2024年09月16日

やすらふ


入りやらで夜を惜しむ月のやすらひにほのぼの明るく山の端ぞ憂き(新古今和歌集)、

の、

夜を惜しむ月、

は、

月を擬人化していう、

とあり、

この表現で有明の月と知れる、

とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。また、

やすらひに、

は、

ためらひのうちに、

とあり(仝上)、

やすらひに真木の戸こそはささざらめいかに明けつる冬の夜ならむ(後拾遺・和泉式部)、

を引く(仝上)。同じ新古今集に、

おのづからいはぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる(西行)、

があり、この場合は、

こちらから音信するのをためらふ、

とある(仝上)。

やすらふ、

は、

休らふ、
安らふ、

と当て(広辞苑・デジタル大辞泉)、

ヤスシ(安)と同根。ヒは反復・継続を表す接尾語、事の進行、骨折りをしばらく止めている意、

とある(岩波古語辞典)。

やすし、

は、

易し、
安し、

と当て、

ヤスム(休)と同根、物事の成行きについて、責任や困難がなく、気が楽である意、

とあり(仝上)、接尾語、

ヒ、

は、

四段活用の動詞を作り、反復・継続の意を表す。たとえば、「散る」「呼ぶ」といえば普通一回だけ、散る、呼ぶ意を表すが、「散らひ」「呼ばひ」といえば、何回も繰り返して散り、呼ぶ意をはっきりと表す。元来は、四段活用の動詞アフ(合)で、これが動詞連用形の後に加わって成立した、

とある(仝上)。ただ、異説も、

ヤスム(休)のヤスに接尾語ラフがついたもの(小学館古語大辞典)
ヤスムル(休息)の義(言元梯)、

等々あり、

やすむ、

とつながることだけは共通している。

やすらふ、

は、本来、

ものうければしばしやすらひて参り来む(紫式部日記)、
ここにやすらはむの御心もふかければうちやすみ給て(源氏物語)、

などと、

休息して様子を見る、
休む、

意で、そこから、

いとなんゆゆしき心ちしはべるなどいへど、けしきもなければ、しばしやすらひてかへりぬ(蜻蛉日記)、

と、

足を止める、
一所に止まってぐずぐずする、
たたずむ、

意や、

宋朝よりすぐれたる名医わたって、本朝にやすらふことあり(平家物語)、

と、

仮に滞在している、
とどまっている、
旅先で滞在している、

といった、状態表現で使い、それが転じて、

物や言ひ寄らましとおぼせど……心恥づかしくてやすらひ給ふ(源氏物語)、
せちにそそのかし給へど、とかくやすらひて(宇津保物語)、

などと、価値表現となり、

どうしようかと迷って、行動に移れないでいる、
事を進めず思案している、
ぐずぐずしている、
躊躇(ちゅうちょ)する、
ためらう、

という意で使うに至る(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。

「休」.gif

(「休」 https://kakijun.jp/page/0612200.htmlより)


「休」 甲骨文字・殷.png

(「休」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BC%91より)

「休」(漢音キュウ、呉音ク)は、

会意文字。「人+木」で、人が木の陰にかばわれて休息するさまを示す。かばいいたわる意を含む。やすむの意はその派生義である、

とある(漢字源)。人が木陰にいこうことから、「やすむ」意を表す(角川新字源)ともある。別に、

会意。「人」+「木」または「𥝌」。人が木陰でやすむさまを象る。{休 /*hu/}を表す字、

ともあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BC%91

戦の講和の軍門を示し、戦時の褒賞が原義(白川静)、

との説もあるが、

甲骨文字や金文などの資料と一致していない記述が含まれていたり根拠のない憶測に基づいていたりするためコンセンサスを得られていない、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BC%91

「安」.gif

(「安」 https://kakijun.jp/page/0667200.htmlより)


「安」甲骨文字・殷.png

(「安」甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AE%89より)

「安」(アン)は、

会意文字。「宀(やね)+女」で、女性を家の中に落ち着かせたさま。疑問詞・反問詞などに用いるのは当て字。焉と同じ、

とある(漢字源)。

家の中に女がいることから、静かにとどまる、ひいて、やすらかの意を表す、

ともある(角川新字源)。しかし、

「宀」+「女」と説明され、女性が家の中で落ち着くさま、

との解釈は、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)に基づく解釈で、

これは誤った分析である。甲骨文字や金文の形を見ればわかるように、この文字の下側の部分は「女」とは異なり、後漢の時代に字形が省略されて“女”と書かれるようになったに過ぎない、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AE%89

甲骨文字には「[⿻女丶]」+「宀」からなるこの字と、これに字形がよく似た「𡧊(賓)」の異体字(「女」+「宀」からなる)が存在し、古い学説ではこれらが混同されていた、

とし、

甲骨文字に見られる原字「[⿻女丶]」は、跪いた人を象る「女」とその臀部付近に添えられた深く腰掛けることを示す(またはは敷物や腰掛けの類を象る)筆画から構成される。のち「宀」(家屋)を加えて「安」の字体となる。「座る」を意味する漢語{安 /*ʔaan/}を表す字、

としている(仝上)。

参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:55| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする