持入天台路(天台の路(みち)に入らんと待つ)
看余渡石橋(余が石橋(せききょう)を渡るを看よ)(駱賓王(栄之間)・霊隠寺)
の、
石橋、
は、
天台山にある、深い谷川にかけられた石橋の名、生死を超越した人でなければ、怖ろしくて渡れないという、
とある(前野直彬注解『唐詩選』)。
渡石橋、
で、
天台山の深い谷川にかけられた、幅が一尺にも満たないという石の橋を渡る、
という意味だが、
生死を超えた悟りの世界に入ることに喩える、
とある(https://kanbun.info/syubu/toushisen115.html)、
石橋(しゃっきょう)、
は、文字通り、
石で造った橋、
つまり、
いしばし、
をいうが、「石」の字音は、
漢音セキ、呉音ジャク、慣用シャク・コク、
であり、
せっきょう、
とも訓ませる(精選版日本国語大辞典)。
深谷に架(わた)せる石橋、
ともあり(大言海)、
苔、滑らかにして、歩み難し、橋のあたりに、咲きたる牡丹花に、戯れ遊ぶ獅子あり、危きを恐れず、彼岸に達して、始めて、普賢の座に至る、
といった、
仏教の理に因る意味、
に譬えて言う(仝上)とある。
(「天台山石橋図(曽我蕭白筆) https://jin11.net/2023/08/22/7082/より)
普通、
石橋(しゃっきょう)、
というと、
出家した大江定基、寂昭法師が入唐し清涼山で石橋を渡ろうとすると、一人の童子が現れて橋の渡り難いことを説き、橋のいわれを語る。やがて獅子が現れ、咲き乱れる牡丹(ぼたん)の花の間を勇壮に舞い、御代の千秋万歳をことほぐ、
という謡曲の曲名を指したりするが、ここでは、
天台山にあった石橋、
をいう。南朝梁の任昉『述異記』には、
秦の始皇、石橋を海上に作り、海を過(よぎ)り、日の出づる處を観んと欲す。神人有り、石を駈(か)る。去(ゆ)くこと速からず。神人之れを鞭(むち)うち、皆流血す。今石橋、其の色猶ほ赤し、
とある(字通)。石橋は、
支那天台山にある石の橋で、橋上苔滑かにして稍々もすれば転び落ちやうとするし両岸は断崖千仞削るが如く、橋下は数千丈の深潭であり、此の附近獅子よく出でゝ遊ぶ、
といい(東洋画題綜覧)、『元亨釈書』には、
天台山に石橋あり、広さ尺に満たず長さ数歩其下数千丈あり、天台大師始めて登山の時、この橋に一宿す、羅漢現じて将来を示す、
などとある(仝上)。この石橋は、
橋上苔滑かにして稍もすれば転ぜんとす、両岸に断崖削るが如く、その橋下は数千丈の深潭にて、その附近に獅子の住むと称へらるゝ神秘的の境なり、天台大師始めて登山の時、是に一宿し羅漢と会すという、我が寂昭大師も此を訪ひし時、渡らんと欲して、その危険を恐れ屡々躊躇越りと伝へらる、
とあり(https://www.arc.ritsumei.ac.jp/opengadaiwiki/index.php/%E7%9F%B3%E6%A9%8B)、謡曲「石橋」は、この、
寂昭大師入唐して此地に至り、獅子舞の奇特に会せしことを叙せり、
とある(仝上)。能に於ける獅子の狂ひ舞が世に普及し、
通例石橋といへば赤頭白頭の獅子の狂ひ舞を画くを習となす、
とある(仝上)。
謡曲に『石橋』では、
なほ/\橋のいはれ委しく御物語候へ、「夫れ天地開闢の此方、雨露を降して国土を渡る、是れすなはち天の浮橋ともいへり、「其外国土世界に於て橋の名所さま/゙\にして、「水波の難をのがれ、万民富める世を渡るも、すなはち橋の徳とかや、「然るに此石橋と申すは、人間の渡せる橋にあらず、おのれと出現して、つづける石の橋なれば、石橋と名を名付けたり、其面わづかに尺よりは狭うして、苔甚だ滑かなり、其長さ三丈余、谷のそくばく深きこと千丈余に及べり、上には滝の糸、雲より懸けて、下は泥梨も白波の、音は嵐にひゞき合ひて、山河震動し雨塊を動かせり、橋のけしきを見渡せば、雲にそびゆる粧ひの、たとへば夕陽の雨の後に虹をなせる姿、又弓をひける形なり、遥かに臨んで谷を見れば「足冷ましく肝消え、すゝんで渡る人もなし、神変仏力にあらずば、誰か此橋を渡るべき、
と詠う(東洋画題綜覧)。
天台山、
は、
支那の仙境と数へらるゝ所にして、天台宗の根原地なり、浙江省台州府に在り、超然として秀出して山八重あり、高さ一万八千尺という、路険にして渓水清冷、石橋ありて、径尺に盈たず、下絶冥の澗に臨む、之に登るには或は岩壁に梯し、或は蘿葛を握りて辛うじてすべしという、上に隋の煬帝が宗祖智者大師の為めに建つる所国清寺あり、瓊楼、玉閣、天堂、碧林あり、醴泉亦湧く、古来金庭不死の仙境と称せらる、晋の隠士白道猷曽つて之を過ぎて醴泉、紫芝、霊薬を得、以て不老の妙に通せりという、此仙境を画くもの仏家に多く、亦南画家に少なからず、
とあり(https://www.arc.ritsumei.ac.jp/artwiki/index.php/%E5%A4%A9%E5%8F%B0%E5%B1%B1)、
支那浙江省台州府にある名山、赤城山、方山、等と共に仙霞嶺山脈中の一峰にかゝる、天台の名は斗牛(星座の二十八宿の中に隣り合う、斗宿と牛宿。「斗」は射手座の一部、「牛」は山羊座の一部で、わし座の南方にある)の分野に当り天の台宿に応ずるが故に名付くといふ、山峰奇秀、渓水深険、山に寺塔多く、中にも国清寺は仏教史上の名刹で、晋の時代から高僧多く留錫修道し、殊に隋の代になつて智者大師此山にあつて法華経に基き天台の教義を組成弘通してから、唐代に於ては南支那に於ける仏教の一大道場となり、我が伝教大師また入唐して此の山に学び、帰朝の後比叡山に日本天台宗を開いた、
ともある(仝上)。
(石橋(天台山) https://www.engakuji.or.jp/blog/27241/より)
「天台山」については、「方丈」で触れたように、
天台、
は、
浙江省の東部にある山、
で、
昔は仙人の住む霊山と考えられた、
とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。
天台、
は、孫綽(そんじゃく)「天台山に遊ぶ賦」に、
海を渉れば則ち方丈・蓬莱有り、陸に登れば則ち四明・天台有り、皆玄聖の遊化する所、霊仙の窟宅する所なり、
とある(仝上)。
(「石」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%9F%B3より)
「石」(漢音セキ、呉音ジャク、慣用シャク・コク)は、
象形。崖の下に口型のいしのあるさまをえがいたもの、
とある(漢字源)。別に、
象形。厂(かん がけ)の下にあるいしの形にかたどり、「いし」の意を表す(角川新字源)、
ともあるが、これは、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)の、
「口」をいしの象形として「厂」を崖と解釈している、
のによるが、
甲骨文字の形を見ればわかるように、これは誤った分析である、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%9F%B3)、
象形。「厂」の部分が原字で、いしの形を象る。のち羨符「口」を加えて「石」の字体となる。「いし」を意味する漢語{石 /*dak/}を表す字、
とする(仝上)。
(「橋」 説文解字・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A9%8Bより)
「橋」(①漢音キョウ・呉音ギョウ、②キョウ)は、
会意兼形声。喬は、高(たかい家の形)の屋根の先端が曲がったさまを描いた象形文字で、高くて曲線をなしてしなう意を含む。橋は「木+音符喬」で、⌒型に高く曲がったはし、
とあり(漢字源)、「橋梁」「架橋」の「橋」、橋をメタファにした横木、「橋起」のように、たかくそびえるさま等々、いわゆる「橋」の意の場合は①の音、轎(キョウ)に当てて用いた、橋のように担ぎあげる輿の意の場合は、②の音となる(仝上)。別に、
会意兼形声文字です(木+喬)。「大地を覆う木の象形」と「高い楼閣の上に旗がかけられた」象形(「高い」の意味)から谷川に高くかけられた木の「はし」を意味する「橋」という漢字が成り立ちました、
も(https://okjiten.jp/kanji419.html)、会意兼形声文字とするが、
形声。「木」+音符「喬 /*KAW/」。「はし」を意味する漢語{橋 /*ɡ(r)aw/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A9%8B)、
形声。木と、音符喬(ケウ)とから成る。「はし」の意を表す(角川新字源)、
は、形声文字とする。
参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95