禊(みそぎ)する川の瀬見れば唐衣日もゆふぐれに波ぞ立ちける(紀貫之)
の、
唐衣、
は、
衣の美称、
とあり、
「紐」などの枕詞「紐ゆふ」に「日も夕」を掛ける、
とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。
唐衣、
で触れたように、本来、
中国風の衣服、
の意だが、転じて、
めずらしく美しい衣服、
をいうこともある(広辞苑)とある。また、ここでいう、
禊、
は、
六月祓(みなづきばらへ)、
で、
夏越(なごし)の祓(はらへ)、
の謂いで、
六月の晦日、茅(ち)の輪をくぐったり、身体を撫でた人形(ひとかた)を川へ流したりして、身をきよめた、
とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。これは、
大祓(おおはらえ)、
といわれ、年に2度行われ、6月の大祓は、旧暦6月30日の、
夏越(なごし)の祓、
また、
輪越の神事、
六月祓(みなづきばらえ)、
夏祓(なつはらえ)、
などともいい、12月の大祓は、旧暦12月31日の、
年越の祓、
と呼ばれる(https://www.jinjahoncho.or.jp/omatsuri/ooharae/・精選版日本国語大辞典)。大祓は、
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の禊祓(みそぎはらい)を起源とする神事、
で、701年には宮中の年中行事として定められていた(https://boxil.jp/beyond/a5539/)とある。
大祓では、
大祓詞(おおはらえことば)を唱え、人形(ひとがた)と呼ばれる人の形に切った白紙などを用いて、身についた半年間の穢れ、
を祓い、神社によっては、無病息災を祈るため茅や藁を束ねた茅の輪(ちのわ)を神前に立て、これを3回くぐって穢れや災い、罪を祓い清める。特に、
夏越の大祓、
では、
水無月の夏越の祓する人は千歳の命のぶというなり、
と唱え、
年越の祓、
は、
中臣(なかとみ)の祓え、
ともいい、
新たな年を迎えるために心身を清める祓い、
とある(https://www.jinjahoncho.or.jp/omatsuri/ooharae/)。初見は《古事記》の仲哀天皇の段で、
更に国の大奴佐(おほぬさ)を取りて、生剝(いきはぎ)、逆剝(さかはぎ)、阿離(あはなち)、溝埋(みぞうめ)、屎戸(くそへ)、上通下通婚(おやこたはけ)、 馬婚(うまたはけ)、 牛婚(うしたはけ)、鶏婚(とりたはけ)、犬婚(いぬたはけ)の罪の類を種種求(ま)ぎて、国の大祓して、
とある(世界大百科事典)。律令制の確立後は、毎年六月と一二月のみそかに、
親王、大臣以下百官の男女を朱雀門(すざくもん)前の広場に集めて行なった、
とされ(精選版日本国語大辞典)、臨時には、大嘗祭(だいじょうさい)、大神宮奉幣、斎王卜定(ぼくてい)などの事ある時にも行なわれた(仝上)。
(禊図(光琳百図) https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0094214より)
みそぎ(禊)、
は、
汚穢・罪障・厄災などを取り除くために行なう儀礼、
である、
祓(はらえ)、
の一種で、特に、
川や海の水につかって行なうもの、
をいい、
禊祓(みそぎはらえ)、
ともいう、
浄化の所作、
で、神事に当たって物忌のあと積極的に身心を聖化する手段の一つだが、服喪など異常な忌の状態から正常な日常へ立ち戻る一種の、
再生儀礼(生まれ清まり)、
でもあり(世界大百科事典)、元来の意味は、物忌の後、
水に入って若返り、神となるための行事、
で、
変若水(おちみず・わかがえりみず)信仰、
であったとされる(マイペディア)。古代中国では、『後漢書』礼儀志や『晋書』礼志にみえるように、
春禊、
と
秋禊、
とがあって、陰暦3月3日(古くは上巳)と7月14日に、
官民こぞって東方の流水に浴して、宿垢を去った、
というし、『魏志倭人伝』にも、倭人は、
其の死には、棺(ひつぎ)有れども槨無し。土を封じて冢(つか)を作る。始め死するや、停喪(ていそう)すること十余日、時に当りて肉を食わず、喪主は哭泣し、他人は就きて歌舞飲酒す。已に葬(ほうむれ)ば、家を挙げて水中に詣(いた)りて澡浴(そうよく)し、以て練沐(れんぼく ねりぎぬをきての水を浴びること)の如くす、
と、十余日の服喪の後に遺族が沐浴すると伝えている(仝上)。
記紀神話の中では、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が神避(さか)りました妻の伊弉冉(いざなみ)尊を黄泉(よみ)国に訪ねたのち、その身体についた汚穢(おえ)を祓い清めるために、
筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小戸(おど)の檍原(あわぎはら)に出(い)でまして禊祓をされた、
とあるのに始まるとされ、そのおりに生成した日神(なおびのかみ)、また祓戸(はらえど)神の神威により、禍津日(まがつひ)神の所為であるツミ、ケガレ、トガ、ワザワイが消除されると信じられる、
とある(日本大百科全書)。中古には、年中行事のうち、特に、上述の六月晦日に行なわれる、
夏越(なごし)の禊(夏越の祓え)、
と強く結びつき、和歌にもよく詠まれる。中世以降には、真言宗や修験道で修行的な要素が加わったものが、
水垢離(みずごり)、
と称され(仝上)、
浜垢離、
寒垢離、
滝行、
水行、
などに発展し、修行的な要素も加わり、精神的な清浄も重視された。とくに、
神祇祭祀(じんぎさいし)、
に関しては潔斎(けっさい)の重要な行事として厳修され、
手水(てみず)、
はその簡略化された形式で、近世以後、神道(しんとう)の修錬行法ともなった(日本大百科全書)とある。
平安後期の漢和辞書『字鏡』(じきょう)には、
上巳祭也、……(所)言(美)乃(波)良(みのはらへ)、
天治字鏡(平安中期)には、
禊、上巳祭、又云、三月三日得巳為、上巳所言乃美良戸(美乃波良戸の誤説)、
類聚名義抄(11~12世紀)に、
禊 キヨム・ハラヘ・ミソギ・ミソハラフ、
とある。この、
ミソギ、
の由来は、
身滌(みそそぎ ミ(身)ソソギ(濯))の約(大言海・日本語の語源・広辞苑・岩波古語辞典・延喜式祝詞解・類聚名物考・古事記傳・雅言考・言元梯・和訓栞・日本古語大辞典=松岡静雄・国語の語根とその分類=大島正健・日本語原学=林甕臣・日本語源=賀茂百樹)、
身清(みすす)ぎの義、また身のけがれを除く意(日本釈名)、
ツミ・ケガレを身体から取り去る身削(みそ)ぎ(日本大百科全書)、
等々あるが、大勢は、
身滌(濯 みそそぎ)、
である(日本語源大辞典)。
「禊」(漢音ケイ・呉音ゲ)は、
会意兼形声。「示(まつり)+音符契(けずりとる、けがれをとる)」、
とある(漢字源)。別に、
形声、声符は契(けい)。〔玉篇〕に「史記に云ふ、漢の武帝、霸上に禊す。徐廣曰く、三月上巳、水に臨んで祓除す。之れを禊と謂ふ」と、〔史記、外戚世家〕の文と、その注とを引く。〔論語、先進〕「莫春には、春服既に成る。~沂(き)(川の名)に浴し、舞雩(ぶう)に風し、詠じて歸らん」とあるのが、その古俗である。六朝期には曲水の禊飲が行われた、
と形声文字とする(字通)。
参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95