2024年08月18日
鴫(しぎ)の羽掻(はがき)
心からしばしとつつむものからに鴫 の羽搔きつらき今朝かな(赤染衛門)
の、
鴫の羽搔き、
は、
鴫が羽ばたく音、
とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)が、
鴫の羽掻、
は、
鴫がしばしば嘴で羽をしごくこと、
ともあり(広辞苑)、
物事の回数の多いことのたとえ、
として使われる(仝上)とある。
鴫の羽掻、
には、
鴫が羽虫をとろうとして、くちばしでしきりに羽をしごくこと、
の意と共に、別説に、
鴫が羽ばたくこと、
とあり(岩波古語辞典)、
回数の多いことのたとえ、
として使われる。たとえば、
暁の鴫の羽搔き百羽搔(ももはが)き君が来ぬ夜はわれぞ数かく(古今和歌集)、
と、夫大江匡衡に対し、赤染衛門の返歌は、
百羽搔きかくなる鴫の手もたゆくいかなる数をかかむとすらむ(仝上)、
とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)のをみると、
回数の多さ、
というなら、どうも、
羽を幾たびも嘴でかくこと、
という(広辞苑)よりも、
羽ばたき、
ではないか、という気がしないでもないのだが、
女の閨怨の譬え、
に多く用いるとある(精選版 日本国語大辞典)。となると、
鴫の羽掻(はがき)、
は、
鴫がしばしば嘴で羽をしごくこと、
なのかもしれない。語源から見ると、
繁(シゲ)の転、羽音の繁き意と云ふ(大言海)、
シゲ、羽音が繁々し(回数が多い)(日本語源広辞典)、
と、羽ばたきを採る説のほか、
羽をシゴクところから、シゴキの転か(名言通)、
ハシナガキ(嘴長)の義(和句解)、
サビシキの略(滑稽雑誌所引和訓義解)、
と、しごく説を採る。ただ語感からいうと、
しごく→しごき→しぎ、
と、
羽のしごきの多さからきているとも見え、一応、
しごく、
説に加担しておく。
「しぎ」で触れたように、
「しぎ」は、
鴫、
鷸、
と当てる。
「鴫」は、国字で、
会意文字。「田+鳥」
と(漢字源)、
田にいる鳥の意を表した字、
である(角川新字源)。
「鷸」(漢音イツ、呉音イチ)は、
会意兼形声。「鳥+音符矞(イツ はやく走る、すばやく避ける)」。鷸はそれを音符とし、鳥を加えた、
とある(漢字源)。「しぎ」の意だが、「カワセミ」の意も持つ(仝上)。
「しぎ」で触れたことだが、
鷸蚌(いつぼう)之争、
という諺がある。鷸(しぎ)と蚌(はまぐり)が、くちばしと貝殻を互いに挟みあって争っているうちに、両方共漁師につかまった、という喩えである。戦国策に、
「趙且伐燕、蘇代為燕、謂恵王曰今日臣来過易水、蚌方出暴、而鷸喙其肉、蚌合而箝喙、鷸曰、今日不雨、明日不雨、即有死蚌、蚌亦謂鷸曰、今日不出、明日不出、即有死鷸、両者不肯相捨、漁者得而幷擒之、今趙且伐燕、燕趙久相支以敝大衆、臣恐強秦之為漁父也、恵王曰、善、乃止」
とある。漁夫の利である。
鷸蚌之弊(ついえ)、
ともいう。「しぎ」に関しては、
鴫の羽搔(はがき)、
のほかに、鴫が田や沢に立っているのを形容して、
鴫がじっと立っている姿を経を読んでいる様(さま)に見立てた、
鴫の看経(かんきん)、
は、
ひっそりと淋しいさまのたとえ、
で、一茶に、
立鴫とさし向かいたる仏哉、
という句があるらしい(https://manyuraku.exblog.jp/10705489/)。また、
鴫の羽返(はがえし)、
というと、
舞の手、さらに剣術・相撲の手、
のに使われている(広辞苑)。
「しぎ」は、シギはシギ科に属する鳥の総称で我国では50種類以上もみられるそうだが、代表的には、イソシギ・タマシギ・アオアシシギ・アカアシシギ・ヤマシギなど、日本には旅鳥として渡来し、ふつう河原・海岸の干潟(ひがた)や河口に群棲する。古事記で、
宇陀の高城に鴫罠(しぎわな)張(は)る我が待つや鴫(しぎ)は障(さや)らずいすくはしくじら障(さや)る、
と歌われるほど馴染みの鳥で、食用にした。
参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95