2024年12月16日
中弭(なかはず)
やすみしし 我が大君の 朝(あした)には とり撫(な)でたまひ 夕(ゆうべ)には い縁(よ)り立たしし み執(と)らしの 梓の弓の 中弭(なかはず)の 音すなり 朝猟(あさがり)に 今立たすらし 夕猟(ゆふがり)に 今立たすらし み執らしの 梓の弓の 中弭(なかはず)の 音すなり(万葉集)
の、
中弭(なかはず)、
は、
弓の中程、矢筈をつがえるところか、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
なかはず、
は、
中弭、
中筈、
と当て、
未詳、
とあり、一説に、
長弭、
金弭、
とみる。これは、
万葉集の原文の、
八隅知之 我大王乃 朝庭 取撫賜 夕庭 伊縁立之 御執乃 梓弓之 奈加弭乃 音為奈利 朝猟尓 今立須良思 暮猟尓 今他田渚良之 御執能 梓弓之 奈加弭乃 音為奈里
の、
奈加弭、
は、
加奈弭の誤り、
と見て立てる説で、いま一つ、
鳴弭、
と見る説は、
奈加弭の「加」は「利」の誤り、
と見て立てる(広辞苑)。別に、
古への弓は、弦の中程に、竹の弭あるにより云ふ(和訓栞)、
「奈加」を「なが(長)」と詠んでも差し支えはないから「長弭」(http://www.museum-kiyose.jp/researchB.html)、
とする説もある。
はず、
は、
筈、
弭、
彇、
と当てる。意味には、二つあり、ひとつは、
弓弭(ゆはず)、
弓筈(ゆはず)、
で、
弓の両端の弦を掛けるところ、木弓に材質から、弓を射る時に、上になる方を末筈(うらはず)、下になる方を本筈(もとはず)
をいう。いまひとつは、
矢筈(やはず)、
で、
弓に矢をつがえる時、弦からはずれないために、矢の末端につけるもの、
を指す。この場合、前者を指すと思われるが、
はず、
の由来は、
ハズレ(外)の義(柴門和語類集)、
ハヅレヌ意か(和句解)、
ハスヱ(大言海・和訓栞)、
手筈の上略(日本語原学)、
ハズ(羽頭)の義か(和句解)、
と諸説載る(日本語源大辞典)が、結局よく分からない。漢字「筈」を見ると、
やはず(箭末)、
の意で、
竹+音符舌(カツ くぼみ、くぼみにはまる)、
とある。「はず」は、漢字の「筈」からきたということになる。筈は、
矢の先端の、弦を受けるくぼみ、
の意であり、「弭」の字は、
ゆはず(弓筈)、
を指す。つまり、
弓の末端に、弦をひっかける金具、
を指す。結局、「筈」は「カツ」と訓むので、わが国で、「ハズ」と呼んでいたものに、「筈」を当てはめたと見なしうる。
中弭、
については諸説あるが、いずれも、原文の、
奈加弭、
を、後知恵で解釈しているように思える。で、
「奈加(中)弭」で意味が通ずる、
とするのは、
弦を掛けた状態の弓本体は、弦の張力で弭間を引き縮めて屈曲することで、下位の本弭と上位の末弭が直接に弦で結びとめられることになるからで、つまり「中弭」とは弦のことを指し示す表わし方と理解する。しかもそれに掛ける他方の矢元を「矢弭」というからには、その矢弭を掛ける弓側の弦の位置にも、言わば弦弭というようなイマージュの興されていることが想定できる。
であるから「音すなり」。その弦の不可思議なる揺れ動きに神霊の音づれを予感し、その弦から発せられる唸りに、梓巫女も霊の厳粛な声を聴くのである、
と解釈するものもある(http://www.museum-kiyose.jp/researchB.html)。それでいくと、冒頭の解説と同義で、
弓の弦の中央よりやや下よりにある矢の筈をかける部分、
となる(精選版日本国語大辞典)。
中関(なかぜき)、
中仕掛け、
ともいい、ふつうは、
露、
という(仝上)とある。
音為奈里(音すなり)、
とあるところからも、
その弦の不可思議なる揺れ動きに神霊の音づれを予感し、その弦から発せられる唸りに、梓巫女も霊の厳粛な声を聴くのである、
とする解釈(http://www.museum-kiyose.jp/researchB.html)は、
梓弓(梓の真弓で触れた)、
をも、思い起こさせる。弓については、
弓矢、
で触れた。
「弭」(漢音ビ、呉音ミ)は、
会意文字。「弓+耳」で、弓の端に耳状のひっかけ金具をつけて、弦を止めること、転じて、末端、そこまでで止めるなどの意となる。もと、彌(ビ・ミ)と同じだが、のち彌は端から端まで渡る意に専用された、
とある(漢字源)。「ゆはず」の意である。また、字通には、
会意。弓+耳。耳は弓の両端に用いるゆはずの形。〔説文〕十二下に「弓の縁無く、以て轡(くつわ)の紛れたるを解くべき者なり」とし、耳(じ)声とするが声異なる。重文の字は兒(げい)に従う。兒は虹蜺(こうげい)の蜺の初文で、両端に竜首のある形。それをゆはずにみたてた意象の字であろう。縁は、ゆはずを漆で固定したもの。弭は骨や象牙で作って装着するもの。金文の賜与に「象弭(ざうび)」という例が多い。弭は御者が馬を御するときに使うことが多く、それで〔楚辞、離騒〕「吾(われ)羲和(ぎくわ)(太陽の御者)をして節を弭(とど)めしむ」のように用いる、
とあり、やはり会意文字としている。
「筈」(漢音カツ、呉音カチ)は、
会意兼形声。「竹+音符舌(カツ くぼみ、くぼみにはまる、舌(ゼツ)ではない)」、
とあるが、他は、
形声。「竹」+音符「𠯑 /*WAT/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%AD%88)、
形声。竹(矢)と、音符舌(クワツ)とから成る。弓のつるにひっかける「やはず」の意を表す(角川新字源)、
形声文字です(竹+舌)。「竹」の象形(「竹」の意味)と「口から出した、した」の象形(「した」の意味だが、ここでは、「會」に通じ(「會」と同じ意味を持つようになって)、「会う」の意味)から、弓の両端に張った糸に矢の端が会う部分「やはず」を意味する「筈」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2639.html)、
と、解釈は異にするが、何れも形声文字とする。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95