してささげる物の義(本朝辞源=宇田甘冥)、
ユウアサ(結麻)の略(関秘録)、
等々、その由来から、「ぬさ」が、元々、
神に祈る時に捧げる供え物、
の意であり、また、
祓(ハラエ)の料とするもの、
の意で、古くは、
麻・木綿(ユウ)などを用い、のちには織った布や帛(はく)も用い、或は紙に代えても用いた、
とあり(大言海・精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉他)、
旅に出る時は、種々の絹布、麻、あるいは紙を四角に細かく切ってぬさぶくろに入れて持参し、道祖神の神前でまき散らしてたむけた、
とある(精選版日本国語大辞典)。後世、
紙を切って棒につけたものを用いるようになる、
とある(仝上)。ただ、
神に捧げる供物、
をいう、
ぬさ、
と、本来は、供物の意味をもたない、
しで(四手)、
みてぐら、
との混同が起こったと考えられている(精選版日本国語大辞典)。ただし、
ぬさ、
は、普通、
旅の途上で神に捧げる供物、
をいうのに対して、
みてぐら、
は必ずしも旅に関係しないという傾向が見られる(仝上)。
神に祈る時にささげる供え物、
である、
ぬさ、
は、
麻・木綿(ゆう)・紙、
等々で作り、後には、
織った布や帛(はく)、
も用いたが、旅に出る時は、
種々の絹布、麻、あるいは紙を四角に細かく切ってぬさぶくろに入れて持参し、道祖神の神前でまき散らしてたむけた、
とある(仝上)。このため、
みちの国の守平のこれみつの朝臣のくだるに、ぬさのすはまの鶴のはねにかける(貫之集)、
と、「ぬさ」は、
旅立ちの時のおくりもの、
餞別、
はなむけ、
の意ともなる(仝上)。
手向の神(たむけのかみ)、
は、
礪波(となみ)山多牟気能可味(タムケノカミ)に幣(ぬさ)奉り吾が乞ひ祈(の)まく(万葉集)、
と、
旅人が幣(ぬさ)などを手向けて道中の安全を祈る神、
をいい、
山の峠や坂の上などにまつってある神、
道祖神、
たむけの道の神、
たむけの山の神、
たむけ、
を言う(精選版日本国語大辞典)が、
「ぬさ」で触れたように、
道の神、
つまり、
道祖神、
のことで、
さえの神、
とも、訛って、
道陸神(どうろくじん)、
ともいい、
世のいはゆる道陸神(どうろくじん)と申すは、道祖神とも又は祖神とも云へり。(中略)和歌にはちぶりの神などよめり(百物語評判)、
と、
ちぶりの神、
ともいう、
旅の安全を守る神、
であり、
行く今日も帰らぬ時も玉鉾のちぶりの神を祈れとぞ思ふ(鎌倉時代の歌学書『袖中抄(しゅうちゅうしょう)』)、
とある。
(「手」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%89%8B)
「手」(漢音シュウ、呉音ス・シュ)は、
象形。五本の指のある手首を描いたもの、
とある(漢字源)。ただ、
象形。五本指のある手を象る。「て」を意味する漢語{手/*hluʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%89%8B)、
象形。手のひらを開いた形にかたどり、「て」、また、手に取る意を表す(角川新字源)、
象形文字です。「5本の指のある手」の象形から(https://okjiten.jp/kanji2862.html)、
と微妙な差がある気がする。
「背向(そがい)」で触れたように、「向」(漢音コウ、呉音キョウ)は、
会意。「宀(屋根)+口(あな)」で、家屋の北壁にあけた通気口を示す。通風窓から空気が出ていくように、気体や物がある方向に進行すること、
とある(漢字源)。別に、
会意。「宀」(屋根)+「口」(窓 又は 窓に供えた神器)、
ともあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%90%91)、さらに、
象形文字です。「家の北側に付いている窓」の象形から「たかまど」を意味する「向」という漢字が成り立ちました。「卿(キョウ)」に通じ、「むく」という意味も表すようになりました、
との解釈もある(https://okjiten.jp/kanji487.html)。
参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95