そほづ

あしひきの山田のそほつおのれさへわれをほしてふうれはしきこと(古今和歌集)、 の、 そほつ、 は、 そほづ、 で、 案山子、 の意とあり(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)、ここは、 案山子そのものではなく、みすぼらしい者や身分の低い者の比喩、 とある(仝上)。また、 そほつ、 には、 濡れる、 意の、 濡(そ…

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袖の別れ

白妙の袖の別れに露落ちて身にしむ色の秋風ぞ吹く(定家) の、 露、 は、 涙の隠喩、 身にしむ色の秋風、 は、 通念では五行思想により、秋の色は白だが、別れを惜しむ紅涙を吹く風なので、紅色を暗示する、 と注釈する(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。この、 袖の別れ、 は、 重ねていた袖と袖とを離して、共寝してしいた男女が別れるこ…

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ねぬなは

隠れ沼(ぬ)の下よりおふるねぬなはの寝ぬ名は立てじくるないとひそ(古今和歌集)、 の、 ねぬなは、 は、 根蓴、 と当て、 蓴菜(ジュンサイ)、 の意(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)、 寝ぬ名は立てじ、 の 寝ぬ名、 は、 共寝をしていないという噂、 で、 共寝をしていないという噂を立てるまい、ということは…

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ことならば

ことならば思はずとやは言ひはてぬなぞ世の中の玉襷(たまだすき)なる(古今和歌集)、 の、 玉襷、 は、多く「かく」(掛かる)にかかる枕詞としてもちいられるが、こころは心に掛かるということの喩え、 とあり、 ことならば、 は、 「同じことなら」という意味の常套句、 とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。 ことならば、 は、 …

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おほなほび

新しき年の始めにかくしこそ千歳(ちとせ)をかねて楽しきを積め(古今和歌集)、 の詞書に、 おほなほびの歌、 とある。この、 おほなほびの歌、 は、 大直日の神を祭る神事の歌、 とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。 大直日の神、 は、 『古事記』によれば、禍を吉に転じる神、 とある(仝上)。 おほなほび(おおなおび)…

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くれ(榑)

花咲かぬ朽木の杣(そま)の杣人のいかなるくれに思ひ出づらむ(新古今和歌集)、 の、 くれ、 は、 榑、 と当て、 皮付きの木材、また屋根を葺く板、 とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。 朽木(くちき)の杣、 の、 朽木、 は、 近江国の枕詞、ここでは、自身の隠喩、 とあり(久保田淳訳注『新古今和歌集』)、 …

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恋忘れ草

住吉の恋忘れ草種絶えてなき世に逢へるわれぞかなしき(新古今和歌集)、 の、 恋忘れ草、 は、 ユリ科多年草、萱草(かんぞう)のことという、 とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。紀貫之の、 道知らば摘みにもゆかむ住の江の岸に生ふてふ恋忘れ草(古今集)、 を念頭に置くか、とある(仝上)。貫之には、他にも、 住之江の朝満つ潮のみそぎして恋忘れ草摘…

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野守の鏡

はし鷹の野守の鏡えてしかな思ひ思はずよそながら見む(新古今和歌集)、 の、 はし鷹、 は、小型の鷹、 はいたか、 とあり(久保田淳訳注『新古今和歌集』)、 えてしかな、 の、 かな、 は、 希望の終助詞、 で、 手に入れたいなあ、 という意になる。 野守の鏡、 は、 逸(そ)れた鷹を映した野中の溜…

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苔の袖

年暮れし涙のつららとけにけり苔の袖にも春やたつらむ(皇太后宮大夫俊成)、 の、 苔の袖、 は、 苔の衣(僧衣)の袖、 の意とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。俊成は安元二年(1176)九月、六十三歳で出家、その年の暮れ、 身に積もる年の暮れこそあはれなれ苔の袖をも忘れざりけり」(長秋詠藻)、 と詠んでいる(仝上)。新古今和歌集には、 いつか…

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さしあふ

身はとめつつ心は送る山桜風のたよりに思ひおこせよ(新古今和歌集)、 の詞書に、 東山に花見にまかり侍るとて、これかれさそひけるを、さしあふことありてとどまりて、申しつかはしける、 の、 さしあふこと、 は、 さしつかえること、 とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。 さしあふ、 は、 指し合ふ、 差し合ふ、 と当て(岩波古…

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桜麻

桜麻のをふの浦波たちかへり見れどもあかず山梨の花(新古今和歌集)、 桜麻の、 は、 「をふ」の枕詞、 で、 をふの浦波、 の、 をふの浦、 は、 伊勢国の歌枕、 とあり(久保田淳訳注『新古今和歌集』)、 現在の三重県鳥羽市浦村町に入り込んでいる海を生浦(おおのうら)湾と呼び、この地はかつて古今集・東歌に、 おふのうらに片…

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すべらぎ

すべらぎの木高き陰に隠れてもなほ春雨に濡れむとぞ思ふ(新古今和歌集)、 の、 すべらぎ、 は、 帝王、 天皇、 の意だが、ここでは、 近衛天皇をさすか、 とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。 すべらぎ、 は、 皇、 と当て、 すめらきの転、 とあり(岩波古語辞典)、 すめらき、 ともいい(仝上・広…

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麻衣着(け)ればなつかし紀の国の妹背の山に麻蒔く吾妹(わぎも)(万葉集)、 の、 麻衣、 は、 喪服として用いた、 とある(岩波古語辞典)が、このことは、「藤衣」で触れた。また、 紀州の名産、 でもあった。 麻、 は、 大麻、 苧麻(からむし)、 黄麻、 亜麻、 などの総称(広辞苑)とあるが、現代では、 「大麻(ヘ…

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いはぬ色

九重にあらで八重咲く山吹のいはぬ色をば知る人もなし(新古今和歌集)、 の、 いはぬ色、 は、 山吹の花色衣(はないろごろも)ぬしや誰(たれ)問へど答へずくちなしにして(古今和歌集)、 とも詠われ、 梔(くちなし)と口無しをかける。山吹色に染めるには、梔をもちいた、 とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。 言わぬ色、 は、 梔(く…

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局外者

M・フーコー( 中村 雄二郎訳)『知の考古学』を読む。 とてもフーコーを論じ、構造主義を云々ずるだけの知識がないので、これを読んで起った自分の中の反応を書き留めておく。あくまで、憶説、妄説である。 『言葉と物』で、フーコーが、 「……自分が自分の言語の総体に、秘かですべてを語り得る神のように、住まってはいないことを学ぶ。自分のかたわらに、語りかける言語、しかも彼がそ…

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やすらふ

入りやらで夜を惜しむ月のやすらひにほのぼの明るく山の端ぞ憂き(新古今和歌集)、 の、 夜を惜しむ月、 は、 月を擬人化していう、 とあり、 この表現で有明の月と知れる、 とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。また、 やすらひに、 は、 ためらひのうちに、 とあり(仝上)、 やすらひに真木の戸こそはささざらめいかに明けつ…

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真屋

さみだれは真屋(まや)の軒端の雨(あま)そそきあまりなるまで濡るる袖かな(新古今和歌集)、 の、 真屋、 は、 切妻造りの家、 とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。 真屋、 は、 両下、 とも当て(広辞苑・岩波古語辞典)、 ま、 は、 両方、 や、 は、 屋根、 の意(広辞苑)、 棟の前…

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浅茅生(あさぢふ)

浅茅生(あさぢふ)や袖に朽ちにし秋の霜忘れぬ夢を吹くあらしかな(新古今和歌集)。 の、 浅茅生(あさじふ)、 の、 フ、 は、 芝生、園生(そのふ)の生(ふ)なり、 とあり(大言海)、 生(フ)、 は、 生(お)ふの約、音便に、ウと云ふ、 ともあり(仝上)、 生えた所、 の意(岩波古語辞典)で、 浅茅生、 …

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仏名

時過ぎて霜に消えにし花なれどけふは昔の心地こそすれ(朱雀院御歌)、 の詞書の、 仏名の朝(あした)に、削り花を御覧じて、 の、 仏名、 は、 仏名会(ぶつみやうゑ)、 のことで、 御仏名、 ともいい(広辞苑)、 十二月十五日、後には十九日から三日間、朝廷で行われた、諸仏の名号を唱えて罪障を懺悔する法会、 とある(久保田淳訳注『…

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しもと

しもとゆふ葛城山に降る雪の間なく時なく思ほゆるかな(古今和歌集)、 の、 しもと、 は、 細長い枝、 の意、 しもとを結ふ葛、 という連想で、葛城山にかかる枕詞、 とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。 しもと、 は、 むち、 で触れたように、 葼、 楉、 細枝、 と当て、 枝の茂った若い木立、…

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