2024年10月29日
しかすがに
風まぜに雪は降りつつしかすがに霞たなびき春は來にけり(新古今和歌集)、
の、
しかすがに、
は、
そうはいうものの、
の意(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)で、
かくしつつ暮れぬる秋と老いぬれどしかすがになほものぞかなしき(仝上)、
では、
そうではあるが、
さすがに、
の意だが、
古い語感の副詞、
とあり、この作者(能因)は、
思ふ人ありとなけれど古里はしかすがにこそ恋しかりけれ(後拾遺和歌集)、
とも詠んでいる(仝上)とある。
しかすがに、
は、
しか、
に、動詞、
す、
助動詞、
がに、
がついたもの、
で(広辞苑、学研全訳古語辞典は、「がに」接続助詞とする)、
上の事柄を「そうだ」と肯定しながら、もう一つの事を付け加える意、
を表わし(精選版日本国語大辞典)、
それはそうだがしかし、
そうはいうものの他方では、
それはそうだがやはり、
そんなはずではないのに、
という含意(仝上)で、
そうはいうものの、
さすがに、
の意味とある(広辞苑)が、
シカは然、スは有の意の古語、ガは所の意、アリカのカの転、ニは助詞、
ともあり(岩波古語辞典)、平安時代以後、
サスガニ、
となる(岩波古語辞典)とある。ただ、
「しか」は副詞、「す」はサ変動詞で存在の意を表わし、「がに」は上の動詞が表わす事態が今にも実現しそうな様態や程度であることを示す接続助詞、これらが結びついて一語化したもの、
とあるの(精選版日本国語大辞典)で、ほぼ意味としては、
然(しか)するからにの約略(車持(くるまもち)、くらもち。蛙手(かへるて)、かへで。いざさらば、いざさば)、
ということになる(大言海)。
しかすがに、
は、上代から用いられ「万葉集」には、
梅の花散らくはいづく志可須我爾(シカスガニ)この城(き)の山に雪は降りつつ、
山の際(ま)に雪は零(ふ)りつつ然為我(しかすが)にこの河楊(かはやぎ)は萌えにけるかも、
風交(まじ)へ雪は降りつつ然為蟹(しかすがに)霞たなびく春さりにけり、
などの例があるが、中古には、
さすがに、
に交代し散文には用いられなくなったが、和歌においては、
初句と第三句の五音中に用いられて、第二句と第四句の七音中に用いられる「さすがに」との相補分布が認められる、
とある(精選版日本国語大辞典)。「相補分布」とは、
複数の音が互いに重ならないように分布すること、
とあり(広辞苑)、日本語の、
ハ行音で〈フ〉[ɸɯ]には無声両唇摩擦音[ɸ]が、〈ヒ〉[çi]には無声硬口蓋摩擦音[ç]が、〈ハ〉[ha]、〈ホ〉[ho]、〈ヘ〉[he]には声門摩擦音[h]が現れる、
とあり(世界大百科事典)、
同一の音素が場面により異なる形をとって現れる、
とみなされる(広辞苑)とある。なお、
然、
爾、
と当てる、
しか、
については触れた。
「然」(漢音ゼン、呉音ネン)は、「しか」で触れたように、
会意。上部はもと厭の厂を除いた部分と同じで、犬の脂肪肉を示す会意文字。然は、その略体で、脂(あぶら)の肉を火で燃やすことを意味する。燃の原字で、難(自然発火した火災)と同系、のち然を指示詞ゼン・ネンに当て、それ・その・その通りなどの意をあらわすようになった。そのため燃という字でその原義(もえる)を表すようになった、
とある(漢字源)。で、「しかり」と肯定・同意するときの言葉、転じて、「そう、よろしい」と引き受けるのを「然諾」といい、イエスかノーかを「然否」という、とある(仝上)。別に、より分解して、
会意。「月」(肉) +「犬」+「灬」(火)を合わせて、犬の肉を炙ること。「燃」の原字。音が仮借されたもの(藤堂)、又は、生贄の煙を上げ神託を求める(白川)。難と同系、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%84%B6)のがわかりやすい。
参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95