2024年09月21日
採物(とりもの)
神垣の三室の山の榊葉は神の御前に茂りあひにけり(古今和歌集)、
は、古今和歌集第二十巻、
大歌所御歌、
の中の、
神遊びの歌、
にある、
採物(とりもの)の歌、
の冒頭にある歌だが、
神遊、
は、
神々が集まって楽を奏し、歌舞すること、
を言い、転じて、
神前で歌舞を奏して神の心を慰めること。また、その歌舞、
の意となる(精選版日本国語大辞典)、
神楽(かぐら)、
と同じ意味である(仝上)。
神楽、
は、
神座(かむくら・かみくら)の転、
で(広辞苑・大言海・岩波古語辞典)、
カミ(ム)クラ→カングラ→カグラと転じた、
語である(大言海)。
神前に奏される歌舞、
をいい、
神座を設けて神々を勧請(かんじょう)して招魂・鎮魂の神事を行ったのが神楽の古い形、
とされ、古くは、
神遊(かみあそび)、
とも称した(https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=1389)。
採物(とりもの)の歌、
は、
神楽歌の一つ、
で、
人長(にんじょう 宮中の神楽の舞人の長)が採りて舞などする榊、幣、杖、篠、弓、劔、鋒など(採物の事)を歌ふ古歌、
とある(岩波古語辞典・大言海)。
天照大神の天岩戸に籠りたまひし時、諸神の御前に集ひて、和(なご)め奉らんとしたまひし時に、各採りたる品々なり、
という(大言海)。平安時代の『神楽歌』入文に、
採物歌、考曰、神遊の時、人長が取りて舞などする物を云ふ、則其物ごとに、古歌をうたふ也、賢木より、ひさご、葛まで九種の取物あり、
とある。
採物、
は、
取物、
とも書き(http://houteki.blog106.fc2.com/blog-entry-996.html)、
神楽の舞人が神の依代として手に持つ物、榊、幣(みてぐら)、杖、篠(ささ)、弓、剣、鉾(ほこ)、杓(ひさご)、葛の九つが用いられた、
とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。『古今和歌集』の「大歌所御歌」には、榊について、冒頭の歌の他、
霜八たび置けど枯れせぬ榊葉のたち栄(さか)ゆべき神のきねかも
み山にはあられ降るらし外山(とやま)なるまさきのかづら色づきにけり
の二首があり、その他、
巻向(まきもく)の穴師(あなし)の山の山人と人もみるがに山かづらせよ
陸奥の安達の真弓(まゆみ)わが引かば末さへ寄り来(こ)しのびしのびに
わが門(かど)の坂井の清水里遠み人し汲まねば水草(みくさ)生(お)ひにけり
と、葛・弓・杓(ひさご)の三首が記されている。
わが門(かど)の坂井の清水里遠み人し汲まねば、
は、
人し汲まねば、
とあり、神遊びの歌としては、
採物の杓の歌、
とされる(仝上)。神楽歌の中には、これに加えて、
幣(みてぐら)・杖・弓・剣・鉾、
の五種が加えられて、
計9種類、
とされている(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8E%A1%E7%89%A9)。なお、一説には、
杓と葛は元は一物(「杓葛」)であった、
とする説もあり(仝上)、折口信夫は手に持って振り回すことで神を鎮める「鎮魂」の意味があったという説を立てている(仝上)とある。
採物、
は、
神楽における依り代としての役割があり、しばしば神の分身そのもの、
として扱われ、
それを採って舞うことは清めの意味があり、同時に舞人が神懸りする手だてともなる、
とあり(世界大百科事典)、
天の岩戸における天鈿女(あめのうずめ)命の神懸りも、笹葉を手草(たぐさ)に結ったとか(古事記)、茅(ち)を巻いた矛を手に俳優(わざおぎ)した(日本書紀)とあり、採物を用いていたことが知られる、
とある(仝上)。
宮廷での御神楽では、上述のように、
榊・幣(みてぐら)・杖・篠(ささ)・弓・剣・鉾・杓(ひさご)・葛、
の9種だが、民間の神楽もこれに準じ、
鈴、扇、盆、
などを持つ場合もある(https://sanuki-imbe.com/blog/2023/04/03/miko-torimono-inori/)。
採物としての鈴、
は、
柄のついた鈴で、形により神楽鈴、鉾先鈴などにわかれ、
神楽鈴、
は、
神楽を行う場合に楽器として用いつつ、五色の布(緒)が踊って視覚的にも鮮やかなもの、
で、
鉾先鈴、
は、
剣先舞鈴ともいわれ、剣の先のような部分がある、
とある(仝上)。
神事や神楽において巫女や神楽などが手に取り持つ道具、
である、
採物(とりもの)、
は、本来、
神の降臨する場所、すなわち神座(かぐら)としての意味を持ち、森の代用としての木から、木製品その他の(榊葉、幣・笹・弓・剣・ひさご等々)清浄なものにもひろがった、
とあり(岩波古語辞典)、
手に物を持って舞う、
という、
神楽の曲の分類名、
ともされる(広辞苑)。
採物の部は、
最初の阿知女作法から始まり、現在は榊と韓神のみですが、古くは榊、幣(みてぐら)、杖、篠(ささ)、弓、剣、鉾(ほこ)、杓(ひさご)、葛、韓神(からかみ)の10種、
からなり、これらの歌を、
採物歌、
という(http://houteki.blog106.fc2.com/blog-entry-996.html)。なお、
韓神、
は、採物の名ではなく、
歌詞にある木綿(ゆう)と八枚手はいずれも神事に用いられるものです。『体源鈔』には『神楽証本』には「八枚手」ともいうとし、これなら、採物の一部でも良さそうです。また、「からおぎ」を枯れた荻として手にもって舞ったとする説もあります。一方で、『体源鈔』はその後に、「取物の外」としています、
とあり(仝上)、
韓神、
を採物の歌としない場合もある(仝上)。
民間の神楽の採物舞は、
諸曲に先立ち直面(ひためん)の者が舞う、
場合が多く、
島根県鹿島町の佐陀神能(さだしんのう)では、採物舞7番を七座の神事と称し、神能や《三番叟》の前に舞い、採物の種類も鈴、茣蓙(ござ)などが加わる。愛知県奥三河地方の花祭などの湯立神楽では、扇、湯桶(ゆとう)、盆、笹、花笠、衣装などを採物とする。これは神事や舞に使用する道具をまず採って舞うことにより清めたあと、それを使って本舞を演じるのである、
とある(仝上)。能、歌舞伎、舞踊などでも、
狂笹(くるいざさ)、
持枝、
打杖(うちづえ)、
等々多くの採物を用いるが、いずれもそれらの扱いには、本来、
神座神座(かむくら・かみくら)、
とされたおりの心意が残り、たんなる小道具として以上の意味を含む場合が多い(世界大百科事典)とある。
「神楽」、「神遊」は触れた。また、「みてぐら」については「ぬさ」で、「巫女」、「梓の真弓」についても、それぞれ触れた。
「採」(サイ)は、
会意兼形声。采(サイ)は、「爪(手の先)+木」からなる会意文字で、手の先で木の芽をつみとるさま。採は、「手+音符采」で、采の原字をあらわす、
とある(漢字源)。他も、
会意形声。手と、(サイ)(とる)とから成り、手でつまみとる意を表す。「(采)」の後にできた字(角川新字源)、
会意兼形声文字です(扌(手)+采)。「5本指のある手」の象形と「手の象形と木と実の象形」(木の実を「つみとる」の意味)から、「とる」、「つみとる」を意味する「採」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji771.html)、
と同趣旨であるが、
形声。「手」+音符「采 /*TSƏ/」。「とる」「つみとる」を意味する漢語{採 /*tshəəʔ/}を表す字。もと「采」が{採}を表す字であったが、手偏を加えた、
と形声文字とする説もある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%8E%A1)、
参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95