2024年10月14日

九十九王子


立ち昇る塩屋のけぶり浦風になびくを神の心ともがな(徳大寺左大臣)、

の、

詞書に、

白河院熊野に詣で給へりける御供の人々、塩屋の王子にて歌よみ侍りけるに、

とある、

塩屋の王子、

は、

熊野九十九王子(くじゅうくおうじ)の一つ、

で、

紀伊国、現在の和歌山県御坊市塩屋町北塩屋にある、

とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。

塩屋神社.jpg

(塩屋神社 https://4travel.jp/dm_shisetsu/11313294より)

天照大神の御神像が祀られているので別名は、

美人王子、

ともいい、

祈願すれば美人の子が授かるというので、子安神社としてお詣りする人があとをたちません、

とあるhttps://4travel.jp/dm_shisetsu/11313294

九十九王子(くじゅうくおうじ)、

の、

「九十九」は数の多いこと、

の意(精選版日本国語大辞典)で、「若王子(にゃくおうじ)」で触れたように、京都から熊野への参詣路である、

熊野街道、

のうち、

窪津(くぼつ、大阪市中央区)起点とし、紀伊路に沿って本宮、新宮から那智社までの間、おおよそ三一町余に置いた王子、

に一つずつ、熊野権現の末社である、

若王子(にゃくおうじ)、
または
若一王子(にやくいちおうじ・わかいちおうじ)、

が配され、中世後期までには、

熊野九十九王子(熊野王子)、

と総称されるようになった(精選版日本国語大辞典)とある。

九十九所、
九十九王子社、

ともいう(仝上)。

九十九王子、

は、「源平盛衰記」には、

窪津王子より八十余所におはします王子王子、

といい、

「熊野九十九王子記」には、

八二か所、

と数え、室町時代以前の文献に見えたものを総合するとすべてで、

九八か所、

あるが、これを俗に、

熊野九十九、

という(精選版日本国語大辞典)とある。

熊野街道、

は、

摂津の渡辺から天王寺・住吉を経て泉州を南下し、雄ノ山峠で紀州に入り、矢田峠・藤代峠・蕪坂・鹿瀬山を越えて日高に至り、切目・岩代・南部の海岸伝いに田辺に着き、そこから山中に入って富田川の谷を北上、滝尻・逢坂・近露・道湯川と山道をたどり、発心門から熊野川河畔の本宮に通じていた、

とあり、

九十九王子、

といわれる、熊野権現の分身とされる王子社が配列されていたが、なかでも、

藤代、切目、稲葉根、滝尻、近露、

の諸王子は、

五体王子、

と呼ばれる主要拠点の王子社であった(世界大百科事典)とある。

若王子(にゃくおうじ)、

は、

熊野の十二所権現の一つ。十一面観音の垂迹(すいじゃく)といわれる、

とある(日本国語大辞典)。『長秋記』長承三年(1134)の記事で、

若宮(わかみや)、

とあるのが本来の呼称らしいが、平安末期の『梁塵秘抄』には、

若王子、

とある(世界大百科事典)。平安中期から中世を通して繁栄した、

紀伊国の熊野三山(本宮(ほんぐう)、新宮(しんぐう)、那智(なち)の熊野三社)、

に祀(まつ)られた、

熊野十二所権現(くまのじゅうにしょごんげん)の一つ、

とされ、「若王子」、「若宮」のほか、

若一王子権現(にゃくいちおうじごんげん)、
若宮王子(わかみやおうじ)、
若女一王子(にゃくにょいちおうじ)、

などとも称し、三山ともその発祥を異にするらしいが、平安中期頃から神仏習合を表す本地垂迹(ほんじすいじゃく)説により、

本宮は家津御子神(けつみこのかみ 本地は阿弥陀如来)、
新宮は速玉大神(はやたまのおおかみ 本地は薬師如来)、
那智は牟須美神(むすびのかみ 本地は千手観音)、

の、

熊野三所権現、

と本地仏が祀られた(日本大百科全書)。平安後期までには、

若王子(本地は十一面観音)、

を中心とする、

五所王子(ごしょおうじ)、

と、一万眷属を含む、

四所宮(ししょみや)、

の、

熊野十二所権現、

が成立したとされる(仝上)。つまり、

三所権現、

が、

証誠殿(本地阿彌陀)・新宮(本地薬師)・那智(本地千手観音)、

五所王子、

が、

小守の宮(本地聖観音)・児の宮(本地如意輪観音)・聖の宮(本地龍樹)・禅師の宮(本地地蔵)・若王子(本地十一面観音)、

四所明神が、

一万の宮(本地普賢)または十万の宮(本地文殊)・勧請十五所(本地釈迦牟尼)・飛行夜叉(本地不動)・米持金剛童子(毘沙門天)、

の一二の権現を、

十二所権現(じゅうにしょごんげん)、

という(精選版日本国語大辞典)。

室町時代の意義分類体の辞書『下學集』には、

熊野権現、證誠殿、本地阿弥陀、両所権現者、薬師観音、若一王子者、施畏大士(だいじ)、號曰日本第一霊験熊野三所権現、

とある。

若王子、

は、三所権現に次ぐ位置を占め、

五所王子の第一、

に置かれ、

本宮・新宮では第四殿、
那智では第五殿、

に祀られる(仝上)。祭神は、

天照大神、
または、
伊邪那岐命、

で、

十一面観音の垂迹(すいじゃく)、

といわれる(精選版日本国語大辞典)。

熊野三所大神社.jpg

(熊野三所大神社(くまのさんしょおおみわしゃ) 浜の宮王子の社跡に建つため、浜の宮大神社(はまのみやおおみわしろ)とも https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%8D%81%E4%B9%9D%E7%8E%8B%E5%AD%90より)

参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:27| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする