あはなくに夕占(ゆふけ)を問へば幣(ぬさ)に散るわが衣手はつげもあへなくに(古今和歌集)、
の、
夕占、
は、
夕方におもに辻で行われる占い。自分が道行く人の話を聞いて行ったり、専門の占い師が行ったりするもの、
だが、
月夜(つくよ)には門(かど)に出(い)で立ち夕占(ゆうけ)問ひ足卜(あうら)をそせし行かまくを欲(ほ)り、
などと、万葉集に多く見られるが、平安時代には廃れていたと見られる、
とあり、ここでは、
幣に散る、
とあるように、
占いのために袖を細かく切って散らすのであろう、
とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。で、
つげ、
は、動詞、
継ぐ、
で、
「幣」として袖をどんどん切っていったら、袖を継ぐこともできないくらいになってしまった、
という意味になる(仝上)。「衣手」については触れた。
幣、
は、元々、
神に祈る時に捧げる供え物、
の意であり、また、
祓(ハラエ)の料とするもの、
の意、古くは、
麻・木綿(ユウ)などを用い、のちには織った布や帛(はく)も用い、或は紙に代えても用いた、
とあり(大言海・精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉他)、
旅に出る時は、種々の絹布、麻、あるいは紙を四角に細かく切ってぬさぶくろに入れて持参し、道祖神の神前でまき散らしてたむけた、
とある(精選版日本国語大辞典)。後世、
紙を切って棒につけたものを用いるようになる、
とある(仝上)。
あはなくに、
の動詞、
あふ、
は、
耐える、
持ちこたえる、
意で、
良い結果が出るように何度も占いをした、
ために、そうなった(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)とある。「あへなし」でふれたように、
敢ふ、
は、類聚名義抄(11~12世紀)に、
肯、アフ、アヘテ、
敢、アヘテ、
とあり、
合ふと同根、事の成り行きを、相手・対象の動き・要求などに合わせる。転じて、ことを全うし、堪えきる、
とあり(岩波古語辞典)、
大船のゆくらゆくらに面影にもとな見えつつかく恋ひば老い付く我が身けだし堪へむかも(万葉集)、
と、
(事態に対処して)どうにかやりきる、
どうにかもちこたえる、
意から、
秋されば置く露霜にあへずして都の山は色づきぬらむ(万葉集)、
と、
こらえきる、
意となり、動詞連用形に続いて、
神なびにひもろき立てて斎へども人の心はまもりあへぬもの(万葉集)、
と、
……しきれる、
意や、
足玉(あしだま)も手玉(てだま)もゆらに織る服(はた)を君が御衣(みけし)に縫ひもあへむかも(万葉集)、
と、
すっかり……する、
意で使う。
ゆふけ(ゆうけ)、
は、
夕卜、
夕衢占、
とも当て(大言海・広辞苑)、後世は、
ゆうげ、
ともいう、
夕方、辻に立って、往来の人の話を聞き、それによって吉凶・禍福をうらなうこと、また、その占い(広辞苑)、
夕方、街の辻に立って道行く人の言語を聞いて吉凶を占うこと(岩波古語辞典)、
夕方道端に立って、一定の区域を定め、米をまき、呪文を唱えなどして、その区域を通る通行人のことばを聞いて吉凶禍福を占ったもの(精選版日本国語大辞典)、
をいい、
辻、
は、
六道の辻、
で触れたように、
道路が十文字に交叉しているところ、
つまり、
四辻、
の意であるが、また、
道筋、
道端、
巷、
の意でもあり、
人だけでなく神も通る場所、
である。
ケは卦か、
とあり(大言海)、
夕方にする辻占、
のことなので、
ゆううら(夕占・夕卜)、
ゆうけのうら(卜)、
みちのうら、
ともいう(仝上・広辞苑・精選版日本国語大辞典)。なお、後拾遺集に、
さし櫛もつげの歯なくて吾妹子がゆふけの卜を問ひぞわづらふ、
とあるように、
女子が、黄楊(つげ)の櫛を持ちて、辻に出て、道祖神を念じて櫛の歯を鳴らし、そこに見え來る人の語にて、吉凶を定ることあり、
ともある(大言海)。別称に、
朝占夕占(あさけゆうけ)、
というように、
朝方や夕方の人の姿がはっきりしない時刻に行われ、道行く人の無意識に発する言葉の中に神慮を感じとり、それを神の啓示とした、
とある(世界大百科事典)。万葉集でも詠われているように、起源は古代にさかのぼる。
(一条戻り橋(都名所図会) https://www.nichibun.ac.jp/meisyozue/kyoto/page7/km_01_015.htmlより)
なお、類似のものに、橋のたもとに立って占う、
橋占(はしうら)、
というのがある。これは、
橋のほとりや橋上に立って、往来の人のことばで吉凶を占うこと、
であるが、
橋や水辺は、神、とくに水神の示現する場所とされ、人通りの少ない暁や宵にそこに立って神意をうかがった、
ことから、
朝占夕占(あさけゆうけ)、
とも呼ばれ、
ささやきの橋、
の名称は、
占いを求めてその橋を渡ると、神の霊示があるとされたことに由来する、
とあり、京都島原の遊廓の前にあった、
思案橋、
は、橋占のためにその上をしばらく行きつ戻りつしたことにちなんでおり、その脇には見返り柳のような神の宿る木も植えられていた(世界大百科事典)とある。
一条戻り橋、
は、橋占の名所でもあり、
戻り橋、
の名の由来も、鎌倉後期の仏教説話集『撰集抄』に、
一条の橋をもどり橋といへるは、宰相三善清行のよみがへり給へるゆへに名付けて侍る。源氏宇治の巻に、ゆくはかへるの橋なりと申たるは是なり、
とあるのによる。それは、
三善清行が病篤くなり、熊野にいた子浄蔵が急ぎ帰ったが、すでに善行は没し、野辺の送りの一行とこの橋の上で出会い、父の棺に向かって加持祈祷すると善行が蘇生した、
という話である。この橋は、
京の内外をわかつ、
だけではなく、
異界との境をなす、
と考えられ、
橋占い、
の場所としても知られ、『源平盛衰記』に、
一条戻橋と云ふは、昔安倍晴明が天文の淵源を極めて、十二神将を仕ひにけるが、其妻、職神の貌に畏れければ、彼十二神を橋の下に呪し置きて、用事の時は召仕ひけり。是にて吉凶の橋占を尋ね問へば、必ず職神、人の口に移りて、善悪を示すと申す、
とある。こうした伝承のせいか、
今も婚儀の際はこの橋を通行せず、古は旅立には態(わざ)とこの橋を通って発足したという、
という民俗もあったようである(大辞典)。
もどる、
は、
モドは、モドク(擬)・モヂル(捩)と同根、物がきちんと収まらず、くいちがい、よじれるさま、
とあり(岩波古語辞典)、
もとる(悖る)と同根、
ともある(仝上)。しかし、
モトホルの転、
ともある(広辞苑)。柳田國男は、「戻る」には、
元来引き返す、遁げて行くという意味はなかったように思います。漢字の戻も同様ですが、日本語の「戻る」という語は古くは「もとほる」といって、前へも行かず後へも帰らず、一つ処に低徊していることであったのです、
と指摘した(女性と民間伝承)上で、いわゆる「戻橋」についても、
橋占、辻占を聴くために、人がしばらく往ったり来たりして、さっさと通ってもしまわぬ橋というのでありました、
としている(仝上)。
(辻占煎餅を焼く様子(『藻汐草近世奇談 』1878) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%BB%E5%8D%A0より)
ところで、
辻占(つじうら)、
というのは、
古への夕衢占(ゆふけ)、辻に立ちて、往来(ゆきき)の人の無心の言語を聞きて事の吉凶を占ふこと(大言海)、
黄楊(つげ)の櫛を持って四辻に立ち、道祖神に祈って歌を三遍唱え、最初に通りかかった人の言葉によって吉凶を判断したこと(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)、
四辻に立ち、初めに通った人の言葉を聞いて、物事の吉凶を反ずる占い(広辞苑)、
などとある。『絵本本津草』(享保十三年)には、
黄楊の櫛を持ちて、道祖神を念じて、四辻に出で、吾が思ふことの叶ふや否やを占ふ、辻や辻、四辻がうらの、市四辻、うら正しかれ、辻うらの神、かく三返唱へて、其辻へ先に來る人の言葉により、吉凶をうらなふ、
とあり、
辺を見れば黄楊の水櫛落てげり。あぶら嗅きは女の手馴し念記ぞ、是にて、辻占(ツヂウラ)をきく事もがなと(浮世草子「好色一代男(1682)」)、
と、
黄楊の小櫛、
ともいう(文明本節用集(室町中期))。なお、伴信友は『正卜考(せいぼくこう)』のなかで、
場所はかならずしも四つ辻とは限らず、また占いは女がするものとは決まっていない、
と述べている(世界大百科事典)。
これが転じて、
とうふあきなふ商人のきらずきらずと声だかに。売辻占の耳に立心おくれと成やせん(浄瑠璃「堀川波鼓(1706頃か)」)、
と、
偶然に遭遇した物事によって将来の吉凶を判断すること、
をいうようになり、さらには、俗閒に、
辻占煎餅、
などという、
小さき紙に、種々の語句を記したるを、巻きたる煎餅などの内に挿み(これを辻占煎餅と云ふ)、あるいは、あぶり出しのような細工をほどこしたりして、偶然に探り取りて、當座の事を占ひて興とするもの、
という(大言海・精選版日本国語大辞典)、作為的な占へと転じて行く。
辻占煎餅、
の他、
辻占昆布、
辻占豆、
辻占かりん糖、
等々の、
辻占菓子、
があり、占い付き菓子は、飲酒や娯楽、夜の街と関係が深く、江戸後期の三都(京都・大阪・江戸)の風俗、事物を説明した類書(百科事典)『守貞謾稿』や同時代の為永春水の『春の若草』に、宴会や吉原の妓楼で辻占菓子を楽しむ描写が登場する(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%BB%E5%8D%A0)とある。
辻占、
も、別称に、
朝占夕占(あさけゆうけ)、
といい、やはり、
朝方や夕方の人の姿がはっきりしない時刻に行われ、道行く人の無意識に発する言葉の中に神慮を感じとり、それを神の啓示とした、
というものだが、後に、行路の神である、
道祖神、
や
塞の神、
の託宣とされるようになり、さらに、上述のように、衢(ちまた)に出て黄楊(つげ)の櫛を持って、道祖神を念じつつ、見えて来た人の言葉で吉凶を占うようになるのは、
黄楊と「告げ」が結び付き、櫛という呪物も加えられた、
とある(江戸期『嬉遊笑覧』)。夜、花柳界などを中心に占紙を売り歩いた、
辻占売、
はこの流れを引く者で、
淡路島通う千鳥の恋の辻占、
などと呼び声をあげて縁起の良いものだけを売った。占紙には、あぶり出しや巻煎餅・干菓子・板昆布にはさんだもの、割りばしや爪楊枝(つまようじ)の袋に印刷したものなどがあった、
とある(世界大百科事典)。
辻、
は、
神仏や妖怪など善悪さまざまな霊的存在の出現する境界的な場所であり、そこに昼と夜の境をなす時間の立つことは、あの世との接点で霊界との交流を果たすことを意味していた、
ともある(仝上)。
六道の辻、
で触れたように、
辻、
の字は、国字である。
辻は達の省、或は云ふ、十字街の十に之繞(シンネウ)せるとなり、
とある(大言海)、作字である。
和語「つじ」は、
つむじ、
ともいう(広辞苑)。つまり、
旋毛(つむじ)と通ず(大言海)、
ツムジの転(岩波古語辞典)、
とある。逆に、「旋毛(つむじ)」も、
つじ、
と訓む。「つむじ」は、
ツムはくるくる廻るサマ、ジは風。アラシ、ハヤチ、コチのシ・チと同じ、
とある(仝上)。「し」は、
風・息、
と当て、
あらし(嵐)・つむじ(旋風)・しまき(風巻)、
と複合語になった形でのみ使われ、
風の古名、
とあり(大言海)、転じて、
方角、
の意となり、
西風(にし)、
と使われる(岩波古語辞典)。「ち(風)」は、
し(風)の転、
とあり(大言海)、やはり
東風(こち)・速風(はやて)・疾風(はやて)、
と、複合語としてのみ使われる(仝上)。こうみると、
ツムジ→ツジ、
と転訛したとみていいが、
「下総本和名抄」に「俗用辻字〈都无之〉未詳」とあり、「斯道文庫本願経四分律平安初期点」に「巷陌の四衢道の頭(ツムシ)」とあるように、「つむじ」の変化したものとされる。その「つむじ」は頭髪のつむじ(旋毛)と関係するとみられるが、十字路ははやくから「つじ」が一般的となっていたと思われる、
とある(日本語源大辞典)。
都无之(つむじ)、
は、「独楽」で触れた、倭名抄箋注本にある、
都无求里(つむくり)、
とつながる。「つじ」の古名「つむじ」の「つむ」は、「つぶ」に通じるのである。
「つぶ」は、「かたつむり」で触れたように、
粒・丸、
と当て、
「つぶし(腿)・ツブリ・ツブラ(円)・ツブサニと同根」
とあり、「ツブリ(頭)」は、
「ツブ(粒)と同根」
とある。「ツビ」(粒)ともいい、「つぶ(螺)」は、
ツビ、
とも言い、
つぶら、
で触れたように、「つぶら」の「ツブ」は、
粒、
と関わり、「ツブ」は、
ツブラ(円)、
と関わる。「粒」は、
円いもの、
と重なり、「粒」「丸」「円」「螺」は、ほぼ同じと見なしたらしいのである。しかし、
かたつむり、
でみたように、「つぶり」の「つぶ」を「粒」ではなく、「つむり」の「つむ」を、「おつむ」「つむり」の「つむ」(頭)ともみられ、
かたつむり→かたつぶり、
と転訛したとも言えるし、あるいは、「つぶ」を「つぶ(螺)」とみれば、粒と同じく、
かたつぶり→かたつむり、
となるのである。カタツムリを、別名マイマイなどという。マイマイとは、渦巻きのこと、ツブ、ツブロはニシ(螺)だから、巻貝のこと、と考えていくと、
「つじ」の古名「つむじ」の「つむ」は、
頭、
の意でもあるが、やはり、
つむじ(旋毛)、
とも
つむじ(旋風)、
ともつながり、
渦巻く、
と関わると思われる。そういえば、四つ辻は、よく、
旋風風、
が起きる。「旋風風」は、
辻風(つじかぜ)、
と呼ばれるのである。
なお、巫女などの口から出る歌を手掛かりに占いを行う、
歌占、
については触れた。
(「占」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8D%A0より)
「占」(セン)は、
会意文字。「卜(うらなう)+口」。この口は、くちではなく、ある物やある場所を示す記号。卜(うらない)によって、一つの物や場所を選び決めること、
とある(漢字源)。他も、
会意。「卜」+「口」。「予言する」「予見する」を意味する漢語{占 /*tem/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8D%A0)、
会意。卜と、口(くち)とから成り、うらないの結果を判断して言う意を表す(角川新字源)、
会意文字です(卜+口)。「うらないに現れた形」の象形と「口」の象形から、「うらない問う」を意味する「占」という漢字が成り立ちました。また、占いは亀の甲羅に特定の点を刻んで行われる事から、特定の点を「しめる」の意味も表すようになりました(https://okjiten.jp/kanji1212.html)、
と、会意文字とする。
参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95