2024年10月30日
暗投
暗投空欲報(暗投(あんとう) 空しく報ぜんと欲するも)
下調不成章(下調(かちょう) 章を成さず)(宋之問・和姚給事寓直之作)
の、
下調、
は、
低く、いやしい調べ、
の意で、
自分の詩に対する謙遜の言葉、
とある(前野直彬注解『唐詩選』)。
暗投、
は、
漢の鄒陽(すうよう)が梁の孝王に送った手紙「獄中上梁王書」に、
明月之珠、夜光之璧、以暗投人於道、衆莫不按劍相眄。何則無因而至前也(明月の珠(たま)、夜光の璧(たま)も、暗を以て人に道に投ずれば、衆は剣を按(あん)じて相(あい)眄(にら)まざる者莫し。何(なん)となれば則ち因(いん)無くして前に至ればなり)、
とあるのにもとづく(https://kanbun.info/syubu/toushisen126.html)、
夜光の玉も暗闇の中で人の前に投げれば、人は驚いて警戒する。価値あるものも、然るべき場合、もしくは然るべき相手に示さなければ、何の役にも立たない、
というたとえ(仝上・前野直彬注解『唐詩選』)。ここでは、
姚(給事)から詩を送られたことを、謙遜して言ったもの、
とある(仝上)。なお、手紙中の、
何則、
は、
「何なんとなれば則すなわち~ばなり、
と読み、
なぜならば~だからだ」と訳す、
とある(仝上)。冒頭の詩中、
空欲報、
は、
お返しの詩を作りたいと思うが、どうにも無駄である、
と訳し(仝上)、
下調、
で、
つまらぬ格調の詩、
と、自分の詩を卑下して言った(仝上)。
章、
は、ここでは、
詩の節・連、
とあり、『列子』湯問篇に
匏巴鼓琴、而鳥舞魚躍。鄭師文聞之、棄家從師襄游。柱指鈞弦三年、不成章(匏巴(こは)、琴を鼓(こ)せば、鳥舞い魚躍る。鄭(てい)の師文之(これ)を聞き、家を棄てて師襄(じょう)に従って游ぶ。指を柱(ささ)え弦を鈞(ととのう)ること三年、章(しょう)を成さず)、
とあるのによる(仝上)。
暗投、
は、上記『史記』鄒陽傳にある、
明珠を暗夜に人に投げ与える、
からきて、前述のように、
貴重なものを、贈るのにふさわしくない方法で人に贈ること、
また、
貴重なものを贈るにも適切な方法でなければ、かえってその人の怨みをかう、
ということのたとえで、
明珠暗投、
ともいう(広辞苑・精選版日本国語大辞典)が、転じて、
貴重な才能を持っているのに、それを認めてくれる人に出会えない、
という喩えに使われ、さらには、明治初期、
其の暗投(アントウ)に出で、君の怒に触るるを知る(末広鉄腸「雪中梅(1886)」)、
と、
交際のない人に手紙を送る、
意に転化して、誤用される(仝上)に至る。
明珠、
は、
越裳翡翠無消息
南海明珠久寂寥(杜甫・諸将詩)、
と、
透明にして光沢ある玉、
の意(大言海)、転じて、
七歳能屬文、……常置坐側、謂賓客曰、此兒、吾家之明珠也(梁書・劉孺傳)、
すぐれたる人物、
貴重なる人物、
に譬える(仝上・広辞苑)ので、意味の転化には背景がある。
ただ、面白いことに、
明珠暗投、
は、
中日辞典(第3版)をみると、、
善良な人が悪党の一味になる、
才能のある人が認められずに民間に埋もれてしまう、
という意味が載り、
明珠、
は、同じく、
愛する人・物、
の喩えとある。字通には、
光る玉。真珠の類。〔白虎通、封禅〕河、龍圖(りゆうと)を出だし、洛、龜書(きしよ)を出だす。江、大貝を出だし、海、明珠を出だす、
とある。
「珠」(漢音シュ、呉音ス)は、「二乗の人」で触れたように、
会意兼形声。「玉+音符朱」。朱(あかい)色の玉の意、あるいは主・住と同系で、貝の中にじっととどまっている真珠の玉のことか、
とある(漢字源)。別に、
会意兼形声文字です(王(玉)+朱)。「3つの玉を縦のヒモで貫いた」象形(「玉」の意味)と「木の中心に一線引いた」象形(「「木の切り口のしんが美しい赤」の意味)から、「美しい玉」、「真珠」を意味する「珠」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji1316.html)が、
形声。「玉」+音符「朱 /*TO/」。漢語{珠 /*to/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8F%A0)、
も、
形声。玉と、音符朱(シユ)とから成る。真珠の意を表す(角川新字源)、
も、形声文字とする。
参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95