2024年09月15日
局外者
M・フーコー( 中村 雄二郎訳)『知の考古学』を読む。
とてもフーコーを論じ、構造主義を云々ずるだけの知識がないので、これを読んで起った自分の中の反応を書き留めておく。あくまで、憶説、妄説である。
『言葉と物』で、フーコーが、
「……自分が自分の言語の総体に、秘かですべてを語り得る神のように、住まってはいないことを学ぶ。自分のかたわらに、語りかける言語、しかも彼がその主人ではないような言語が、あるということを発見するのだ。それは努力し、挫折し、黙ってしまう言語、彼がもはや動かすことのできない言語である。彼自身がかつて語った言語、しかも今では彼から分離して、ますます沈黙する空間の中を自転する言語なのだ。そしてとりわけ、彼は自分が語るまさにその瞬間に、自分がつねに自分の言語の内部に同じような仕方で居を構えているわけではないということを発見するのであり、そして哲学する主体……の占める場所に、一つの空虚が穿たれ、そして無数の語る主体がそこで結び合わされては解きほぐされ、組み合わさっては排斥し合うということを発見するのだ。」(豊崎光一訳『外の思考』)
と書いていることを引用したことがあるが、本書の結論のところの、自己対話の中で、
語る主体をなしですまそうとつとめた、
との指摘に対して、
語る主体への照合を保留したとしても、それは、すべての語る主体によって同一の重要なのは、反対に、さまざまな差異がなにから成り立つのか、一つの同じ言説=実践の内部で、人々が異なった対象について語り、対立する意見をもち、矛盾した選択をすることがどうして起こりえたか、を示すことであった。また、言説=実践のあれこれが相互に区別されるのはどのような点によるのか、示すことでもあった。要するに、私が欲したのは語る主体の問題を排除することではなく、言説の多様性のなかで語る主体がもちえたさまざまな位置と機能を明確にすることであった。
と答えている。構造主義の、
歴史と文化を相対化する、
ということと、
語る主体を相対化する、
こととは、一対のように、僕には見える。
歴史主義、
を否定することと、
非中心化、
とは一対である。
歴史主義、
とは、
救済史、
とつながり(救済史については、K・レーヴィット『世界と世界史』、R・K・ブルトマン『歴史と終末論』、O・クルマン『キリストと時』で触れた)、主体を、
歴史の中において、
歴史の中から見ることではないか。それに対して、
考古学、
というとき、過去の文化、著作、思想を、
遺跡、
遺物、
として、主体としての著者を、
歴史の外から、
あるいは、
歴史の終着点から、
見るということにつながるのではないか。それは、歴史の、
局外者、
となり、
歴史に責任をとらない、
ということでもある。それは、
救済史、
になぞらえるなら、
究極の時点(たとえば、最後の審判)、
から、過去を振り返るに等しくはないか。それは、
神の視点、
に近い、というと、言い過ぎだろうか。確かに、
歴史主義、
は、『世界と世界史』で触れたように、
救済史、
つまり、
神的な始りから神的な終わり、
を、
約束からその実現(最後の審判)への前進、
とみなしたことが、
ヘーゲルの世界精神の現実化、
という、
キリスト教的信仰の世俗化をもたらし(ヘーゲル『精神現象学』については触れた)、それが、マルクスの、
史的唯物論、
という終末論の世俗化を理論化に至らしめた(マルクス『経済学批判』、『資本論』については触れた)。しかし、こうした、
何かを目指している歴史、
という考え方の、
歴史主義、
は根深く、
「人間は歴史的に制約されているのみならず、根本的に歴史的に存在する――つまり人間は徹頭徹尾時間的な存在だからである。歴史的な意識と伝達の可能性は、ハイデッゲルによれば、人間的実存――それの時間性がもっとも決定的に表現されるのは、それが死を予想して実在している、あるいは『終わりに向かう存在』である、という事実においてである――の総体的かつ徹底的な歴史性に存する。」
とするハイデッガーですら、
「存在そのものは『存在の生起』であり、その真理は真理の生起であり、歴史的な出現と隠伏はそれぞれ、そのさどの決定的な瞬間に変化する『現前』と『不在』である」
と(ハイデガーについては『形而上学入門』、『存在と時間』で触れた)、言ってみれば、時間軸を短くし、終末を、「存在の運命」の瞬間に貶めただけのように見える。
確かに、歴史主義は、
「もろもろの理念、神、道徳律、理性の権威、進歩、支配者の幸福、文化、文明などがその建設的な力を失い、無価値」(レーヴィット)
なのかもしれないが、逆に言うなら、
歴史の外から、
ではなく、現在進行形の、
歴史の中から、
歴史に身をゆだねている、
からこそ、その、
歴史の責任を自ら負う、
ということをも意味したはずだ。しかし、
構造主義、
は、少なくとも、フーコーのそれは、
歴史を外から、
言い換えると、
歴史の終着点から、
見ている。だからこそ、
考古学、
というのではないか。それかあらぬか、僕には、構造主義の後、
ポスト構造主義、
は、ぺんぺん草も生えない、不毛の地になっているとしか見えない。なぜなら、
歴史の終着点から総括してしまった跡、
には、何もないからではないか。
こんな感想を懐いた読後である。
なお、ミシェル・フーコーについては、、『〈知への意志〉講義』、『主体の解釈学』、『言葉と物―人文科学の考古学』については触れた。
参考文献;
M・フーコー( 中村 雄二郎訳)『知の考古学』(河出書房新社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95