2024年11月15日
野もせ
よられつる野もせの草のかげろひて涼しく曇る夕立の空(西行法師)
の、
よられつる、
は、
暑さのためにひからびてよじれていた、
とあり、
野もせ、
は、
野にいっぱいの、
の意となる(久保田淳訳注『新古今和歌集』)、
生動感溢れる叙景歌、
とする(仝上)。なお、
涼しく曇る、
は、詠歌一体で、
制詞、
とされる(仝上)とある。「制詞」は、「飼ふ」で触れたように、
制(せい)の詞(ことば)、
ともいい、
禁制の歌詞、
といい、歌学で、
聞きづらいとか、耳馴れないとか、特定の個人が創始した表現であるなどの理由から、和歌を詠むに当たって用いてはならないと禁止したことば、
とされ、鎌倉初期の歌論書『詠歌一体(えいがいったい)』で、藤原為家が説いている(精選版日本国語大辞典)。
野もせ、
は、
野面、
野も狭、
と当てる(岩波古語辞典)。
白露のうつろひにけり高まどの野も狭に咲ける秋萩の花(万代集)、
秋なれば萩の野も狭に置く霜のひるもにさへも恋しきやなぞ(風雅集)、
の、
野も狭に、
と、
野も狭くなるまでに、
の意の、
野も狭、
の、
野が狭いと思われるほどいっぱい、
の意(岩波古語辞典)が、転じて、
「野も狭」を一語と解し、「に」を格助詞と解したことによる語、
として、
野の面(おもて)、
のづら、
野原、
の意となったものである(精選版日本国語大辞典・広辞苑)。平安後期の歌学書『奥義抄』(藤原清輔)に、
のもせとは野に満ちたりといふ心なり、多くひまなきなり、
とある。
野面、
を、
のづら、
と訓むと、文字通り、
野原、
野外、
という意味だが、
野面石、
の意で、
切り出したままで加工してない自然の石のはだ、
また、
自然のままの石、
の意もあり、そこから、古い城郭の、大割りした石をそのまま積んだ石垣を、
野面積(のづらづみ)、
という(仝上)。
「野(埜)」(漢音呉音ヤ、漢音ショ、呉音ジョ)は、「野干」で触れたように、
会意兼形声。予(ヨ)は、□印の物を横に引きずらしたさまを示し、のびる意を含む。野は「里+音符予」で、横にのびた広い田畑、野原のこと、
とある(漢字源)。ただ、
会意形声。「里」+音符「予」(だんだん広がるの意を有する)(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%87%8E)、
と、
形声。里と、音符予(ヨ)→(ヤ)とから成る。郊外の村里、のはらの意を表す(角川新字源)、
とを合わせてやっとわかる解説のように思える。別に、「野」と「埜」を区別し、「野」は、
会意兼形声文字です(里+予)。「区画された耕地の象形と土地の神を祭る為に柱状に固めた土の象形」(耕地・土地の神を祭る為の場所のある「里」の意味)と機織りの横糸を自由に走らせ通す道具の象形(「のびやか」の意味)から広くてのびやか里を意味し、そこから、「郊外」、「の」を意味する「野」という漢字が成り立ちました、
とし、「埜」は、
会意文字です(林+土)。「大地を覆う木」の象形と「土地の神を祭る為に柱状に固めた土の象形」(「土」の意味)から「の」を意味する「埜」という漢字が成り立ちました、
と解釈するものがある(https://okjiten.jp/kanji115.html)。しかし、
「里」+「予」、
とする説は、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)によるもので、
『説文解字』では「里」+「予」と分析されているが、誤った分析である。「土」と「田」は異なる時代に個別に加えられた、
とし(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%87%8E)、
原字は会意文字、「林」+「土」。これに音符「予 /*LA/」を加えて「𡐨」の字体となった後、「林」の代わりに「田」を加えて「㙒」→「野」の字体となる。「の」「平原」を意味する漢語{野 /*laʔ/}を表す字、
としている(仝上)。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95