2024年11月04日
たのむの雁
今はとてたのむの雁もうちわびぬおぼろ月夜のあけぼのの空(新古今和歌集)
時しもあれたのむの雁の別れさへ花散る頃のみ吉野の里(仝上)
の、
たのむの雁、
は、
田の面の雁、
の意で、
忘るなよたのむの沢を立つ雁も稲葉の風の秋の夕暮れ(仝上)、
の、
たのむ、
は、
田の面、
の訛音、
みよし野のたのむの雁もひたぶるに君が方にぞ寄ると鳴くなる(伊勢物語)、
が古い例で、冒頭の「今はとてたのむの雁もうちわびぬ……」の本歌となる(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。
たのむ、
には、
タノミの転、
で、
田の実、
と当てて、
秋風にあふたのみこそ悲しけれわが身むなしくなりぬと思へば(古今和歌集)、
と、
田にみのった稲の実、
の意があり、これは、
たのむ(田実)の祝い、
たのみの祝い、
たのむの節、
たのむの日、
たのもの日、
たのも節句、
などという、
田の実すなわち稲のみのりを祝う、
意から、
陰暦八月朔日(ついたち)に新穀を贈答して祝った民間行事、
がある(広辞苑)。農村では、
穂出しの祈願や刈初めの神事が行われる(世界大百科事典)、
八朔の日、其年の早稲を産土神(ウブスナノカミ)に供へて祭る(大言海)、
などとある。
古へ行ひたる新嘗祭の名残りならむ、
ともある(仝上)。
頼む、
に通じることから、鎌倉中期以降の武家の間では、
憑、
と書いて、
君臣相たのむ、
意に掛けて、
田の実の祝、
といい、
たのみ奉る主君へ太刀・馬・唐物などを贈り、主君からも物を返し賜る、
という、
主君と家人の間で物を贈答し、封建的主従関係を強固にする重要な儀式、
とされ、室町時代には
憑(たのみ)総奉行、
を置くほど幕府の重要儀式となり、江戸時代には、
徳川家康の江戸入城が八月朔日だったので、、元日と同じ重い式日とし、諸大名は賀辞を述べ、太刀献上のことがあった、
とある(仝上・岩波古語辞典)。
冒頭の歌の、
たのむ、
は、
田の面、
とあて、
タノモの転、
で、
田のおもて、
田づら、
あるいは、
田、
を指す歌語で、
頼む、
とかけていうことが多い(仝上)とある。
たのむの雁、
は、
田に降りている雁、
で、歌では多く、
頼む、
に掛けていう。伊瀬物語では、
昔、男、武蔵の国までまどひありきけり。さて、その国にある女をよばひけり。父はこと人にあはせむといひけるを、母なむあてなる人に心つけたりける。父はなお人にて、母なむ藤原なりける。さてなむあてなる人にと思ひける。このむこがねによみてをこせたりける。住むところなむ、入間の郡三芳野の里なりける。
みよし野のたのむの雁もひたぶるに君が方にぞよると鳴くなる
むこがね、返し、
わが方によると鳴くなるみよし野のたのむの雁をいつか忘れむ
となむ。人の国にても猶かゝる事なむ、やまざりける、
とある(石田穣二訳注『伊勢物語』)。なお、江戸時代、
たのもあんどん(田面行燈)、
といったのは、
吉原にて、廓外の堤に點ぜし行燈、
のこととある(大言海)。
「田」(漢音テン、呉音デン)は、「田楽」で触れたように、
四角に区切った耕地を描いたもの。平らに伸びる意を含む。また田猟の田は、平地に人手を配して平らに押していく狩のこと、
とある(漢字源)。別に、
象形文字です。「区画された狩猟地・耕地」の象形から「狩り・田畑」を意味する「田」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji108.html)。
参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95