2024年09月01日
そほづ
あしひきの山田のそほつおのれさへわれをほしてふうれはしきこと(古今和歌集)、
の、
そほつ、
は、
そほづ、
で、
案山子、
の意とあり(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)、ここは、
案山子そのものではなく、みすぼらしい者や身分の低い者の比喩、
とある(仝上)。また、
そほつ、
には、
濡れる、
意の、
濡(そぼ)つ、
という動詞があり、
その意味と対照的な「ほし」に「干し」を連想することもできる、
と、注釈がある(仝上)。
そほつ(そほづ)、
の古形は、
そほど、
で、
そほづ、
は、
そほどの転、
とあり(岩波古語辞典・広辞苑)、
ど、
は、
人の意か、
とする説がある(日本国語大辞典)。
そほつ、
そおど
は、ともに、
案山子、
と当てる。「かかし」は、
かがし、
とも言い、
鹿驚、
とも当てる(岩波古語辞典)。鎌倉初期の歌学書『八雲御抄』には、
そほづ、おどろかしなり、
とあるように、当初は、
田畑が鳥獣に荒らされるのを防ぐため、それらの嫌うにおいを出して近づけないようにしたもの。獣の肉を焼いて串に刺したり、毛髪、ぼろ布などを焼いたものを竹に下げたりして田畑に置く、
意で(日本語源大辞典)、そのため、
かがし、
ともある(岩波古語辞典)。元来、
かがし、
または、
かがせ、
で、焼いた獣肉を串に刺して田畑に立て、その臭気を嗅がせて退けた(江戸語大辞典)、ともある。そのため、「かかし」の語源は、
嗅がしの意(岩波古語辞典・類聚名物考・卯花園漫録・柳亭記・俚言集覧・年中行事覚書=柳田国男)、
ヤキカガセを上略して、セを、シ転じたる語(松屋筆記・大言海)、
とする説が大勢である。この「かがし」の意が転じて、
竹やわらで作った等身大、または、それより少し小さい人形。弓矢を持たせたり、蓑や笠をかぶせたりして田畑などに人が立っているように見せかけ、作物を荒らす鳥や獣を防ぐもの、
の意となった(日本語源大辞典)とする。この説によると、人形の意で使われるようになったのは、
比較的新しく、中世頃から、
とある(仝上)。しかし、古く、
あしひきの山田の曾富騰(ソホド)、
と古事記にあるように、
そおど(そほど)、
そおづ(そほづ)、
と呼ばれ人形があったのである(岩波古語辞典)。
そほづ、
そほど、
の語源は、「そほづ」は、
雨露にぬれそぼち、山田に立っているところからソボチビト(濡人)の義(和訓栞・大言海)、
シロヒトタツ(代人立)の反(名語記)、
などとあり、「そほど」は、
山田の番人などが日に照らされ、風雨に打たれて皮膚が赭色(そおいろ 赤土の色)をしていたところからソホビト(赭人)の転か(少彦名命(すくなびこなのみこと)の研究=喜田貞吉)、
朱人(ソオビト)の約(角川古語辞典)、
神の名ソホド(曾富騰)から(北辺随筆)、
ソホはソホフル・ソホツのソホか。またドは人の意か(時代別国語大辞典-上代編)、
等々の語源説があり、いずれと決め手はない。しかし「そほづ」は、
久延毘古(くえびこ)、
ともいい、古事記に、
少名毘古那の神を顕はし白(モウ)せし謂はゆる久延毘古(くえびこ)は、今に山田のそほどといふそ、
とあり(古語大辞典)、
〈クエ〉は〈崩(く)ゆ〉の連体形で身体の崩れた男を指す、
と思われ(世界大百科事典)、
此神者、足雖不行、盡知天下之事神也、
とある。この神が、今日の案山子の姿に引き継がれていると思える。このとき、「そほど」「そほづ」は、
かたしろ、
ではないかと見える。
長野県下では旧10月10日の十日夜(とおかんや)の行事に、カカシアゲまたはソメノ年取リといい、かかしに蓑笠を着せて箒・熊手を両手に持たせ、餅や二股大根を供えてこれをまつる、
あるいは、
同県諏訪地方ではこの日はかかしの神が天に上がる日といい、同じく南安曇地方ではかかしが田の守りを終えて山の神になる日だとの伝承がある。また、群馬県下では正月14日にかかし神を作り、新潟では同日かかしを立て膳を供える風習もある、
という民俗例もある。これは、
神の依代(よりしろ)、
そのものである(世界大百科事典)。
依代、
は、
憑代、
とも当て、
神霊が招き寄せられて乗り移るもの、
で、
樹木、岩石、御幣、神籬(ひもろぎ)などの有体物で、これを神霊の代わりとしてまつる、
とある(広辞苑)。なお、人間が依代となったときには、
よりまし(尸童・依坐・憑坐・憑子・寄坐)、
と呼ばれる(仝上・精選版日本国語大辞典)。
「かたしろ」とは、
形代、
と当て、
本物の形の代わり、
の意で、
禊・祓などに用いる紙製の人形で、神を祭る時、神霊の代わりとしては据えたもの、
であり(古語大辞典)、
神霊の依代(よりしろ)の一種、
と考えられている(ブリタニカ国際大百科事典)。とすると、神体の代わりに据えた、
カタシロ、
は、
語尾を落としてカタシになるとともに、「タ」の子交(子音交替)[th]で、カカシ(関東)・カガシ(関西)になった、
とする説(日本語の語源)が、注目される。「そほど」「そほづ」との関連が見えてこないのが難点であるが、ひとがたの人形だったところは、「形代」らしいと思わせ、この説では、こう音韻変化させている。
身代わりのヒトガタ(人形)のことらをカタシロ(形代)といった。紙製のカタシロは六月と十二月の大祓(おおはらえ)の時に陰陽師(おんようじ)が人のからだを撫でて災いを移してから水に流した。また、祭のとき木製・土製のカタシロを神体の代わりに据えた。〈ただカタシロをいはひたらむやうにて〉(増鏡)。
「身代わり」といういみになったカタシロは語尾を落としてカタシになるとともに、「タ」の子交[tk]でカカシ(案山子、関東)、カガシ(関西)になった。『物類称呼』(1775)に「関西・北陸までカガシといふ。関東にてはカカシと澄みていふ」とある。
『日葡辞書』(1603)に、「猪や鹿をおどろかすために耕地に立てたおどし」とあるが、蓑・笠をつけた一本足のカカシは昔から稔りの秋の風物詩であった。〈鳥獣のつかぬやうに垣を結ひ、カガシをこしらへて置かうと存ずる〉、〈今夜は某(それがし)がカガセになって捕へやう〉(狂言・瓜盗人)。
語源について、「もと獸肉を焼き炙りて串に挟み立て、その臭をかがしめておどろかす故にかがしといふといへり」(俚言集覧)とあるが、カタシロの転音だから、「人の身代わり」という意であった。
「案山子」に転義しなかったカカシの語形は、岩手・宮城・山形県村山地方の方言として、コケシ(木彫りの人形)に転音・転義した。これはカタシロ(形代)の伝承であった、
とある(日本語の語源)。しかし、この音韻説をみていると、逆に、
案山子、
の意の中にある、
形代、
としての案山子と、
おどし、
としての案山子とは、語源が異なるのではないか、という気がしてくる。さすがに、『大言海』は、
かかし、
を、
鹿驚、
とあてる「かかし」と、
案山子、
と当てる「かかし」を区別している。前者は、
ヤキカガセを上略して、セを、シ転じたる語、
とし、後者は、
鹿驚(カガシ)を立鹿驚(タチカガシ)と用ゐたるを、略したる語、
とする。そして、
鹿驚、
は、獣肉を焼いて串に刺した、
かがし(嗅)、
とし、後者を、
山田のそほづ、
とする。これは見識である。いずれも、役目は、
鳥おどし、
獣おどし、
であるが、
獣の臭い、
と、
神体の形代、
とではギャップがありすぎる。本来異なる由来だったものが、共に、漢語、
案山子、
を当てたことで、
かがし、
と
そほづ、
が混同されていった、ということではあるまいか。一般には、
かがし→かかし、
と転じたとし、
においをかがせるものの意の、
嗅(かが)し、
の、
田畑が鳥獣に荒らされるのを防ぐため、それらの嫌うにおいを出して近付けないようにしたもの、
から転じて、中世頃には、
竹やわらで作った等身大、または、それより少し小さい人形、
へと変じたとし(精選版日本国語大辞典)、
江戸時代後半には「かかし」が勢力を増した、
とされる(日本語源大辞典)のだが、いかがなものだろう。
ところで、
かかし、
に当てた、
案山子、
は、漢語で、
アンザンシ、
と訓み、
かかし、とりおどし、
の意であり、
案山は、几(キ 机)の如く平たく低き山の義。山田なり、山田を守る主たる義、
とある(字源)。傳燈禄、道膺禅師傳、または會元、五祖常戒禅師の章に、
「主山高、案山低」とありて、案山は低くして机の如く、平らなる山の義なるべく、案山の閒に、耕地ありて、其邉に、鳥おどしのありしより、
とある(字源・大言海)。「梅園日記」(1845)にも、
隨斎諧話に、鳥驚の人形、案山子の字を用ひし事は、友人芝山曰、案山子の文字は、伝燈録、普燈録、歴代高僧録等並に面前案山子の語あり、注曰、民俗刈草作人形、令置山田之上、防禽獣、名曰案山子、又会元五祖師戒禅師章、主山高案山低、又主山高嶮々、案山翠青々などあり、按るに、主山は高く、山の主たる心、案山は低く上平かに机の如き意ならん、低き山の間には必田畑をひらきて耕作す、鳥おどしも、案山のほとりに立おく人形故、山僧など戯に案山子と名づけしを、通称するものならんといへり、徂徠鈴録に主山案山輔山と云ことあり、多くの山の中に、北にありて一番高く見事な山あるを主山と定めて、主山の南にあたりて、はなれて山ありて、上手につくゑの形のごとくなるを案山とし、左右につゞきて主山をうけたる形ある山を輔山といふとあり、又按ずるに、此面前案山子を注せる書、いまだ読ねども、ここの人の作と見えて取にたらず、此事は和板伝燈録巻十七通庸禅師傳に、僧問。孤廻廻、硝山巍巍時如何、師曰孤迥峭巍巍、僧曰、不会、師曰、面前案山子、也不会とあり、和本句読を誤れり、面前案山子也不会を句とすべし、子とは僧をさしていへり、鹿驚の事にあらぬは論なし、
とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%81%8B%E3%81%97・大言海・日本語源大辞典)、
僧曰、不会、師曰、面前案山子、也不会、
というのは、中国禅僧の用いた語で、それをかりて、「かかし」に当てた、と思われる(日本語源大辞典・大言海)。
「案」(アン)は、
会意兼形声。安は「宀(やね)+女」の会意文字で、女性を家に落ち着けたさまをあらわす。案は「木+音符安」で、その上にひじをのせておさえる木のつくえ、
とあり(漢字源)、
会意兼形声文字です(安+木)。「家の中で女性がやすらぐ」象形(「やすらか・安定する」の意味)と「大地を覆う木」の象形から、安定した「つくえ」を意味する「案」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji602.html)が、
かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、
して(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A1%88)、
形声。「木」+音符「安 /*ɁAN/」。「つくえ」を意味する漢語{案 /*ʔaans/}を表す字。のち仮借して「かんがえる」を意味する同音異義語に用いる(仝上)、
形声。木と、音符安(アン)とから成る。「つくえ」の意を表す。借りて「かんがえる」意に用いる(角川新字源)、
と、形声文字とする。
参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
2024年09月02日
袖の別れ
白妙の袖の別れに露落ちて身にしむ色の秋風ぞ吹く(定家)
の、
露、
は、
涙の隠喩、
身にしむ色の秋風、
は、
通念では五行思想により、秋の色は白だが、別れを惜しむ紅涙を吹く風なので、紅色を暗示する、
と注釈する(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。この、
袖の別れ、
は、
重ねていた袖と袖とを離して、共寝してしいた男女が別れること、
である(仝上)。
男女が互いにまとい交わした袖を解き離して別れること(広辞苑)、
男女が互いに重ね合った袖を解き放して別れること(デジタル大辞泉)、
男女が互いに重ね合わせた袖を解き放して別れること(精選版日本国語大辞典)、
男女が互いに重ね合った袖を分かって、離れ離れになること(岩波古語辞典)、
等々、いわゆる、
後朝(きぬぎぬ)の別れ、
である。「後朝」で触れたように、
きぬぎぬ、
は、
衣衣、
と当て、本来は、
風の音も、いとあらましう、霜深き晩に、おのが衣々も冷やかになりたる心地して、御馬に乗りたまふほど(源氏物語)、
と、
衣(きぬ)と、衣と、
の意で、
各自に着て居る衣服、
をいう(大言海)。しかし、
しののめのほがらほがらと明けゆけばおのがきぬぎぬなるぞかなしき(古今集)、
の、顕昭(1130(大治5)年?~ 1209(承元元)年)注本に、
結句、きるぞかなしき、とあるはよろしかるべき、
と、
きぬぎぬとは、我が衣をば我が着、人の衣をば人に着せて起きわかるるによりて云ふなり、
とあり(古今集註)、
男女互いに衣を脱ぎ、かさねて寝て、起き別るる時、衣が別々になる意、
とし(大言海)。この歌より、
男女相別るる翌朝の意として、
後朝、
と表記して、
きぬぎぬ、
とした(仝上)。平安時代の、
妻問婚(つまどいこん)、
では、
敷布団はなく、貴族の寝具は畳で、その畳の上に、二人の着ていた衣を敷き、逢瀬を重ねます、
とか(https://www.bou-tou.net/kinuginu/)、
布団が使われ出したのは、身分の高い人で江戸期、庶民は明治期からで、それ以前は、着ていた衣をかけて寝ていた、
とある(https://kakuyomu.jp/works/1177354054921231796/episodes/1177354055255278737)ので、
脱いだ服を重ねて共寝をした、翌朝、めいめいの着物を身に着けること、
の意から、
きぬぎぬになるともきかぬとりだにもあけゆくほどぞこゑもおしまぬ(新勅撰和歌集)、
と、
男女が共寝して過ごした翌朝、
あるいは、
その朝の別れ、
をいった。
なお、「袖」については、「そで」、「袖」などで触れた。また「袖」の歌語である「衣手」についても触れた。
「袖」(漢音シュウ、呉音ジュ)は、
会意兼形声。「衣+音符由(=抽 抜き出す)」。そこから、腕が抜けて出入りする衣の部分。つまりそでのこと、
とある(漢字源)。別に、
会意兼形声文字です(衤(衣)+由)。「身体にまつわる衣服のえりもと」の象形と「底の深い酒つぼ」の象形(「穴が深く通じる」の意味)から、人が腕を通す衣服の部分、「そで」を意味する「袖」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji2061.html)。
参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:袖の別れ 後朝(きぬぎぬ)の別れ
2024年09月03日
ねぬなは
隠れ沼(ぬ)の下よりおふるねぬなはの寝ぬ名は立てじくるないとひそ(古今和歌集)、
の、
ねぬなは、
は、
根蓴、
と当て、
蓴菜(ジュンサイ)、
の意(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)、
寝ぬ名は立てじ、
の
寝ぬ名、
は、
共寝をしていないという噂、
で、
共寝をしていないという噂を立てるまい、ということは、共寝をしているという噂が立ってもいいようにしておく、
ということ、
寝ぬ名は、
は、
ねぬなは、
の繰り返しにもなっている、とある(仝上)。また、
くる、
は、
來ると繰るの掛詞。蓴菜は根が長いので、「繰る」が連想される、
とある(仝上)。
ねぬなは(ねぬなわ)、
は、
聖の好むもの、……松茸平茸滑薄(なめすすき)、さては池に宿る蓮の這根、芹根蓴菜(ぬなは)牛蒡河骨うち蕨土筆(梁塵秘抄)、
と、
根蓴菜、
と当て、
じゅんさい(蓴菜)の古名(デジタル大辞泉・広辞苑)、
とも、
じゅんさい(蓴菜)の異名(精選版日本国語大辞典)、
ともある。
根が長くのびるるから、
その名がある(広辞苑)という。
ぬなは(ぬなわ)、
は、
沼縄、
蓴、
と当て、
じゅんさい(蓴菜)の古名(精選版日本国語大辞典・大言海)、
じゅんさい(蓴菜)の別名(広辞苑)、
と、
根、
を強調した、
根の長く延ふに就きて云ふ(大言海)、
ねぬなは、
と、
ぬなは、
は同じである。和名類聚抄(931~38年)に、
蓴、沼奈波、
本草和名(ほんぞうわみょう)(918年編纂)に、
蓴、奴奈波、
字鏡(平安後期頃)に、
蓴、奴奈波、
等々とある。この由来は、
滑之葉(ぬるのは)の義、或は滑縄(ぬなは)と云ふ(大言海)、
ヌナワは沼なわの意味で、沼に生え、葉柄があたかも縄のようであるから(牧野富太郎)、
ねぬ縄という、根をとるといくらでも縄のようなものが出るから(関秘録)、
蓴菜ということばが、ぬらりくらりしている意にも用いられるように、ぬるぬるしているのが特徴で、ぬるぬるした縄、ヌルナワがヌナワとなった(たべもの語源辞典=清水桂一)、
ヌナハ(滑菜葉)の義(古今要覧稿)、
ヌネバハ(滑沼葉)の義、またナエナユハ(萎滑葉)の義(日本語原学=林甕臣)、
ヌナハ(滑縄)の義(東雅・日本声母伝・名言通)、
ヌナハ(沼縄)の義(日本釈名・滑稽雑誌所引和訓義解・日本紀和歌略註・雅言考・和訓栞)、
ヌナハ(泥縄)の義(言元梯)、
「ヌ」は「ぬめらか」、「ナ」は「菜」、「ハ」は「葉」を意味する(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%82%A4)、
等々とあるが、どうも、
ヌナハ(滑縄)、
ヌナハ(沼縄)、
ヌナハ(泥縄)、
ヌナハ(滑菜葉)、
等々、その、
ぬるぬるした感触、
からあれこれ考えている気配で、
ぬるぬるした縄、
か、
ぬるぬるした葉(菜)、
といったところに落ち着くのではないか。
蓴菜(じゅんさい)、
は、
純菜、
順才、
と当てたりする(デジタル大辞泉)が、
ヌナワ、
ミズドコロ、
等々とも呼ばれる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%82%A4)。
スイレン目ハゴロモモ科(旧スイレン科)属する多年生の水草。本種のみでジュンサイ属 (学名: Brasenia) を構成する、
とあり(仝上・広辞苑)。日本各地の池沼に自生し、
地下茎は泥中を伸び、節ごとに根をおろす。葉は楕円状楯形、長さ五~一〇センチメートル、長い葉柄で水面に浮かぶ。茎と葉の背面には寒天様の粘液を分泌し、新葉には特に多く、若芽・若葉を食用とする、
とある(仝上・精選版日本国語大辞典)が、
巻葉になっている新しい葉で、水中にある時が良く、水面に浮かぶようになると堅くて食べられない、
とある(たべもの語源辞典)。中国植物名は、
蓴菜、
もしくは、
蓴、
で、和名であるジュンサイの名は、漢名の「蓴(チュン)」がなまった「ジュン」に、食用草本を意味する「菜(サイ)」をつけたものに由来するとされる、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%82%A4)が、
蓴(ヌナワ)を音読みしたものがジュンであり、ジュンサイは菜をつけて、
蓴菜、
の、
ヌナワ、
を音読みした(たべもの語源辞典)という流れになる。
(じゅんさい デジタル大辞泉より)
なお、
根蓴菜(ねぬなわ)の、
は、
おもひのみますだのいけのねぬなはのくるしやかかるこひのみだれよ(能宣集)、
と、
根の長い蓴菜(じゅんさい)を繰(く)って取る意で、「繰る」と同音の「来る」、「苦し」にかかる、
ほか、
冒頭の歌のように、
ジュンサイの根が長いところから、「長き」「くる」「ね」などに掛かる、
枕詞として使われる。
「蓴」(漢音シュン、呉音ジュン)は、
形声。「艸+音符専」
とあり(漢字源)、蓴菜の意である。
参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
2024年09月04日
ことならば
ことならば思はずとやは言ひはてぬなぞ世の中の玉襷(たまだすき)なる(古今和歌集)、
の、
玉襷、
は、多く「かく」(掛かる)にかかる枕詞としてもちいられるが、こころは心に掛かるということの喩え、
とあり、
ことならば、
は、
「同じことなら」という意味の常套句、
とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。
ことならば、
は、
同ならば、
と当て(岩波古語辞典)、平安・鎌倉時代には、
ゴトナラバ、
と訓んだように、
「こと」は「如し」の語幹と同源(広辞苑)、
コトはゴト(如)と同根(岩波古語辞典)、
になる。
ことならば咲かずやはあらぬ櫻花見る我さへに静心なし(古今和歌集)、
の、
ことならば、
も、
同ならば、
と当て(岩波古語辞典)、
結果として同じからば、
の意であり(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)、
此の如くならば、
斯かることならば、
こんなことなら、
同じ事なら、
の意で(仝上・大言海)、
如くならば、
の意で、これは、上代に、
こと降らば袖さへ濡れて通るべくべく降りなむ雪の空に消(け)につつ(万葉集)
と、
こと…ば、
の形の条件表現が行なわれたが、それと同類の中古以降の表現法(精選版日本国語大辞典)で、
かきくらしことは降らなむ春雨にぬれぎぬ着せて君をとどめむ(古今和歌集)、
の、
ことは、
も同様である(仝上)とある。
ことは、
は、
同は、
と当て(仝上)、
ことならばの略、
であり(大言海)、平安・鎌倉時代は、
ゴトハ
と訓んだように、
コトは、ゴト(如)と同根である(岩波古語辞典)、
とするのは、
句意を「どうせ同じことなら」と解して、「こと」が「如(ごと)」と同源であるとする、
説であるが、他に、
「此(こ)とならば」で「このように…ならば」の意であるとする説、
「こと」を名詞「こと(事・言)」と同源と見る説(精選版日本国語大辞典)、
副詞「こと」+断定の助動詞「なり」の未然形+接続助詞「ば」、とする説(デジタル大辞泉)、
などがある。
ことならば、
は、
こと…ば、
の意味の流れを受け継いで、
ことならば咲かずやはあらぬ桜花みる我さへにしづ心なし(紀貫之)、
と、
現実を何らかの重要な定めのあらわれとしてとらえ、その判断を後句の前提として述べるが、「こと」は、その定めを暗示する語と考えられる、
とある(精選版日本国語大辞典)。この、
こと、
は、
同、
如、
と当て(大言海・岩波古語辞典)、
ひとつこと、
同じ、
という意味で、
ゴトシ(如)と同根、仮定の表現を導くのに使う。コト(異・別・殊)とは起源的に別(岩波古語辞典)、
ことくの語幹。此の語、常に多く、何のごと、某(それ)のごとくと、他の語の下に用ゐられ、連声(れんじゃう)にて濁る、されど、独立なる時は、清音にて、語尾の活用したるを見ず、古今集の歌の、「ことならば」を、顕注満勘(古今和歌集注釈書)に、かくの如くならばの意と訳せり(大言海)、
とある。なお、
平安時代はゴトと濁って発音したらしい。写本に、ゴと濁る指示がある、
とある(岩波古語辞典)が、
これは「如」との意味的関連を認めた鎌倉時代の歌学の反映である、
とされる(精選版日本国語大辞典)。しかし、逆に、
ごと、
が、
後に如しの語幹となる、連体修飾語をうけて、
とする説もある(岩波古語辞典)。
こと(ごと)→ごとし、
なのか、
ごとし→こと(ごと)、
なのかはともかく、
こと(ごと)、
と
ごとし、
のつながりは深い。
ごと、
は、
同、
如、
と当て、
コト(同)と同根(岩波古語辞典)、
ゴトク(如く)の語根、如しはオナジコト(同事)を上略して活用せしめたる語(大言海)、
ゴトク(如く)―ゴト(日本語の語源)、
元来は同じの意で、同一を示すコト(kötö)と同源、また類似したさまをいう朝鮮語katや満州語geseとも同源(万葉集=日本古典文学大系)、
等々、
助動詞「ごとし」の語幹、
とし、
本来、「同じ」の意を表す「こと」の濁音化したもので、体言的性格を持つ、
とする(日本語源大辞典)のが大勢のようである。なお、
コト(毎)の義(言元梯)、
とする説もあるが、
意味とアクセントの点からごと(毎)とは別、
とされ、むしろ、「ごと(毎)」は、
コト(異・別)と同根、
とされる(岩波古語辞典)。また、
言の通りという意味で、コト(言)から(国語の語根とその分類=大島正健)、
という説も、
こと、
が、
同、
と当てる以上、同じ音ではあるが、区別されていたと見るべきだ。なお、「事」「言」と当てる「こと」については触れた。
では、
ごとし、
はどうなのか。
「同じ」の意を表わす「こと」の濁音化した「ごと」に、形容詞をつくる活用語尾「し」が付いたもの。名詞+「の」、代名詞+「が」、用言および助動詞の連体形、連体形+「が」などに付く。体言に直接付くこともある、比況の助動詞(精選版日本国語大辞典)、
コトのはじめが濁音化した語。このゴトに、シをつけて形容詞のように使うようになった(日本語源広辞典)、
同じ事を上略して活用せしめたる語、齊(ひと)しと云ふ語も、一(ひと)しなり(眞言(まこと)し、功(いさを)し)、何事を上略して、コトとのみ言ふこと多し(事と云へば、事ぞともなく)、此の語の活用(〇・ごとく・ごとし・ごとき・〇・〇)、形容詞に似たれどゴトケレと用ゐたる例を見ず、又、ゴトクニと用ゐるも、形容詞に異例なり。又、他語の下にのみ用ゐらるれば、首音濁れど、元と、清音なるなり(大言海)、
同一を意味する「こと」という語の語頭が濁音化した「ごと」に、形容詞語尾「し」がついて成立した語である。「こと」という語は体言であり、「見けむがごと」といへば、「見たというのと同一」の意である。この用法の発展として、他の事・物に比較して「……と同じだ」「……のようだ」の意を表す「ごとし」があらわれた(岩波古語辞典)、
などとあり、その活用(〇・ごとく・ごとし・ごとき・〇・〇)から、本来の、助動詞ではなく、
く・し・き、と形容詞ク活用と同じ活用をする、
とある(岩波古語辞典)。どうやら、
同一を意味する「こと」→ごと→ごと(如)し、
と展開したようである。
ごとし、
は、平安時代に入って、多く漢文訓読文に用いられることになる(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)が、女流文学系では例外的にしか使われていない。女流文学系では、
やうなり、
が代わって用いられた(仝上)とある。
(「同」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%90%8Cより)
「同」(慣用ドウ、漢音トウ、呉音ズウ)は、
会意文字。「四角い板+口(あな)」で、板に穴をあけて突き通すことを示す。突き通れば通じ、通じれば一つになる。転じて同一・共同・共通の意になる、
とある(漢字源)。別に、
会意。口と、冃(ぼう)(おおう。𠔼は省略形)とから成り、多くの人を呼び集める、ひいて「ともに」、転じて「おなじ」などの意を表す、
ともある(角川新字源)が、
原字は筒の形を象る象形文字で、のち羨符(無意味な装飾的筆画)の「口」を加えて「同」の字体となる。「つつ」を意味する漢語{筒 /*loong/}を表す字。のち仮借して「おなじ」を意味する漢語{同 /*loong/}に用いる。この文字を「凡」と関連付ける説があるが、誤った分析である、
も(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%90%8C)、
象形文字です。「上下2つの同じ直径の筒の象形」から「あう・おなじ」を意味する「同」という漢字が成り立ちました、
も(https://okjiten.jp/kanji378.html)、象形文字とする。
「如」(漢音ジョ、呉音ニョ)は、「真如」で触れたように、
会意兼形声。「口+音符女」。もと、しなやかにいう、柔和に従うの意。ただし、一般には、若とともに、近くもなく遠くもないものをさす指示詞に当てる。「A是B」とは、AはとりもなおさずBだの意で、近称の是を用い、「A如B(AはほぼBに同じ、似ている)」という不足不離の意を示すには中称の如を用いる。仮定の条件を指示する「如(もし)」も、現場にないものをさす働きの一用法である、
とある(漢字源)。同じく、
会意兼形声文字です(女+口)。「両手をしなやかに重ねひざまずく女性」の象形(「従順な女性」の意味)と「口」の象形(「神に祈る」の意味)から、「神に祈って従順になる」を意味する「如」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji1519.html)が、他は、
形声。音符「女 /*NA/」+羨符「口」。「もし~なら」「~のような、ごとし」を意味する助詞の{如 /*na/}を表す字。もと「女」が仮借して{如}を表す字であったが、「口」(他の単語と区別するための符号)を加えた、
とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A6%82)、
会意。女と、口(くち)とから成り、女が男のことばに従う、ひいて、したがう意を表す。借りて、助字に用いる、
とも(角川新字源)ある。
参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2024年09月05日
おほなほび
新しき年の始めにかくしこそ千歳(ちとせ)をかねて楽しきを積め(古今和歌集)、
の詞書に、
おほなほびの歌、
とある。この、
おほなほびの歌、
は、
大直日の神を祭る神事の歌、
とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。
大直日の神、
は、
『古事記』によれば、禍を吉に転じる神、
とある(仝上)。
おほなほび(おおなおび)、
は、
大直毘、
大直日、
と当て(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、
咎過(とがあやまち)在らむをば、神直び、大直備(おほなほび)に見直し開き直し坐(ましま)して(延喜式(927)祝詞)、
とあるように、
凶事を吉事に変える力、
また、
その力を持つ神、
つまり、
大直毘神(おおなおびのかみ)、
をいい、
その、
神の祭、
をもいい、
おおなおみ、
とも訛る。この大直毘神(おおなおびのかみ)を祭るときの歌を、
大直毘の歌(おおなおびのうた)、
といい、
木綿垂(ゆふし)での神が崎なる稲の穂めや稲の穂の諸穂(もろほ)に垂(し)でよこれちふもなし(琴歌譜(9C前)大直備歌)、
とある(精選版日本国語大辞典)。
なおび、
は、
直毘、
直日、
と当て、
直毘(ナホビ)とは禍(まが)を直したまふ御霊の謂なり(「古事記伝(1798)」)、
とあるように、
「なおび」の「なお」は、祓除によって清めること(精選版日本国語大辞典)、
物忌みから平常に復し、また凶事を吉事に転ずる意(広辞苑)、
とされ、
神事の物忌(ものいみ)から平常の生活に直ること、
の意、また、
その時の祝宴。直会(なおらい)、
をもいう(精選版日本国語大辞典)。なお、一説に、
直毘神(なおびのかみ)をまつる日、
の意もある(仝上)。因みに、
直会(なおらひ)、
は、
動詞直(なほ)るに反復・継続の接続詞ヒのついたナホラフの体言形(岩波古語辞典)、
ナオリアイの約。斎(いみ)が直って平常にかえる意(広辞苑)
ナホリアヒ(直合)の義(大言海)、
平常に直る意(日本語源=賀茂百樹)、
直毘の神の威力を生じさせる行事の意(上世日本の文学=折口信夫・金太郎誕生譚=高崎正秀)、
等々諸説あるが、
神事(異常なこと)が終わった後、平常に復するしるしにお供物を下げて飲食すること、またその神酒(岩波古語辞典)、
神事が終わって後、神酒、神饌をおろしていただく酒宴、またその神酒(広辞苑)、
という意味である。ついでながら、
なほ(直)る、
自体が、
険悪・異常な状態から元の平静・平常に戻る、
意である(岩波古語辞典)。
直毘(直日)神、
は、
罪悪・禍害を改め直す神、
穢れをはらう霊神、
とされるが、
伊邪那岐(いざなぎ)尊が筑紫の檍原(あわきはら)でみそぎをしたときに生まれた、大直毘神と神直毘神との二神をいう、
とされ(精選版日本国語大辞典)、そのときの、
「けがれ」を象徴し、凶事をひきおこす神、
は、「古事記」では、
八十禍津日(やそまがつひの)神、
大禍津日神、
の二神(ふたはしら)とされる(デジタル大辞泉)。
枉津日神 (まがつひのかみ)、
は、
マガは曲っていること、よくないこと。ツは助詞。ヒは霊力を示す。凶事を引き起こす神、
の意とある(精選版日本国語大辞典)。古事記には、
その禍を直さむとして、成れる神の名は、神直毘(かむなほび)神、次に大直毘神、次に伊豆能賣(いづのめの)神、次に水の底に滌(すす)ぐ時に、成れる神の名は、底津綿津見(そこつわたつみ)神、……
とある。
(「直」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%9B%B4より)
「直」(漢音チョク、呉音ジキ)は、
会意文字。原字は「丨(まっすぐ)+目」で、まっすぐ目を向けること、
とある(漢字源・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%9B%B4)。別に、
会意。目と、十(とお。多い)と、乚(いん)(=隠。かくれる)とから成る。多くの目でかくれているものを見ることから、目でまっすぐに見る、ひいて、まっすぐ、「ただちに」の意を表す(角川新字源)、
象形文字です。「上におまじないの印の十をつけた目の象形」から「まっすぐ見つめる」、「まっすぐである」を意味する「直」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji373.html)、
と、会意文字説、象形文字説と別れるものの、会意文字説は、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)によるもので、
『説文解字』では「十」+「目」+「𠃊」から構成される会意文字と説明されているが、これは誤った分析である、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%9B%B4)。
「毘」(漢音ヒ、呉音ビ)は、
会意兼形声。「田+音符比(ならぶ、連なる)」、
とある(漢字源)が、他は、
形声。意符囟(しん)(ひよめき。田は変わった形)と、音符比(ヒ)とから成る。人のへその意を表す。借りて、たすける意に用いる(角川新字源)、
形声文字です(田(囟)+比)。「通気口」の象形と「人が二人並ぶ」象形(「並べて比べる」の意味だが、ここでは、「頻」に通じ(「頻」と同じ意味を持つようになって)、「しわを寄せる」の意味)から、しわのある通気口の形をした人体の「へそ」を意味する「毘」という漢字が成り立ちました。また、「比」に通じ、「助ける」の意味も表すようになりました(https://okjiten.jp/kanji2548.html)、
と、形声文字とする。
参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
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2024年09月06日
くれ(榑)
花咲かぬ朽木の杣(そま)の杣人のいかなるくれに思ひ出づらむ(新古今和歌集)、
の、
くれ、
は、
榑、
と当て、
皮付きの木材、また屋根を葺く板、
とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。
朽木(くちき)の杣、
の、
朽木、
は、
近江国の枕詞、ここでは、自身の隠喩、
とあり(久保田淳訳注『新古今和歌集』)、
杣、
は、
材木をを伐り出す山、または、大きい建造物の用材を確保するために所有する山林、
をいう(広辞苑)が、ここでは、その、
杣山の木、
または、
杣山から伐り出した材木、
つまり、
そまぎ(杣木)、
をいう(仝上)。
くれ、
は、
榑と暮れの掛詞、
とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。
榑、
は、
山出しの板材、
をいい、
買檜久礼一千二百八十枚(正倉院文書天平六年(734)五月一日・造仏所作物帳)、
とか、
水の面の間もなく筏(いかだ)をさして、多くのくれ、材木を持て運び(栄花物語)、
等々とあり、平安時代の貢納品、あるいは商品としての規格は、延暦一〇年(七九一)の「太政官符」に、
長さ一丈二尺(約三・六メートル)、幅六寸(約一八センチメートル)、厚さ四寸(約一二センチメートル)、
とし、
「吾妻鏡」は、
長さ八尺(約二・四メートル)、
としている(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。この、
榑、
は、
くれ木と云ふが成語なるべし、即ち、黒木の転(黑(くろ)、皂皮(クリカハ)、皂革(クレカハ))、大嘗祭儀「正殿一宇、構以黒木」(大言海)、
とする(「皂」(ソウ)は、どんぐり・くぬぎなどの木の実、煮汁が黒い染料になるので、黒い、黒色)。他に、
クレウ(公料)の約という(類聚名物考)、
キシ(木斷)の義(和訓栞)、
等々の説もあるが、用例から見れば、
黒木、
なのではなかろうか。つまり、
杣山より伐り出したる皮ながらの材木、黒木。大小の丸木、丸太、
とある(大言海)。江戸後期の注釈書『箋注和名抄』には、
榑、久禮、
とあり、(延喜式の)内匠寮式には、
椙榑、大七十五材、
と載る。この用が転じて、
次の日、榑(クレ)や召すと云て、馬に付て来りける(「米沢本沙石集(1283)」)、
と、
木を剥ぎて薄板とし、板屋根を葺くもの、
つまり、
そぎ、
へぎいた、
こけら、
くれぎ、
の意となり(大言海・精選版日本国語大辞典)、さらに転じて、
薪(たきぎ)、
の意となり、
丸太を四つ割にして、心材を取り去ったもの、
をいい、
断面は扇形となる。三方三寸、腹二寸四分というように定めている。地方により寸法を若干異にし、また六つ割、八つ割のこともある、
とある(仝上)。今日では、
丸太を製材して残った端の板、背板(せいた)、
を、
榑木、
という(仝上)。
「榑」(漢音フ、呉音ブ)は、
会意兼形声。「木+音符尃(フ・ハク 大きく広がる)」で、枝の広がった木、
とある(漢字源)。我が国では、
皮のついたままの丸木、
の意で使うが、
榑桑(フソウ)、
は、
扶桑、
とも当て、
太陽の出る所にあるといわれる神木、
をいう(仝上)。
参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
戸川芳郎監修『漢辞海』(三省堂)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
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ラベル:くれ(榑)
2024年09月07日
恋忘れ草
住吉の恋忘れ草種絶えてなき世に逢へるわれぞかなしき(新古今和歌集)、
の、
恋忘れ草、
は、
ユリ科多年草、萱草(かんぞう)のことという、
とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。紀貫之の、
道知らば摘みにもゆかむ住の江の岸に生ふてふ恋忘れ草(古今集)、
を念頭に置くか、とある(仝上)。貫之には、他にも、
住之江の朝満つ潮のみそぎして恋忘れ草摘みて帰らむ(貫之集)、
がある(仝上)。
恋忘れ草、
は、
古代中国において、憂いを忘れさせてくれる草として詩文に作られ、万葉集にも、
わがやどは甍(いらか)しだ草生ひたれど恋忘草(こひわすれぐさ)見るにいまだ生ひず(万葉集)、
と詠われる(仝上)。
恋忘れ草、
は、
摘むと、恋の苦しさを忘れる、
といい、
忘れ草、
ともいう。
忘れ草、
は、
今はとてわするるぐさの種をだに人の心にまかせずもかな(伊勢物語)、
と、
忘るる草、
ともいい(岩波古語辞典)、中国では、
萱草(かんぞう)、
をいい、
金針、
忘憂草(ぼうゆうそう)、
宜男草、
等々ともよばれ(字源・動植物名よみかた辞典)
学名Hemerocallis fulva、ワスレグサ属の多年草の一種、
とされる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%B9%E3%83%AC%E3%82%B0%E3%82%B5)。広義には、
ワスレグサ属(別名キスゲ属、ヘメロカリス属)、
を指し、その場合は、
ニッコウキスゲなどゼンテイカもユウスゲもワスレグサに含まれる。また長崎の男女群島に自生するトウカンゾウなどもワスレグサと呼ばれる、
とある(仝上)。で、
萱草、
で触れたように、「萱草」は、
ユリ科ワスレグサ属植物の総称、
として、
日当たりのよい、やや湿った地に生える。葉は二列に叢生し、広線形。夏、花茎を出し、紅・橙だいだい・黄色のユリに似た花を数輪開く。若葉は食用になる。日本に自生する種にノカンゾウ・ヤブカンゾウ・キスゲ・ニッコウキスゲなどがある、
と(大辞林)とある。
花を一日だけ開く、
ために、
忘れ草、
と呼ばれるらしい。
忘れ草、
は、
萱草の「古名」
とある(大言海)。
諼草、
とも当てる。これは、
詩経、衞風、伯兮篇、集傳「諼草(けんそう)、食之令人忘憂」とあるを、文字読に因りて作れる語ならむ、
とある(大言海)。
諼草、
を、
わすれぐさ、
と訓ませたということらしい。日本語源大辞典には、
中国では、この花を見て憂いを忘れるという故事があることから(牧野新日本植物図鑑)、
ともある。和名類聚抄(931~38年)には、
萱草、一名、忘憂、和須禮久佐、俗云、如環藻二音、
とある。また、
忘れ草、
は、
ヤブカンゾウの別称、
ともある(広辞苑)。
それを身に着けると物思いを忘れるというので、恋の苦しみなどを忘れるために、下着の紐に付けたり、また植えたりした、
とある(岩波古語辞典)。
忘れ草我が下紐に付けたれど醜(しこ)の醜草(しこぐさ)言(こと)にしありけり(万葉集 大伴家持)
という歌がある。忘れようと、身に着けてみたけれど、言葉だけか、と嘆いている。従妹で将来の妻、坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)に贈った歌、とある。これは、
萱草(わすれぐさ)吾が紐に付く香具山の古(ふ)りにし里を忘れむがため(大伴旅人)、
のように、
昔、萱草を着物の下紐につけておくと、苦しみや悲しみを一切忘れてしまうという俗信があった、
ことに由来する(日本語源大辞典)とある。『今昔物語』に、
父親に死なれた悲しみを忘れるために萱草を植える兄と、親を慕う気持ちを忘れないようにと柴苑を植える弟の説話(「兄弟二人、萱草・紫苑を植うる語」)、
がある(仝上・https://yamanekoya.jp/konzyaku/konzyaku_31_27_trans.html)。ちなみに、「紫苑」(しおん)は、
漢名の紫苑の音読みから名前が付けられており、ジュウゴヤソウの別名もある。花言葉は「君の事を忘れない」「遠方にある人を思う」、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%83%B3_(%E6%A4%8D%E7%89%A9))。
ところで、恋に絡んで、
秋さらばわが船泊(は)てむ和須礼我比(わすれがひ)寄せ来ておけれ沖つ白波(万葉集)、
若の浦に袖さへ濡れて忘れ貝拾へど妹は忘らえなくに(仝上)、
いとまあらば拾ひに行かむ住吉の岸に寄るてふ恋忘れ貝(仝上)、
わが背子に恋ふれば苦し暇(いとま)あらば拾ひて行かむ恋忘れ貝(仝上)、
などと、
わすれがい(忘貝)、
というのもある。
二枚貝が放れ放れの一片となり、たがいに相手の一片を忘れてしまうという意を掛けた名称、
といい(岩波古語辞典)、
二枚貝の放れた一片、またそれに似ているところから一枚貝のアワビ貝のこと、これを拾えば恋しい思いを忘れることができる、
ということで、
恋忘れ貝、
ともいい(仝上・精選版日本国語大辞典)、
うつせがひ(空貝・虚貝)、
に同じ、つまり、
身の無くなりて放れたる貝、
だからである(仝上)が、この場合、しかし、
肉の脱けた中身の空の貝殻、
をいい、
住吉の浜に寄るといふうつせ貝実なき言もち我れ恋ひめやも(万葉集)
と、
ルリガイ・アサガオガイなど巻貝の殻であろう、
ともあり(岩波古語辞典)、
タマガイ科の巻貝の、
ツメタガイ(津免多貝)の古称、
ともあるので、別かもしれない。
(わすれがい 日本大百科全書より)
忘貝、
は、一般には、
ささらがい、
ともいう、
マルスダレガイ科の二枚貝、
を指し、
鹿島灘以南に分布し、浅海の砂底にすむ。殻長約七センチメートル。殻は扁平でやや丸く、厚くて堅い。色彩は変化に富むが表面は淡紫色の地に美しい紫色の放射彩や輪脈模様のあるものが多い。食用にする。殻は細工物に利用される、
とある(精選版日本国語大辞典)。古来、
大伴の御津(みつ)の浜なる忘れ貝家なる妹を忘れておもへや(万葉集)、
など多くの詩歌に詠まれてきたが、今日では、
浜に打ち上げられたいろいろの貝、
をさすものと思われる(世界大百科事典)とある。その意味では、
空の貝殻、
を広く指していると見ていいのかもしれない。
「萱」(漢音ケン、呉音カン)は、
形声。「艸+音符宣(セン・ケン)」、
とある(漢字源・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%90%B1・角川新字源)。「わすれぐさ」ともいい、
この草を眺めると憂いを忘れる、
というので、
忘憂草、
ともいう(仝上)。別に、
会意兼形声文字です(艸+宣)。「並び生えた草」の象形(「草」の意味)と「屋根・家屋の象形と物が旋回する象形」(天子が臣下に自分の意志を述べ、ゆき渡らせる部屋の意味から、「行き渡る」の意味)から、行き渡る草「忘れ草(食べれば、うれいを忘れさせてくれる草)」を意味する「萱」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji2238.html)。なお、「萱」の異字体には、
萲、
蕿、
藼、
蘐、
がある(漢字源・https://kanji.jitenon.jp/kanjie/2263.html・漢辞海)。
参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
2024年09月08日
野守の鏡
はし鷹の野守の鏡えてしかな思ひ思はずよそながら見む(新古今和歌集)、
の、
はし鷹、
は、小型の鷹、
はいたか、
とあり(久保田淳訳注『新古今和歌集』)、
えてしかな、
の、
かな、
は、
希望の終助詞、
で、
手に入れたいなあ、
という意になる。
野守の鏡、
は、
逸(そ)れた鷹を映した野中の溜まり水のこと、
とも、
人の心を映してみせる、
ともいわれる、
伝説の鏡、
とある(仝上)。平安末期の歌学書『袖中抄』(顕昭)に、
雄略天皇の鷹狩の時、逃げた鷹を野守が水鏡で見て発見したとある故事に基づく、
とあり(広辞苑)、
野中の水にもの影のうつるのを鏡にたとえて言う、
つまり、
水鏡、
の意と、特に、
普通に見えないものを見ることができる鏡、
として詠まれるとある(広辞苑)が、
野守の用ゐて、己れが姿を見る鏡となす、
意ともある(大言海)。
はしたか、
は、
鷂、
と当て、音韻変化して、
はいたか、
ともいうが、
タカ科の鳥、
雌雄で大きさや羽色を異にし、雌だけをハイタカ、雄をコノリということもある。雌は全長39センチくらい、雄は全長32センチくらいと、雄は雌より小さく、雄の背面は青灰色で、腹面は白色の地に黄赤褐色の細い横斑がある。雌の背面は褐色で、腹面は白地に暗褐色の横斑がある。つう森林に単独ですみ、小鳥や野ネズミを捕食、
とあり、
鷹狩、
に用いる(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。
野守、
は、
あかねさす紫野ゆき標野(しめの)ゆき野守は見ずや君が袖振る(額田王 万葉集)、
ともある、
野を守る人、
特に、
立入りを禁じられている野原、
つまり、
禁猟の野を守る番人、
をいい(広辞苑)・精選版日本国語大辞典、
鷹狩りの途中で逃げた鷹を野守がたまり水に映る影を見て発見した、
という故事から、普通、
野中の水に物影がうつるのを鏡にたとえていう語、
つまり、
水鏡、
の意とされる。書言字考節用集(江戸中期)には、
野守鏡、ノモリノカガミ、本朝俗、斥郊野清水云爾、事見八雲抄、袖中抄、
とある。
水鏡、
は、
池の面に影をさやかにうつしても水鏡見る女郎花(をみなへし)かな(西行)
と、
静かな水面に物の影が映って見えること、
また、
水面に自分の姿などをうつしてみること、
をいう(広辞苑)。
すいきょう、
とも訓ませるが、漢語で、
水鏡(スイキャウ)、
というと、漢語で、
衞瓘見廣而奇之曰、此人之水鏡、見之瑩然若披雲霧、而覩晴天也(晉書・樂廣傳)、
と、
水鏡之人、
といい、
人の師となるべき人、
の意で使う(字源)が、和語では、
すいきょう(水鏡)、
は、
水面に物の影が映って見える、
という、
みずかがみ、
の意の他に、
水がありのままに物の姿をうつすところから、
無心に物事を観察し、真実を理解すること、そういう人の模範となること、また、そういう人、
の意でも使い(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、さらに、
団々水鏡空而仮、灼々空花亦不真(「性霊集(1079)」)、
と、
月の異称、
としても使う(仝上)。なお、謡曲「野守(古名「野守鏡(のもりのかがみ)」)」(世阿彌)では、
シテは鬼神。旅の山伏(ワキ)が大和の春日野に着くと、由(よし)ありげな池がある。来かかった野守の老人(前ジテ)に尋ねると、野守の鏡という名だと教える。それは、自分たちのような野守が鏡の代りにするからそう呼ばれるのだが、本当の野守の鏡は、昔、鬼が持っていた鏡で、その鬼は、昼は野守の姿となり、夜は鬼の姿となってここの塚に住んでいたのだという。山伏は、〈はし鷹の野守の鏡得てしがな……〉という古歌を思い出して質問する。老人は、それもこの水を詠んだもので、昔、帝の鷹狩りのおり、鷹の行方を見失って捜したとき、野守が水中に鷹の姿があることを教えた。それは木の上にいた鷹の影が水に写っていたもので、鷹の行方がわかって〈はし鷹の……〉の歌が詠まれたのだと物語り、塚の中に姿を消す。夜に入ると塚の中から鬼神(後ジテ)が現れ、天上界から地獄の底までを映し出す不思議な鏡を山伏に与え、大地を踏み破って去って行く、
と(世界大百科事典)、
いわれのありそうな水を野守の鏡ということ、
や
昔この野で御狩が行なわれた時、鷹が逃げたがこの水にその姿が映ったことからゆくえがわかったこと、
などを取り入れている(精選版日本国語大辞典)。
「鏡」(漢音ケイ、呉音キョウ)は、「ます鏡」で触れたように、
会意兼形声。竟は、楽章のさかいめ、区切り目を表わし、境の原字。鏡は「金+音符竟」。胴を磨いて明暗のさかいめをはっきり映し出すかがみ、
とある(漢字源)。ただ、他は、
形声。「金」+音符「竟 /*KANG/」。「かがみ」を意味する漢語{鏡 /*krangs/}を表す字、
も(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%8F%A1)、
形声。金と、音符竟(ケイ、キヤウ)とから成る。かげや姿を映し出す「かがみ」の意を表す、
も(角川新字源)、
形声文字です(金+竟)。「金属の象形とすっぽり覆うさまを表した文字と土地の神を祭る為に柱状に固めた土の象形」(土中に含まれる「金属」の意味)と「取っ手のある刃物の象形と口の象形(「言う」の意味)の口の部分に1点加えた形(「音」の意味)と人の象形」(人が音楽をし終わるの意味だが、ここでは、「景(ケイ)」に通じ(同じ読みを持つ「景」と同じ意味を持つようになって)、「光」の意味)から、姿を映し出す「かがみ」を意味する「鏡」という漢字が成り立ちました、
も(https://okjiten.jp/kanji555.html)、形声文字(意味を表す部分と音を表す部分を組み合わせて作られた文字)としている。
参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)
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2024年09月09日
苔の袖
年暮れし涙のつららとけにけり苔の袖にも春やたつらむ(皇太后宮大夫俊成)、
の、
苔の袖、
は、
苔の衣(僧衣)の袖、
の意とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。俊成は安元二年(1176)九月、六十三歳で出家、その年の暮れ、
身に積もる年の暮れこそあはれなれ苔の袖をも忘れざりけり」(長秋詠藻)、
と詠んでいる(仝上)。新古今和歌集には、
いつかわれ苔のたもとに露おきて知らぬ山路(ぢ)の月を見るべき(家隆朝臣)、
と、
苔の袂、
の表現もある。
苔のたもと、
は、
「苔の衣」「法衣」に同じであるが、袂(袖)を片敷いて独り臥すイメージが働く、
とある(仝上・https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1952652512&owner_id=17423779)。
苔の衣、
は、
苔衣(こけごろも)、
に同じで、
苔の一面に生えた状態を衣にたとえた、
ことばで、
僧侶・隠者などのころも、
をいう(広辞苑)。
苔(こけ)、
自体に、
一樹下、石上を住處として、佛道を修行すると云ふ意より、僧侶の衣服、
などに言い(大言海)、
苔の衣、
苔の袂、
苔の袖、
苔の衣手、
苔の小衣、
苔織衣(こけおりぎぬ)、
などとも言い(仝上・精選版日本国語大辞典)、
閑居の體(てい)、
に、
苔の庵、
苔の戸、
苔の樞(とぼそ)、
などという(仝上)。
苔の袖、
は、
苔の袖雪げの水にすすぎつつおこなふ身にも恋はたえせず(「古今和歌六帖(976~87頃)」)、
苔の袂、
は、
みな人は花の衣になりぬなりこけのたもとよかわきだにせよ (古今和歌集)、
などと詠われる。
苔、
は、
蘚、
蘿、
などとも当て(精選版日本国語大辞典・広辞苑)、その由来は、
コケ(木毛)の義(岩波古語辞典・雅言考・和訓栞・名言通)、
コケ(小毛)の義(和句解・日本釈名・和語私臆鈔)、
コキ(木著)の転(言元梯)、
魚の鱗をいうコケに似るところから(東雅)
等々とあるが、「うろこ」で触れたように、「うろこ」を、
こけ、
と訓むのは、
こけら(鱗)の下略、
で、
魚、蛇の甲、杮葺(こけらぶき)の形に似れば云ふ、
とある(大言海)。
東京では略してコケと云ふ、
とある(仝上)ので、全く別の由来である。
和訓栞(江戸後期)に、木毛(コケ)の義なるべしとあり、古くは、木のコケを云ひしが多ければ、木なるが元にて、他にも云ひ及ぼし、すべて毛の如く生えつきたるものの総名となれるならむと云ふ、物類称呼(江戸中期)に、美濃・尾張、北國にては、キノコを、コケと云ふとあり(大言海)、
とあることで尽きているのではないか。和名類聚抄(931~38年)に、
苔、古介、
本草和名(ほんぞうわみょう)(918年編纂)に、
垣衣、一名、青苔衣、古介、
とある。
「苔」(漢音タイ、呉音ダイ)は、
会意兼形声。「艸+音符台(タイ 自力で動く、おのずと生じる)」、
とある(漢字源)が、
形声。「艸」+音符「台 /*LƏ/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%8B%94)、
形声。艸と、音符治(チ)→(タイ)(台は省略形)とから成る(角川新字源)、
形声文字です(艸+台)。 「並び生えた草」の象形と「農具:すきの象形と口の象形」(「大地にすきを入れてやわらかくする」の意味だが、ここでは、「始」に通じ(「始」と同じ意味を持つようになって)、「始まり」の意味)から、植物の始まり「こけ」を意味する「苔」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2681.html)、
と、いずれも形声文字としている。
参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
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2024年09月10日
さしあふ
身はとめつつ心は送る山桜風のたよりに思ひおこせよ(新古今和歌集)、
の詞書に、
東山に花見にまかり侍るとて、これかれさそひけるを、さしあふことありてとどまりて、申しつかはしける、
の、
さしあふこと、
は、
さしつかえること、
とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。
さしあふ、
は、
指し合ふ、
差し合ふ、
と当て(岩波古語辞典・大言海)、
指し合ふ、
は、
譬えば山賊と海賊と寄り合つて互ひに犯科の得失を指し合ふがごとし(太平記)、
と、
言い争う、
非難し合う、
意や、
世に不似ず美き酒にて有ければ、三人指合て(今昔物語集)、
と、
(酒などを)互いにつぎあう、さしつさされつする、
意で使い、
差し合ふ、
は、
あまた火ともさせて、小路ぎりに辻にさしあひぬ(落窪物語)、
と、
出会う、
でくわす、
一つになる、
意や、
大宮の御かたざまに、もてはなるまじきなど、かたがたに、さしあひたれば(源氏物語)、
と、
かち合って不都合になる、
さしつかえる、
さしさわりがある、
意で使うと分けているものもある(広辞苑・精選版日本国語大辞典)が、もともと、
車なども例ならでおはしますにさしあひて、おしとどめて立てたれば(源氏物語)、
と、
ばったり出会う、
意から敷衍して、冒頭の、詞書の、
これかれさそひけるを、さしあふことありてとどまりて(新古今和歌集)、
と、
(予定と予定が)かち合って不都合になる、
意や、
山際よりさし出づる日の、花やかなるにさしあひ、目も輝く心ちする御さまの(源氏物語)、
と、
光などを受けて、それに応じて輝く、映り合う、
意で使うに至ったと見ていい。漢字の当て分けは、後付けでしかないように思う。
差し、
指し、
と当てる、接頭語、
さし、
は、既にふれたように、
動詞に冠して語勢を強めあるいは整える、
とある(広辞苑)が、
遣るの意なる差すの連用形。他の動詞の上に用ゐること、甚だ多く、次々に列挙するが如し。一々説かず、……又、差しを、指す、擎す、刺すなど、四段活用の動詞に、當字に用ゐることも、多し、
とある(大言海)。後から「さし」に漢字を当てたにしても、同じ「さし」でも、口語で区別して使っていたから、異なる漢字を当てたと考えることができる。
動詞「さし」、
は、
最も古くは、自然現象において活動力・生命力が直線的に発現し作用する意。ついで空間的・時間的な目標の一点の方向へ、直線的に運動・力・意向が働き、目標の内部に直入する意、
とあり(岩波古語辞典)、
射し・差し
刺し・挿し、
鎖し・閉し、
注し・点し、
止し、
等々を当てている。
發す、
と当てる、
さす、
は、
發(た)つの音通(八雲立つ、八雲刺す、腐(くた)る、くさる、塞(ふた)ぐ、ふさぐ)、
とし、
立ち上る、
生(は)ゆ、生(お)い出づ、
髙くなる、
という意味を載せる(大言海)。
差し昇る、
差し上がる、
の「さし」は、
差し、
を当てても、
發(さ)す、
から来ている(仝上)。さらに、
映す、
は、「發す」と同義で、
差し映す、
といった言い方になる。
指す、
は、指差す、という意味になり、そこから、
その方向へ向かう、
それと定める、
尺にてはかる、
という意味になるが、
刺すと同源、
とあり(広辞苑)、
直線的に伸び行く意、
とあり、
指(差)し示す、
差し渡す、
差し向かう、
等々という使い方をする。
擎す、
は、
上へ指して上ぐる意、
で(大言海)、
差し上げる、
差し仰ぐ、
といった使い方になる。
注す、
は、
他のものを指して入れる、
意で、
刺す・点す、
として、
刺すの転義、
で、
ある物に他の物を加えいれる、
とし(仝上・広辞苑)、いずれも、
差す、
とも書き、
差し入れる、
差し入る、
差し加える、
と言った言い方になる。
刺す、
は、
指して突く意、
で、
刺す・挿す、
として、
(刺)こことねらいを定めたところに細くとがったものを直線的に貫き通す、
(挿)あるものをたのものの中にさしはさむ、
と、
刺し貫く、
差し込む、
差し抜く、
等々という使い方になる。
鎖す、
は、「桟を刺して閉ヅル意」ということで、
差し止める、
差し置く、
差し固める、
差し構える、
といった使い方になる。
一番多いのは、
差し、
と当てる用例だが、
その職務を指して遣はす意ならむ。此語、さされと、未然形に用ゐられてあれば、差の字音には非ず、和漢、暗合なり。倭訓栞「使をさしつかはす、人足をさすなど、云ふはこの字なり、
とある(大言海)。
当てる、
遣わす、
押しやる、
突きはる、
将棋を差す、
といった意味で、
「刺す」と同源。ある現象や事物が直線的にいつの間にか物の内部や空間に運動する意、
とある(広辞苑)。
差し遣わす、
差し送る、
差し送る、
差し入れる、
差しかかる、
といった使い方になる。行動のプロセスそのものの意でもあるので、この使い方が一番多いのかもしれない。
どうやら、
さす、
は、
行う、
ことから、
上げる、
ことから、
さしこむ、
ことまで幅広く使われていた。だから、「さし」を加えることで、単に、強調する、ということだけではないはずだ。
渡す、
のと、
差し渡す、
のとでは、「渡す」ことに強いる何かを強調しているし、
出す、
と
差し出す、
も同じだ。
貫く、
と
刺し貫く、
でも、ただ刺したのではなく、ある一点を目指している、という意味が強まる。
仰ぐ、
と
差し仰ぐ、
では、両者の上下の高さがより強調されることになる。
さし、
が、
空間的・時間的な目標の一点の方向へ、直線的に運動・力・意向が働き、目標の内部に直入する意、
として強調されるということは、
自分の意思、
か、
他人の意思、
かが強く働いている含意を強めているように思う。
許す、
と
差し許す、
あるいは、
控える、
と
差し控える、
と、意味なく、強調しているのではなさそうだ。だから、
合ふ、
に、
差し、
を加えて、
差し合ふ、
とした場合、単に、
出会う、
ぶつかる、
以上に、
ばったり、
と強い意味になる。そこに、自分ではなく、
他意、
ないし、強い、
偶然、
を加味しているとも見える。
(「差」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B7%AEより)
「差」(①漢音サ・呉音シャ、②漢音呉音シ、③慣用サ・漢音サイ・呉音セ)は、
会意兼形声。左はそばから左手でささえる意を含み、交叉の叉(ささえる)と同系。差は「穂の形+音符左」。穂を交差してささえると、上端は×型となり、そろわない。そのじぐざぐした姿を示す、
とある(漢字源)。音は、①は、「等差」「相差」など、違う意、②は、「参差」というように、ちぐはぐで揃わない意、③は、「差遣」というように、遣わす意である(仝上)。別に、
会意兼形声文字です。「ふぞろいの穂が出た稲」の象形と「左手」の象形と「握る所のあるのみ(鑿)又は、さしがね(工具)」の象形から、工具を持つ左手でふぞろいの穂が出た稲を刈り取るを意味し、そこから、「ふぞろい・ばらばら」を意味する「差」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji644.html)が、
かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B7%AE)、
形声。「𠂹 (この部分の正確な由来は不明)」+音符「左 /*TSAJ/」(仝上)、
と形声文字説、
もと、会意。左(正しくない)と、𠂹(すい)(=垂。たれる)とから成り、ふぞろいなさま、ひいて、くいちがう意を表す。差は、その省略形(角川新字源)、
と会意文字説と別れる。
参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
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2024年09月11日
桜麻
桜麻のをふの浦波たちかへり見れどもあかず山梨の花(新古今和歌集)、
桜麻の、
は、
「をふ」の枕詞、
で、
をふの浦波、
の、
をふの浦、
は、
伊勢国の歌枕、
とあり(久保田淳訳注『新古今和歌集』)、
現在の三重県鳥羽市浦村町に入り込んでいる海を生浦(おおのうら)湾と呼び、この地はかつて古今集・東歌に、
おふのうらに片枝さしおほひなる梨のなりもならずも寝て語らはん、
と歌われた梨の木と伝えられる木が境内にある片枝梨神社も存したという。それによれば志摩国の歌枕となる、
とある(仝上)。なお、
生浦(おうのうら)、
は、
志摩国の斎宮(いつきのみや)の庄、
といわれ(精選版日本国語大辞典)、梨を献じた(仝上)とある。ちなみに、
をふ、
は、
桜麻のをふの下草茂れただあかで別れし花の名なれば(新古今和歌集)、
とあり、
麻畑(久保田淳訳注『新古今和歌集』)、
あるいは、
麻の生えている地
とある(広辞苑)。枕詞、
桜麻の、
は、万葉集の、
桜麻乃(さくらあさノ)苧原(をふ)の下草露しあれば明かしてい行け母は知るとも、
などの、
桜麻乃、
桜麻之、
を訓んだもので、
麻と苧(お)とが同義であるところから、「おふ(苧生=麻の生えている所、麻畑)」にかかる、
が、その他、冒頭の、
さくらあさのをふのうら浪立ちかへり見れども飽かず山なしの花(新古今和歌集)、
と、
「苧生(おふ)」と同音の地名「おふの浦」、
にかかり、さらに、
さくらあさのかりふのはらをけさ見れば外山かたかけ秋風ぞ吹く(曾丹集)、
と、
桜麻を刈る意で、「刈る」と同音を持つ地名「かりふの原」、
にかかる。ただ、
さくらをのをふの下草やせたれどたとふばかりもあらずわが身は(古今和歌六帖)、
と、「古今六帖」(976~87頃)には、
さくらをのをふのしたくさ、
と見え、
契沖以来、「さくらをの」とよむ説も多い。「新古今」以後の勅撰集に、いくらかの用例を見るが、多くは、「さくらあさのをふのしたくさ」と続いている。実体不明のまま、歌語として受け継がれたものであろう、
とある(精選版日本国語大辞典)。しかし、
麻、
を、
を、
と訓ませる根拠はある。和名類聚抄(931~38年)に、
麻苧、乎(ヲ)、一云阿佐、
とあり、
を、
は、
苧、
とも当て、
アサの古名(広辞苑)、
あるいは、
アサの異称(岩波古語辞典・大言海)、
とある。
桜麻、
という名は、
花が薄紅色で桜のような五弁であるところから、
とも、
桜の咲く頃に種子をまくところから、
ともいう(精選版日本国語大辞典)とあるが、万葉集古義(江戸末期)に、
櫻麻は、櫻の咲く頃、蒔くものなる故に云ふ、と云へり、
とあり、
櫻鯛、櫻雨の類なるべし、
とし(大言海)、
麻の種は陰暦三月の頃に蒔く、
からだとし(仝上)、
雄麻(ヲアサ)の一名、
とする(仝上・精選版日本国語大辞典)
なお、「さくら」については触れた。
(「櫻(桜)」 https://kakijun.jp/page/sakura21200.htmlより)
「櫻(桜)」(漢音オウ、呉音ヨウ)は、
会意兼形声。嬰(エイ)は「貝二つ+女」の会意文字で、貝印を並べて首に巻く貝の首飾りをあらわし、とりまく意を含む。櫻は「木+音符嬰」で、花が気をとりまいて咲く木、
とあり(漢字源)、
会意兼形声文字です(木+嬰)。「大地を覆う木」の象形と「子安貝・両手を重ねひざまずく女性」の象形(女性が「首飾りをめぐらす」の意味)から、首飾りの玉のような実を身につける「ゆすらうめ」を意味する「桜」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji305.html)が、
形声。木と、音符嬰(エイ)→(アウ)とから成る。木の名。日本では、「さくら」の意に用いる(角川新字源)、
と、形声文字とする説もある。
「さくら」で触れたことだが、
我が国では、「さくら」に当てる「桜(櫻)」だが、中国では、花が木を取り巻いて咲く、
ゆすらうめ、
を指す。中国では、「さくら」は、「桜花」(インホア)という(漢字源・字源)。
ユスラウメ、
は、
中国原産で、日本へは江戸初期に渡来した。高さ約三メートル。葉は短柄をもち倒卵形で縁に鋸歯(きょし)があり、裏面に縮れた毛を密生する。春、葉に先だち白または淡紅色の小さな五弁花を開く。果実は径一センチメートルぐらいの球形で六月頃赤熟し甘味、酸味がほどよく合い生食される、
とある(精選版日本国語大辞典)。漢名に、
英桃、
毛桜桃、
を用いる(仝上)とある。
(ユスラウメ 日本大百科全書より)
参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2024年09月12日
すべらぎ
すべらぎの木高き陰に隠れてもなほ春雨に濡れむとぞ思ふ(新古今和歌集)、
の、
すべらぎ、
は、
帝王、
天皇、
の意だが、ここでは、
近衛天皇をさすか、
とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。
すべらぎ、
は、
皇、
と当て、
すめらきの転、
とあり(岩波古語辞典)、
すめらき、
ともいい(仝上・広辞苑)、室町時代の文明年間以降に成立した『文明本節用集』には、
皇、スベラギ、天子、
とある。『文明本節用集』には、
天皇、スベラギ、
ともある。古今集には、
八千種(やちくさ)の言の葉ごとにすべらぎのおおせかしこみ巻々の中につくすと(紀貫之)、
と、
帝、
の意で使う。「すべらぎ」に転訛する前の、
すめらき、
は、
スメロキの母音交替形、
で、古くは、
すめろき、
といい、
天皇、
と当てる(広辞苑)。
すめらぎ、
は、
スメラ君の約(大言海)、
スメキミ(統君)の義で、ラは添え字(類聚名物考)、
スベラリオハスキミ(統在坐君)の義(日本語原学=林甕臣)、
スベルキミ(統君)の義(名言通)、
スヘラキミ(都帝)の義(言元梯)、
等々とあるが、多く、「統べる」と関係づけている。「すめらぎ」の古形とされる、
すめろき、
は、
天皇、
皇祖、
と当て、
スメロはスメラの母音交替形、キはイザナキ・オキナのキと同根、男性の意、
とあり、
土地の最高位の男、
首長、
の意で、万葉集では、
隠口(こもりく)の泊瀬(はつせ)小国(をぐに)によばひせす我がすめろきよおくとこ(奥床)にはよに母は寐(い)ねたり、
と詠われるが、
須売呂岐能(すめろきの)御代佐可延牟等(みよさかえむと)阿頭麻奈流(あずまなる)美知能久夜麻爾(みちのくやまに)金花佐久(くがねはなさく)、
と、
天皇、
の意や、
葦原(あしはら)の瑞穂(みづほ)の国を天(あま)降り知らしめしける皇祖(すめろき)の神の命(みこと)の、
と、
皇祖、
の意でも使われる(岩波古語辞典)。
すめろき、
は、
皇祖君(スメラオヤギミ)の約轉(大言海)、
スミアレオヤギミ(皇生祖君)の約(雅言考)、
スメロはスメラの母音交替形、キはイザナキ・オキナのキと同根、男性の意(岩波古語辞典)、
とある。
スメロの母音交替形、
とされる、
すめら、
は、
天皇朕(すめらわれ)珍(うづ)の御手(みて)もちかき撫(な)でそねぎたまふうち撫でそねぎたまふ(万葉集)、
と、
最高の主権者、
一地域、また、日本全土について言う、
とあり、
天皇、
の意で使われる(岩波古語辞典)。この、
すめら、
を、
すべら、
と同じとし、
天祖、天皇の御上に係る物事に冠らせて尊称する語、
というように(皇辺(すめらべ)、皇御軍(すめらみいくさ)、皇命(すめらみこと)等々)、前述の「スベルキミ(統君)」説もそうだが、次のような音韻変化とする説が少なくない。
「天下を統治する君」という意のスブルキミ(統ぶる君)は、スムルギ・スメロギ(天皇)・スメラギ(天皇)になった。省略形のスメ・スベ(皇)、スメラ・スベラ(皇)は接頭語として用いられ、スメガミ(皇神)・スメマ(皇孫)・皇御国(スメラミクニ)・皇御軍(スメラミイクサ)・スメラミコト(皇尊、天皇)という(日本語の語源)、
と。しかし、こうした、
スメをスベ(統)と見る説、
は、意味的には妥当に思えるのだが、
スメはsumeの音、スベはsubëの音で母音が相違する、
とある(岩波古語辞典)ことで、一蹴される。といって、
梵語で、至高・妙高の意の蘇迷盧sumeruと音韻・意味が一致する、
最高の山を意味する蒙古語sumelと同源、
との説(仝上)は、いかがなものだろうか。
天皇、
という称号は、中国から取り入れたものだが、古く大和朝廷時代は、
大王(おおきみ)、
を用い、それを、
すめらぎ、
すべろぎ
すめろぎ、
等々と訓じてきたが、両者は別とする説がある。
オオキミ、
は〈大いなる君〉の意で、キミはまた〈カミ=上〉と通ずる古来の日常的尊称であった。この、
キミ、
は、
筑紫君(つくしのきみ)などと地方豪族の地位の称にみえるキミは日常語からの延長であり、それをさらに大きく称号化したものがオオキミだといえる、
とあり(世界大百科事典)。オオキミは天皇だけをさす語ではなく、王族身分の称(額田王(ぬかたのおおきみ)など)に用いられ、さらに一般にとくに尊敬をこめた代名詞として使われた形跡がある(仝上)。
それに対して、
スメラミコト、
は、
天皇のみをさす尊称、
で、それは旧来のオオキミに代わって、王権の聖性と尊厳を内外にあらわすべく、6世紀末ないし7世紀初めのころ、とくに定められた(仝上)され、対外的文書や詔勅といった公式的・儀礼的機会に限ってのみみられ、万葉集などでは、
大君は神にしませば赤駒の腹這ふ田居(たゐ)を都と成しつ、
大君は神にしませば水鳥のすだく水沼(みぬま)を都と成しつ、
などと、オオキミと呼ばれていたものに、
すべろぐ、
すめろぎ、
すめらみこと、
などに、中国典籍による、
天皇、
を当てたものだろう(仝上)とみられる。なお、西郷信綱の説に、
〈スメラ〉を〈澄める〉にもとづくものとし、それにより〈ケガレ〉の対極にあるところの神聖王権の超越性をあらわした、
とするものがある。この方が、古来の天皇の神性を感じさせる気がする。
「皇」(漢音コウ、呉音オウ)は、
会意兼形声。王とは偉大な者のこと。皇は「自(はな→はじめ)+音符王」で、鼻祖(いちばんはじめの王)のこと。人類開祖の王者というのがその原義。上部の白印は白ではなく自(鼻の原字)である、
とあり(漢字源)、
秦の始皇帝がみずから皇帝と称したのにはじまる、
とある(仝上)。別に、
会意兼形声文字です(白+王)。「光を放つ日」の象形と「支配権の象徴として用いられたまさかり(斧)」の象形から、「君主」、「王」、「皇帝」、「美しい」を意味する「皇」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji1000.html)が、
象形。もと、土(燭台(しよくだい)の象形。のち、王の形に変わる)の上に、火光(白は誤り変わった形)がかがやくさまにかたどり、かがやきわたる意を表す。「煌(クワウ)」の原字。借りて、王の美称、広大の意に用いる、
と(角川新字源)、象形文字とする説もある。中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)は、
会意文字。「自」から構成され。「自」は始めの意である。最初の「皇」は三皇であり、偉大な君主である。「自」は「鼻」の字音で発音する。俗に最初に生まれた子を「鼻子」という、
とある(漢辞海)。因みに、
三皇(さんこう)、
は、古代中国の神話伝説時代の八人の帝王を、
三皇は神、五帝は聖人、
として、
三皇五帝(さんこうごてい)、
という。諸説あるが、司馬遷『史記』秦始皇本紀では、「三皇」を、
天皇・地皇・泰皇(人皇)、
としているが、司馬貞が補った『史記』三皇本紀では、上記と併記して、三皇を、
伏羲、女媧、神農、
としている。なお「五帝」は、
伏羲・女媧・神農・燧人・黄帝、
とされる(https://information-station.xyz/9241.html)。「三皇五帝」については、「烏號」で触れた。
(天皇氏(明代『三才図絵』) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%9A%87_(%E4%B8%89%E7%9A%87より)
参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
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コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2024年09月13日
麻
麻衣着(け)ればなつかし紀の国の妹背の山に麻蒔く吾妹(わぎも)(万葉集)、
の、
麻衣、
は、
喪服として用いた、
とある(岩波古語辞典)が、このことは、「藤衣」で触れた。また、
紀州の名産、
でもあった。
麻、
は、
大麻、
苧麻(からむし)、
黄麻、
亜麻、
などの総称(広辞苑)とあるが、現代では、
「大麻(ヘンプ)」「苧麻(ラミー)」「亜麻(リネン)」「黄麻(ジュート)」「洋麻(ケナフ)」、
等々、茎の繊維を取る植物の総称として使われている(https://hemps.jp/asa-hemp-taima/)とある。なかでも、
「大麻」と「苧麻(ちょま・ラミー)」、
は古代から日本で利用され、最も古い日本の「麻」の痕跡は、縄文時代の貝塚から見つかった「大麻」を使った縄(仝上)という。
麻(あさ)、
は、
植物表皮の内側にある柔繊維または、葉茎などから採取される繊維の総称、
であるが、
狭義の麻(大麻)、
と、
苧麻(からむし)、
の繊維は、
日本では広義に、
麻、
と呼ばれ、和装の麻織物(麻布)として古くから重宝されてきた。狭義の麻は、神道では重要な繊維であり様々な用途で使われる。麻袋、麻縄、麻紙などの原料ともなる。
狭義の「麻」、
大麻、
は、古語、
總(ふさ)、
といい(平安時代の『古語拾遺』)、
を(麻・苧)、
そ(麻)、
とも言った。
クワ科の一年草、
で、
春蒔きて、秋刈る。茎、方(カタ)にして、直(すぐ)に生ふること、七八尺に至る、葉の形、カヘデの葉に似て、長大にして対生す、茎の皮の繊維(すじ)を取りて、麻絲とし、其残茎は、アサガラ(一名ヲガラ)となる、
とあり(大言海)、
雄、雌あり、雄麻は、夏薄緑なる細かき花を生じて、實無し。一名サクラアサ。枲麻。雌麻は、花、緑にして細かき粒の如き子(み)を結ぶ。アサノミと云ひて、食用とす。一名、みあさ。苴麻、
とある(大言海)。和名類聚抄(931~38年)には、
麻、阿佐、
とある。漢語では、雄株を、
枲(シ)、
雌株を、
苴(ショ)・芓(シ)、
という(http://www.atomigunpofu.jp/ch4-vegitables/taima.htm)とある。「櫻麻」で触れたように、この名は、万葉集古義(江戸末期)に、
櫻麻は、櫻の咲く頃、蒔くものなる故に云ふ、と云へり、
とあり(大言海)、
麻の種は陰暦三月の頃に蒔く、
からだとし(仝上)、
雄麻(ヲアサ)の一名、
とした(仝上・精選版日本国語大辞典)。
(麻の繊維と、繊維を剥いた後に残る麻幹(おがら)。神道ではひも状の繊維のまま用いられることも多く、さらに裂いて紡ぐと麻糸となる https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%BB_%28%E7%B9%8A%E7%B6%AD%29より)
で、この、
麻、
の由来だが、
青麻(アヲソ)の約轉(つぼおる、つぼる。ひそめく、ひさめく)。木綿(ゆふ)にて作れるを、白和幣(シラニギテ)と云ひ、麻にて作れるを、青和幣(アヲニギテ)と云ふ(大言海)、
アは接頭語、サは麻の原語(日本古語大辞典=松岡静雄)、
アヲソ(青麻)の約轉(古今要覧稿・日本語源=賀茂百樹)、
浅の意。またはアヲサキ(青割)の転(和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子)、
アザナフの義(碩鼠漫筆)、
赤くして皮をさくことから赤物の義(和句解)、
アラサヤ(粗清)の意。アラの反ア、サヤの反サ(名言通)、
朝鮮語sam(麻)と同源か(岩波古語辞典)、
等々とあるが、古名、
そ(麻)、
を(麻・苧)、
とのかかわりが見えない。ただ、
青苧(あおそ)と書いた場合も苧麻を指し、これは上布のための良質な原料である、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%BB_%28%E7%B9%8A%E7%B6%AD%29)ので、材料からの視点と見えなくもないが、
青苧、
は、
青みを帯びているからいう、
らしく(大言海・広辞苑)、
からむし(苧麻(ちょま))の茎の皮から取り出し、灰汁(あく)だしし、白皮を晒して、細かく裂いたもの。奈良晒、越後布の原料、
で、
奈良苧、真苧(まを)、綱苧(つなそ)、
などという(広辞苑・岩波古語辞典)とあるので、あくまで、大麻ではなく、
からむし(苧・苧麻)、
のことだが、
を、
を、
「からむし(苧)」の異名、
とすることからも、
麻を(からむし)と呼んでいることもある、
という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%BB_%28%E7%B9%8A%E7%B6%AD%29)ので、混交があるようだが、それにしても、古代は別に考えていたのではないか。ただ、大言海は、
麻と云ふ語は、即ち、アヲソの略転、
としているが。和名類聚抄(931~38年)に、
麻苧、乎(ヲ)、一云阿佐、
とある、
桜麻の苧(を)ふの下草露しあれば明かしてい行け母は知るとも(万葉集)、
の、
を(麻)、
の由来はどうか。
「緒」と同語源か(デジタル大辞泉)、
ヲ(麻・緒)は細い義から出た語(国語の語根とその分類=大島正健)、
ヲ(苧)はヲ(尾)の義、馬尾にたとえていう(名言通)、
と、
麻、苧の茎の皮の繊維で作った糸。緒にするもの、
とあり(精選版日本国語大辞典・日本語源大辞典)、
繊維を糸に作るウム(績)は、ヲをつくるということであろう。またヲ(尾)・ヲ(緒)もこの麻糸のヲと関係があると思われる(日本語源大辞典)、
オ(尾)・オ(緒)もこの麻糸のオに関係があると思われる(精選版日本国語大辞典)、
などとあるので、「麻」の用例から来たと見ているようである。
三輪山の山辺(ヤマヘ)真蘇(ソ)木綿(ユフ)短か木綿(ユフ)かくのみからに長くと思ひき(万葉集)、
の、
そ(麻)、
は、
「あかそ(赤麻)」「かみそ(紙麻)」「すがそ(菅麻)」「まそ(真麻)」「やまそ(山麻)」「打麻(うちそ)」「夏麻(なつそ)引く」、
等々複合語として残り(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)、
サヲの約、サは発語、ヲは即ちヲ(麻)なりと云ふ、
とあり(岩波古語辞典)、
を、
と繋がり、用例としての、
緒、
ともつながる。しかし、
苧(お)、
と言う時、単に麻や苧麻のひも状の繊維、
を指す(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%BB_%28%E7%B9%8A%E7%B6%AD%29)とあり、
苧麻の苧(お)を作ることを、苧引き(おひき)と呼び、成長が遅れ短くなった原料とするにつれ順に、親苧(おやそ)、影苧(かげそ)、子供苧(こどもそ)と呼ぶ。麻の苧(あさお)を作ることを、麻ひき(おひき)という(しかし、苧引と書くこともあるかもしれない)、
とある(仝上)ので、素材としての「麻」とは区別していた可能性がある。しかし、現状では、
「あさ」「お(を)」「そ」の間の関係は明確ではない、
というのが正確かもしれない。
(カラムシ 日本大百科全書より)
さて、広義の、
麻、
に含まれる、
からむし、
は、
詔して、天の下をして桑、紵(カラムシ)、梨、栗、蕪菁(あをな)等の草木を勧め殖ゑ令む(日本書紀)、
と、
苧、
枲、
紵、
などと当て、
イラクサ科の多年草。本州、四国、九州の原野に生え、畑にも栽培される。茎はやや木質化し、高さ一~一・五メートル。茎、葉柄ともに白色の短毛を密生する。葉は互生し長さ八~一五センチメートルの広卵形で先端がとがり縁に鈍い歯牙がある。夏から秋にかけ、葉腋(ようえき)に淡緑色の単性花をまばらにつける。雌雄同株。茎から繊維(青苧(あをそ))をとる、
とあり(精選版日本国語大辞典・広辞苑)、
其茎を水に浸し、蓆にて覆ひて蒸し、皮を製して、越後縮、越後上布、薩摩上布、奈良晒などの布を織る、
とある(大言海)。一名、
からを、
けむし、
真麻(まを)、
シラソ、
むし(苧)、
などという。天治字鏡(平安中期)には、
枲、加良牟志、
同じく、
枲、加良乎、
和名類聚抄(931~38年)には、
苧、麻屬、白而細者也、加良无之、
同じく、
枲、介牟之、
とある。この由来は、
茎蒸(からむし)の義、カラヲと云ふも、茎麻(からを)にて、ケムシと云ふは、カラムシの約轉(高市(たかいち)、たけち。長押(ながおし)、なげし)(大言海)、
ムシは朝鮮語mosi(苧)の転か、あるいはアイヌ語mose(蕁麻)の転か(広辞苑)、
繊維をとるのに、幹(から)すなわち茎を水に浸した後、むしろをかけて蒸すところから(和漢三才図絵・名言通)、
カラは唐で、舶来の改良したものの意。ムシは朝鮮語mosiあるいはアイヌ語moseから(国語学論考=金田一京助)、
と、こちらは製造プロセスから来たもののようである。しかし、上述したように、
大麻とからむし、
からむしと麻、
は、
名称が混交して麻をからむしと呼んでいることもある。宮城県の町誌で、からむしを蒸すと記されている。しかし本来蒸すのは麻。そのため「からむし」を名に含む店舗の高齢者を訪ねると、種を撒く・蒸すなど麻の特徴を語ったため、その地区では麻をからむしと呼んでいたとされる、
等々(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%BB_%28%E7%B9%8A%E7%B6%AD%29)、後世は、混乱が見られるが、上代迄そうだったというのは考えられない。厳密な区別がされていたのではあるまいか。
(「麻」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%BA%BBより)
「麻」(漢音バ、呉音メ、唐音マ)は、
会意文字。「广(やね)+𣏟(麻の茎を二本並べて、繊維をはぎ取るさま)」。あさの茎をみずにつけてふやかし、こすって繊維をはぎとり、さらにこすってしなやかにする、
とあり(漢字源)、大麻の一種で、雌雄異株で、雄株を枲又牡麻、雌株を苴麻又小麻というとある(字源)。別に、
会意。广(げん)(いえ)と、𣏟(はい)(あさ)とから成り、屋下であさの繊維をはぎとる、ひいて「あさ」の意を表す(角川新字源)、
ともあるが、これらは、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)に基づくもので、
『説文解字』では「广」+「𣏟」と説明されているが、これは誤った分析である。金文の形を見ればわかるように「广」とは関係がない、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%BA%BB)、
形声。「厂」(「石」の原字)+音符「𣏟 /*MAJ/」。「砥石」を意味する漢語{磨 /*maajs/}を表す字。のち仮借して「あさ」を意味する漢語{麻 /*mraaj/}に用いる、
としている(仝上)。なお、
麻は雌体、枲は雄体、
を意味するともある(漢辞海)。
「苧」(漢音チョ、呉音ジョ)は、「倭文の苧環」で触れたように、
会意兼形声。「艸+音符竚(チョ じっとたつ)の略体」、
とある(漢字源)。麻の一種の「からむし」である。
「枲」(シ)は、
形声。「木+音符台」、
とあり(漢字源)、
あさの一種、大麻の雄株、実がをつけない、
とある(仝上)。
参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
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2024年09月14日
いはぬ色
九重にあらで八重咲く山吹のいはぬ色をば知る人もなし(新古今和歌集)、
の、
いはぬ色、
は、
山吹の花色衣(はないろごろも)ぬしや誰(たれ)問へど答へずくちなしにして(古今和歌集)、
とも詠われ、
梔(くちなし)と口無しをかける。山吹色に染めるには、梔をもちいた、
とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。
言わぬ色、
は、
梔(くちなし)の実の色を口無しにかけて言うものだが、この由来は、源俊頼の歌論書『俊頼脳髄』(1112年頃)にある、
道信の中将の、山吹の花を持ちて、上〔うへ〕の御局〔みつぼね〕といへる所を過ぎけるに、女房たちあまた居〔ゐ〕こぼれて、「さるめでたきものを持ちて、ただに過ぐるやうやある」と、言ひ掛けたりければ、もとよりやまうけたりけむ、
くちなしにちしほやちしほ染めてけり、
と言ひて、差し入れりければ、若き人々、え取らざりければ、奥に伊勢大輔〔いせのたいふ〕が候〔さぶら〕ひけるを、「あれ取れ」と宮の仰せられければ、受け給ひて、一間〔ひとま〕がほどをゐざり出〔い〕でけるに、思ひよりて、
こはえも言はぬ花の色かな、
とこそ、付けたりけれ。これを上、聞し召して、「大輔なからましかば、恥がましかりけることかな」とぞ、仰せられける、
という、
くちなしに千入(ちしほ)八千入(やちしほ)そめて(藤原道信)
こはえもいはぬ花の色かな(伊勢大輔)
の連歌から、
山吹のくちなし色、
を、
口無し色、
言わぬ色、
というようになったようである。
梔子色、
は、
梔子(くちなし)染、
支子(くちなし)染、
の色を指し、
布帛を、クチナシの実にて染たるもの、色、黄なり、
とある(大言海)が、
赤みを帯びた濃い黄色、
である(岩波古語辞典)。厳密には、
クチナシで染めた黄色に、ベニバナの赤をわずかに重ね染めした色を指し、クチナシのみで染めた色自体は黄支子(きくちなし)と呼んで区別された、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%94%E5%AD%90%E8%89%B2)。別名が、「口無し」にかけて、
謂はぬ色、
である。
(梔子色・染め上がり デジタル大辞泉より)
クチナシ、
は、
梔子、
巵子、
山梔子、
等々とも当て(広辞苑)、漢名は、
梔子(シシ)、
で、これを当てた。
「梔」(シ)は、「クチナシ」で触れたように、
会意兼形声。「木+音符巵(シ 水をつぐ器)」。くちなしの実が、水をつぐ器に似ていることから」
とある(漢字源)。「巵(卮)」(シ)が当てられるのは、「巵」が、盃の意だからであろうか、あるいは、「シ」という同音のせいだろうか。たべもの語源辞典は、
巵は酒を入れる器である。果実の形が巵に似ていることから、巵子あるいは梔(シ)という、
とする。
「クチナシ」は、別名、
木丹(ボクタン)、
とも言う。本草綱目に、
梔子、一名木丹、
とある(字源)。
熟した果実を採取し、天日または陰干しで乾燥処理したものは、生薬として、
山梔子(サンシシ)、
と称され、漢方では、
消炎、利尿、止血、鎮静、鎮痙(痙攣を鎮める)の目的で処方に配剤されるが、単独で用いられることはない、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%81%E3%83%8A%E3%82%B7)。
「クチナシ」の語原は、大勢、
口無の義、實、熟すれども、開かず、
とされる(大言海)。和歌では、
山吹の花色衣(はないろごろも)主(ぬし)や誰(たれ)問へど答へずくちなしにして(古今和歌集)、
というように、「口無し」にかけて言うことが多いこと、また、
クリ・シイ・ザクロ・ツバキなど、からがあってその内に種子を包むものは、熟するとかならず口を開くものであるが、このクチナシだけが、熟しても口を開かない。熟しても口がないのは実に珍しいのでクチナシと称した、
という(たべもの語源辞典)ことから、
口無し、
説が妥当なのだろう。和歌では、
口無し、
に、
梔子、
梔子色
にかけ、
これが、
いはぬ色、
につながる。
参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2024年09月15日
局外者
M・フーコー( 中村 雄二郎訳)『知の考古学』を読む。
とてもフーコーを論じ、構造主義を云々ずるだけの知識がないので、これを読んで起った自分の中の反応を書き留めておく。あくまで、憶説、妄説である。
『言葉と物』で、フーコーが、
「……自分が自分の言語の総体に、秘かですべてを語り得る神のように、住まってはいないことを学ぶ。自分のかたわらに、語りかける言語、しかも彼がその主人ではないような言語が、あるということを発見するのだ。それは努力し、挫折し、黙ってしまう言語、彼がもはや動かすことのできない言語である。彼自身がかつて語った言語、しかも今では彼から分離して、ますます沈黙する空間の中を自転する言語なのだ。そしてとりわけ、彼は自分が語るまさにその瞬間に、自分がつねに自分の言語の内部に同じような仕方で居を構えているわけではないということを発見するのであり、そして哲学する主体……の占める場所に、一つの空虚が穿たれ、そして無数の語る主体がそこで結び合わされては解きほぐされ、組み合わさっては排斥し合うということを発見するのだ。」(豊崎光一訳『外の思考』)
と書いていることを引用したことがあるが、本書の結論のところの、自己対話の中で、
語る主体をなしですまそうとつとめた、
との指摘に対して、
語る主体への照合を保留したとしても、それは、すべての語る主体によって同一の重要なのは、反対に、さまざまな差異がなにから成り立つのか、一つの同じ言説=実践の内部で、人々が異なった対象について語り、対立する意見をもち、矛盾した選択をすることがどうして起こりえたか、を示すことであった。また、言説=実践のあれこれが相互に区別されるのはどのような点によるのか、示すことでもあった。要するに、私が欲したのは語る主体の問題を排除することではなく、言説の多様性のなかで語る主体がもちえたさまざまな位置と機能を明確にすることであった。
と答えている。構造主義の、
歴史と文化を相対化する、
ということと、
語る主体を相対化する、
こととは、一対のように、僕には見える。
歴史主義、
を否定することと、
非中心化、
とは一対である。
歴史主義、
とは、
救済史、
とつながり(救済史については、K・レーヴィット『世界と世界史』、R・K・ブルトマン『歴史と終末論』、O・クルマン『キリストと時』で触れた)、主体を、
歴史の中において、
歴史の中から見ることではないか。それに対して、
考古学、
というとき、過去の文化、著作、思想を、
遺跡、
遺物、
として、主体としての著者を、
歴史の外から、
あるいは、
歴史の終着点から、
見るということにつながるのではないか。それは、歴史の、
局外者、
となり、
歴史に責任をとらない、
ということでもある。それは、
救済史、
になぞらえるなら、
究極の時点(たとえば、最後の審判)、
から、過去を振り返るに等しくはないか。それは、
神の視点、
に近い、というと、言い過ぎだろうか。確かに、
歴史主義、
は、『世界と世界史』で触れたように、
救済史、
つまり、
神的な始りから神的な終わり、
を、
約束からその実現(最後の審判)への前進、
とみなしたことが、
ヘーゲルの世界精神の現実化、
という、
キリスト教的信仰の世俗化をもたらし(ヘーゲル『精神現象学』については触れた)、それが、マルクスの、
史的唯物論、
という終末論の世俗化を理論化に至らしめた(マルクス『経済学批判』、『資本論』については触れた)。しかし、こうした、
何かを目指している歴史、
という考え方の、
歴史主義、
は根深く、
「人間は歴史的に制約されているのみならず、根本的に歴史的に存在する――つまり人間は徹頭徹尾時間的な存在だからである。歴史的な意識と伝達の可能性は、ハイデッゲルによれば、人間的実存――それの時間性がもっとも決定的に表現されるのは、それが死を予想して実在している、あるいは『終わりに向かう存在』である、という事実においてである――の総体的かつ徹底的な歴史性に存する。」
とするハイデッガーですら、
「存在そのものは『存在の生起』であり、その真理は真理の生起であり、歴史的な出現と隠伏はそれぞれ、そのさどの決定的な瞬間に変化する『現前』と『不在』である」
と(ハイデガーについては『形而上学入門』、『存在と時間』で触れた)、言ってみれば、時間軸を短くし、終末を、「存在の運命」の瞬間に貶めただけのように見える。
確かに、歴史主義は、
「もろもろの理念、神、道徳律、理性の権威、進歩、支配者の幸福、文化、文明などがその建設的な力を失い、無価値」(レーヴィット)
なのかもしれないが、逆に言うなら、
歴史の外から、
ではなく、現在進行形の、
歴史の中から、
歴史に身をゆだねている、
からこそ、その、
歴史の責任を自ら負う、
ということをも意味したはずだ。しかし、
構造主義、
は、少なくとも、フーコーのそれは、
歴史を外から、
言い換えると、
歴史の終着点から、
見ている。だからこそ、
考古学、
というのではないか。それかあらぬか、僕には、構造主義の後、
ポスト構造主義、
は、ぺんぺん草も生えない、不毛の地になっているとしか見えない。なぜなら、
歴史の終着点から総括してしまった跡、
には、何もないからではないか。
こんな感想を懐いた読後である。
なお、ミシェル・フーコーについては、、『〈知への意志〉講義』、『主体の解釈学』、『言葉と物―人文科学の考古学』については触れた。
参考文献;
M・フーコー( 中村 雄二郎訳)『知の考古学』(河出書房新社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2024年09月16日
やすらふ
入りやらで夜を惜しむ月のやすらひにほのぼの明るく山の端ぞ憂き(新古今和歌集)、
の、
夜を惜しむ月、
は、
月を擬人化していう、
とあり、
この表現で有明の月と知れる、
とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。また、
やすらひに、
は、
ためらひのうちに、
とあり(仝上)、
やすらひに真木の戸こそはささざらめいかに明けつる冬の夜ならむ(後拾遺・和泉式部)、
を引く(仝上)。同じ新古今集に、
おのづからいはぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる(西行)、
があり、この場合は、
こちらから音信するのをためらふ、
とある(仝上)。
やすらふ、
は、
休らふ、
安らふ、
と当て(広辞苑・デジタル大辞泉)、
ヤスシ(安)と同根。ヒは反復・継続を表す接尾語、事の進行、骨折りをしばらく止めている意、
とある(岩波古語辞典)。
やすし、
は、
易し、
安し、
と当て、
ヤスム(休)と同根、物事の成行きについて、責任や困難がなく、気が楽である意、
とあり(仝上)、接尾語、
ヒ、
は、
四段活用の動詞を作り、反復・継続の意を表す。たとえば、「散る」「呼ぶ」といえば普通一回だけ、散る、呼ぶ意を表すが、「散らひ」「呼ばひ」といえば、何回も繰り返して散り、呼ぶ意をはっきりと表す。元来は、四段活用の動詞アフ(合)で、これが動詞連用形の後に加わって成立した、
とある(仝上)。ただ、異説も、
ヤスム(休)のヤスに接尾語ラフがついたもの(小学館古語大辞典)
ヤスムル(休息)の義(言元梯)、
等々あり、
やすむ、
とつながることだけは共通している。
やすらふ、
は、本来、
ものうければしばしやすらひて参り来む(紫式部日記)、
ここにやすらはむの御心もふかければうちやすみ給て(源氏物語)、
などと、
休息して様子を見る、
休む、
意で、そこから、
いとなんゆゆしき心ちしはべるなどいへど、けしきもなければ、しばしやすらひてかへりぬ(蜻蛉日記)、
と、
足を止める、
一所に止まってぐずぐずする、
たたずむ、
意や、
宋朝よりすぐれたる名医わたって、本朝にやすらふことあり(平家物語)、
と、
仮に滞在している、
とどまっている、
旅先で滞在している、
といった、状態表現で使い、それが転じて、
物や言ひ寄らましとおぼせど……心恥づかしくてやすらひ給ふ(源氏物語)、
せちにそそのかし給へど、とかくやすらひて(宇津保物語)、
などと、価値表現となり、
どうしようかと迷って、行動に移れないでいる、
事を進めず思案している、
ぐずぐずしている、
躊躇(ちゅうちょ)する、
ためらう、
という意で使うに至る(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。
(「休」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BC%91より)
「休」(漢音キュウ、呉音ク)は、
会意文字。「人+木」で、人が木の陰にかばわれて休息するさまを示す。かばいいたわる意を含む。やすむの意はその派生義である、
とある(漢字源)。人が木陰にいこうことから、「やすむ」意を表す(角川新字源)ともある。別に、
会意。「人」+「木」または「𥝌」。人が木陰でやすむさまを象る。{休 /*hu/}を表す字、
ともある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BC%91)。
戦の講和の軍門を示し、戦時の褒賞が原義(白川静)、
との説もあるが、
甲骨文字や金文などの資料と一致していない記述が含まれていたり根拠のない憶測に基づいていたりするためコンセンサスを得られていない、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BC%91)。
(「安」甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AE%89より)
「安」(アン)は、
会意文字。「宀(やね)+女」で、女性を家の中に落ち着かせたさま。疑問詞・反問詞などに用いるのは当て字。焉と同じ、
とある(漢字源)。
家の中に女がいることから、静かにとどまる、ひいて、やすらかの意を表す、
ともある(角川新字源)。しかし、
「宀」+「女」と説明され、女性が家の中で落ち着くさま、
との解釈は、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)に基づく解釈で、
これは誤った分析である。甲骨文字や金文の形を見ればわかるように、この文字の下側の部分は「女」とは異なり、後漢の時代に字形が省略されて“女”と書かれるようになったに過ぎない、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AE%89)、
甲骨文字には「[⿻女丶]」+「宀」からなるこの字と、これに字形がよく似た「𡧊(賓)」の異体字(「女」+「宀」からなる)が存在し、古い学説ではこれらが混同されていた、
とし、
甲骨文字に見られる原字「[⿻女丶]」は、跪いた人を象る「女」とその臀部付近に添えられた深く腰掛けることを示す(またはは敷物や腰掛けの類を象る)筆画から構成される。のち「宀」(家屋)を加えて「安」の字体となる。「座る」を意味する漢語{安 /*ʔaan/}を表す字、
としている(仝上)。
参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2024年09月17日
真屋
さみだれは真屋(まや)の軒端の雨(あま)そそきあまりなるまで濡るる袖かな(新古今和歌集)、
の、
真屋、
は、
切妻造りの家、
とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。
真屋、
は、
両下、
とも当て(広辞苑・岩波古語辞典)、
ま、
は、
両方、
や、
は、
屋根、
の意(広辞苑)、
棟の前後二方へ葺き下ろしにした家の作り、
で、
両下げ、
ともいう(仝上)。和名類聚抄(931~38年)に、
両下 唐令云、門舎三品已上五架三門、五品以上三門両下、瓣色立成云、両下、和名萬夜、
天治字鏡(平安中期)に、
両下、真屋、
とあり、『梁塵愚案抄』(一条兼良 1455年)に、
兩下(マヤ)は、臺屋(對屋(タイノヤ))作りの両方に、雨水の落つるを云ふ、
とある。
切妻造(きりづまづくり)、
のことである。
真屋、
の由来は、
「ま」は両方、「や」は「屋根」の意とする、
説(広辞苑)以外に、
神社建築がすべて切妻造りであるところからも、仏教建築渡来以前は切妻造りが上等な建物に用いられたため、「真(ま)」の意とする、
つまり、奈良時代には、
切妻造を真屋(まや)と呼び、寄棟造や入母屋造を東屋(あずまや)と呼んだ。真屋は〈ほんとうの〉という〈真〉であり、〈東〉は〈いなかの〉という意味で、真屋の方が言葉としては高い程度のものを意味していた、
とする説(精選版日本国語大辞典・世界大百科事典)、
真手(まて)の真、物二つ備わりたる意を云ふに同じ、
とする説(大言海)などがある。江戸後期の『和訓栞』には、
まや 和名杪に両下をよめり、両方へ簷(のき)をおろしたる対屋造をいふ、祝詞式に書る真屋の義なるべし、四阿(あづまや)に対しいへり、よてあづまやのまやのあまりとも重ね詞によめり、あまりはのきをいふ也、一説に、細流に、まやは本屋也と見ゆ、もやと同じともいへり、式神賀辞に伊豆能真屋といふは、斎屋なれば、厳にいへり、真は褒たる辞也、
とある(https://verdure.tyanoyu.net/cyasitu010101.html)。
真屋、
つまり、
切妻造、
は、
切棟、
ともいうが、
四阿(あづまや)の作りに対す、
とある(大言海)。
妻、
は、
端(つま)、
の意味で、屋根の妻(端)を切った形というところからきている(https://verdure.tyanoyu.net/cyasitu010101.html)。江戸後期の『類聚名物考』には、
つま 軒のつま あつまや 爪 端(義訓) 妻(俗字)。これは端と云ふに同し意あり、もとは爪なり、漢書王莽傳に云ふ。……(前漢書九十九王莽傳下)或言、黄帝時建華蓋、以登僊、莽乃造華蓋、九重高八丈一尺、金瑵葆羽、載以祕機、四輪車駕、六馬云々。注、師古曰瑵讀曰爪、謂蓋弓頭為爪形。今思ふに、つまに端と書は義訓也、妻は借字也、爪を正とすべし、すべてつまとは、家の宇(のき)の下にさしくだしたる端をいへり、四阿をあづまやと訓るは、四方みな軒をおろして爪あれば也、今俗に云宝形造り也、その爪を切取たる方を切爪といふ、破風の方をいふ也、さてつまとは、軒の方は垂木のさし出て有が、人の指を延て、爪のそろひたる様に似たればいふ也、今堂塔などに、扇垂木といふ物有は、まさしく傘の骨に似たり、これ王莽が伝に見えし蓋の制より出たり、
とある(仝上)。「つま」で触れたように、「つま」は、
妻、
夫、
端、
褄、
爪、
などと当てるが、「つま(端)」につながることと符合する気がする。
四阿、
は、
東屋、
とも当てるが、この、
四阿、
の、
阿、
は中国語では棟の意で、四阿は四方に棟のある建物、すなわち、
宝形造、
や、
寄棟造、
の建物をさす。日本古代でも四阿はそのような意味で使われ、切妻造の建物、すなわち真屋(まや)に対する言葉であった。この場合、
真屋、
には、
真正の家屋、
あずまや、
には、
へんぴな地の家屋、
という意味が含まれている(世界大百科事典)とあるが、これはあくまで、
神社建築に見られるような切妻造を高級視する、
という価値観に基づくものとある(仝上)ので、「真屋」の由来とはつながらないだろう。
(「眞(真)」 https://kakijun.jp/page/shin10200.htmlより)
「眞(真)」(シン)は、「真如」で触れたように、
会意文字。「匕(さじ)+鼎(かなえ)」で、匙(さじ)で容器に物をみたすさまを示す。充填の填(欠け目なくいっぱいつめる)の原字。実はその語尾が入声に転じたことば、
とあり(漢字源)、
会意。匕(ひ)(さじ)と、鼎(てい)(かなえ)とから成り、さじでかなえに物をつめる意を表す。「塡(テン)」の原字。借りて、「まこと」の意に用いる(角川新字源)、
会意文字です(匕+鼎)。「さじ」の象形と「鼎(かなえ)-中国の土器」の象形から鼎に物を詰め、その中身が一杯になって「ほんもの・まこと」を意味する「真」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji505.html)、
等々と同趣旨が大勢だが、
形声。当初の字体は「𧴦」で、「貝」+音符「𠂈 /*TIN/」。「𧴦」にさらに音符「丁 /*TENG/」と羨符(意味を持たない装飾的な筆画)「八」を加えて「眞(真)」の字体となる。もと「めずらしい」を意味する漢語{珍 /*trin/}を表す字。のち仮借して「まこと」「本当」を意味する漢語{真 /*tin/}に用いる、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%9C%9F)、
甲骨文字や金文にある「匕」(さじ)+「鼎」からなる字と混同されることがあるが、この文字は「煮」の異体字で「真」とは別字である。「真」は「匕」とも「鼎」とも関係がない、
とある(仝上)。
「屋」(オク)は、「壺屋」で触れたように、
会意文字。「おおってたれた布+至(いきづまり)」で、上から覆い隠して、出入りをとめた意をあらわす。至は室(いきづまりの部屋)・窒(ふさぐ)と同類の意味を含む。この尸印は尸(シ)ではない。覆い隠す屋根、屋根でおおった家のこと、
とある(漢字源)が、この説明ではよく分からない。ただ、別に、
形声。「室」+音符「𡉉 /*ɁOK/」、「尸」は「𡉉」の変化形で「しかばね」とは関係がない、「やね」を意味する漢語{屋 /*ʔook/}を表す字、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B1%8B)、また、
会意。尸(居の省略形。すまい)と、至(矢がとどく所)とから成る。居住する場所を求めて矢を放つことから、住居の意を表す、
とも(角川新字源)、
会意文字です(尸+至)。「屋根」の象形(「家屋」の意味)と「矢が地面に突き刺さった」象形(「至(いた)る」の意味)から、人がいたる「いえ・すみか」を意味する「屋」という漢字が成り立ちました、
ともあり(https://okjiten.jp/kanji464.html)、「尸」が、「しかばね」とは別の、「屋根」を表す字であることは共通している。
参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:真屋 切妻造(きりづまづくり)
2024年09月18日
浅茅生(あさぢふ)
浅茅生(あさぢふ)や袖に朽ちにし秋の霜忘れぬ夢を吹くあらしかな(新古今和歌集)。
の、
浅茅生(あさじふ)、
の、
フ、
は、
芝生、園生(そのふ)の生(ふ)なり、
とあり(大言海)、
生(フ)、
は、
生(お)ふの約、音便に、ウと云ふ、
ともあり(仝上)、
生えた所、
の意(岩波古語辞典)で、
浅茅生、
は、
茅(ちがや)の生えたところ、
を言い、転じて、
荒れ果てた野原、
をいう(広辞苑)。
浅茅原、
とも(仝上)、
浅茅ヶ原、
ともいい、平安時代以降、
荒廃した邸の景物、
をいう(仝上)。ただ、万葉集・古今集では、
浅茅、
は、
印南野(いなみの)のあさぢおしなべさ寝(ぬ)る夜の日長くしあれば家し偲(しの)はゆ(万葉集)、
と、
叙景や恋の歌にも使われるが、源氏物語以後は、ヨモギ・ムグラと共に寂しい荒廃した場所の象徴とすることが多い、
とある(岩波古語辞典)。
「浅茅焼(あさじやき)」で触れたが、
浅茅(あさじ)、
は、
一面に生えた、丈の低い茅(ちがや)、
をいう。「ちがや」は、
イネ科の多年草、
日当たりのよい空き地に一面にはえ、細い葉を一面に立てた群落を作り、白い穂を出す、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%AC%E3%83%A4)。春、葉より先に柔らかい銀毛のある花穂をつける。この花穂を、
つばな、
ちばな、
といい、強壮剤とし、古くは成熟した穂で火口(ほぐち)をつくった。茎葉は屋根などを葺いた(広辞苑)。
万葉集に、春の蕾の時は、
戯奴(わけ)がため吾が手もすまに春の野に抜ける茅花(つばな)ぞ食(め)して肥えませ(紀女郎)、
とあるように、甘みがあって食べられる(http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/saijiki/tigaya.html)らしい。
「茅」(漢音ボウ、呉音ミョウ)は、
会意兼形声。「艸+音符矛(ボウ 先の細いほこ)」
であり、尖った葉が垂直に立っている様子から、矛に見立てたものであり、「ちがや」「かや」の意である、
とある(漢字源)が、
形声。艸と、音符矛(ボウ)→(バウ)とから成る。「かや」の意を表す(角川新字源)、
と、形声文字とする説もある。
和名「ちがや」は、
チ(茅)カヤ(草)の義、チ(茅)は千の義。叢生するより云ふか(大言海)、
チヒガヤ(小萱)の義(日本語原学=林甕臣)、
根が赤いところから、チカヤ(血茅)の義(柴門和語類集)、
等々あるが、
「チ」は千を表し、多く群がって生える様子から、千なる茅(カヤ)の意味、
で名付けられた(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%AC%E3%83%A4)というのが妥当なのだろう。
「浅茅」は、
茅の丈の低いもの、
を指し、
浅は、低しの意、
とある(大言海)。
深しの対、
とあり(岩波古語辞典)、
アス(褪)と同根。深さが少ない、薄い、低いの意、
とある(岩波古語辞典)。「浅い」の語源には、
ウスシ(薄)のウスと同根(古代日本語文法の成立の研究=山口佳紀)、
アは発語、サシはサシ(狭)の義(大言海)、
アは輕いの音、サは小水の流れる音で狭小、薄いの意(日本語源=賀茂百樹)、
少量の水がサラサラ流れるさまから出た語(国語溯原=大矢徹)、
等々、種々あるが、それは、「浅い」が、
空間的に表面から底までの距離が近い、奥までが近い、
時間的に初めからの時間の経過が少ない、
色や香りが薄い、
程度が軽い、
社会な地位が低い、
心づかいが不十分、
等々の幅広い意味で使われているためである(広辞苑)。
浅茅生の原、
を、
茅花(つばな)抜く浅茅之原(あさぢがはら)のつぼすみれいま盛りなりわが恋ふらくは(万葉集)、
と、
荒れ果てた野原、
をいい、
浅茅原、
とも、
茅生(ちふ)、
とも言う(大言海)。
雲のうへも涙にくるるあきの月いかですむらんあさぢふのやど(源氏物語)、
と、
浅茅が一面に生えて、荒れ果てた住まい、
を、
浅茅生(あさじう)の宿
あさじがやど、
という(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)。また、
浅茅生の、
は、枕詞として、
あさぢふのをのの篠原(しのはら)忍ぶとも人知るらめや言ふ人なしに(古今和歌集)、
と、
浅茅の生えている野の意から「小野(をの)」にかかり(仝上)、「ヲ」と「オ」とが同音になった後には、
露まがふ日影になびく浅ぢふのおのづから吹く夏の夕風(続拾遺和歌集)、
と、「己(おの)」にもかかる(仝上)。
茅(ちがや)、
の古名は、
茅(ち)、
で、和名類聚抄(931~38年)には、
茅、智、
本草和名(ほんぞうわみょう)(918年編纂)には、
茅根、知之禰、
天治字鏡(平安中期)には、
茅、知、
とあり、
千(ち)の義にて、叢生するより云ふかと云ふ、
とある(大言海・言葉の根しらべの=鈴木潔子・国語の語根とその分類=大島正健・日本語源=賀茂百樹)。
茅、
を、
かや、
と訓ませると、
萱、
とも当て、
チガヤ・ススキ・スゲ等々、屋根を葺く箆に用いる草本の総称、
を言う(広辞苑)。これは、
「茅」は、「ち」で、「ちがや」をさすが、「ちがや」は、屋根を葺く草の代表的なものなので、「かや」に当てられた、
とある(日本語源大辞典)。ただ、
萱、
の字は、本来、
ユリ科の植物カンゾウ(萱草)、一名ワスレグサで、「かや」の意に用いるのは誤り、
とある(仝上)。
倭名抄、名義抄などの「かや」には「萓」を当てており、字形がにているため後世誤ったもの、
ともある(仝上)。
参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2024年09月19日
仏名
時過ぎて霜に消えにし花なれどけふは昔の心地こそすれ(朱雀院御歌)、
の詞書の、
仏名の朝(あした)に、削り花を御覧じて、
の、
仏名、
は、
仏名会(ぶつみやうゑ)、
のことで、
御仏名、
ともいい(広辞苑)、
十二月十五日、後には十九日から三日間、朝廷で行われた、諸仏の名号を唱えて罪障を懺悔する法会、
とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。
削り花、
は、
円い木を削りかけて花弁のようにしたもので、生花の代りとする、
が、これについては、「めどに削り花」で触れた。
時過ぎて、
とあるのは、仏名の翌朝なので、
削り花が飾られる時節が過ぎての意に、退位して自身の時代が過ぎての意を籠める、
とある(仝上)。
仏名、
というと、
佛の名号、
をいい(広辞苑)、
南無阿弥陀仏、
南無薬師如来、
といった、
六字名号、
南無不可思議光如来(なむふかしぎこうにょらい)、
という、
九字名号、
帰命尽十方無碍光如来(きみょうじんじっぽうむげこうにょらい)
といった、
十字名号、
等々がある(https://kyonoreijo.sakura.ne.jp/lib/nb/libnb6-10mg.htm)。ちなみに、サンスクリット語のnamas(ナマス)の漢訳が、
帰命、
音写が、
南無、
なので、「帰命」と「南無」は全く同じ意味、
尽十方、
は、
あらゆる場所、
無碍光、
は、
何物にも遮られない仏の発する智慧や救済力の光、
という意味で、
尽十方無碍光如来、
は、
阿弥陀仏、
を指す(仝上)。
十方、
は、
東・南・西・北・上・下・四維(東北・東南・西南・西北の総称、
で、
この10の方向がすべての方角を意味する
とある(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%8D%81%E6%96%B9)。
仏名会、
は、
御佛名(ミブツミヤウ)、
とも、
佛名懺悔、
千佛会、
三千仏名会、
などともいい(大言海)、
禁中の公事、
として、
朝廷や諸国に寺院で行われた法会で、仏名経を誦んで、三世(過去・現在・未来の三つの世)十方の三千仏の名号を唱えてその年の罪障を懺悔する、
もので、
毎年十二月十五日から十七日まで三日間行うのが普通であったが、後には十九日から三夜となり、更に、一夜となった、
とある(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。もともとは、釈尊の成道(成仏得道)に合わせて一二月六日から八日にかけて修されることから、
朧(ろう)月仏名、
朧八仏名、
ともいい、『年中行事秘抄』(1239年)によると
光仁天皇の宝亀五年(七七四)に始まったもので、承和二年(八三五)宮中での恒例の儀式となり、同一三年には諸国においてもこれを修するように発令された、
とある(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%BB%8F%E5%90%8D%E4%BC%9A)。これは、『仏名経』に、
若し善男子・善女人、諸の仏名を受持し読誦すれば、是の人は現世安穏にして諸難を遠離し、及び諸罪を消滅し、未来に当に阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得べし。若し善男子、善女人、諸罪を消滅せんと欲せば、当に浄く洗浴して、新しき浄衣を著し長跪(ちょうき)合掌して、是の言を作すべし、
とあることに基づいている(仝上)。今日、
増上寺では一二月一〇日から一二日に、知恩院では一二月二日から四日に、京都嵯峨清凉寺では一二月六日から八日に行っている、
とある(仝上)。
仏名経(ぶつみょうきょう)、
は、
諸仏の名号を受持し、その功徳によって懺悔滅罪すべきことを説く経典、
で、数種の異訳があるが、現在、毎年歳末に行われている仏名会では『三千仏名経』(『三劫三千諸仏名経』)三巻を依本とする(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%BB%8F%E5%90%8D%E7%B5%8C)とある。
「佛」(①漢音フツ・呉音ぶつ・ブチ、②漢音ホチ・呉音フツ)は、
形声。「人+音符弗(フツ)」で、よく見えない意を含む。ブッダに当てたのは、音訳で原義とは関係がない。「仏」の字は、宋・元のころから民間で用いられた略字、
とあり(漢字源)、「ほとけ」の意の場合、①の音、「仿仏(彷彿 ホウフツ)」のように、ぼやけて見える意の場合②の音となる(仝上)。別に、
形声。「人」+音符「弗 /*PƏT/」。擬態語「彷彿」の第二音節を表す字。のち仮借して「佛陀」(梵語 Buddha より)の第一音節を表す(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BD%9B)、
形声。人と、音符弗(フツ)とから成る。ぼんやりとしている意を表す。梵語(ぼんご)buddhaの音訳に仏陀(ぶつだ)が用いられてから、「ほとけ」の意に用いる。教育用漢字は佛の異体字による(角川新字源)、
ともある。
参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2024年09月20日
しもと
しもとゆふ葛城山に降る雪の間なく時なく思ほゆるかな(古今和歌集)、
の、
しもと、
は、
細長い枝、
の意、
しもとを結ふ葛、
という連想で、葛城山にかかる枕詞、
とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。
しもと、
は、
むち、
で触れたように、
葼、
楉、
細枝、
と当て、
枝の茂った若い木立、木の若枝の細長く伸びたもの、
をさし(大言海・広辞苑)、
すはゑ(すわえ)、
ともいう(仝上)。元来は、
小枝のない若い枝を言った、
とある(佐藤謙三校注『今昔物語集』)。
灌木などの生ひのびて、枝の茂れるもの、
とあり、
茂木(しげもと)の略、本は木なり、真っ直ぐに叢生す、木立の意、
ともある(大言海)。和名類聚抄(平安中期)には、
葼、之毛止、木細枝也、
字鏡(平安後期頃)には、
葼、志毛止、
とある(大言海)。これは、
茂木(しげもと)の略、本は木なり、真っ直ぐに叢生する木立の意(大言海・万葉考・雅言考・和訓栞)、
シモト(枝本)の義(柴門和語類集)、
数多く枝分かれした義のシマと枝の義のモトから(続上代特殊仮名音義=森重敏)、
等々の説があるが、どうもしっくりしない。
小枝のない若い枝を言った、
枝本、
を音読みした「シモト」ではないかと、憶測してみる。「しもと」と同義の、
すはゑ、
は、
ずはえ、
すわえ、
すはえ、
ともいい、
「すはえ」、「すばい」の表記もあるが、平安初期の写本である興福寺本霊異記に「須波惠(すはゑ)」とあるから、古い仮名遣いは「すはゑ」と認められる、
とある(岩波古語辞典)。
木の枝や幹などから真っ直ぐに細く伸びた若枝、
の意で、
楚、
杪、
條、
気條、
等々とも当てる(広辞苑・大言海)。字鏡(平安後期頃)、天治字鏡(平安中期)に、
須波江、
類聚名義抄(11~12世紀)に、
楉、シモト、スハエ、
楚、スハヘ、
色葉字類抄(1177~81)に、
楉、楚、シモト、スハエ(楉は若木の合字)、
和名類聚抄(931~38年)には、
魚條、楚割、須波夜利(すはゑやりの約 楚(すはゑ)と割(わり)との約、魚肉を細く割り潮に附けて乾してすはゑのごとくしたもの)、
葼、之毛止、木細枝也、
字鏡(平安後期頃)に、
楉、志毛止、
等々とあり、
すくすく生えたるものの意、條は、小枝なり、
とある(大言海)ので、
しもと、
と同義である。この由来は、
スクスクト-ハエタル(生)モノの意(大言海)、
スハエ(進生)の義(言元梯)、
スハエ(末枝)の意(日本釈名・玉勝間)、
直生の義(和訓栞)、
直生枝の急呼(箋注和名抄)、
スグスヱエ(直末枝)の義(日本語原学=林甕臣)、
等々あるが、これも、どうもすっきりしない。
素生え、
なのではないか、と憶測してみた。
しもと、
すはゑ、
は、
木の枝や幹などから真っ直ぐに細く伸びた若枝、
から作るところから、
むち、
の意に転じる(岩波古語辞典・大言海)。和名類聚抄(平安中期)に、
笞、之毛度、
養老律令の獄令(ごくりょう)には、
笞杖、大頭三分、小頭二分、杖、削去節目、長三尺五寸、
とある(大言海)。
しもと、
と同義の、
すはゑ、
も同じく、
細い枝、
の意から、それを用いる、
むち、
の意に転ずる。
笞 ほそきすはゑ、
杖 ふときすはゑ、
とある(日本書紀)。
むち、
は、
鞭、
笞、
撻、
策、
等々と当てる(広辞苑)。
馬のむち、
の意もあるが、
罪人を打つむち、
の意もある(仝上)。
ブチとも云ふ、
とあり(大言海)、
打(うち)に通ず、
とある(仝上・日本語源広辞典)。或いは、
馬打(うまうち)の約、
ともある(大言海・言元梯)。
馬を打つところから、ウチの転(日本釈名・貞丈雑記)、
ウツの転(和語私臆鈔・国語の語根とその分類=大島正健)、
ムマウチの約(名語記)、
も同趣旨と思う。和名類聚抄(931~38年)に、
鞭、無知、
字鏡(平安後期頃)に、
鞭、策、……不知、
などもあり、
ウブチ→ブチ→ムチと変化(山口佳紀・古代日本語文法の成立の研究)、
とする説もあるが、馬にしろ、罪人にしろ、
打つ、
ところから来たものと思われる。ところで、「むち」に当てる、
笞
は、「むち」ではなく、漢音の、
ち、
と訓むと、
律の五刑のうち、最も軽い刑、
を指す。
楚、
とも当て、
木の小枝で尻を打つ刑で、10から50まで、10をもって1等に数え、5等級とした。明治初年の刑法典である『仮刑律』『新律綱領』においても正刑の一つとして採用された。しかし明治5 (1872) 年それに代り懲役刑が行われることとなった、
とある(ブリタニカ国際大百科事典)。五刑とは、
五罪、
ともいい、罪人に対する五つの刑罰で、
古代中国では墨(いれずみ)、劓(はなきり)、剕(あしきり)、宮(男子の去勢、女子の陰部の縫合)、大辟(くびきり)をさす。隋・唐の時代には、笞(ち むちで打つこと)、杖(じょう つえで打つこと)、徒(ず 懲役)、流(る 遠方へ追放すること)、死(死刑)の五つをいう。日本では、大宝・養老律以後この隋・唐の方式がとられ、近世まで行なわれていた、
とされる(精選版日本国語大辞典)。
なお、「しもと」が「笞」の意であるところから、
老いはてて雪の山をば戴けどしもと見るにぞ実は冷えにける(拾遺和歌集)、
と、「霜と」と「しもと(笞)」を懸け、
「大隅守さくらじまの忠信が国にはべりける時、郡のつかさに頭の白き翁の侍りけるを召しかんがへむとし侍りにける時翁の詠み侍りける」とあり、それが上記の歌で、註に、「この歌により許され侍りにける」とある。似た歌が、宇治拾遺物語にあり、やはり罪人が、
としをへてかしらの雪はつもれどもしもとみるにぞ身はひえにけり、
と詠んで、「ゆるしけり」とある(中島悦次校注『宇治拾遺物語』)。
「楉」(漢音ジャク、呉音ニャク)は、
形声。「木+音符若」
とあり(漢字源)、
ざくろ、
の意である。
楉榴(ジャクリュウ)、
とは、
ざくろの木、
である(仝上)。我が国では、
しもと、
と訓ませ、
樹木の細長く伸びた小枝。また、枝の茂った若い立木、
をさし、
すらわえ、
と訓ませ、
樹木の細長く伸びた小枝、
の意、転じて、
刑罰に用いた木の鞭、
の意で使う(https://kanji.jitenon.jp/kanjiy/12140.html)。
「葼」(漢音ソウ、呉音ス)は、
会意兼形声。「艸+旁は細長く縦に通る意を持つ音符」
とあり(漢字源)、
木の細長い枝、
の意である(仝上)。
樹木の細長く伸びた小枝。また、枝の茂った若い立木、
ともある(https://kanji.jitenon.jp/kanjit/9563.html)。
「笞」(チ)は、「むち」で触れたように、
会意兼形声。「竹+音符台(ためる、人工を加える)」
とあり(漢字源)、「笞杖」「笞刑」等々と使うが、竹で作った細い棒である。
(「楚」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A5%9Aより)
「楚」(漢音ソ、呉音ショ)は、「むち」で触れたように、
会意兼形声。「木二つ+音符疋(一本ずつ離れた足)」。ばらばらに離れた柴や木の枝、
とある(漢字源)が、
「会意形声文字」と解釈する説、
は、
根拠のない憶測に基づく誤った分析である、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A5%9A)、
形声。「林」+音符「疋 /*SA/」、
とする(仝上)。同じく、
形声。意符林(ならびはえる)と、音符疋(シヨ)とから成る。「いばら」の意を表す、
とも(角川新字源)、
形声文字です(林+疋)。「木が並び立つ」象形(「林」の意味)と「人の胴体の象形と立ち止まる足の象形」(「あし(人や動物のあし)」の意味)だが、ここでは「酢(ソ)」に通じ(同じ読みを持つ「酢」と同じ意味を持つようになって)、「刺激が強い」の意味)から、「群がって生えた刺激が強い、ばら」を意味する「楚」という漢字が成り立ちました、
とも(https://okjiten.jp/kanji2520.html)ある。「一本ずつばらばらになった柴」や「いばら」の意である。
参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95