2024年10月19日
小夜衣
さらぬだに重きが上の小夜衣(さよごろも)わがつまならぬつまな重ねそ(寂然法師)
は、
釈教歌、
のひとつで、
十重禁戒、
の第三、
不邪婬戒、
を詠い、
わがつまならぬつま、
で、
「つま」は、夫または妻の意の「つま」に、「衣」の縁語「褄」を掛けた、
とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。両者の関係については、「つま」で触れたことだが、「つま」は、
妻、
夫、
端、
褄、
爪、
と当て、それぞれ意味が違う。
爪、
を当てて、「つま」と訓むのは、「つめ」の古形で、
爪先、
爪弾き、
爪立つ、
等々、他の語に冠して複合語としてのみ残る。
端(ツマ)、ツマ(妻・夫)と同じ、
とある(岩波古語辞典)。で、
端、
を見ると、
物の本体の脇の方、はしの意。ツマ(妻・夫)、ツマ(褄)、ツマ(爪)と同じ、
とある(仝上)。これだけでは、「同じ」というのが、何を指しているのかがわからない。その意味は、、
つま(妻・夫)、
を見ると解せる。
結婚にあたって、本家の端(つま)に妻屋を立てて住む者の意、
つまりは、「妻」も、「端」につながる。で、
つま(褄)、
を見れば、やはり、
着物のツマ(端)の意、
とあり、結局、
つま(端)、
につながるのである。しかし、『大言海』には、
つま(端)、
について、
詰間(つめま)の略。間は家なり、家の詰の意、
とあり、
間、
は、もちろん、いわゆる、
あいだ、
の意と、
機会、
の意などの他に、
家の柱と柱との中間(アヒダ)、
の意味がある。さらに、
つま(妻・夫)、
については、
連身(つれみ)の略転、物二つ相並ぶに云ふ、
とあり、さらに、
つま(褄)、
についても、
二つ相対するものに云ふ、
とあり、
つま(妻・夫)の語意に同じ、
とする。どうやら、「つま」には、
はし(端)説、
と
あいだ説、
があるということになる。『日本語源広辞典』は、
説1は、「ツマ(物の一端)」が語源で、端、縁、軒端、の意です、
と、
説2は、「ツレ(連)+マ(身)」で、後世のツレアイです。お互いの配偶者を呼びます。男女いずれにも使います。上代には、夫も妻も、ツマと言っています、
と二説挙げる。どやら多少の異同はあるが、
はし(端)、
と
関係(間)、
の二説といっていい。僕には、上代対等であった、
夫
と
妻
が、時代とともに、「妻」を「端」とするようになった結果、
つま(端)、
の語源になったように思われる。つまり、
夫または妻の意の「つま」、
と、
「衣」の縁語「褄」、
とは語源的につながっているのである。
ところで、
小夜衣、
の、
小夜、
は、
サは接頭語、
で、
夜、
の意、
小夜衣、
は、
夜具、
夜着、
の意で(岩波古語辞典)、
身をおおう夜具、着物のような形で、大形で掛けるもの。多く真綿がはいっている、
という(精選版日本国語大辞典)。なお、上記の、
さらぬだに重きが上のさよごろもわがつまならぬつまな重ねそ、
の歌の影響で、近世、
小夜衣、
は、
奥様に引まくらるる小夜衣(雑俳「楊梅(1702)」)、
と、
密通する女、
をいうようになる(仝上)。なお、この、
小夜、
のついた言葉は、
小夜千鳥(さよちどり)
小夜嵐(さよあらし)
小夜時雨(さよしぐれ)
小夜曲(さよきょく)
小夜衣(さよごろも)
小夜終(さよすがら)
小夜神楽(さよかぐら)
小夜中(さよなか)
小夜更(深)け方(さよふけがた)
小夜枕(さよまくら)
等々ある(大言海・岩波古語辞典)。
ところで、
十重禁戒(じゅうじゅうきんかい)、
とは、
十重禁、
十重、
ともいい(広辞苑)、顕教では、梵網経で説く、
十種の重大な戒め、
をいい、
不殺戒(不快意殺生命戒(ふけいせっしょうみょうかい) 生き物を殺さない)、
不盗戒(不劫盗人物戒(ふこうとうにんもつかい) 盗みを働かない)、
不淫戒(不無慈行欲戒(ふむじぎょうよくかい) 出家者は性交渉をもたず、在家は不倫をしない)、
不妄語戒(不故心妄語戒(ふこしんもうごかい) 噓をつかない)、
不酤酒(ふこしゅ)戒(不酤酒罪縁戒(ふこしゅざいえんかい) 酒を売らない)、
不説罪過戒(不説四衆過戒(せつししゅかかい)・不説他罪過戒(ふせつたざいかかい) 出家・在家問わず仏教徒の犯した罪を吹聴しない)、
不自讃毀他戒(ふじさんきたか 自ら威張り散らし、また他人をそしりけなさない)、
不慳貪(けんどん)戒(不慳惜加毀戒(ふけんじゃくかきかい)・不慳生毀辱戒(ふけんしょうきにくかい) 他人に与えることについて惜しまない)、
不瞋恚戒(不瞋心不受悔戒(ふしんじんふじゅげかい)・不瞋不受謝戒(ふじんふじゅしゃかい) 謝罪に対して、怒りをもって応じ、それを受け入れないということをしない)、
不謗三宝戒(不誹謗三宝戒(ふひほうさんぼうかい) 仏・法・僧の三宝をそしらない)、
とする(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%8D%81%E9%87%8D%E7%A6%81%E6%88%92・精選版日本国語大辞典)。これらの戒は、
それぞれ自らが犯さないことはもちろん、他人にも犯させないようにすることが要求されている、
とある(仝上)。これとは別に、密教では、説に不同があるが、無畏三蔵禅要によれば、
不退菩提心・不謗三宝・不捨三宝三乗経・不疑大乗経・不発菩提心者令退・不未発菩提心者起二乗心・不対小乗人説深大乗・不起邪見・不説於外道妙戒・不損害無利益衆生、
の十戒とする(精選版日本国語大辞典)。
寂然法師は、上述のように、十重禁戒の第三、不邪婬戒を、
さらぬだに重きが上に小夜衣わが妻ならぬ妻な重ねそ
と詠う他、十重禁戒の第二、不偸盗戒を、
うき草のひと葉なりとも磯がくれおもひなかけそ沖つ白波
と、十重禁戒の第四、不酤酒戒を、
花のもと露のなさけはほどもあらじ醉ひな勸めそ春の山風
と詠っている(新古今和歌集)。
『梵網経』(ぼんもうきょう)は、二巻。具名は『梵網経盧舎那仏説菩薩心地戒品第十』、下巻は別に『梵網菩薩戒経』ともいい、
十重禁戒・四十八軽戒 (きょうかい) をあげて大乗戒(菩薩 (ぼさつ) 戒)を説き、戒本とされる、
とある(デジタル大辞泉)。鳩摩羅什訳と伝わるが、五世紀の中国成立と見られる。この経の説く戒律思想は、
日本仏教の基調を形成し、かつそれは大きな潮流として現在まで流れ続けており、戒律は、仏教者の生活軌範となるべきものとされている(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E6%A2%B5%E7%B6%B2%E7%B5%8C・仝上)。
『梵網経』下巻に説く戒である、
十重四十八軽戒(じゅうじゅうしじゅうはっきょうかい)、
は、
十重禁戒と四十八軽戒、
をいい、
十重禁戒を犯した場合は波羅夷罪(はらいざい)に相当するとする。これは重大な罪であり、出家者の場合、僧の資格を失い、教団から追放され、修行の成果も無に帰す、
のに対し、
四十八軽戒を犯した場合、智顗『菩薩戒経義疏』下によれば、罪を告白する対首懺悔により、その罪が滅せられる、
という(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%9B%9B%E5%8D%81%E5%85%AB%E8%BB%BD%E6%88%92)、
大乗の菩薩が守るべき戒、
とされ、
新学の菩薩は半月ごとの布薩において十重四十八軽戒を誦すべきである、
とされる(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%8D%81%E9%87%8D%E5%9B%9B%E5%8D%81%E5%85%AB%E8%BB%BD%E6%88%92)とある。
参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95