身はとめつつ心は送る山桜風のたよりに思ひおこせよ(新古今和歌集)、
の詞書に、
東山に花見にまかり侍るとて、これかれさそひけるを、さしあふことありてとどまりて、申しつかはしける、
の、
さしあふこと、
は、
さしつかえること、
とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。
さしあふ、
は、
指し合ふ、
差し合ふ、
と当て(岩波古語辞典・大言海)、
指し合ふ、
は、
譬えば山賊と海賊と寄り合つて互ひに犯科の得失を指し合ふがごとし(太平記)、
と、
言い争う、
非難し合う、
意や、
世に不似ず美き酒にて有ければ、三人指合て(今昔物語集)、
と、
(酒などを)互いにつぎあう、さしつさされつする、
意で使い、
差し合ふ、
は、
あまた火ともさせて、小路ぎりに辻にさしあひぬ(落窪物語)、
と、
出会う、
でくわす、
一つになる、
意や、
大宮の御かたざまに、もてはなるまじきなど、かたがたに、さしあひたれば(源氏物語)、
と、
かち合って不都合になる、
さしつかえる、
さしさわりがある、
意で使うと分けているものもある(広辞苑・精選版日本国語大辞典)が、もともと、
車なども例ならでおはしますにさしあひて、おしとどめて立てたれば(源氏物語)、
と、
ばったり出会う、
意から敷衍して、冒頭の、詞書の、
これかれさそひけるを、さしあふことありてとどまりて(新古今和歌集)、
と、
(予定と予定が)かち合って不都合になる、
意や、
山際よりさし出づる日の、花やかなるにさしあひ、目も輝く心ちする御さまの(源氏物語)、
と、
光などを受けて、それに応じて輝く、映り合う、
意で使うに至ったと見ていい。漢字の当て分けは、後付けでしかないように思う。
差し、
指し、
と当てる、接頭語、
さし、
は、既にふれたように、
動詞に冠して語勢を強めあるいは整える、
とある(広辞苑)が、
遣るの意なる差すの連用形。他の動詞の上に用ゐること、甚だ多く、次々に列挙するが如し。一々説かず、……又、差しを、指す、擎す、刺すなど、四段活用の動詞に、當字に用ゐることも、多し、
とある(大言海)。後から「さし」に漢字を当てたにしても、同じ「さし」でも、口語で区別して使っていたから、異なる漢字を当てたと考えることができる。
動詞「さし」、
は、
最も古くは、自然現象において活動力・生命力が直線的に発現し作用する意。ついで空間的・時間的な目標の一点の方向へ、直線的に運動・力・意向が働き、目標の内部に直入する意、
とあり(岩波古語辞典)、
射し・差し
刺し・挿し、
鎖し・閉し、
注し・点し、
止し、
等々を当てている。
發す、
と当てる、
さす、
は、
發(た)つの音通(八雲立つ、八雲刺す、腐(くた)る、くさる、塞(ふた)ぐ、ふさぐ)、
とし、
立ち上る、
生(は)ゆ、生(お)い出づ、
髙くなる、
という意味を載せる(大言海)。
差し昇る、
差し上がる、
の「さし」は、
差し、
を当てても、
發(さ)す、
から来ている(仝上)。さらに、
映す、
は、「發す」と同義で、
差し映す、
といった言い方になる。
指す、
は、指差す、という意味になり、そこから、
その方向へ向かう、
それと定める、
尺にてはかる、
という意味になるが、
刺すと同源、
とあり(広辞苑)、
直線的に伸び行く意、
とあり、
指(差)し示す、
差し渡す、
差し向かう、
等々という使い方をする。
擎す、
は、
上へ指して上ぐる意、
で(大言海)、
差し上げる、
差し仰ぐ、
といった使い方になる。
注す、
は、
他のものを指して入れる、
意で、
刺す・点す、
として、
刺すの転義、
で、
ある物に他の物を加えいれる、
とし(仝上・広辞苑)、いずれも、
差す、
とも書き、
差し入れる、
差し入る、
差し加える、
と言った言い方になる。
刺す、
は、
指して突く意、
で、
刺す・挿す、
として、
(刺)こことねらいを定めたところに細くとがったものを直線的に貫き通す、
(挿)あるものをたのものの中にさしはさむ、
と、
刺し貫く、
差し込む、
差し抜く、
等々という使い方になる。
鎖す、
は、「桟を刺して閉ヅル意」ということで、
差し止める、
差し置く、
差し固める、
差し構える、
といった使い方になる。
一番多いのは、
差し、
と当てる用例だが、
その職務を指して遣はす意ならむ。此語、さされと、未然形に用ゐられてあれば、差の字音には非ず、和漢、暗合なり。倭訓栞「使をさしつかはす、人足をさすなど、云ふはこの字なり、
とある(大言海)。
当てる、
遣わす、
押しやる、
突きはる、
将棋を差す、
といった意味で、
「刺す」と同源。ある現象や事物が直線的にいつの間にか物の内部や空間に運動する意、
とある(広辞苑)。
差し遣わす、
差し送る、
差し送る、
差し入れる、
差しかかる、
といった使い方になる。行動のプロセスそのものの意でもあるので、この使い方が一番多いのかもしれない。
どうやら、
さす、
は、
行う、
ことから、
上げる、
ことから、
さしこむ、
ことまで幅広く使われていた。だから、「さし」を加えることで、単に、強調する、ということだけではないはずだ。
渡す、
のと、
差し渡す、
のとでは、「渡す」ことに強いる何かを強調しているし、
出す、
と
差し出す、
も同じだ。
貫く、
と
刺し貫く、
でも、ただ刺したのではなく、ある一点を目指している、という意味が強まる。
仰ぐ、
と
差し仰ぐ、
では、両者の上下の高さがより強調されることになる。
さし、
が、
空間的・時間的な目標の一点の方向へ、直線的に運動・力・意向が働き、目標の内部に直入する意、
として強調されるということは、
自分の意思、
か、
他人の意思、
かが強く働いている含意を強めているように思う。
許す、
と
差し許す、
あるいは、
控える、
と
差し控える、
と、意味なく、強調しているのではなさそうだ。だから、
合ふ、
に、
差し、
を加えて、
差し合ふ、
とした場合、単に、
出会う、
ぶつかる、
以上に、
ばったり、
と強い意味になる。そこに、自分ではなく、
他意、
ないし、強い、
偶然、
を加味しているとも見える。
(「差」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B7%AEより)
「差」(①漢音サ・呉音シャ、②漢音呉音シ、③慣用サ・漢音サイ・呉音セ)は、
会意兼形声。左はそばから左手でささえる意を含み、交叉の叉(ささえる)と同系。差は「穂の形+音符左」。穂を交差してささえると、上端は×型となり、そろわない。そのじぐざぐした姿を示す、
とある(漢字源)。音は、①は、「等差」「相差」など、違う意、②は、「参差」というように、ちぐはぐで揃わない意、③は、「差遣」というように、遣わす意である(仝上)。別に、
会意兼形声文字です。「ふぞろいの穂が出た稲」の象形と「左手」の象形と「握る所のあるのみ(鑿)又は、さしがね(工具)」の象形から、工具を持つ左手でふぞろいの穂が出た稲を刈り取るを意味し、そこから、「ふぞろい・ばらばら」を意味する「差」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji644.html)が、
かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B7%AE)、
形声。「𠂹 (この部分の正確な由来は不明)」+音符「左 /*TSAJ/」(仝上)、
と形声文字説、
もと、会意。左(正しくない)と、𠂹(すい)(=垂。たれる)とから成り、ふぞろいなさま、ひいて、くいちがう意を表す。差は、その省略形(角川新字源)、
と会意文字説と別れる。
参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95