2024年12月01日

菊合(きくあわせ)


しぐれつつ枯れゆく野辺の花なれば霜の籬にいほふ色かな(新古今和歌集)、

の詞書に、

上のをのこども菊合しけるついでに、

とある、

菊合、

は、

左右に分かれて、それぞれの方の菊の優劣を競う遊び、

を言い、

歌を伴う、

とあり(久保田淳訳注『新古今和歌集』)、この歌の菊合は、

延喜十三年(913)十月十三日内裏菊合か、

とある(仝上)。

寛平御時(かんぴょうのおんとき)菊合(仁和四年(888)~寛平三年(891)に開かれた)、

が、現存最古の史料(広辞苑)とある。

菊合、

は、

物を合わせて優劣を競う遊戯、

である、

物合(ものあわせ)、

の一つで、

菊合、

の他、

貝合、
女郎花合、
前栽(ぜんざい)合、
根合、
草合、
艶書合、
今様合、
草子合、
扇合、
絵合、
歌合、
花合、
蟲合、
香合(薫物合)、

等々がある(広辞苑・精選版日本国語大辞典・大言海)。紫式部日記に、

御前のありさま、絵にかきたる物合の處にぞ、いとよう似て侍りし、

とあり、枕草子にも、うれしきものに、

物合、なにくれといどむことに勝ちたる、いかでかうれしからざらむ、

とある。

なお、「寛平内裏菊合」については(中村佳文「『寛平内裏菊合』の方法」(https://waseda.repo.nii.ac.jp/record/5391/files/Kokubungakukenkyu_158_NakamuraY.pdfに詳しい)。

源氏物語歌合絵巻①.jpg


源氏物語歌合絵巻②.jpg


菊合(きくあわせ)、

は、後に、

菊合などいひて一りんづつ開かせ、其大さ物さしをあつるよふになりたり(随筆「独寝(1724頃)」)、

と、

菊くらべ、
闘菊、

等々と言い、

菊の花を持ち寄って、花輪の美、作柄などを品評して優劣を争う催し、

となってゆく(精選版日本国語大辞典)。この背景にあるのは、古代中国で、菊は邪気を祓い長生きする効能があると信じられ、日本では、

重陽の節句、

に、菊に関する歌合せや観賞する宴が催され、不老長寿を祈ったhttps://kigosai.sub.jp/001/archives/16670とされる。

五節句の一つである、

重陽

は、中国の、

九月九日の重陽(ちょうよう)の節句、

が日本にも伝わり、『日本書紀』武天皇十四年(685)九月甲辰朔壬子条に、

天皇宴于旧宮安殿之庭、是日、皇太子以下、至于忍壁皇子、賜布各有差、

とあるのが初見で、嵯峨天皇のときには、神泉苑に文人を召して詩を作り、宴が行われ、淳和天皇のときから紫宸殿で行われた(世界大百科事典)。

菊は霊薬といわれ、延寿の効があると信じられ、

重陽の宴(えん)、

では、

杯に菊花を浮かべた酒(菊酒)を酌みかわし、長寿を祝い、群臣に詩をつくらせた、

とある(精選版日本国語大辞典)。菊花を浸した酒を飲むことで、長命を祝ったので、

菊の節句、

ともいう。

源氏物語・絵合.png


物合(ものあわせ)、

は、上述のように、

左方、右方に分かれ、たがいに物を出し合って優劣を競い、判者(はんじや)が勝敗の審判を行い、その総計によって左右いずれかの勝負を決める遊戯の総称、

で(広辞苑・世界大百科事典)、

菊合、

と同じく、多く歌を伴い、平安貴族の間で流行した。

物合、

は、

歌合
相撲(すまい)、
競馬(くらべうま)、
賭射(のりゆみ)、

などとともに、

競べもの、

の一種であるが、歌合、詩合などをも含む広範囲に及ぶ各種の、

合わせもの、

を一括していうことも多い(仝上)とある。近世まで含めると、植物では、

草合、根合(ショウブの根)、花合(主として桜)、紅梅合、瞿麦(なでしこ)合、女郎花(おみなえし)合、菊合、紅葉合、前栽(せんざい)合、

等々、動物では、

鶏(とり)合、小鳥合、鶯合、鵯(ひよどり)合、鶉(うずら)合、鳩合、虫合、蜘蛛合、犬合、牛合、

等々、文学では、

歌合、詩合、物語合、絵合、扇紙(扇絵)合、今様(いまよう)合、懸想文(けそうぶみ)合、連歌合、狂歌合、発句合、

等々、文具・器物では、

草紙合、扇合、小筥(こばこ)合、琵琶合、貝合、石合、

等々、武技・遊芸では、

小弓合、乱碁合、謎謎合、薫物(たきもの)合、名香(みようごう)合、

等々、衣類では、

小袖合、手拭合、

等々が行われている(仝上)という。競技の際には、

比べる物にちなんで詠まれた和歌が添えられて、出し物とあわせて判定の対象、

となったが、平安後期以降の、

歌合、

の盛行とともに、その和歌の占める比重が漸次大きくなり、物合は一種の文芸的な遊戯の色合いを濃くしていった(日本大百科全書)とある。なお、

内裏菊合(888~891)、
円融院扇合(973、実際には扇に添えられた歌を内容とする)、
斎宮良子内親王貝合(1040)、
正子内親王絵合(1050)、
郁芳門院根合(1093)、
後白河法皇今様合(1174)、

等々が名高い(世界大百科事典)とある。

物合(ものあわせ)の遊び方は、下記のようであったhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A9%E5%90%88

左方・右方のチームメンバーを決める。

各チームのスポンサーとなる大貴族が、親類縁者・家臣など関係者の中からその道に優れた人を抜擢する。歌合などでは、小貴族であっても和歌の腕がよければ選ばれて光栄に浴することも出来た。

左方のチームカラーは暖色系統(当時は紫から橙色まで)で、大きな催しなどではアシスタントの女童たちの衣装や品物を包む料紙なども赤紫から紅の色合いで意匠を統一する。右方のチームカラーは寒色系統(当時は黄色から青紫まで)で、同じく凝った意匠を競った。

審判(判者)の選定はもっとも神経を使うもので、審美眼はもちろん判定書に必要な書道や文章・和歌の道に優れた老練の人が選ばれる。他に、数回戦を競うため各チーム勝ち負けの数を串で記録する記録係「数刺し」がいた。

また、両チームにはチーム代表で解説や進行を担当する「頭」や、応援担当の「念人」が選出されることもある。

「菊」.gif

(「菊」 https://kakijun.jp/page/1161200.htmlより)


「菊」 中国最古の字書『説文解字』.png

(「菊」 中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)  https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%8F%8Aより)

「菊」(キク)は、

会意兼形声。匊(キク)は、手の中に米をまるめてにぎったさま。菊は「艸+音符匊」で、多くの花をひとまとめにして、まるく握った形にしたはな、

とあり(漢字源)、別に、

会意兼形声文字です(艸+匊)。「並び生えた草」の象形(「草」の意味)と「人が手を伸ばして抱え込んでる象形と横線が穀物の穂、六点がその実の部分を示す象形」(「米を包む・両手ですくう」の意味)から、米を両手ですくい取る時に、そろった指のように花びらが1点に集まって咲く「きく」を意味する「菊」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1556.htmlが、

かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%8F%8A

形声。「艸」+音符「匊 /*KUK/」。一種の植物(キク)を指す漢語{菊 /*kuk/}を表す字(仝上)、

形声。艸と、音符匊(キク)とから成る。「きく」の意を表す。(角川新字源)、

と、形声文字とする。

参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
中村佳文「『寛平内裏菊合』の方法」(https://waseda.repo.nii.ac.jp/record/5391/files/Kokubungakukenkyu_158_NakamuraY.pdf)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:52| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2024年12月02日

思草(おもひぐさ)


野辺見れば尾花がもとの思ひ草枯れゆく冬になりぞしにける(新古今和歌集)、

の、

思草、

は、

リンドウ、露草など諸説ある。すすきの根元にはえるという点を重視すれば、なんばんぎせるが最もふさわしい、

とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。

道辺の尾花が下の思草(おもひぐさ)今さらになに物か思はむ(万葉集)、

と、

尾花が下の思草、

と詠われるところから、ススキなどの根に寄生する、

南蛮煙管(なんばんぎせる)、

と推定されている(精選版日本国語大辞典)が、他に、

リンドウの別称、
シオンの別称、
ススキの別名、

等々ともされ(動植物名よみかた辞典・岩波古語辞典)、

女郎花おなじ野べなるおもひ草いま手枕にひき結びてむ(「行宗集(1140頃)」)、

と、

おみなえし(女郎花)」の異名、

とも、

煙管にくゆる火も、……吹きて乱るる薄煙、空に消えては是もまた、行方も知らぬ相おもひぐさ(浄瑠璃「曾根崎心中(1703)」)、

と、

タバコの異称、

としても使われる(精選版日本国語大辞典)。

下向きに花をつける形、

が、

思案する人の姿、

を連想させることによるものか、恋の歌に多く使われ、

思ふ、

を導いたり、

思ひ種、

にかけたりして用いられ(仝上)、

思種、

とも当てる(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。

ナンバンギセル.jpg


ナンバンギセル(南蛮煙管)、

は、

イネ科の単子葉植物(イネ、ススキ、サトウキビなど)の根に寄生する。葉緑素が無く、寄主の根から吸収した栄養分に依存して生育するため、寄主の生長は阻害され、死に至ることもある。全長は15~50cm。葉は披卵形、長さ5~10mm、幅3-4mm。花期は7-8月、赤紫色の花を1個つける。花冠は筒型で、唇形になる。花冠裂片の縁は全縁。雄蕊は黄色の毛が密生している。蒴果は球状で、種子の大きさは0.04mm、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%BB%E3%83%AB

長い花柄の先に筒形の大きな紅紫色の花をつけ、それがパイプに似るのでこの名がある。茎はごく短く、ほとんど地上にでず、黄色から赤褐色で、狭三角形の鱗片状の小さな葉をまばらにつける、

とある(世界大百科事典)。

参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:48| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2024年12月03日

隙(ひま)ゆく駒


新しき年やわが身をとめ来(く)らむ隙(ひま)ゆく駒に道をまかせて(新古今和歌集)、

の、

隙ゆく駒、

は、「荘子」知北遊に、

人生天地之間、若白駒之過郤(隙)、

とあるのにより、

月日の過ぎやすく、人生の短いことを言う、

とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。

駒に道をまかせて、

は、「韓非子」説林上の、

老馬道を知る、

の故事にもとづき、

いかでわれ隙ゆく駒を引き留めて昔に返る道を尋ねむ(千載和歌集)、
夕闇は道も見えねど古里はもと来し駒にまかせていぞ来る(後撰和歌集)、

等々と詠われる(仝上)。

隙行く駒(ヒマユクコマ)、

は、

駒隙(くげき)の文字読み、

とあり(大言海)、「荘子」知北遊の、

人生天地之間、若白駒之過郤(隙)、忽然而已、

により、

隙(げき)行く駒、
ひま過ぐる駒、
ひまの駒、
隙(げき)を過ぐる駒、
白駒(はっく)隙(げき)を行く、
白駒(はっく)隙(げき)を過ぐ、
白駒(はっく)の隙(げき)を過ぐるが如ごとし、
隙駒(げきく)、
白駒(はっく)、

などともいい、文明本節用集(室町中)には、

白駒ハック、隙駒(ゲキク)義也、

ともあり、

壁のすきまに見る馬はたちまち過ぎ去る、

という意から、

人の一生を白い馬が壁のすきまを通り過ぎるくらいの長さにすぎない、

とたとえた(精選版日本国語大辞典・故事ことわざの辞典)。

奔馬をすきまからちらりと見る如し、

とある(字源)のが、原義なのだろう。「史記」魏豹傳に、

人生一世閒、如白馬過隙耳。

とあり、注記に、

白駒、謂日影也、隙、壁隙也、以言速疾如日影過壁隙也、

とあり、より含意が伝わる。上述の、

老馬道を知る、

は、

老馬道を弁ず、
老馬路を忘れず、
老馬の智(ろうばのち)、

ともいい、「韓非子‐説林」の、

管仲隰朋従於桓公伐孤竹、春往冬反、迷惑失道、管仲曰、老馬之智可用也、乃放老馬而随之、遂得道、

により、

経験を積んだものの知恵を尊重すべきことをいう(精選版日本国語大辞典)、
老いた馬は独自の知恵をもっていて、特に通の判断は正確で迷うことはない。ものには、それぞれ学ぶべき点があることのたとえ(故事ことわざの辞典)

をいう(精選版日本国語大辞典・故事ことわざの辞典)。

「隙」.gif


「隙」(慣用ゲキ、漢音ケキ、呉音キャク)は、

会意兼形声。𡭴は「小+小+白(ひかり)」の会意文字で、小さなすき間から白い光が漏れることを示す。隙はそれを音符とし、阜(土もり、土べい)を加えた字で、土塀のすきまをあらわす、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(阝+小+日+小)。「段のついた土山」の象形と「小さな点と太陽の象形」(「すき間から光が漏れる」の意味)から、「暇」、「すき」、「すき間」を意味する「隙」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2155.htmlが、

形声。「阜」+音符「𡭴 /*KRAK/」。「すきま」「裂け目」を意味する漢語{隙 /*khrak/}を表す字、

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9A%99

形声。阜と、音符𡭴(ケキ)とから成る。かべの穴、すきまの意を表す、

も(角川新字源)、形声文字とする。

「駒」.gif


「駒」 金文・西周.png

(「駒」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A7%92

「駒」(ク)は、

会意兼形声。「馬+音符句(ちいさくまがる、ちいさくまとまる)」、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(馬+句)。「馬」の象形と「曲がった鍵の引っかかった象形と口の象形」(「言葉を区切る」の意味だが、ここでは、「クルッと曲がる」の意味)から、「クルクルはねまわる子馬、こま」を意味する「駒」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2167.htmlが、

形声。「馬」+音符「句 /*KO/」。{駒 /*k(r)o/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A7%92

形声。馬と、音符句(ク)とから成る。(角川新字源)、

も、形声文字とする。

参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:48| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2024年12月04日

遅日(ちじつ)


遲日園林悲昔遊(遅日(ちじつ) 園林(えんりん) 昔遊(せきゆう)を悲しむ)
今春花鳥作邊愁(今春 花鳥 辺愁(へんしゅう)を作(な)す)(杜審言・渡湘江)

の、

遅日(ちじつ)、

は、

うらうらと長い春の日、

をいい、『詩経』豳風(ひんぷう)・七月の詩に、

春日遲遲(春日(しゅんじつ)遅遅(ちち)たり)、

とあるのにもとづく(前野直彬注解『唐詩選』・字源)とある。

春の日、日永くして暮るることおそき故、

とある(字源)。『詩経』豳風(ひんぷう)・七月の詩には、

七月流火、九月授衣。春日載陽、有鳴倉庚。
女執懿筐、遵彼微行、爰求柔桑。
春日遲遲。采蘩祁祁。女心傷悲、殆及公子同歸。

とあり(https://zh.wikisource.org/wiki/%E8%A9%A9%E7%B6%93/%E4%B8%83%E6%9C%88)、「虞美人草」(夏目漱石)では、

遅日(チジツ)影長くして光を惜まず、

と使われている。

昔遊、

は、

かつて遊んだ時のこと、
昔の行楽、

の意だが、魏の文帝(曹丕)の「呉質(ごしつ)に与うるの書」に、

追思昔遊、猶在心目(昔遊(せきゆう)を追思(ついし)すれば、猶心目(しんもく)に在り)、

とある(https://kanbun.info/syubu/toushisen302.html)とか。

遅日、

は、同じ意味で、

おそひ(遅日)、
遅(おそ)き日、

とも訓ませ、

いでやらぬかどをそき日のかげなどいふ句も春なり(「無言抄(1598)」)、
遅き日のつもりて遠きむかしかな(「蕪村句集(1784)」)、

等々とつかわれる(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。

「遲」.gif

(「遲」 https://kakijun.jp/page/E7AD200.htmlより)

「遅(遲)」(漢音躬チ、呉音ジ)は、

会意文字。犀は、サイ(動物)のこと。歩のおそい動物の代表とされる。遲は「辵+犀」、

とあり(漢字源)、

会意文字です(辶(辵)+犀)。「立ち止まる足・十字路の象形」(「行く」の意味)と「獣の尻の象形を変形したものと毛の象形と角のある牛の象形」(「歩くのがおそい動物:サイ」の意味)から、「おそい」を意味する「遅」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1138.html

ともあるが、これは、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)によるもので、

『説文解字』では「辵」+「犀」と説明されているが、これは誤った分析である。金文の形を見ればわかるように「犀」とは関係がない、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%81%B2

形声。「辵」+音符「屖 /*LI/」[字源 1]。「おそい」を意味する漢語{遲 /*lri/}を表す字、

とあり(仝上)、別に、

形声。辵と、音符犀(セイ)→(チ)とから成る。ゆっくり歩く、ひいて「おそい」「おくれる」意を表す。常用漢字は省略形による、

ともある(角川新字源)。

参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:47| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2024年12月05日

色(しき)


色にのみ染めし心のくやしきをむなしと説ける法のうれしさ(小侍従)、

の、

詞書に、

心経の心をよめる、

とある、

心経、

は、

摩訶般若波羅蜜多心経(般若心経)、

をいい、

般若経の精髄を簡潔に説く、玄奘の漢訳した262字から成る本が流布する、

とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。

色、

は、仏教で、

しき、

と訓み、

目で見られるもの、形をもったすべての物質的な存在をいう、

とある(仝上)。また、

むなしと説ける法、

とは、般若心経(はんにゃしんぎょう)の、

色不異空 空不異色 色即是空 空即是色、

の法文を念頭においていう(仝上)とある。般若心経の全文は、https://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/hannyashingyo.htmに譲る。

色(しき)、

は(「しき」は「色」の呉音)、

梵語rūpa、

の漢訳、仏教用語で、

物質、

のことだが、

物質的存在、感性的存在、

あるいは、

いろと形、

とするhttps://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E8%89%B2_(%E3%81%97%E3%81%8D)。これは、

およそ人間の目に映ずるものは形あり色(いろ)あるものであるが、それをインドでは、形よりも色(いろ)の側面で取り上げてルーパという、

とあり(日本大百科全書)それゆえに、仏教で色(しき)というときは、単にカラーのみならず、色(いろ)とともに形あるものをさし(仝上)、仏教で用いる色という語には、

(1)同一空間に二者が共存できないもの(質礙(ぜつげ))、
(2)変化して壊れてゆくもの(変壊(へんね))、
(3)悩まされるもの(悩壊(のうえ))、

という三つの性質を備えたものとされ、

広義の色、
と、
狭義の色、

との二つの意味があるとし、ひとつは、

五蘊(ごうん)のなかの一つである色蘊の色、

で、

こころに対応する物質的なるものの総称、

であり、具体的には、

五根(眼、耳、鼻、舌、身の五つの感覚器官)、

と、

五境(色、声、香、味、触の五つの感覚対象)、

と、

無表色(戒体など具体的に知覚されない物質的なるもの)、

の11種がある。

いまひとつは、

五境の一つの色、

で、

視覚の対象となる「いろ」(顕色(けんじき))、

と、

「かたち」(形色(ぎようしき))、

とをいう(世界大百科事典)。般若心経の、

色即是空、空即是色、

の色は、広義の意味の色、すなわち、

色蘊の色、

をいっている(仝上)。

五蘊(ごうん)、

は、

五陰(ごおん)、

ともいい(「おん」は「陰」の呉音)、「蘊(うん)」(「陰(おん)」)は、

集まりの意味、

で、

サンスクリット語のスカンダskandhaの音訳、

である(精選版日本国語大辞典)。

五衆(ごしゆ)、

ともいう(大辞林)。

仏教では、いっさいの存在を五つのものの集まり、

と解釈し、生命的存在である「有情(うじよう)」を構成する要素を、

色蘊(しきうん 五根、五境など物質的なもののことで、人間についてみれば、身体ならびに環境にあたる)、
受蘊(じゅうん 対象に対して事物を感受する心の作用のこと。苦(不快)・楽(快)・不苦不楽などの基本的な感覚)、
想蘊(そううん 対象に対して事物の像をとる表象作用のこと。受蘊によって感受したものを色、形などにおいて心で表象し、概念化するもの)、
行蘊(ぎょううん 対象に対する意志や記憶その他の心の作用のこと。のちにしかるべき結果をもたらすもの)、
識蘊(しきうん 具体的に対象をそれぞれ区別して認識作用のこと。受蘊によって識別された対象を言語をともなって区別し認識すること)、

の五つとし、この五つもまたそれぞれ集まりからなる、とする。いっさいを、

色―客観的なもの(身体)、
受・想・行・識―主観的なもの(精神)、

に分類する考え方である(日本大百科全書)。仏教では、あらゆる因縁に応じて五蘊が仮に集って、すべての事物が成立している(ブリタニカ国際大百科事典)とする。

この五蘊に執着し諸々の苦が生じること、とくに有漏の場合を、

五取蘊(五受蘊)、

といい、

取(受)は煩悩の異名。また衆生の身心は五蘊が因縁によって仮に和合して成り立っているものであることから、

五蘊仮和合(けわごう)、

という。衆生は五蘊が仮和合して成立しているから、本体というものはなく、無我であるから、

五蘊皆空、

という(https://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%BA%94%E8%98%8A)。字典『祖庭事苑』(宋代)には、

變礙曰色、領納曰受、取像曰想、造作曰行、了知曰識、亦名五蘊、

とある。

色蘊(rūpa)

には、

肉体を構成する五つの感覚器官(五根)、

と、

それら感覚器官の五つの対象(五境)、

と、

行為の潜在的な残気(無表色 むひようしき)、

とが含まれる(世界大百科事典)。また、

受蘊(vedanā)、
想蘊(saṃjñā)、
行蘊(saṃskāra)、

の三つの心作用は、

心王所有の法、

あるいは、

心所、

といわれ、

識蘊(vijñāna)、

は心自体のことであるから、

心王、

と呼ばれる(ブリタニカ国際大百科事典)。

五根、

については、

六根五内

で触れたように、

根、

は(「根機」で触れた)、

能力や知覚をもった器官、

を指し(日本大百科全書)、

サンスクリット語のインドリヤindriya、

の漢訳で、原語は、

能力、機能、器官、

などの意。

植物の根が、成長発展せしめる能力をもっていて枝、幹などを生じるところから根の字が当てられた、

とあり(仝上)、外界の対象をとらえて、心の中に認識作用をおこさせる感覚器官としての、

目、耳、鼻、舌、身、

また、煩悩(ぼんのう)を伏し、悟りに向かわせるすぐれたはたらきを有する能力、

の、

信(しん)根、勤(ごん)根(精進(しょうじん)根)、念(ねん)根(記憶)、定(じょう)根(精神統一)、慧(え)根(知恵)、

をも、

五根(ごこん)、

という(広辞苑・仝上)が、

目、耳、鼻、舌、身、

に、

意根(心)を加えると、

六根、

となる(精選版日本国語大辞典)。仏語で、

六識(ろくしき)、

は、

六根をよりどころとする六種の認識の作用、

すなわち、

眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識、

の総称で、この認識のはたらきの六つの対象となる、

六境(ろっきょう)、

は、

六塵(ろくじん)、

ともいい、

色境(色や形)、
声境(しょうきょう=言語や音声)、
香境(香り)、
味境(味)、
触境(そっきょう=堅さ・しめりけ・あたたかさなど)、
法境(意識の対象となる一切のものを含む。または上の五境を除いた残りの思想など)、

という、

対象に対して、認識作用のはたらきをする場合、その拠り所となる、

六つの認識器官、

である。だから、

眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根、

といい、

六情、

ともいう(仝上)。

六つの認識器官(能力)の、眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根の、

六根、

六つの認識対象の、色境・声境・香境・味境・触境・法境の、

六境、
六塵、

眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の、

六識、

の、

六根と六境を合わせて十二処、

さらに、

六識を加えて、

十八界、

https://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%85%AD%E6%A0%B9%E3%83%BB%E5%85%AD%E5%A2%83%E3%83%BB%E5%85%AD%E8%AD%98いわれ、仏教で説くさまざまな法(梵語dharma)は、これら一八に集約することができる。それはつまり、我々の経験しうる世界が、これら、

一八の要素から成立している、

ことを意味する(仝上)とある。そのわけは、『俱舎論』に、

法の種族の義、是れ界の義なり。一の山中に、多くの銅・鉄・金・銀等の族あるを説きて、多界と名くるが如く、是くの如く一身、或は一相続に十八類の諸法の種族有るを十八界と名づく、

とあり、

あたかも一つの山が多種の鉱石から成り立っているように、我々の身心は一八種の法から成り立っている。そして、一八の法は心身の構成要素であるから、十八界と呼ばれ、『大般若経』では、五蘊や十二処と共に十八界は空であることが繰り返し説かれる、

とあるhttps://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%8D%81%E5%85%AB%E7%95%8C。なお、

般若心経(はんにゃしんぎょう)、

は、

摩訶般若波羅蜜多心経、

略して、

般若多心経、
心経、

とも称される。唐・玄奘訳。サンスクリット本の原名は、

Prajñāpāramitā-hṛdaya-sūtra、

という。いわゆるサンスクリット語の経文を漢字の音を利用して写したものであり、還元すれば、

小本のサンスクリット本の経文、

となるhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E8%88%AC%E8%8B%A5%E5%BF%83%E7%B5%8C。『般若心経』は三〇〇字にも満たない簡潔な経典であるが、

釈迦に心経、

といえば、

釈迦に経、
釈迦に説法、

と同様で、経題の中の心(梵語hṛdaya)とは心臓のことで、

物事の核心・心髄、

ということである。つまり経題は、般若波羅蜜多の核心を説く経典という意味になる(仝上)。

『般若心経』は、厖大な般若経典類に説かれる般若の智慧の教えやそのとらわれのないあり方を空思想に凝縮して、覚りの彼岸への到達成就を般若の明呪・真言によって説き明かしている(仝上)とある。

「色」.gif


色ふ」で触れたように、「色」(慣用ショク、漢音ソク、呉音シキ)は、

象形。屈んだ女性と、屈んでその上にのっかった男性とがからだをすりよせて性交するさまを描いたもの、

とあり(漢字源)、「女色」「漁色」など、「男女間の情欲」が原意のようである。そこから「喜色」「失色」と、「顔かたちの様子」、さらに、「秋色」「顔色」のように「外に現われた形や様子」、そして「五色」「月色」と、「いろ」「いろどり」の意に転じていく。ただ、「音色」のような「響き」の意や、「愛人」の意の「イロ」という使い方は、わが国だけである(仝上)。また、

象形。ひざまずいている人の背に、別の人がおおいかぶさる形にかたどる。男女の性行為、転じて、美人、美しい顔色、また、いろどりの意を表す(角川新字源)、

ともあるが、

会意又は象形。「人」+「卩(ひざまずいた人)、人が重なって性交をしている様子。音は「即」等と同系で「くっつく」の意を持つもの。情交から、容貌、顔色を経て、「いろ」一般の意味に至ったものhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%89%B2

ともあり、

会意文字です(ク(人)+巴)。「ひざまずく人」の象形と「ひざまずく人の上に人がある」象形から男・女の愛する気持ちを意味します。それが転じて、「顔の表情」を意味する「色」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji143.html

会意。人+㔾(せつ)。人の後ろから抱いて相交わる形。〔説文〕九上に「顏气なり。人に從ひ、卩(せつ)に從ふ」とし、人の儀節(卩)が自然に顔色にあらわれる意とするが、男女のことをいう字。尼も字形が近く、親昵の状を示す。特に感情の高揚する意に用い、〔左伝、昭十九年〕「市に色す」は怒る意。「色斯(しよくし)」とはおどろくことをいう(字通)、

と、会意文字とする説もある。

参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:56| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2024年12月06日

十楽


紫の雲路にさそふ琴の音(ね)に憂き世を払ふ峰の松風(寂連法師)、

の詞書に、

十楽の心をよみ侍りけるに、聖衆来迎樂、

とある、

十樂(じゅうらく)、

は、

西方浄土で受ける十種の樂、

とあり、『往生要集』に詳述され、

聖衆来迎樂はその第一、

とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。

寂連法師は、冒頭の歌の他に、

十楽の第二、蓮華初開楽

についての歌として、

これやこの憂き世のほかの春ならむ花のとぼそのあけぼのの空、

十楽の第五、快楽不退楽

についての歌として、

春秋も限らぬ花におく露はおくれ先立つ恨みやはある、

十楽の第六、引接結縁楽

についての歌として、

立ちかへり苦しき海におく網も深き江にこそ心引くらめ

の歌の載せている(「とぼそ(樞)」については触れた)。

十楽、

は、『往生要集』大文第二「欣求浄土門」に説示される、浄土に往生した者が受ける十種の快楽のこと、

をいい、

浄土十楽、

ともいうhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%8D%81%E6%A5%BD。『往生要集』では、

今、私は十種の楽を挙げて、極楽浄土を讃ほめようと思うが、それはちょうど、一筋の毛で大海の水を滴らせるようなものである。第一には聖衆来迎の楽、第二には蓮華初開の楽、第三には身相神通の楽、第四には五妙境界の楽、第五には快楽無退の楽、第六には引接結縁の楽、第七には聖衆倶会の楽、第八には見仏聞法の楽、第九には随心供仏の楽、第十には増進仏道の楽である、

と書き始めているhttp://www.yamadera.info/seiten/d/yoshu1_j.htmが、「十楽」とは、

①聖衆来迎楽。臨終時に苦しみがなく、阿弥陀仏や観音・勢至菩薩が来迎して浄土に引接してくれる、
②蓮華初開楽。蓮華のつぼみの中に寄託して浄土に往生し、その蓮華が初めて開くとき、清浄の眼を得て浄土の荘厳を見ることができる、
③身相神通楽。三二の勝れた特質(三二相)を持つ身と天眼などの五種の神通力を得ることができる、
④五妙境界楽。浄土では、五感の対象となるものすべてが、清らかで勝れたこよなきものとなっている、
⑤快楽無退楽。浄土では、行者がもはや退転することなく楽を受けることができる、
⑥引接結縁楽。縁故のある人びとを浄土に迎えとることができる、
⑦聖衆俱会楽。多くの聖者たちと浄土で会うことができる、
⑧見仏聞法楽。仏を見ることや、仏の法を聞くことが容易にできる、
⑨随心供仏楽。心のままに自由に阿弥陀仏や十方の諸仏を供養することができる、
⑩増進仏道楽。浄土の勝れた環境によって自然に仏道を増進して、ついにはさとりを得ることができる、

をいう(仝上)。

源信.jpg


『往生要集』では、

『群疑論』五には浄土の三〇種の利益、
『安国鈔』では二四種の楽、

があることをあげて、

欣求浄土、

を勧めている(仝上)。鎌倉時代、

越前国坪江下郷十楽名、紀伊国阿氐河(あてがわ)荘十楽房、十楽名、

等々、しばしば仮名(けみよう)・法名として使われた(世界大百科事典)とあり、このように広く庶民の間で用いられるにつれて、

十楽、

は楽に力点を置いて理解されるようになった(仝上)という。戦国時代、諸国の商人の自由な取引の場となった伊勢の桑名、松坂を、

十楽の津、
十楽、

の町といい、関、渡しにおける交通税を免除された商人の集まる市(いち)で、不入権を持ち、地子を免除され、債務や主従の縁の切れるアジールでもあった市を、

楽市、
楽市場、

といったように、

十楽、
楽、

は中世における自由を表現する語となった(仝上・マイペディア)。織田信長の、

楽市・楽座、

もその意味であるが、江戸時代に入るとこうした楽は抑制され、地域によっては被差別民を「らく」と呼んだ事例があるように、この語の意味自体、大きく逆転する場合もみられた(仝上)とある。

往生要集.jpg


なお、

往生要集、

は、

往生集、

ともいい、源信が、

百六十余部の仏教経典、論疏から九五二文に及ぶ要文を集め、極楽浄土に往生するためには、念仏の実践が最も重要であることを示した書、

http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%BE%80%E7%94%9F%E8%A6%81%E9%9B%86、これにより浄土教の基礎が確立された。その構成は、

①厭離穢土②欣求浄土③極楽証拠④正修念仏⑤助念方法⑥別時念仏⑦念仏利益⑧念仏証拠⑨往生諸行⑩問答料簡、

の一〇門(大文)からなり(仝上)、その序文で、

それ往生極楽の教行は、濁世末代の目足なり。道俗貴賤、誰か帰せざる者あらん。ただし顕密の教法は、その文、一にあらず。事理の業因、その行これ多し。利智精進の人は、いまだ難しと為さざらんも、予が如き頑魯の者、あに敢てせんや、

と、撰述の目的を述べている。

「樂」.gif

(「樂(楽)」 https://kakijun.jp/page/gaku15200.htmlより)

田楽」で触れたように、「樂(楽)」(ガク、ラク)は、

象形。木の上に繭のかかったさまを描いたもので、山繭が、繭をつくる櫟(レキ くぬぎ)のこと。そのガクの音を借りて、謔(ギャク おかしくしゃべる)、嗷(ゴウ のびのびとうそぶく)などの語の仲間に当てたのが音楽の樂。音楽で楽しむというその派生義を表したのが快楽の樂。古くはゴウ(ガウ)の音があり、好むの意に用いたが、今は用いられない、

とある(漢字源)。音楽の意では「ガク」、楽しむ意では、「ラク」と訓む。しかし、この、

「木」に繭まゆのかかる様を表し、櫟(くぬぎ)の木の意味。その音を仮借、

とする説(藤堂明保)、

に対し、

柄のある手鈴の形。白が鈴の部分、

とする説(白川静)がある(字通)。また別に、

象形。木に糸(幺)を張った弦楽器(一説に、すずの形ともいう)にかたどり、音楽、転じて「たのしむ」意を表す、

とも(角川新字源)、

象形文字です。「どんぐりをつけた楽器」の象形から、「音楽」を意味する「楽」という漢字が成り立ちました。転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「たのしい」の意味も表すようになりました、

とするものもあるhttps://okjiten.jp/kanji261.html

参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:49| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2024年12月07日

五色(ごしき)の糸


南無阿弥陀ほとけの御手に懸くる糸のをはり乱れぬ心ともがな(新古今和歌集)、

の詞書に、

臨終正念ならむことを思いてよめる、

とある、

臨終正念、

は、

死に臨んで心静かに佛を念ずること、

とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)が、「正念に往生す」で触れたように、

臨終のときに心が乱れることなく、執着心に苛まれることのない状態のこと、

である。

願わくは弟子等、命終の時に臨んで心顚倒せず、心錯乱(しゃくらん)せず、心失念せず、身心に諸の苦痛なく、身心快楽(けらく)にして禅定に入るが如く、聖衆現前したまい、仏の本願に乗じて阿弥陀仏国に上品往生せしめたまえ、

とある(善導『往生礼讃』発願文)のが、

臨終正念のありさまを示したもの、

とされる(仝上)。これは、

臨終正念なるが故に来迎したまうにはあらず、来迎したまうが故に臨終正念なりという義明(あきらか)なり、

とある(法然『逆修説法』)ことや、

念仏もうさんごとに、つみをほろぼさんと信ぜば、すでに、われとつみをけして、往生せんとはげむにてこそそうろうなれ。もししからば、一生のあいだ、おもいとおもうこと、みな生死のきずなにあらざることなければ、いのちつきんまで念仏退転せずして往生すべし。ただし業報かぎりあることなれば、いかなる不思議のことにもあい、また病悩苦痛せめて、正念に住せずしておわらん。念仏もうすことかたし、

という(歎異抄)の、

他力本願、

からいえば、

念仏申す毎に罪を滅ぼして下さると信じて「念仏」申すのは、自分の力で罪を消して往生しようと励んでいること、

となり、

一心に阿弥陀如来を頼むこと、

に通じていくhttp://www.vows.jp/tanni/tanni29.htm

「正念」は、「正念場」で触れたように、

四念処(身、受、心、法)に注意を向けて、常に今現在の内外の状況に気づいた状態(マインドフルネス)でいること、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%AD%A3%E9%81%93とある。

意識が常に注がれている状態、

である。しかし、他力本願では、

自分の力で罪を消して往生しようと励んでいること、

ではなく、

一心に阿弥陀如来を頼み、命の終わる最後まで、怠ることなく念仏し続けること、

を指すと思われる。この、

正念、

と、

正念場・性念場、

との関係については、「正念場」で触れた。

御手に懸くる糸のをはり乱れぬ心ともがな、

は、

阿弥陀如来の御手に懸ける五色の糸の端が乱れないように、乱れることのない心で死を迎えたいなあ、

と注釈されている(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。この、

糸、

は、

青黄赤白黒の五色の糸、

で、

臨終を迎える人はその端を握って往生を祈る、

とある(仝上)。この色は、今日的には、

青は緑、黒は紫を指す、

という(https://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%BA%94%E8%89%B2%E3%81%AE%E7%B3%B8)。この糸を、

念仏者の臨終の際に、阿彌陀の手から自己の手にかけ渡し、引接(いんじょう)を願ったもの、

ともある(広辞苑)。

引接、

は、

引摂、

とも当て、

仏・菩薩(ぼさつ)が衆生をその手に救い取り、悟りに導くこと、

の意だが、特に、

臨終のとき、阿弥陀仏が来迎(らいごう)して極楽浄土に導くこと。

をいう(仝上・デジタル大辞泉)。なお、密教では、

五智(ごち)を表わし灌頂(かんじょう)に用いられる青、黄、赤、白、黒の五色の糸、

をさす(精選版日本国語大辞典)ともある。これだけだとわかりにくいが、『今昔物語』に、

枕上に阿弥陀仏を安置して、其の御手に五色の糸を付け奉りて、其れを引て、念仏を唱うる事、四五十遍計して、寝入るが如くいて絶入ぬ、

とあるように、

極楽往生を願う者が臨終において横たわりながらも自らの手で引くために、仏像や仏画の尊像の手に付した糸のこと、

とある(https://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%BA%94%E8%89%B2%E3%81%AE%E7%B3%B8)。ただ、源信『横川首楞厳院(よかわしゅりょうごんいん)二十五三昧起請』や良忠『看病用心鈔』などでは、「糸」ではなく五色の、

幡(ばん)、

を用いるとしている(仝上)。

幡、

は、

幡(はた)、

ともいい、

旛、

とも書く、サンスクリット語の、

patākāの漢訳、

で、

荘厳のために堂内の柱・天蓋などに懸けるほか、大会のときには庭に立て掛ける。戦場で用いられた戦勝幡が、仏・菩薩の降魔の威徳を示す標識として道場を荘厳する具となった。幡のもつ降魔の威力により、福徳を得て延寿と浄土住生を得ると理解された、

とある(https://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%B9%A1)

五色幡(ごしきばた)、

は、

上から青(緑)・黄・赤・白・黒(紺)の順に重ねた五色を配した幡、

をいい、

六手四足という形で布または紙で作る。幡は仏菩薩の降魔の威徳・象徴として道場を荘厳する具となり、幡のもつ降魔の威力が福徳・延寿を生ぜしめるものと解された。四天王幡・五如来幡などに用いることがある。地鎮式などのときには、式場の四隅に「持国天王」などと記した幡を掛けて結界する、

とある(https://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%BA%94%E8%89%B2%E5%B9%A1)

仏教でいう、

青(しょう)・黄(おう)・赤(しゃく)・白(びゃく)・黒(こく)、

の、

五色(ごしき)、

は、

五正色(しょうじき)、
五大色、

ともいいhttps://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%BA%94%E8%89%B2

五正色、

は、

東・中央・南・西・北の五方、

に配し、

五間色(緋・紅・紫・緑・碧)、

に対していうhttps://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%BA%94%E8%89%B2とある。インドでは袈裟に用いてはならない華美な色であったが、中国では五色の観念が五行説に関連づけられ(仝上)、五色を、

信(しん)・精進(しょうじん)(勤(ごん))・念(ねん)・定(じょう)・慧(え)、

の、

五根(ごこん)、

にあてて、

白を信色、赤を精進色、黄を念色、青を定色、黒を慧色、

とする(日本大百科全書)し、密教では、

五智(ごち)、
五仏、
五字、

などに配したりする(仝上・精選版日本国語大辞典)。また、

五大色、

は、

地水火風空の五元素のもつ固有の色、

をいい、

地大は黄、水大は白、火大は赤、風大は黒、空大は青、

としているhttps://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%BA%94%E8%89%B2。で、

五色の雲、

は、

聖衆来迎の瑞相とされる瑞雲、

をいい、

五色の糸、

は、上述のように、

臨終のときに阿弥陀仏の手から念仏者の手に渡して引接を願う、

ために用いた(仝上)。

善光寺のご開帳のときは、一光三尊阿弥陀如来の右手に結ばれた金糸が五色の糸にかわり、白い善の綱として本堂の前の回向柱に結ばれている。また、五色のなかの黒を紺などに変えて、施餓鬼会の五輪幡はじめ五色幡で用いられている、

ともある(仝上)。この、

五色、

は、

単なる色彩の話ではありません。これらの色は、宇宙と自然界の深い理解、そして人間の精神の調和に対する深遠な洞察を表しています、

とありhttps://tokuzoji.or.jp/goshiki/

それぞれの色が象徴する意味は、宇宙の基本的な要素と深く結びついており、それぞれが特定の方角、自然の力、さらには人間の心理状態とも関連しています、

とある(仝上)。で、

青は東方、空、治癒の力、
黄色は中央、大地、安定、
赤色は南方、生命力、力、
白は西方、純粋さ、清浄、
黒は北方、神秘、深遠、

を表し(仝上)、

仏教徒にとって宇宙の調和と自己の内面の平穏を理解する手段、

だとしている(仝上)。

「五」.gif

(「五」 https://kakijun.jp/page/0409200.htmlより)

「五」(ゴ)は、「五蘊」で触れたように、

指事。×は交差をあらわすしるし。五は「上下二線+×」で、二線が交差することを示す。片手の指で十を数えるとき、→の方向に数えて、五の数で←の方向に戻る。その転回点にあたる数を示す。また語(ゴ 話をかわす)、悟(ゴ 感覚が交差してはっと思い当たる)に含まれる、

とある。(漢字源)。互と同系https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BA%94ともある。別に、

指事文字です。「上」・「下」の棒は天・地を指し、「×」は天・地に作用する5つの元素(火・水・木・金・土)を示します。この5つの元素から、「いつつ」を意味する「五」という漢字が成り立ちました、

との解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji127.html

「色」.gif


色ふ」で触れたように、「色」(慣用ショク、漢音ソク、呉音シキ)は、

象形。屈んだ女性と、屈んでその上にのっかった男性とがからだをすりよせて性交するさまを描いたもの、

とあり(漢字源)、「女色」「漁色」など、「男女間の情欲」が原意のようである。そこから「喜色」「失色」と、「顔かたちの様子」、さらに、「秋色」「顔色」のように「外に現われた形や様子」、そして「五色」「月色」と、「いろ」「いろどり」の意に転じていく。ただ、「音色」のような「響き」の意や、「愛人」の意の「イロ」という使い方は、わが国だけである(仝上)。また、

象形。ひざまずいている人の背に、別の人がおおいかぶさる形にかたどる。男女の性行為、転じて、美人、美しい顔色、また、いろどりの意を表す(角川新字源)、

とも、

会意又は象形。「人」+「卩(ひざまずいた人)、人が重なって性交をしている様子。音は「即」等と同系で「くっつく」の意を持つもの。情交から、容貌、顔色を経て、「いろ」一般の意味に至ったものhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%89%B2

とも、

会意文字です(ク(人)+巴)。「ひざまずく人」の象形と「ひざまずく人の上に人がある」象形から男・女の愛する気持ちを意味します。それが転じて、「顔の表情」を意味する「色」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji143.html

ともある。

参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:51| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2024年12月08日

異化


稲垣足穂『稲垣足穂作品集』を読む。

稲垣足穂作品集.jpg


本書に所収されているのは、

チョコレット、
星を造る人、
黄漠奇聞、
星を売る店、
一千一秒物語、
セピア色の村、
煌めける城、
天体嗜好症、
夜の好きな王様の話、
第三半球物語、
きらきら草紙、
死の館にて、
弥勒、
悪魔の魅力、
彼等、
随筆ヰタ・マキニカリス、
紫の宮たちの墓所、
日本の天上界、
澄江堂河童談義、
イカルス、
A感覚とV感覚、
僕の触背美学、
古典物語、
美のはかなさ、
僕の弥勒浄土、
僕の“ユリーカ"、
山ン本五郎左衛門只今退散仕る、
Prostata-Rectum機械学、
少年愛の美学

である。残念ながら、足穂のもう一つの世界、

宇宙、

に関わるものがほとんどない。昔に読んだ記憶では、

松岡正剛編・稲垣 足穂『人間人形時代』(工作舎)

という本があり、本の真中に穴のあけられた、ちょっと変わった装丁の本であった。

人間人形時代.jpg


閑話休題、

本書では、

黄漠奇聞、
彌勒、

が面白く、世評高い、

一千一秒物語、

のこじゃれた世界は、僕には、いま一つであった。

彌勒、

には、鴎外の『澀江抽斎』が試みた、

(作品を)書くことを書く、

ということが作品になる、という方法を試みているが、石川淳の『普賢』と同様、どこかで、うつつの側の自分の物語の方へシフトしていってしまったというように見える。

彌勒、

については、大岡昇平他編『存在の探求(上)(全集現代文学の発見第7巻)』で、埴谷雄高『死霊』、北條民雄『いのちの初夜』、椎名麟三『深夜の酒宴』を比較して、触れたことがある。

埴谷雄高『死霊』が、存在とのかかわりを、自己意識側から、広げるだけ広げて見せたというところは、他に類を見ない。特に、一~三章は、文章の緊張度、会話の緊迫度、無駄のない描写等々、のちに書き継がれた四章以降とは格段に違う、と僕は思う。

俺は、

と言って、

俺である、

と言い切ることに「不快」という「自同律の不快」とは、埴谷の造語であるが、少し矮小化するかもしれないが、

自己意識の身もだえ、

と僕は思う。埴谷は、自己意識の妄想を極限まで広げて見せたが、「存在」との関わり方には、

自分存在に限定するか、
世界存在に広げるか、

その世界も、

現実世界なのか、
或いは、
自然世界なのか、

で、方向は三分するように思う。『いのちの初夜』は、自分の癩に病にかかったおのれに絶望して、死のうとして死にきれず、

「ぬるぬると全身にまつわりついてくる生命を感じるのであった。逃れようとしても逃れられない、それはとりもちのような粘り強さ」

の生命を意識する。そして同病の看護人の佐柄木に、

「人間ではありませんよ。生命です。生命そのもの、いのちそのものなんです」

と言われる。その生命そのものになった己を受け入れよ、と言われる。

「あなたは人間じゃあないんです。あなたの苦悩や絶望、それがどこからくるか、考えてみて下さい。ひとたび死んだ過去を捜し求めているからではないでしょうか」

似た発想は、稲垣足穂『彌勒』にもある。主人公、

「江美留は悟った。波羅門の子、その名は阿逸多、いまから五十六億七千万年の後、竜華樹下において成道して、さきの釈迦牟尼の説法に漏れた衆生を済度すべき使命を託された者は、まさにこの自分でなければならないと」

ここにあるのは、自己意識の自己救済の妄想である。しかし、それは、椎名麟三『深夜の酒宴』の、叔父の用意した紅白の、輪を作った綱を示されて、

「咄嗟に思いついて、その綱の輪を首にかけた。そしてネクタイでも締めるようにゆるく締めてから二、三度首を振った」

主人公の、現状の悲惨な状況を無感動に受けいれているのと、実は何も変わってはいない。

「そのとき、突然僕は時間の観念を喪失していた。僕は生まれてからずっとこのように歩きつづけているような気分に襲われていた。そして僕の未来もやはりこのようであることがはっきり予感されるのだった。僕はその気分に堪えるために、背の荷物を揺り上げながら立止った。そして何となくあたりを見廻したのだった。すると瞬間、僕は、以前この道をこのような想いに蔽われながら、ここで立止って何となくあたりを見廻したことがあるような気がした。……この瞬間の僕は、自分の人生の象徴的な姿なのだった。しかもその姿は、なんの変化も何の新鮮さもなく、そっくりそのままの絶望的な自分が繰り返されているだけなのである。すべてが僕に決定的であり、すべてが僕に予定的なのだった。……たしかに僕は何かによって、すべて決定的に予定されているのである。何かにって何だ―と僕は自分に尋ねた。そのとき自分の心の隅から、それは神だという誘惑的な甘い囁きを聞いたのだった。だが僕はその誘惑に堪えながら、それは自分の認識だと答えたのだった」

と、「認識」と己に言い切らせる限りで、自己意識は、まだおのが矜持を保っているが、それはそのまま今のありように埋もれ尽くすという意味では、より絶望的である。それは、

絶望を衒う、

といってもいい。

それにしても、しかし、いずれも、『カラマーゾフの兄弟』のアリョーシャのように、

神の作ったこの世界を承認することができない、

という、

「僕は調和なぞほしくない。つまり、人類に対する愛のためにほしくないというのだ。僕はむしろあがなわれざる苦悶をもって終始したい。たとえ僕の考えが間違っていても、あがなわれざる苦悶と癒されざる不満の境に止まるのを潔しとする」

境地から後退してしまうのだろう。埴谷も椎名も、ともに投獄の経験を持ち、そこから後退したところで、身もだえしているように見える。確かに、

戦いの痕跡、

はある。しかしそれで終わっていいのだろうか。そこには、日本的な、余りにも日本的な、

自己意識の自足、
か、
自然への埋没、
か、

しか選択肢はないのだろうか。今日の日本の現状を併せ考えるとき、暗澹たる気持ちになる。

山ン本五郎左衛門只今退散仕る、

については、種村季弘編『日本怪談集』で触れた。この元となったのは、堤邦彦『江戸の怪異譚―地下水脈の系譜』でも触れた、

「江戸時代中期の日本の妖怪物語『稲生物怪録』に登場する妖怪。姓の『山本』は、『稲生物怪録』を描いた古典の絵巻のうち、『稲生物怪録絵巻』を始めとする絵巻7作品によるもので、広島県立歴史民俗資料館所蔵『稲亭物怪録』には『山ン本五郎左衛門』とある。また、『稲生物怪録』の主人公・稲生平太郎自身が遺したとされる『三次実録物語』では『山本太郎左衛門』とされる」

という話が基ネタである。まだ元服前、十六歳の「稲生平太郎」が、我が家に出没する妖怪変化に対応し、大の大人が逃げたり寝込んだりする中、「相手にしなければいい」と決め込んで、ついに一ヶ月堪え切り、相手の妖怪の親玉、山ン本五郎左衛門をして、

「扨々、御身、若年乍ラ殊勝至極」

と言わしめ、自ら名乗りをして、

「驚かせタレド、恐レザル故、思ワズ長逗留、却ッテ当方ノ業ノ妨ゲトナレリ」

と嘆いて、魔よけの鎚を置き土産に、供廻りを従えて、雲の彼方へと消えていく。この、肝競べのような話が、爽快である。

山本五郎左衛門、

については、「山本五郎左衛門」に詳しい。

本書の眼目は、

A感覚とV感覚、
Prostata-Rectum機械学、
少年愛の美学、

だろう。僕自身にはちょっとついていき兼ねるところがあるが、とりわけ、

少年愛の美学、

は、

歴史の異化、

といってもいいものになっていて、言わば、常識で知っている歴史を、その多層の深部から、手セラ氏出して見せたという感じがある。ただ、惜しいかな、初めから、Oと管となっている

A、

優位の結論があり、PもVも添え物であるということを、それこそ、博引傍証の限りを尽くして詳述しているきらいがあり、読むほどに深まるというよりは、並列的な記述になっているところが、難点と言えば難点ではある。

参考文献;
稲垣足穂『稲垣足穂作品集』(新潮社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:56| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする

2024年12月09日

六塵


濁りなき亀井の水をむすびあげて心の塵をすすぎつるかな(新古今和歌集)、

の、

亀井の水、

は、

四天王寺境内の亀井堂にある井泉、

で、

劫を経て救ふ心の深ければ亀井の水は絶ゆる世もあらじ(赤染衛門)、

と、

石の亀の像の下から霊水が湧き出る、

とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。

心の塵、

は、仏教でいう、

六塵の樂欲(ぎょうよく)、

の、

色・声・香・味・触・法、

をいい、

「塵」は「濁り」の縁語、

とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。

樂欲(ぎょうよく)、

の、

楽、

は、

好む、

意で、

願い求めること、

欲望、

の意である。徒然草に、

まことに、愛著の道、その根深く、源遠し。六塵の楽欲多しといへども、みな厭離しつべし。その中に、たゞ、かの惑ひのひとつ止めがたきのみぞ、老いたるも、若きも、智あるも、愚かなるも、変る所なしと見ゆる、

とある。

六塵、

は、

六境(ろっきょう)、

のことで、

色境(色や形)、
声境(しょうきょう=言語や音声)、
香境(香り)、
味境(味)、
触境(そっきょう=堅さ・しめりけ・あたたかさなど)、
法境(意識の対象となる一切のものを含む。または上の五境を除いた残りの思想など)、

をいい、これが、人身に入って本来清らかな心を汚すことから、

塵、

という。

六根五内

で触れたように、

根、

は(「根機」で触れた)、

能力や知覚をもった器官、

を指し(日本大百科全書)、

サンスクリット語のインドリヤindriya、

の漢訳で、原語は、

能力、機能、器官、

などの意。

植物の根が、成長発展せしめる能力をもっていて枝、幹などを生じるところから根の字が当てられた、

とあり(仝上)、外界の対象をとらえて、心の中に認識作用をおこさせる感覚器官としての、

目、耳、鼻、舌、身、

また、煩悩(ぼんのう)を伏し、悟りに向かわせるすぐれたはたらきを有する能力、

の、

信(しん)根、勤(ごん)根(精進(しょうじん)根)、念(ねん)根(記憶)、定(じょう)根(精神統一)、慧(え)根(知恵)、

をも、

五根(ごこん)、

という(広辞苑・仝上)が、

目、耳、鼻、舌、身、

に、

意根(心)を加えると、

六根、

となる(精選版日本国語大辞典)。仏語で、

六識(ろくしき)、

は、

六根をよりどころとする六種の認識の作用、

すなわち、

眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識、

の総称で、この認識のはたらきの六つの対象となる、

六境(ろっきょう)、

即ち、

色境(色や形)、
声境(しょうきょう=言語や音声)、
香境(香り)、
味境(味)、
触境(そっきょう=堅さ・しめりけ・あたたかさなど)、
法境(意識の対象となる一切のものを含む。または上の五境を除いた残りの思想など)、

といい、

六塵(ろくじん)、

ともいう対象に対して、認識作用のはたらきをする場合、その拠り所となる、

六つの認識器官、

である。だから、

眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根、

といい、

六情、

ともいう(仝上)。

六つの認識器官(能力)の、眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根の、

六根、

六つの認識対象の、色境・声境・香境・味境・触境・法境の、

六境、
六塵、

六つの認識作用の、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の、

六識、

の、

六根と六境を合わせて十二処、

さらに、

六識を加えて、

十八界、

https://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%85%AD%E6%A0%B9%E3%83%BB%E5%85%AD%E5%A2%83%E3%83%BB%E5%85%AD%E8%AD%98いわれる。仏教で説くさまざまな法(梵語dharma)は、これら一八に集約することができる。それはつまり、我々の経験しうる世界が、これら一八の要素から成立していることを意味する(仝上)とある。

「塵」.gif


「𪋻」.gif

(「𪋻」 https://kanji.jitenon.jp/kanjiy/28277より)

「塵」(漢音チン、呉音ジン)は、

𪋻、

が同字とされhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%F0%AA%8B%BB、字源は、

会意文字。「鹿+土」で、鹿の群れの走り去ったあとに土ぼこりがたつことを示す。したにたまるごく小さい土の粉のこと(漢字源)、

会意。正字は𪋻 (そ)+土。群鹿の奔るときの土烟をいう。〔説文〕十上に「鹿行きて土を揚(あ)ぐるなり」という。のち塵埃の意に用い、俗事を塵事、世外を塵外という(字通)、

と、会意文字とされる。

参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:55| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2024年12月10日

ときはかきはに


万世(よろづよを)を松の尾山の蔭茂み君をぞ祈るときはかきはに(新古今和歌集)、

の、

ときはかきはに、

は、

永久不変に、

の意とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。

ときはかきはに(ときわかきわに)、

は、

常磐堅磐に、

と当て、

とこしえに、
永久不変に、

の意とある(広辞苑・大言海)。

常磐、

は、

トコ(常)イワ(磐)の約、

とあり(仝上・岩波古語辞典)、

常磐(ときわ)なすかくしもがもと思へども世の事(こと)なれば留(とど)みかねつも(万葉集)、

と、

永遠に、しっかりと同一の性状を保つ岩、

の意で、それをメタファに、

大皇(おほきみ)は常磐(ときは)に座(ま)さむ橘の殿(との)の橘ひた照りにして(万葉集)、

と、

永久不変、

の意で使い(仝上)、さらに、

八千種(くさ)の花はうつろふ等伎波(トキハ)なる松のさ枝をわれは結ばな(万葉集)、

と、

松、杉などの常緑樹の葉が、年中その色を変えないこと、

つまり、

常緑、

の意でも使い、

常磐木(ときわぎ)、

ともいい、この場合、

常葉(とこわ)、

という言い方もする(仝上・精選版日本国語大辞典)。

かきは、

は、

かたきいはの略約(大言海)、
カタ(堅)イハ(岩)の約(岩波古語辞典)、
かたしは(堅磐)(精選版日本国語大辞典)、

とあり、

天の安河(やすのかは)の河上の天の堅石(かたしは)を取り、天の金山の鉄(まがね)を取りて、鍛人(かぬち)天津麻羅(あまつまら)を求(ま)ぎて、伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)に科(おほ)せて鏡を作らしめ(古事記)

と、

かたい岩、

の意で、

常磐と重ねて、堅く永久に変わらないことを祝う語、

として使う(岩波古語辞典)。本来は、

カタイハの約で、カチハとあるべき語、「ときは」のキに引かれて誤ったもの、

とある(仝上)。九条家本祝詞に、堅磐の傍訓として、

カチハ、

とあり、

カキハと訓むのは、トキハから類推した院政期以降の誤り、

という(仝上)。

「磐」.gif


「磐」(漢音ハン、呉音バン)は、

会意兼形声。「石+音符般(平らに広げる)」、

とある(漢字源)。また、

会意兼形声文字です(般+石)。「渡し舟の象形と手に木のつえを持つ象形」(「大きな舟を動かす」、「大きい」の意味)と「崖の下に落ちている、いし」の象形から、大きい石「いわ」を意味する「磐」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2618.html

ともあるが、他は、

形声文字。音符「般」と「石」を合わせた字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A3%90

形声。石と、音符般(ハン)とから成る。(角川新字源)、

形声。声符は般(はん)。般は盤の初文。平らかで円く大きな器で、そのような形状の岩石を磐という。〔文選、海の賦、李善注〕に引く〔声類〕に「大磐石なり」とみえ、〔易、漸、注〕に「山石の安きなり」という。古い字書にはみえない字である。盤と通用する(字通)、

と、形声文字とする。

参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:56| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2024年12月11日

卯杖(うづゑ)


相生(あひおひの)の小塩(をしほ)の山の小松原今より千代の蔭を待たなむ(新古今和歌集)、

の詞書に、

後冷泉院幼くおはしましける時、卯杖の松を人の子に賜はせけるに、よみ侍る、

とある、

卯杖の松、

の、

卯杖、

とは、

邪気を払う杖、

をいい、

正月初卯の日、諸衛府、大舎人寮から皇室に献上された、

とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。

卯杖の松、

は、

松の卯杖、

ということになる。

魔除けの具、

となる、

卯杖(うづゑ)、

は、

御杖(みづゑ)、

ともいい、

正月甲寅朔、乙卯、大学寮、獻杖八十枚(持統紀)、

とあるように、

正月上の卯の日に、大学寮から、後には諸衛府・大舎人寮から、天皇・中宮・東宮などに献上した。ヒイラギ・ナツメ・桃・梅・椿・柳などを五尺三寸(約1.6メートル)に切り、五色の絲を巻く、

とあり(岩波古語辞典)、

これを御帳の四隅に立てた、

という(ブリタニカ国際大百科事典)。平安時代には、この宮中の行事が個々の貴族に広がり、互いに「卯杖」を贈り合っている。この卯杖を贈る風習は、神社などの行事にもとり入れられ、

伊勢神宮では内・外宮に奉納し、賀茂神社では社家の間に配り、和歌山市の伊太祁曾(いだきそ)神社では毎年正月15日に卯杖祭を行う(マイペディア)、

とか、

太宰府天満宮で正月7日の追儺祭 (ついなのまつり) にこれで鬼面を打ったり、和歌山県伊太祁曾神社で正月 14日夕方神前に卯杖を供える(ブリタニカ国際大百科事典)、

とかの例がある。なお、

御文あけさせ給へれば、五寸ばかりなるうづちふたつを、卯杖のさまに頭などをつつみて(枕草子)、

とある、

卯槌、

は、用途は「卯杖」と同じだが、形態が、

槌、

になっている。

卯槌.jpg

(卯槌 デジタル大辞泉より)

卯槌、

は、

正月初の卯の日に糸所(いとどころ)および六衛府から、内裏に邪気払いとして奉った槌、

をいい、

卯杖の変形したもの、

で、

普通桃の木を用い、長さ三寸(約一〇センチメートル)、幅一寸(約三センチメートル)四方の直方体を作り、縦に穴をあけ、一〇本ないし一五本の五色の組糸を五尺(約一・五メートル)ばかり垂らしたもの、

で、円形のものもあり、

内裏では昼御座(ひのおまし)の西南の角の柱にかける、

という(精選版日本国語大辞典)。なお、「五色」については、「五色の糸」で触れた。

卯槌の行事を神事にするところもあり、

江戸亀戸(かめいど)天神境内の妙義社では卯杖に卯槌をつけて売った、

という(仝上)。

卯杖、

また、その変形である、

卯槌、

は、

支那の剛卯(ガウバウ)に拠る名(大言海)、
年木(としき・としぎ)の信仰に中国の剛卯杖(ごううづえ)の風習が重なってできたもの(精選版日本国語大辞典)、
卯杖は漢の王莽の故事による剛卯杖の影響を受けており、また、年木、粥杖などとの関連も考えられる(ブリタニカ国際大百科事典)、

等々の由来とされる。

剛卯(ごうぼう)、

は、

正月以桃枝作、剛卯杖厭鬼也(漢官儀)、

とあり、漢書・王莽伝に、

夫(そ)れ劉(漢の姓)の字爲(た)る、卯・金・刀なり。正剛卯、金刀の利(銘の語)皆行ふを得ず、

とあるように、

剛はつよし、卯は國姓の劉の字を折(ワカ)てば卯金刀となるによる、

とあり(字源)、

漢の官吏が佩びたる飾りの具、

で(仝上)、

邪気を避けるために佩びた呪飾で、四字押韻の文を刻する

とある(字通)。

年木、

は、

たかしまの杣(そま)山川のいかたし(筏師)はいそく年木をつみやそふらん(夫木集)、

と、

新春を迎える用意に、冬のうちに伐(き)っておく柴や薪、

をいい、さらに、

元旦を祝い、年神をまつるための飾り木。また、正月初めに、門松のかげに、疵のないものをとり、末に葉をのこし、門によせかけて置く木、

をもいい(精選版日本国語大辞典)、主に椎とか榎を用い、

魔除けの呪物、

とされ(仝上)、

鬼木(おにぎ)、
御新木(おにゅうぎ)、
年薪(としたきぎ)、
節木(せちぎ)、
若木、
幸い木(さいわいぎ)、

などともいう(仝上・デジタル大辞泉)。この木は、

修験者がたく護摩(ごま)木、

ともつながり、土地ごとで、

カツギ(勝木)と称されている木、

や、宮中での、

御竈木(みかまぎ 御薪)の風習、

等々、竜宮の水神に薪を与えるモティーフをもつ〈竜宮童子〉の昔話などからみても、

薪が単なる燃料ではなかった、

ことがわかる(世界大百科事典)とある。

卯杖、

は、また、

小正月の、粥占(かゆうら)・成木(なりき)責め・嫁たたきなどの行事、

に用いる、

祝棒(いわいぼう)、

ともつながる(精選版日本国語大辞典)。この棒は、

ヌルデ、柳、栗などの木を手に持てる長さに切り、一部を削掛けににしたり、火にあぶって、だんだら模様をつけたりと、形状は多様で、男根を模したものもある、

という(世界大百科事典)。

粥をかき混ぜ先端についた粥粒の量で作柄を占う、
果樹をたたいて豊饒(ほうじよう)を誓わせる、
ハラメン棒などといって嫁のしりをたたき多産を願う、
鳥追に用いる、

等々、豊産のまじない、予祝行事などに用いる神聖な木の棒で、

小正月の粥(かゆ)をかき回すために用いるので粥かき棒、
子どもが道行く娘の腰を打つので人こき棒(淡路)、
新嫁の腰を打って多産を望むので孕(はら)めん棒(鹿児島県)、
嫁たたき棒(関東地方)、
鳥追行事に用いるので鳥追棒、

等々といい。

粥杖、
粥木、
福杖、

などともいう(仝上・精選版日本国語大辞典・マイペディア)。因みに、

成木(なりき)責め、

というのは、

まず2人一組になって果樹に向かい、1人が〈成るか成らぬか、成らねば切るぞ〉と唱えながら鎌や斧、なたなどで樹皮に少し傷をつけ、もう1人が果樹になったつもりで〈成り申す、成り申す〉などと答えると、傷の所に小正月の小豆粥が少し塗られる、

というのが一般的な形式で、おとなも子どもも参加する。樹皮を刺激することで豊産の実際的な効果もあるといわれるが、刃物とは別に祝棒や牛王(ごおう)の棒などでたたく所も少なくなく、あくまでも呪術的なものであろう(世界大百科事典)とあり、ヨーロッパにも類似の呪法がある(仝上)という。また、

粥占(かゆうら)、

は、

小正月の1月15日などに、粥に竹筒や茅を入れて炊き、筒の中にはいった飯粒やおもゆの量によってその年の農作物の豊凶や月々の天候を占うこと、

をいい(精選版日本国語大辞典)、

粥杖の先を十文字に割り、粥をかきまわしたときにはさまる粥の量で作柄を占う。粥の中に入れた餅を粥杖でつき、はさめたら豊作とするという方法もある、

とあり(世界大百科事典)、

管粥(くだがゆ)、
筒粥(つつがゆ)、
粥占の神事、
粥だめし、
粥占祭、

などという神事に繋がり、

粥の中に、竹、あるいはカヤ、アシなどの管を入れ、その中にはいった粥の状態で、作物の種類別の作柄や、月ごとの天候を占う、

という(仝上)。また、

嫁たたき、

というのは、

新嫁の尻(しり)を棒でたたき、妊娠・出産を祈る行事、

で、

全国各地で、正月14、15日の小(こ)正月に、子供や青年たちがヌルデやクリ、ヤナギなどの木でさまざまな形の棒をつくり、新嫁のいる家々を訪れてその尻をたたいて回った、

とある(日本大百科全書)。その棒を、

はらめ棒、
嫁突き棒、
嫁たたき棒、

などとよんだ。この種の祝い棒は、

果樹の豊穣(ほうじょう)を願う成木責(なりきぜ)め、
鳥や虫の害を追い払う鳥追い、

など、ほかの小正月行事にも用いられ、いずれも棒に一種の呪力(じゅりょく)が秘められているとしたものである(仝上)。なお、

正月初の卯の日、朝廷に卯杖を奉るとき奏する寿詞(よごと)、

を、

卯杖祝(うづえほがい)、

といい(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)、

卯杖のことぶき、御神楽の人長、池の蓮(はちす)の村雨にあひたる。御霊会(ごりやうゑ)の馬長(むまをさ)(枕草子)、

にある、

卯杖のことぶき、

も同義とある(岩波古語辞典)。

「卯」.gif

(「卯」 https://kakijun.jp/page/0529200.htmlより)


「卯」 金文・殷.png

(「卯」 金文・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8D%AFより)

「卯」(漢音ボウ、呉音ミョウ)は、異字体に、

戼、 夘、𫑗、卬、丣、邜、𢨯、𤕰、𦕔、𩇦(同字)、𩇧(同字)、𩇨(古字)、𫝁(俗字)、𭅵(俗字)、𭭽(俗字)、𭮁(俗字)、

等々がありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8D%AF

卯、

は、

指事。門を無理に押し開けて中に入り込むさまを示す、

とあり(漢字源)、異字体の、

丣(リュウ 留の原字)、

は、

別字だか、のち字体は混同した(仝上)とある。他に、

象形文字です。「同形のものを左右対称においた」象形から、「同じ価値の物を交換する」の意味を表します。(「貿」の原字)。借りて(同じ読みの部分に当て字として使って)、「十二支の第四位」として用いられるようになりました。また、「左右に開いた門」の象形とも考えられ、すべてのものが冬の門から飛び出す、「陰暦の2月」、「うさぎ」の意味も表します(https://okjiten.jp/kanji2382.html)

象形。刀を横に二つ並べたさまにかたどる。殺す意を表す。「劉(リウ)」の原字。借りて、十二支の第四位に用いる。(角川新字源)、

も、象形文字としているが、

不詳、

とされhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8D%AF

「兜の形」、「物体を二つに割った形」、「洞窟の形」など多様な説があるものの、いずれも憶測の域を出ない、

としている(仝上)。

参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:57| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2024年12月12日

八束


神代よりけふのためとや八束穂(やつかほ)に長田(おさだ)の稲のしなひそめけむ(新古今和歌集)、

の、

八束穂、

の、

束、

は、

握、

で、

指四本の幅、

八、

は、

大きな数として言う、

とあり(久保田淳訳注『新古今和歌集』)、

八束穂、

は、

非常に長い穂、

の意となる(仝上)。

やつか、

は、

八束、
八握、

と当て、

つか、

は、

握ったこぶしの小指から人差指までの幅、

をいう(広辞苑)ので、「尺」の、手を広げて物に当てた長さであるとしたのと、類似の語源である。

是の我が燧(き)れる火は、高天の原には、神産巣日御祖命(かみむすひみおやのみこと)の登陀流(とだる)天の新巣(にひす)の凝烟(すす)の、八拳(やつか)垂る摩弖(まで)焼き挙げ(古事記)、

とある、

八束、

は、

束(つか)八つ分ある長さ、

の意だが、

八(やつ・や)、

は、

八つ当たり
真っ赤な嘘
八入(やしほ)、

などで触れたように、

ヨ(四)と母音交替による倍数関係をなす語。ヤ(彌)・イヤ(彌)と同根、

とあり(岩波古語辞典)、

「八」という数、

の意の他に、

無限の数量・程度を表す語(「八雲立つ出雲八重垣」)、

で、

もと、「大八洲(おほやしま)」「八岐大蛇(やまたのおろち)」などと使い、日本民族の神聖数であった、

とする(仝上)が、

此語彌(いや)の約と云ふ人あれど、十の七八と云ふ意にて、「七重の膝を八重に折る」「七浦」「七瀬」「五百代小田」など、皆數多きを云ふ。八が彌ならば、是等の七、五百は、何の略とかせむ、

と(大言海)、「彌」説への反対説がある。しかし、

副詞の「いや」(縮約形の「や」もある)と同源との説も近世には見られるが、荻生徂徠は「随筆・南留別志(なるべし)」において、「ふたつはひとつの音の転ぜるなり、むつはみつの転ぜるなり。やつはよつの転ぜるなる、

としている(日本語源大辞典)ので、

やつ(八)はよつ(四)の語幹母音ot(乙類音)をaと替えることで倍数を表したもの、

といわれ(仝上)、

ひとつ→ふたつ、
みつ→むつ、
よつ→やつ、

と、倍数と見るなら、語源を、

ヤ(彌)・イヤ(彌)と同根、

と見なくてもいいのかもしれない。また、「七」との関係では、

古い伝承においては、好んで用いられる数(聖数)とそうでない数とがあり、日本神話、特に出雲系の神話では、「夜久毛(やくも)立つ出雲夜幣賀岐(ヤヘガキ)妻籠みに 夜幣賀岐作る 其の夜幣賀岐を」(古事記)の「夜(ヤ)」のように「八」がしきりに用いられる。また、五や七も用いられるが、六や九はほとんどみられない、

とあり(日本語源大辞典)、「聖数」としての「八」の意がはっきりしてくる。そう見ると、「八」は、ただ多数という以上の含意が込められているのかもしれない。

正確な回数を示すというのではなく、古代に聖数とされていた八に結びつけて、回数を多く重ねることに重点がある、

とある(岩波古語辞典)のはその意味だろう。で、

八、

には、

束が八つ、

の意の他に、

丈が長い、

という意も持つ(広辞苑・岩波古語辞典)。

八束脛(やつかはぎ)、

は、

(古代伝承に見える)足の長い人、

八束鬚(やつかひげ)、

は、

長いひげ、

八束穂(やつかほ)、

は、

長く実った稲の穂、

の意となる(仝上)。また、

つか(束)、

は、

束の間

で触れたことだが、

つかのあいだ、

とも言い、

ちょっとの間、
ごく短い時間、

の意味だ(広辞苑)が、これは、空間的な意味である、

一束(ひとつか)、すなわち指4本の幅の意、
指四本で握るほどの長さの意、

という

束、

を時間的に転用したものといえる。

「束」には、

握ったときの四本の指程の長さ、

という意味の他に、

束ねた数の単位、
短い垂直の材、束柱、
(製本用語)紙を束ねたものの厚み、転じて書物の厚み、

といった意味がある。こうした「束」については、「束の間」で触れた。

「束」.gif


「束」(漢音ショク、呉音ソク)は、「つかねる」、「束の間」で触れたように、

会意。「木+ߋ印(たばねるひも)」で、焚き木を集めて、その真ん中にひもを丸く回して束ねることを示す、

とある(漢字源)。「たばねる」や「たば」の意で、「つか」の意で長さの単位にするのはわが国だけの使い方であり、「ほんのひとにぎりの間」という「束の間」も、わが国だけである。しかし、他は、

象形。両端を縛った袋の形を象る。もと「東」と同字で、「しばる」「たばねる」を意味する漢語{束 /*stok/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9D%9F

象形。物をふくろの中に入れ、両はしをしばった形にかたどり、「たば」「たばねる」意を表す(角川新字源)、

象形文字です。「たきぎを束ねた」象形から「たばねる・しばる」を意味する「束」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji601.html

と、全て、象形文字としている。

参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:八束 八握
posted by Toshi at 05:00| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2024年12月13日

にほひ


形見とて見れば歎きの深見草なになかなかのにほひなるらむ(新古今和歌集)、

の、

にほひ、

は、

美しい色、

とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。

にほひ、

は、

にほふ、

の連用形の名詞化になるが、

香水の匂い、

というように、

薫り、
香気、

の意のイメージが強く、類聚名義抄(11~12世紀)にも、

匀、ニホフ、匂、ニホフ、カホル、

とあるが、

匂ふ、
薫ふ、

と当てる動詞、

にほふ、

の語源から見ると、

ニは赤色の土、転じて赤色、ホ(秀)は抜きんでて表れているところ。赤く色が浮き出るのが原義。転じて、ものの香りがほのぼのと立つ意(岩波古語辞典)、
萬葉集に、紅丹穂經(ニホフ)、又着丹穂哉(キテニホハバヤ)など記せり、丹秀(ニホ)を活用したる語にて、赤きに就きて云ふかと云ふ、匂は韵の字の省訛(大言海)、
ニホ(丹秀)で、色沢の意(日本古語大辞典=松岡静雄・日本語源=賀茂百樹)、
ニハヒ(丹相・丹施)の義(雅言考・名言通)、
「丹に秀ほ」を活用した語で、赤色が際立つ意(デジタル大辞泉)、

等々、丹(ニ)を由来とする説が大勢で、元来、

赤色、

と、色を指していたもののようである。万葉集には、

妹が袖巻来(まきき)の山の朝露に爾寶布(にほふ)紅葉の散らまく惜しも、
手に取れば袖さへ丹覆(にほふ)女郎花この白露に散らまく惜しも、
春去れば春霞立ち秋行けば紅丹穂經(にほふ)神南備の三諸の神は帯にせる、
引馬野(ひくまの)に仁穂布(にほふ)榛原(はるはら)入り乱れ衣爾保波(にほは)せ旅のしるしに、

等々とあるのは、

専ら、色に就き、つややかなり、いろめく、

意である(大言海)。万葉集では、「にほふ」は、

爾保布、
爾保敝、

等々、仮名書きにした例が五〇首ほどあり、そのうち嗅覚に関すると認められるものは数例にとどまる。また、「にほふ」と読まれるべき漢字は、

「香」「薫」「艷」「艷色」「染」、

の五種が見える。「香」「薫」は漢字としてはもともと嗅覚に関するが、視覚的な情況に用いられている、

とあり(精選版日本国語大辞典)、

赤系統を主体とする明るく華やかな色彩・光沢が発散し、辺りに映える、

という、視覚的概念の用例が圧倒的(仝上)である。ただ、「万葉集」末期に、

よい香が辺りに発散する、

ことにも用いられ始める。中世には、音・声などの聴覚的概念に用いた例も見え、時代が降るにつれ、「にほふ」の対象及びその属性・意味概念の範囲は広がりを見せる(仝上)。

匂ひ、

は、まずは、

春の苑紅(くれなゐ)爾保布(にほふ)桃の花下照る道に出でたつ少女(おとめ)、

と、

赤い色が映える、

意が、原義に近く、

黄葉(もみちば)の丹穂日(にほひ)は繁(しげ)ししかれども妻梨(つまなし)の木を手折りかざさむ(万葉集)、

と、

あざやかに映えて見える色あい、色つや。古くは、もみじや花など、赤を基調とする色あい、

についていった(精選版日本国語大辞典)が、

そのものから発する色あい、光をうけてはえる色、また染色の色あい、

等々さまざまな場合にもいい、中世には、

白き色の異なるにほひもなけれどもろもろの色に優れたるがごとし(無名抄)、

と、

あざやかな色あいよりもほのぼのとした明るさを表わすようになった(仝上)。

多祜(たこ)の浦の底さへにほふ藤波をかざして行かむ見ぬ人のため(万葉集)、

では、更に広く、

色美しく映える、

意となり(岩波古語辞典)、字鏡(平安後期頃)に、

嬋媛(せんえん)、美麗之貌、爾保不、又、宇留和志、

とあるように、

宮人の袖付衣萩に仁保比(にほひ)よろしき高円の宮(万葉集)、

と、

色美しいこと、
色艶、

の意で使う(岩波古語辞典)。さらに、それが、

筑紫なるにほふ児ゆゑに陸奥の可刀利娘子(かとりをとめ)の結ひし紐解く(万葉集)、

と、

美しい顔色、

にまで広がり、さらに抽象度が上がって、

なでしこが花見るごとにをとめらが笑(ゑ)まひの爾保比(にほひ)思ほゆるかも(万葉集)、

と、

人の内部から発散してくる生き生きとした美しさ、あふれるような美しさ。優しさ、美的なセンスなど、内面的なもののあらわれ、

にもいうようになる(精選版日本国語大辞典)。それが、

故権大納言、なにの折々にも、なきにつけて、いとどしのばるること多く、おほやけわたくし、物の折ふしのにほひうせたる心ちこそすれ(源氏物語)、

と、

花やかに人目をひくありさま、
見栄えのするさま、

ひいては、

栄華のさま、
威光、
光彩、

といった意でも使うに至る。嗅覚が出てくるのは、このころで、

露にうちしめり給へる香り、例のいとさま殊ににほひ来れば(源氏物語)、
散ると見てあるべきものを梅の花うたてにほひの袖にとまれる(古今和歌集)、

と、

香りがほのぼのと立つ、
ただよい出て嗅覚を刺激する気、

の意で使う(岩波古語辞典)。これが、臭みの意だと、

臭、

の字をも当てる(仝上・精選版日本国語大辞典)。この嗅覚が、さらに、

こたへたるこゑも、いみじうにほひあり(とりかへばや物語)、

になると、

声が、張りがあって豊かで美しいさま、
声のつやっぽさ、
声のなまめかしさ、

と、聴覚にも転じ、中世になると、心にしみるような感じをもいう(仝上)にいたる。この、

そのもののうちにどことなくただよう、気配、気分、
情趣、
ただよい流れる雰囲気、

にも、

にほひ、

を使うようになると、その対象は広くなり、

故入道の宮の御手は、いと気色ふかうなまめきたる筋はありしかど……にほひぞすくなかりし(源氏物語)、

では、

文芸・美術などでそのものにあらわれている魅力、美しさ、妙趣、

等々を指し、

舞は音声より出でずば、感あるべからず。一声のにほひより、舞へ移るさかひにて、妙力あるべし(花鏡)、

では、能での、

余韻、情趣、

をいい、特に、

謡から舞へ、あるいは次の謡へ移るとき、その間あいにかもし出される余韻、

を指し、

にほひには、させる事なけれど、ただ詞続きにほひ深くいひなかしつれば、よろしく聞こゆ(無名抄)、

では、和歌・俳諧で、

余韻、余情、

を指し、特に、蕉風俳諧では、

匂付け、

というように、

前句にただよっている余情と、それを感じとって付けた付け句の間にかもし出される情趣、

を指す(精選版日本国語大辞典)。また、現代だと、

春の草花彫刻の鑿(のみ)の韻(ニホヒ)もとどめじな(島崎藤村「若菜集(1897))、
その一時代前の臭ひを脱することが出来ない(田山花袋「東京の三十年(1917)」)、

では、

あるものごとの存在や印象を示しながら漂っている気配、雰囲気、気分、

等々の意で、今日だと、

犯罪のにおいがする

と、

事件の、それらしい徴候、

の意でも使う(仝上)。なお、

にほひ、

は、視覚的効果のうち、

濃い色からだんだん薄くなっていく、

いわゆる、

ぼかし、

をも、

にほひ、

といい、

かかるすぢはたいとすぐれて、世になき色あひ、にほひを染めつけ給へば(源氏物語)、
女房の車いろいろにもみぢのにほひいだしなどして(今鏡)、

と、

染色または襲(かさね)の色目、

の意や、

経正其の日は紫地の錦の直垂に、萌黄の匂の鎧きて(平家物語)、

と、

においおどし(匂威)、

の意、また、

刀の焼刃にも匂と云ふ事あり、焼刃の處に虹のごとく見えて、ほのぼのと色うすくなりたる所を匂と云ふ(「鎧色談(1771)」)、

と、

日本刀の刃と地膚の境に煙のように見える文様、

の意もある(精選版日本国語大辞典・大言海)。これについては、

刃文(焼刃)を構成している粒子が〈沸(にえ)〉と〈匂(におい)〉であって、ひじょうに細かくて肉眼で見分けられないほどのものを匂といい、銀砂子をまいたように粗い粒のものを沸といって区分するが、要は粒の大小の差であって、科学的には同じ組織である。刃文は形によって〈直刃(すぐは)〉(まっすぐの刃文)と〈乱刃(みだれば)〉に大別され、直刃には刃の幅の広狭により〈細直刃〉〈広直刃〉〈中直刃〉などの別があり、乱刃には形によって、〈丁子乱(ちようじみだれ)〉(チョウジの花の形に似るという)や〈互の目(ぐのめ)乱〉〈三本杉〉〈濤瀾(とうらん)乱〉〈のたれ(湾れ)〉などがある、

とある(世界大百科事典)

なお、「襲」の色目の、

同系色のグラデーション、

を指す「匂い」については、

匂い

で触れたし、鎧の縅(おどし)の、

濃い色から次第に淡い色になり、最後を白とする縅、



黄櫨匂(はじのにおい 紅、薄紅、黄、白の順)、
萌黄匂(もえぎにおい 萌黄、薄萌黄、黄、白の順)、

等々ついては、

すそご

で触れた。

ところで、冒頭の歌の、

深見草

は、

ぼたん(牡丹)の異名、

とされ、和名類聚抄(平安中期)に、

牡丹、布加美久佐、

本草和名(ほんぞうわみょう)(918年編纂)に、

牡丹、和名布加美久佐、一名、也末多加知波奈(やまたちばな)、

などとあるが、箋注和名抄(江戸後期)は、

この「牡丹」はもともとの「本草」では「藪立花」「藪柑子」のことで、観賞用の牡丹とは別物であるのに、「和名抄」が誤って花に挙げたために、以後すべて「ふかみぐさ」は観賞用の牡丹として歌に詠まれるようになった、

とする(精選版日本国語大辞典)。確かに、「深見草」は、

植物「やぶこうじ(藪柑子)」の異名、

でもある。しかし出雲風土記(733年)意宇郡に、

諸山野所在草木、……牡丹(ふかみくさ)、

と訓じている(大言海)ので、確かなことはわからないが、色葉字類抄(1177~81)は、

牡丹、ボタン、

とある。しかし、

牡丹、

より、

深見草、

の方が、和風のニュアンスがあうのだろうか、和歌では、

人知れず思ふ心は深見草花咲きてこそ色に出でけれ(千載集)、
きみをわがおもふこころのふかみくさ花のさかりにくる人もなし(帥大納言集)、

などと、

「思ふ心」や「なげき」が「深まる」意を掛け、また「籬(まがき)」や「庭」とともに詠まれることが多い、

とある(精選版日本国語大辞典・大言海)。

「匂」.gif


「匂」は、国字であるが、

匀を書き換えた字、よい響きの意からよい香りの意となった(漢字源)、

とあるが、

「韵」(整った音)の原字である「勻(匀)」が変形した文字、一説に「勻(匀)」に「ニホヒ」の「ヒ」を附した文字、

とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8C%82)

国語で、おもむき(余韻〈=韵〉)を「におい」ということから、韵の省略形の勻(いん)の字形を変えたもの(角川新字源)、

象形文字からの変形した国字です。「弦楽器の調律器(楽器の音の高さを整える器具)」の象形から、「整う、整える」の意味を表したが、それを日本で「におい」の意味に用いた上、文字の一部を「ニオヒ」の「ヒ」に改め、「におう」、「におい」を意味する「匂」という漢字が成り立ちました。「匂」という漢字は、平安時代に日本で作られました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji2118.htmlあり、

匀→匂、
韵→匂、

の二説があるようだが、大言海は、

匂は韵の字の省訛、

としている。ただ、上述の、

「韵」(整った音)の原字である「勻(匀)」が変形した文字、
また一説に「勻(匀)」に「ニホヒ」の「ヒ」を附した文字、

とすれば、同じ由来になる。

「韵」.gif

(「韵」 https://kakijun.jp/page/E8EF200.htmlより)


「韻」.gif

(「韻」 https://kakijun.jp/page/1918200.htmlより)



は、

韻(繁体字、正字)の異字体、

「韻」(慣用イン、漢音・呉音ウン)は、

会意兼形声。「音+音符員(まるい)」、

とあり(漢字源)、別に、

会意兼形声文字です(音+員)。「取っ手のある刃物の象形と口に縦線を加えた文字」(「音(おと)」の意味)と「丸い口の象形と鼎(かなえ-古代中国の金属製の器)の象形」(「丸い鼎」の意味)から、「まろやかな音」を意味する「韻」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1326.html

とするが、

形声。音と、音符員(ヱン、ウン)→(ヰン)とから成る。たがいにひびきあって調和する意を表す(角川新字源)、

は形声文字とする。

「匀」.gif


「匀」(①漢音呉音イン、②漢音呉音キン)は、

会意文字。腕をまるくひと回りさせた形に、二印(並べる)を添えたもの。ひと回り全部に行き渡って並べる意を表す。均の原字、

とあり(漢字源)、「ととのう」「平均して行き渡る」「均整がとれている」の意では①の音、「平均している」意では②の音、となる(仝上)。

「匀」が「均」の原字であるなら、

匂、

の字は、やはり、

韵(韻)、

の略字ということになるのかもしれない。

参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:にほひ 匂ふ 薫ふ
posted by Toshi at 05:02| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2024年12月14日

たまゆら


たまゆらの露も涙もとどまらずなき人恋ふる宿の秋風(新古今和歌集)、

の、

たまゆらの、

は、

しばしの、

の意、

「玉」の連想で、下の「露」「涙」と縁語、

とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。

たまゆら、

は、

玉響、

と当て、

玉響(たまかぎる)きのふの夕(ゆふへ)見しものを今日の朝(あした)に恋ふべきものか(万葉集)、

の、

玉響、

を、

玉がゆらぎ触れ合うことのかすかなところから(デジタル大辞泉)、
玉が触れ合ってかすかに音を立てる意として(広辞苑)、
物に着けたる玉の、揺らぎ触れ合ふ音の、幽かなるより(大言海)、
ユラは擬声語、鈴や玉が触れ合う音のかすかなところから(日本古語大辞典=松岡静雄)、

等々から、

たまゆら、

と訓じたことから生れた語である(広辞苑・岩波古語辞典)。

たまゆら、

の、

ゆら、

は、

玉のふれあう音。その音をかすかなこととし、そこから短い時間の意に転じた、

と解されて(精選版日本国語大辞典)、鎌倉初期の歌学書「八雲御抄(やくもみしょう)」(順徳天皇)には、

玉ゆら、しばし、

とあり、

たまゆらの命、

というように、

ほんのしばらくの間、
一瞬、
しばし、

の意で、

いずれの所を占めて、いかなるわざをしてか。しばしもこの身を宿し、たまゆらも心をやすむべき(方丈記)、

と使うが、

玉響に昨日の夕見しものを今日の朝は恋ふべきものか(風雅集)、

と、原義に近い、

幽かに、

の意でも使う(広辞苑・大言海)。この意味からだろうか、

玉響、……露の多く置きたる躰を云ふ語(匠材集)、

と、

草などに露の玉が宿っているさま、

にもいう(広辞苑・岩波古語辞典)。

「響」.gif

(「響」 https://kakijun.jp/page/2014200.htmlより)

「響」(漢音キョウ、呉音コウ)は、「響(どよ)む」で触れたよう、

会意兼形声。卿(郷 ケイ)は「人の向き合った姿+皀(ごちそう)」で、向き合って会食するさま。饗(キョウ)の原字。郷は「邑(むらざと)+音符卿の略体」の会意兼形声文字で、向き合ったむらざと、視線や方向が空間をとおって先方に伝わる意を含む。響は「音+音符卿」で、音が空気に乗って向こうに伝わること、

とある(漢字源)が、

「郷(鄕)」は「邑」+音符「卿」の会意形声文字で、「邑(むらざと)」で「卿」は向かい合って会食する様を示す。向かい合って音が「ひびく」様、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9F%BF

会意兼形声文字です(郷(鄕)+音)。「ごちそうを真ん中にして二人が向き合う」象形(「向き合う」の意味)と「取っ手のある刃物の象形と口に縦線を加えた文字」(「音(おと)」の意味)から、向き合う音、すなわち、「ひびき」、「ひびく」を意味する「響」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1325.html

参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:46| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2024年12月15日

うまし


国見をすれば国原は、煙(けぶり)立ち立つ、海原(うなはら)は、鴎立ち立つ、うまし国ぞ、蜻蛉島(あきづしま)、大和の国は(万葉集)、

の、

うまし、

は、

シク活用形容詞、

で、

佳い、

の意(伊藤博訳注『新版万葉集』)、

蜻蛉島、

は、

大和の枕詞、

で、

とんぼのような豊かさに対する賛美、

とある(仝上)。現代口語で、

うまい、

は、文語形で、

うまし、

だが、この、

うまし、

は、

旨し、
甘し、
美し、

と当て、

形容詞ク活用、

で、

(く)・から/く・かり/し/き・かる/けれ/かれ、

と活用し(学研全訳古語辞典・広辞苑)、

飯(いひ)食(は)めどうまくもあらずうま往ぬれども安くもあらずあかねさす君が心し忘れかねつも(万葉集)、

と、

心、耳、眼、口に感じて、甚だ好し、
愛でたし、
妙(くわ)し、
美(い)し、
結構なり、

の意で、

美、

と当て、神代紀に、

可美、此云于麻時(うまし)、

あるいは、

可美少女(うましをとめ)、

等々と使う(大言海・岩波古語辞典)。さらに、

旨、

と当て、

食不甘味(うまし)(欽明紀)、

と、

味、口に好し、
甘し、

の意で使い、字鏡(平安後期頃)に、

厚味、宇万志、

とある(仝上)。さらに、

新羅、甘言(うまくいひて)、希誑(めづらしくあざむくこと)、天下之所知也(欽明紀)、

と、

技(わざ)に好し、
巧みなり、
巧妙、

の意で使う(仝上)。それをメタファに、後世、

ものごとの状態が不足なく十分である、
ある事態や事のなりゆきが、当事者にとって都合がよい
(男女の仲について)親密な関係だ
(「あまい」から転じて)ぴりっとしたところのない、まのぬけた様子、

の意などに使ったりするが、基本は上記の三パターンだろう。なお、平安以降には、

むまし、

とも表記した(デジタル大辞泉)。

一方、冒頭の歌で使ったような、

形容詞シク活用、

の、

うまし、

は、

美し、

と当て、

(しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ、

と活用し、

乃ち無目籠(まなしかたま)を作りて、彦火火出見(ひこほほでみ)尊を籠の中に内(い)れ、之を海に沈む。即ち自然(おのづからに)可怜(ウマシ)小汀(はま)有り(可怜、此をば于麻師(ウマシ)と云ふ。汀、此をば波麻(はま)と云ふ)(日本書紀)、

と、

満ち足りていて美しい、すばらしいと賛美する気持ち、

を表し、

よい、
すばらしい、
美しく立派である、
満ち足りて心地よい、

の意で使い、この、

うまし、

の語幹をつかい、冒頭の歌の、

うまし国そあきづ島大和の国は、

などと、

美し国、

と、

すばらしい国、

の意で使い、

うましものいづくか飽かじ尺度(さかと)らし角(四つの)のふくれにしぐひ合ひにけむ(万葉集)、

と、

旨し物(うましもの)、

と、

美しく立派なもの、

の意で使い(岩波古語辞典)、それを利用して、後世、上田敏が、

矢表に立ち楽世(ウマシヨ)の寒冷(さむさ)、苦痛(くるしみ)、暗黒(くらやみ)の貢(みつぎ)のあまり捧げてむ(「海潮音(1905)」)、

と、

味世(うましよ)、

と使ったりしている。

そこで、

ク活用の「うまし」
と、
シク活用の「うまし」

との関係である。意味の上からは、両者の関係は深いと思うのだが、

中古以降ク活用が一般的になった。上代には、シク活用は、用例のように、語幹(終止形と同形)が体言を修飾した、

とあり(学研全訳古語辞典)、

上古、シク活用の用例はごく少ないが、「うましくに」「うましもの」など、終止形(シク活用では語幹の働きもする)に体言の直接ついた例もあるところから、上代にもシク活用の存在したことが知られる。ク活用が対象の状態を表現しているのに対し、シク活用のほうは対象に対する主観的な気持ちを表現している、

ともある(デジタル大辞泉)のは、あくまで、

ク活用の「うまし」、

を言っている(のだが、後者は、両者が混同されているきらいもある)が、もともとは、漢字をあてはめるまでは、

シク活用の「うまし」

ク活用の「うまし」

は、区別して使われていた可能性がある。両者の関係を明確に指摘しているものは見当たらなかった。しかし、

吾妹子に逢はなく久しうましもの阿倍橘のこけ生(む)すまでに(万葉集)、

の、

うましもの、

は、

味の良いものの意で「あべ橘」にかかる枕詞、

として使われている。両者が重なって使われている例と見ることもできる。判断は附かない。

なお、

美し、

を、

イシ、

と訓ませると、

シク活用、

で、

吉(よ)し、美(よ)しの転、

ともされ(大言海)、

技能・細工の巧みなこと、転じて味わいの良さを形容する語、

とあり、

吾は是乃(いまし)の兄なれども、懦(つたな)く弱くして、不能致果(いしきな)からむ(日本書紀)、

と、

技能がすぐれている、

意、また、

一二町を作り満てたる家とても是をいしと思ひならはせる人目こそあれ、まことにはわが身の起き伏す所は一二間にすぎず(発心集)、

と、

立派である、

という意、

子ながらもいしくも申したるものかな(曽我物語)、

と、

健気である、

意、

いしかりし斎(とき)は無窓に喰われて(太平記)、

と、

美味である、

意などで使う(岩波古語辞典)。この語の意味も、上述の二つの「うまし」の意味をまたいでいる。古くから、混同されていた可能性は高い。なお、この、

いし、

は、中世・近世には、口語形で、

いしい、

を用いたが、後には、丁寧を示す接頭語、

オ、

を付けて、

もっぱら美味の意、

を表す、今日の、

おいしい、

となった(広辞苑・岩波古語辞典・デジタル大辞泉)。

「美」.gif

(「美」 https://kakijun.jp/page/bi200.htmlより)

「美」(漢音ビ、呉音ミ)は、その異字体は、

㺯、 媺、 嬍、 羙、 𡙡、 𡠾、 𫟈(俗字)、 𮊢(俗字)、 𮎪(俗字)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%BE%8E

頭に飾りをつけた人間の形。のちに「大」+「羊」という形に変化したため、従来は{大きい羊、立派な羊}を表すと考えられたが、その用例が未発見であることや、甲骨文中で「大」が{大きい}という意味の義符として普通用いられないことからその仮説は棄却された、

とあり(仝上)、いまのところ、

「羊」の象形、
または、
「大」きい「羊」を意味する会意、

の二説がある(仝上)ようだが、いずれでも、

古代周人が、羊を大切な家畜と扱ったことに由来する、

としている(仝上)。しかし、

象形。羊の全形。下部の大は、羊が子を生むときのさまを羍(たつ)というときの大と同じく、羊の後脚を含む下体の形。〔説文〕四上に「甘きなり」と訓し、「羊大に從ふ。羊は六畜に在りて、主として膳に給すものなり。美は善と同なり」とあり、羊肉の甘美なる意とするが、美とは犠牲としての羊牲をほめる語である。善は羊神判における勝利者を善しとする意。義は犠牲としての羊の完美なるものをいう。これらはすべて神事に関していうものであり、美も日常食膳のことをいうものではない(字通)、

は、象形説を採っている。ただ、多くは、会意文字説を採り、

会意。羊と、大(おおきい)とから成り、神に供える羊が肥えて大きいことから、「うまい」「うつくしい」意を表す(角川新字源)、

会意文字。「羊+大」で、形のよい大きな羊をあらわす。微妙で繊細なうつくしさ(漢字源)、

は、

「大」きい「羊」、

を採っている。別に、

会意文字です(羊+人)。「羊の首」の象形と「両手両足を伸びやかにした人」の象形から大きくて立派な羊の意味を表し、そこから、「うまい」、「うつくしい」を意味する「美」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji44.html

は、

羊+人、

を採っているが、意味からは、

大、

を含意しているようだ。いずれにせよ、

義、善、祥などにすべて羊を含むのは、周人が羊を最も大切な家畜したためであろう、

とある(漢字源)。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:51| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2024年12月16日

中弭(なかはず)


やすみしし 我が大君の 朝(あした)には とり撫(な)でたまひ 夕(ゆうべ)には い縁(よ)り立たしし み執(と)らしの 梓の弓の 中弭(なかはず)の 音すなり 朝猟(あさがり)に 今立たすらし 夕猟(ゆふがり)に 今立たすらし み執らしの 梓の弓の 中弭(なかはず)の 音すなり(万葉集)

の、

中弭(なかはず)、

は、

弓の中程、矢筈をつがえるところか、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

なかはず、

は、

中弭、
中筈、

と当て、

未詳、

とあり、一説に、

長弭、
金弭、

とみる。これは、

万葉集の原文の、

八隅知之 我大王乃 朝庭 取撫賜 夕庭 伊縁立之 御執乃 梓弓之 奈加弭乃 音為奈利 朝猟尓 今立須良思 暮猟尓 今他田渚良之 御執能 梓弓之 奈加弭乃 音為奈里

の、

奈加弭、

は、

加奈弭の誤り、

と見て立てる説で、いま一つ、

鳴弭、

と見る説は、

奈加弭の「加」は「利」の誤り、

と見て立てる(広辞苑)。別に、

古への弓は、弦の中程に、竹の弭あるにより云ふ(和訓栞)、
「奈加」を「なが(長)」と詠んでも差し支えはないから「長弭」http://www.museum-kiyose.jp/researchB.html

とする説もある。

はず

は、

筈、
弭、
彇、

と当てる。意味には、二つあり、ひとつは、

弓弭(ゆはず)、
弓筈(ゆはず)、

で、

弓の両端の弦を掛けるところ、木弓に材質から、弓を射る時に、上になる方を末筈(うらはず)、下になる方を本筈(もとはず)

をいう。いまひとつは、

矢筈(やはず)、

で、

弓に矢をつがえる時、弦からはずれないために、矢の末端につけるもの、

を指す。この場合、前者を指すと思われるが、

はず、

の由来は、

ハズレ(外)の義(柴門和語類集)、
ハヅレヌ意か(和句解)、
ハスヱ(大言海・和訓栞)、
手筈の上略(日本語原学)、
ハズ(羽頭)の義か(和句解)、

と諸説載る(日本語源大辞典)が、結局よく分からない。漢字「筈」を見ると、

やはず(箭末)、

の意で、

竹+音符舌(カツ くぼみ、くぼみにはまる)、

とある。「はず」は、漢字の「筈」からきたということになる。筈は、

矢の先端の、弦を受けるくぼみ、

の意であり、「弭」の字は、

ゆはず(弓筈)、

を指す。つまり、

弓の末端に、弦をひっかける金具、

を指す。結局、「筈」は「カツ」と訓むので、わが国で、「ハズ」と呼んでいたものに、「筈」を当てはめたと見なしうる。

中弭、

については諸説あるが、いずれも、原文の、

奈加弭、

を、後知恵で解釈しているように思える。で、

「奈加(中)弭」で意味が通ずる、

とするのは、

弦を掛けた状態の弓本体は、弦の張力で弭間を引き縮めて屈曲することで、下位の本弭と上位の末弭が直接に弦で結びとめられることになるからで、つまり「中弭」とは弦のことを指し示す表わし方と理解する。しかもそれに掛ける他方の矢元を「矢弭」というからには、その矢弭を掛ける弓側の弦の位置にも、言わば弦弭というようなイマージュの興されていることが想定できる。
であるから「音すなり」。その弦の不可思議なる揺れ動きに神霊の音づれを予感し、その弦から発せられる唸りに、梓巫女も霊の厳粛な声を聴くのである、

と解釈するものもあるhttp://www.museum-kiyose.jp/researchB.html。それでいくと、冒頭の解説と同義で、

弓の弦の中央よりやや下よりにある矢の筈をかける部分、

となる(精選版日本国語大辞典)。

中関(なかぜき)、
中仕掛け、

ともいい、ふつうは、

露、

という(仝上)とある。

音為奈里(音すなり)、

とあるところからも、

その弦の不可思議なる揺れ動きに神霊の音づれを予感し、その弦から発せられる唸りに、梓巫女も霊の厳粛な声を聴くのである、

とする解釈http://www.museum-kiyose.jp/researchB.htmlは、

梓弓(梓の真弓で触れた)、

をも、思い起こさせる。弓については、

弓矢

で触れた。

「弭」.gif


「弭」(漢音ビ、呉音ミ)は、

会意文字。「弓+耳」で、弓の端に耳状のひっかけ金具をつけて、弦を止めること、転じて、末端、そこまでで止めるなどの意となる。もと、彌(ビ・ミ)と同じだが、のち彌は端から端まで渡る意に専用された、

とある(漢字源)。「ゆはず」の意である。また、字通には、

会意。弓+耳。耳は弓の両端に用いるゆはずの形。〔説文〕十二下に「弓の縁無く、以て轡(くつわ)の紛れたるを解くべき者なり」とし、耳(じ)声とするが声異なる。重文の字は兒(げい)に従う。兒は虹蜺(こうげい)の蜺の初文で、両端に竜首のある形。それをゆはずにみたてた意象の字であろう。縁は、ゆはずを漆で固定したもの。弭は骨や象牙で作って装着するもの。金文の賜与に「象弭(ざうび)」という例が多い。弭は御者が馬を御するときに使うことが多く、それで〔楚辞、離騒〕「吾(われ)羲和(ぎくわ)(太陽の御者)をして節を弭(とど)めしむ」のように用いる、

とあり、やはり会意文字としている。

「筈」.gif


「筈」(漢音カツ、呉音カチ)は、

会意兼形声。「竹+音符舌(カツ くぼみ、くぼみにはまる、舌(ゼツ)ではない)」、

とあるが、他は、

形声。「竹」+音符「𠯑 /*WAT/」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%AD%88
形声。竹(矢)と、音符舌(クワツ)とから成る。弓のつるにひっかける「やはず」の意を表す(角川新字源)、

形声文字です(竹+舌)。「竹」の象形(「竹」の意味)と「口から出した、した」の象形(「した」の意味だが、ここでは、「會」に通じ(「會」と同じ意味を持つようになって)、「会う」の意味)から、弓の両端に張った糸に矢の端が会う部分「やはず」を意味する「筈」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2639.html

と、解釈は異にするが、何れも形声文字とする。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:44| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2024年12月17日

河伯(かはく)


河伯、

は、

河童の異名、

であるが、

河童

で触れたように、日本書紀に、

河内の人茨田連衫子(マンダノムラジコロモノコ)が河伯(カハノカミ)を欺き得たる両個の瓢(ひさご)なる者は(仁徳紀)、

と、

河伯(かはのかみ)、

は、

河神、

のこととされている。もともと、「河童」は、

田の水を司り、田の仕事を助けることもある。西日本の各地で、河童は秋冬は山にすみ、春夏は里にすむと伝える点は、田の神去来の信仰と対応する。河童は、小さ子たる水神童子の零落した姿であったろうと考えられている。かつて水神の化身、もしくは使者として信仰され、今でも各地で水神として祭られている。しかし、信仰の衰えに従ってしだいに妖怪に零落したもの、

で(日本昔話事典)、日本各地に、

河童石、

というものがあるが、

川子石(かわごいし)、
川太郎石(かわたろういし)、
ガラッパ石、
ヒョウスエ石、
エンコウ石、

等々ともいい、

春に山の神が水脈を伝わって里へ降りて来て田の神となり、秋に山にまいもどり山の神になるという信仰伝承に似て、河童は春は里に、秋は山に行くと信じられていたが、その中継基地が河童石と考えられる。ために、精霊の拠る台座として祭祀の対象にも、また常人の近づくことを許されぬ禁忌の対象にもなっていた、

という(仝上)。

河童、

は、九州南部では、別名、

水神(スイジン)、

という(柳田國男『山島民譚集』)ように、元来は、神であった。六月に行われる、

川祭、
水神祭、

は、

河童を祀り、好物のキュウリを供える、

とされる(日本伝奇伝説大辞典)が、

水神の供物と河童の供物とよく相似たるを見れば、本来一つの神の善面惡面が雙方に対立分化したるものと解するも必ずしも不自然ならず(仝上)、

たる所以である。和名類聚抄(931~38年)には、

河伯、一云水伯、河之神也、加波乃加美、

とある。

河伯、

は、

漢語で、

水の神(字源)、
河の神(字通)、

とある。『荘子』秋水篇に、

秋水時に至り、百川河に灌(そそ)ぐ。……是(ここ)に於て河伯欣然として自ら喜び、天下の美を以て盡(ことごと)く己に在りと爲す、

とあり、『漢書』王尊伝に、

沈白馬、祀水神河伯、

とあり、中国の神話にみえる、

北方系の水神、

とされ(世界大百科事典)、『山海経(せんがいきよう)』大荒東経に、

殷の王亥が有易(狄(てき))に身を寄せて殺され、河伯も牛を奪われたが、殷の上甲微が河伯の軍をかりて滅ぼした、

とあり、『楚辞』天問にも、

殷と北狄との闘争に河伯が殷に味方したことを示す、

とある(仝上)。因みに、

草木扶疎たり、春の風山祇の髪を梳る、魚鼈遊戯す、秋の水河伯の民を字(やしな)ふ(和漢朗詠集)、

と、

河伯の民、

というと、

川の神に支配されているもの、

つまり、

魚類、

をいう(精選版日本国語大辞典)。

後の千金

で触れたが、『宇治拾遺物語』に、「後ノ千金ノ事」と題して、『荘子』外物篇の逸話を、まるで隣家にちょっと借米に行ったような話に変えて、

今はむかし、もろこしに荘子(さうじ)といふ人ありけり。家いみじう貧づしくて、けふの食物たえぬ。隣にかんあとうといふ人ありけり。それがもとへけふ食ふべき料(れふ)の粟(ぞく 玄米)をこふ。あとうがいはく、「今五日ありておはせよ。千両の金を得んとす。それをたてまつらん。いかでか、やんごとなき人に、けふまゐるばかりの粟をばたてまつらん。返々(かへすがへす)おのがはぢなるべし」といへば、荘子のいはく、「昨日道をまかりしに、あとに呼ばふこゑあり。かへりみれば人なし。ただ車の輪のあとのくぼみたる所にたまりたる少水に(せうすい)に、鮒(ふな)一(ひとつ)ふためく。なにぞのふなにかあらんと思ひて、よりてみれば、すこしばかりの水にいみじう大(おほ)きなるふなあり。『なにぞの鮒ぞ』ととへば、鮒のいはく、『我は河伯神(かはくしん)の使(つかい)に、江湖(かうこ)へ行也。それがとびそこなひて、此溝に落入りたるなり。喉(のど)かはき、しなんとす。我をたすけよと思てよびつるなり』といふ。答へて曰く、『我今二三日ありて、江湖(かうこ)といふ所にあそびしにいかんとす。そこにもて行て、放さん』といふに、魚のはく、『さらにそれまで、え待つまじ。ただけふ一提(ひとひさげ)ばかりの水をもて喉をうるへよ』といひしかば、さてなんたすけし。鮒のいひしこと我が身に知りぬ。さらにけふの命、物くはずはいくべからず。後(のち)の千のこがねさらに益(やく)なし。」とぞいひける。それより、「後(のち)の千金」いふ事、名誉せり、

と載せている。ここに、原文にはない「河伯」が登場している。

「伯」.gif

(「伯」 https://kakijun.jp/page/0717200.htmlより)


「伯」 甲骨文字・殷.png

(「伯」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BC%AFより)

「伯」(①漢音ハク、呉音ヒャク、②漢音ハ、呉音ヘ)は、

形声。「人+音符白(ハク)」で、しろいの意には関係がない。昔、父と同輩の年長の男をパといい、それを表わすのに当てた字、

とある(漢字源)。年長の男を尊敬して言うことば、兄弟の序列で最年長の人(伯兄)、父の兄(伯兄)等々年上の意の場合、①の音、「五伯」というように、諸侯の統率者の意の場合、②の音となる(仝上)。他も、

形声。「人」+音符「白 /*PAK/」。「かしら」を意味する漢語{伯 /*praak/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BC%AF

形声。人と、音符白(はく)とから成る(角川新字源)、

形声文字です(人+白)。「横から見た人」の象形と「頭の白い骨または、日光または、どんぐりの実」の象形(「白い」の意味だが、ここでは、「父」に通じ(「父」と同じ意味を持つようになって)、「一族の統率者」の意味)から、「おさ」、「かしら」を意味する「伯」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1996.html

と、解釈は異なるが、いずれも、形声文字とする。

参考文献;
柳田國男『増補 山島民譚集』(東洋文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
乾克己他編『日本伝奇伝説大辞典』(角川書店)
稲田浩二他編『日本昔話事典』(弘文堂)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:52| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2024年12月18日

綜麻(へそ)


綜麻形(へそかた)の林のさきのさ野榛(のはり)の衣(きぬ)に付くなす目につく我が背(万葉集)

の、

榛、

は、

はんの木。実や樹皮を染料にした。「針」の懸詞、「衣」の縁語で、三輪山伝説に基づく、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

三輪山.jpg


綜麻形(へそかた)、

は、

三輪山の異名、

とあり、

崇神記などの三輪山伝説による、

とある(仝上)。

綜麻、

は、

糸を丸く巻いたもの、

とある(仝上)。

三輪山(みわやま)、

は、

奈良県桜井市にあるなだらかな円錐形の山。奈良県北部奈良盆地の南東部に位置し、標高は467.1m、周囲は16km、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%BC%AA%E5%B1%B1で、

三諸山(みもろやま)、

ともいい、記紀においては、

美和山」、
御諸岳、

などとも表記される(仝上)。三輪山の西麓にある、

大神神社(おおみわじんじゃ)、

は三輪山を神体山としており、大物主大神を祀る山を神体として信仰の対象とするため、本殿がない形態となっている(仝上・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E7%A5%9E%E7%A4%BE)。この、

大物主神(おおものぬしのかみ、大物主大神)、

には、いくつかの神魂伝承があるが、そのなかに、古事記・崇神天皇条に、

大物主神を祀って、その祟りを鎮めた大田田根子(意富多多泥古)が大物主神と活玉依毘売(いくたまよりひめ)の神婚によって生まれた子の子孫であることを語る話、

がある(日本伝奇伝説大辞典)。

崇神天皇が天変地異や疫病の流行に悩んでいると、夢に大物主が現れ、「こは我が心ぞ。意富多多泥古(大田田根子)をもちて、我が御魂を祭らしむれば、神の気起こらず、国安らかに平らぎなむ」と告げた。意富多多泥古の祖先とされる、

活玉依毘売のもとに毎晩麗しい男が夜這いに来て、それからすぐに身篭った。しかし不審に思った父母が問いつめた所、活玉依毘売は、名前も知らない立派な男が夜毎にやって来ることを告白した。父母はその男の正体を知りたいと思い、糸巻き(苧環)に巻いた麻糸を針に通し、針をその男の衣の裾に通すように教えた。翌朝、針につけた糸は戸の鍵穴から抜け出ており、糸をたどると三輪山の社まで続いていた、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%89%A9%E4%B8%BB、跡をたどると、男が、

蛇神の大物主神、

であると知れた(日本伝奇伝説大辞典)という話である。その、

糸巻きには糸が三勾(三巻)だけ残っていたので、

三輪、

と呼ぶようになったとされる(仝上)。

なお、

綜麻(へそ)、

は、

巻子、

とも当て、

紡いだ糸をつないで、環状に幾重にもまいたもの(広辞苑)、
績(う)みたる絲を、球の如く絡(まと)ひつけたるもの。外、圓く、内、虛(うつろ)にて、環の如し(大言海)、

をいうとある。和名類聚抄(931~38年)に、

巻子、閉蘇、績麻(うみをを)圓(まるく)巻(まける)名也、

とあり、その由来は、

綜(へ)たる麻(そ)を巻くの義、其の巻きたる形、又、臍に似たる故に名とす(大言海)、
「へ」は下二段動詞「ふ(綜)」の連用形から(精選版日本国語大辞典)、
ヘ(綜)たるソ(麻)を巻いたもの(東雅・雅言考・言元梯)、
ヘは經、ソは麻の義(箋注和名抄・和訓栞)、
ヘソ(臍)ににているところから(鳥袋)、

等々とある。下二段活用の、

ふ(綜)、

は、口語では、

綜(へ)る、

だが、

ふ(経)と同根、

とあり(岩波古語辞典)、

経糸(たていと)を一本ずつ順次、機にかける、
経糸を布の長さに延ばしてそろえる、

意で、日葡辞書(1603~04)には、

へて織る布、

と載る(広辞苑)。

ふ(經)、

は、口語では、

經る、

だが、

場所とか月日とかを順次、欠かすことなく、経過していく(岩波古語辞典)、
次々順をふんでいく(広辞苑)、

意で、

綜(ふ)、

の、

経糸をかけて行く、

という意の持つ含意がよく分かる。和名類聚抄(931~38年)に、

綜(へ)、和名閉(へ)、機縷持糸交者也、

とある。

倭文の苧環」で触れたが、

苧環(おだまき)、

は、

苧手巻、

とも当て(大言海)、

おだま、

ともいい、

糸によった麻を、中を空虚にし、丸く巻きつけたもの、

をいい(精選版日本国語大辞典・日本語源大辞典)、

績苧(うみを)の巻子(へそ)、其の形、外圓く、内虚にして、環の如くなれば云ふ、
麻手巻の義、

とある(大言海)。

布を織るためには、まず植物の繊維を糸状にする必要がある。古代では材料に麻(あさ)、楮(こうぞ)、苧(お)、苧麻(からむし)などが使われる。つまり、

おだ-まき、

ではなく、

お-たまき(手巻)、

ということのようであるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A7%E7%92%B0

苧(お)、

は、

アサ(麻)、

の異名で、また

アサやカラムシの茎皮からとれる繊維、

をいい、

苧環、

とは、

つむいだアサの糸を、中を空洞にして丸く巻子(へそ)に巻き付けたもの、

をいう(日本大百科全書)が、これを、

綜麻(へそ)、

ともいいhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A7%E7%92%B0。布を織るのに使う中間材料で、次の糸を使う工程で、糸が解きやすいようになかが中空になっている(仝上)。

因みに、「へそくり」で触れたように、その語源として、

へそは紡いだ麻糸をつなげて巻き付けた糸巻である綜麻(へそ)をいい、『綜麻繰』とする説、

がある。



は、

大麻、
苧麻(からむし)、
黄麻、
亜麻、

などの総称(広辞苑)であるが、現代では、

「大麻(ヘンプ)」「苧麻(ラミー)」「亜麻(リネン)」「黄麻(ジュート)」「洋麻(ケナフ)」、

等々、茎の繊維を取る植物の総称として使われているhttps://hemps.jp/asa-hemp-taima/とある。なかでも、

「大麻」と「苧麻(ちょま・ラミー)」、

は古代から日本で利用され、最も古い日本の「麻」の痕跡は、縄文時代の貝塚から見つかった「大麻」を使った縄(仝上)という。

麻(あさ)、

は、

植物表皮の内側にある柔繊維または、葉茎などから採取される繊維の総称、

であるが、

狭義の麻(大麻)、

と、

苧麻(からむし)、

の繊維は、

日本では広義に、

麻、

と呼ばれ、和装の麻織物(麻布)として古くから重宝されてきた。狭義の麻は、神道では重要な繊維であり様々な用途で使われる。麻袋、麻縄、麻紙などの原料ともなる。

狭義の「麻」、

大麻、

は、古語、

總(ふさ)、

といい(平安時代の『古語拾遺』)、

を(麻・苧)、

そ(麻)、

とも言った。

「綜」.gif

(「綜」 https://kakijun.jp/page/1486200.htmlより)

「綜」(漢音ソウ、呉音ソ)は、

会意兼形声。「糸+音符宗(ソウ たてに通す)」、

とある(漢字源)。「へ」の意で、縦絲を上下させて、横糸の杼(ひ)の通る道をつくるためのもの、とある(仝上)。

綜合、
総合、

と表記するように、「綜」と「総」は類義語だが、

「総」は、同音の漢字による書きかえで一部の代用語に用いられる、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B6%9C

会意兼形声文字です(糸+宗)。「より糸」の象形(「糸」の意味)と「屋根・家屋の象形と、神にいけにえをささげる台の象形(「祖先神」の意味)」(「祖先を祭る一族の長」)の意味)から、一族の長が一族を1つにまとめるように「糸を整え織る為の器具(へ)」を意味する「綜」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2360.html

ともあるが、

形声。糸と、音符宗(ソウ)とから成る。多くの糸を一本にまとめる意を表す(角川新字源)、

形声。声符は宗(そう)。〔説文〕十三上に「機(はた)の縷(る)なり」とあり、〔唐写本玉篇〕に「機の縷は絲を持して交はる者なり」の文がある。〔列女伝、母儀、魯の季敬姜伝〕に「推して往き、引きて來らしむるる者は綜なり」とあり、経(たていと)と緯(よこいと)とを織りなすものであるから、錯綜(さくそう)といい、綜括・綜合という(字通)、

と、形声文字とするものもある。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
乾克己他編『日本伝奇伝説大辞典』(角川書店)
柳田國男『増補 山島民譚集』(東洋文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:36| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2024年12月19日

もがも


川(かは)の上(うへ)のゆつ岩群(いはむら)に草生(む)さず常にもがもな常処女(とこをとめ)にて(万葉集)

の、

ゆつ、

は、

斎つ、

と当て、

ツは連体助詞で、

いわい清める、

意で、

おろそかに触れるべからざる、
神聖・清浄な、

の意で使う(広辞苑・岩波古語辞典)。

草生(む)さず常にもがもな常処女(とこをとめ)にて、

は、

草生(む)さず常にもがもな、

を、

草も生えないようにいつも不変でありたい、

と注釈し、

もがも、

は、

最終の願いのための手段に対する願望、

とし、

草も生えはびこることがないように、いつも不変であることができたらなあ。そうしたら、永遠に若く清純なおとめでいられように、

と、訳されている(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

もがも、

は、

終助詞「もが」にさらに終助詞「も」を添えた語、主に奈良時代にもちいられ、平安時代には「もがな」に代わった、

とあり(広辞苑・デジタル大辞泉)、

体言、形容詞の連用形、副詞などの連用部分につき、その受ける語句が話し手の願望の対象であることを表す、

とし、その

事柄の存在・実現を願う、

意を表し、

……があるといいなあ、
……であるといいなあ、

の意で使う(仝上・デジタル大辞泉)。発生的には、

「もが」に「も」が下接したものであるが、「万葉集」で「毛欲得」「母欲得」「毛冀」などと表記されている例もある、

とされ、上代にすでに、

も‐がも、

という分析意識があった(精選版日本国語大辞典)としている。

都へに行かむ船もが刈り薦(こも)の乱れて思ふ言告げやらむ(万葉集)、
あしひきの山はなくもが月見れば同じき里を心隔てつ(万葉集)、

と、奈良時代に使われた、

もが、

は、

係助詞「も」に終助詞「か」がついた「もか」の転(広辞苑・デジタル大辞泉)、
係助詞「も」に終助詞「が」の付いたもの(精選版日本国語大辞典)、

がある(広辞苑・精選版日本国語大辞典)が、

名詞、形容詞および助動詞「なり」の連用形、副詞、助詞に付く。上の事柄の存在・実現を願う意を表す(デジタル大辞泉)、
文末において、体言・副詞・形容詞および助動詞「なり」の連用形、副助詞「さへ」などを受けて、願望を表わす(精選版日本国語大辞典)、
体言・形容詞連用形・副詞および助詞「に」を承け、得たい、そうありたいと思う気持ちを表す(岩波古語辞典)、

等々とあり、

……があればいいなあ、
……であってほしいなあ、
……でありたい、
……がほしい、

といった意味で使う(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。

もが、

をさらに強調して、

もが・も、

といったことになる。上代でも、

「もが」単独の形、は「もがも」に比して少なく、中古以後は「もがな」の形が圧倒的になる、

とある(精選版日本国語大辞典)。ただし、後世にも、

源実朝や橘曙覧など万葉調歌人の歌にはしばしば用いられる、

とあり、

もがも、

が、平安時代以降、

もがな

に代わっても、「金槐集」など万葉調の歌には使われたのと同じで、

万葉調、

の特色として、歌人には使われたようである。終助詞、

も、

は、主として奈良時代、

春の野に霞たなびきうら悲しこの夕影にうぐひす鳴くも(万葉集)、

と、

文末で、活用語の終止形、助詞、接尾語「く」に付く。感動・詠嘆を表す(デジタル大辞泉)
活用語の終止形(係結びでは結びの形)、ク語法について、詠嘆の意を表す。体言には、「かも」「はも」等々の形で用いる、なお「かも」は平安時代には「かな」に代わる(広辞苑)、

などとあり、

……ことよ、
……なあ、

の意となる(デジタル大辞泉)。

もがも、

が変化した、

もがな

は、

終助詞「もが」「な」の重なったもの。上代の「もがも」に代わって中古以後に用いられた形、文末において体言・形容詞や打消および断定の助動詞の連用形・格助詞「へ」などを受け、願望を表わす(精選版日本国語大辞典)、
体言、形容詞の連用形、副詞などの連用部分につき、その受ける語句が話し手の願望の対象であることを表す(広辞苑)、
終助詞「もが」+終助詞「な」から、名詞、形容詞および助動詞「なり」「ず」の連用形、助詞に付く。上の事柄の存在・実現を願う意を表す(デジタル大辞泉)、

とされ、

かくしつつとにもかくにもながらへて君が八千代に逢ふよしもがな(古今和歌集)、

と、

……かほしい、

意や、

み吉野の山のあなたに宿もがな世のうき時の隠れ家にせむ(古今和歌集)、
ありはてぬ命待つ間のほどばかりうき事繁く思はずもがな(古今和歌集)、

と、

……があるといいなあ、
……であるといいなあ、
……(で)あってほしいなあ、

といったいで使う(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。成立に関しては一般に、

願望を表わす「もが」に感動を表わす「な」の付いたもの、

とするが、上記の、

かくしつつとにもかくにもながらへて君が八千代に逢ふよしもがな(古今和歌集)、

を、

かくしつとにも角にもながらへて君が八千代に逢よしも哉、

と、

中古「もがな」が「も哉」とも表記されたこと、また「をがな」の形、さらには「がな」の形も用いられていることなどから、当時「も‐がな」の分析意識があったと推測される、

とある(精選版日本国語大辞典)。

も‐がな、

と意識された、

がな、

は、奈良時代にあった、

「もがも」という終助詞……が、平安時代になると、それが「もがな」に転じた。それが後には、「も」と「がな」との結合であると一般に思われるようになったらしく、「も」と「がな」を分離して、平安・鎌倉時代には、「をがな」の形でつかわれた(岩波古語辞典)、
多く「もがな」の形で用いられたが、中古中期ごろから「をがな」の形も現れた。「もがな」は「も‐がな」と意識され分離し、のち「がな」単独でも用いられた(精選版日本国語大辞典)、

とある、

がな、

は、

願望を表わす終助詞「が」に、詠嘆の終助詞「な」の付いてできたもの(精選版日本国語大辞典)、
終助詞「が」+終助詞「な」(デジタル大辞泉)、

で、

かの君達をがなつれづれなる遊びがたきになどうちおぼしけり(源氏物語)、
あっぱれ、よからうかたきがな。最後のいくさして見せ奉らん(平家物語)、

などと、

体言または体言に助詞の付いた形を受け、願望、

の意を表わし、

……が(あって)ほしいなあ、
……だったらよいのに、

の意で使う(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。中世以後になると、

はしへまはれば人がしる、湊の川の塩がひけがな(歌謡「閑吟集(1518)」)、
早ふいねがないねがなともがけどいぬる気色なく(浄瑠璃「今宮心中(1711頃)」)、

と、

命令(禁止を含む)文を受け、第三者の動作の実現を願う、

意を表わし、

……(て)ほしいなあ、

といったいで使う(精選版日本国語大辞典)。

「哉」.gif

(「哉」 https://kakijun.jp/page/0927200.htmlより)

「哉」(漢音サイ、呉音セ・サイ)は、

会意兼形声。才は、裁の原字で、断ち切るさま。それに戈を加えた𢦏(サイ)も同じ。哉は「口+音符𢦏(サイ)」で、語の連なりを断ち切ってポーズを置き、いいおさめることをあらわす。もと言い切ることを告げる語であったが、転じて、文末につく助辞となり、さらに転じて、さまざまの語気を示す助辞となった。また、裁断するとは素材に初めて加工はすることであるから「はじめて」の意の副詞となった、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です。「口」の象形(「言葉」の意味)と「川のはんらんをせきとめる為に建てられた良質の木の象形とにぎりの付いた柄の先端に刃のついた矛の象形」(「災害を断ち切る器具」、「断ち切る」の意味)から、「言葉を断ち切る助字」を意味する「哉」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2392.html

ともあるが、

形声。「口」+音符「𢦏 /*TSƏ/」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%93%89
形声。口と、音符𢦏(サイ)とから成る(角川新字源)、

は、形声文字とする。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:46| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2024年12月20日

あをによし


味酒(うまざけ)三輪の山あをによし奈良の山の山の際(ま)にい隠るまで道の隈(くま)い積(つ)もるまでにつばらに見つつ行かむをしばしばも見放(みさ)けむ山を心なく雲の隠さふべしや(万葉集)

の、

あをによし、

は、

「奈良」の枕詞、

で、

あをに、

は、

青土、

で、

顔料、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

あをによし、

は、

青丹よし、

と当て、

「よ」「し」は、共に間投助詞(広辞苑)、
ヨシは良い意(岩波古語辞典)、
「青丹よ」と呼びて、シを添えたるなり(麻裳(あさも)よし、眞菅よし)(大言海)、
「よし」は間投助詞(精選版日本国語大辞典)、

等々とあり、異同はあるが、

語調を強めたり、感動を表したりする役割り、

と見ていいが、

青丹よし、

は、

阿袁邇余志(アヲニヨシ)奈良を過ぎ小楯(をだて)大和を過ぎ(古事記)
青丹吉(あをによし)寧楽(なら)のみやこは咲く花の薫(にほ)ふが如く今盛りなり(万葉集)
悔(くや)しかもかく知らませば阿乎爾与斯(アヲニヨシ)国内(くぬち)ことごと見せましものを(万葉集)

などと、

奈良、国内(くぬち)にかかる枕詞、

である(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。

奈良坂のあたりから、顔料や塗料として用いる青土(あおに)を産出した、

とある(秘府万葉集抄)とか(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。ただ、事実か伝説かは不明(広辞苑)とあり、一説に、

「なら」に続けたのは、顔料にするために青丹を馴熟(なら)すによる、

ともいい(仝上)、

青土を眉にも絵にも埏(練 ねや)し熟(な)らして用ゐる、

とある(大言海)。

青丹(あをに)、

の、

に、

は、

丸邇坂(わにさ)の土(に)を、端土(はつに)は膚赤らけみ、底土(しほに)はに黒きゆゑ(古事記)、

と、

土、

の意(広辞苑・大言海)、

青、

は、

緑、

をいい(色名がわかる辞典)、

青丹、

は、

岩緑青(いはろくしゃふ)の古名、

とされ(大言海)、

青黒い土、

で、

あらゆる土は、色、青き紺(はなだ)のごとく、畫に用ゐて麗し、俗(くにひと)青丹(阿乎爾)といひ、また、かきつにといふ(常陸風土記)、

と、

染料、顔料、畫料、

とした(広辞苑・岩波古語辞典)。

「丹」.gif

(「丹」 https://kakijun.jp/page/0405200.htmlより)

「丹」(タン)は、「丹青」で触れたように、

会意文字。土中に掘った井型のわくの中から、赤い丹砂が現れ出るさまを示すもので、あかい物があらわれ出ることをあらわす。旃(セン 赤い旗)の音符となる、

とある(漢字源)が、

会意。「井」+「丶」、木枠で囲んだ穴(丹井)から赤い丹砂が掘り出される様、

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%B9、会意文字とも、

象形。採掘坑からほりだされた丹砂(朱色の鉱物)の形にかたどる。丹砂、ひいて、あかい色や顔料の意を表す(角川新字源)、

象形文字です。「丹砂(水銀と硫黄が化合した赤色の鉱石)を採掘する井戸」の象形から、「丹砂」、「赤色の土」、「濃い赤色」を意味する「丹」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1213.html

象形。丹井(たんせい)に丹(に)のある形。丹は朱砂の状態で出土し、深い井戸を掘って採取する。〔説文〕五下に「巴越の赤石なり。丹井にるに象る。丶は丹の形に象る」という。〔史記、貨殖伝〕に、蜀の寡婦の清が、丹穴を得て豪富をえたことをしるしている。〔書、禹貢〕に、荊州に丹を産することがみえる。金文の〔庚贏卣(こうえいゆう)〕に「丹一木+厈(かん)」を賜うことがみえ、聖器に塗るのに用いた。甲骨文の大版のものには、その刻字の中に丹朱を加えており、今も鮮明な色が残されている。〔抱朴子、仙薬〕には、丹を仙薬とする法をしるしている。丹には腐敗を防ぐ力があり、古く葬具にも用いられ、殷墓からは、器が腐敗し、その朱色が土に残された花土の類が出土する(字通)、

は、象形文字とする。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 05:05| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする