河伯、
は、
河童の異名、
であるが、
河童、
で触れたように、日本書紀に、
河内の人茨田連衫子(マンダノムラジコロモノコ)が河伯(カハノカミ)を欺き得たる両個の瓢(ひさご)なる者は(仁徳紀)、
と、
河伯(かはのかみ)、
は、
河神、
のこととされている。もともと、「河童」は、
田の水を司り、田の仕事を助けることもある。西日本の各地で、河童は秋冬は山にすみ、春夏は里にすむと伝える点は、田の神去来の信仰と対応する。河童は、小さ子たる水神童子の零落した姿であったろうと考えられている。かつて水神の化身、もしくは使者として信仰され、今でも各地で水神として祭られている。しかし、信仰の衰えに従ってしだいに妖怪に零落したもの、
で(日本昔話事典)、日本各地に、
河童石、
というものがあるが、
川子石(かわごいし)、
川太郎石(かわたろういし)、
ガラッパ石、
ヒョウスエ石、
エンコウ石、
等々ともいい、
春に山の神が水脈を伝わって里へ降りて来て田の神となり、秋に山にまいもどり山の神になるという信仰伝承に似て、河童は春は里に、秋は山に行くと信じられていたが、その中継基地が河童石と考えられる。ために、精霊の拠る台座として祭祀の対象にも、また常人の近づくことを許されぬ禁忌の対象にもなっていた、
という(仝上)。
河童、
は、九州南部では、別名、
水神(スイジン)、
という(柳田國男『山島民譚集』)ように、元来は、神であった。六月に行われる、
川祭、
水神祭、
は、
河童を祀り、好物のキュウリを供える、
とされる(日本伝奇伝説大辞典)が、
水神の供物と河童の供物とよく相似たるを見れば、本来一つの神の善面惡面が雙方に対立分化したるものと解するも必ずしも不自然ならず(仝上)、
たる所以である。和名類聚抄(931~38年)には、
河伯、一云水伯、河之神也、加波乃加美、
とある。
河伯、
は、
漢語で、
水の神(字源)、
河の神(字通)、
とある。『荘子』秋水篇に、
秋水時に至り、百川河に灌(そそ)ぐ。……是(ここ)に於て河伯欣然として自ら喜び、天下の美を以て盡(ことごと)く己に在りと爲す、
とあり、『漢書』王尊伝に、
沈白馬、祀水神河伯、
とあり、中国の神話にみえる、
北方系の水神、
とされ(世界大百科事典)、『山海経(せんがいきよう)』大荒東経に、
殷の王亥が有易(狄(てき))に身を寄せて殺され、河伯も牛を奪われたが、殷の上甲微が河伯の軍をかりて滅ぼした、
とあり、『楚辞』天問にも、
殷と北狄との闘争に河伯が殷に味方したことを示す、
とある(仝上)。因みに、
草木扶疎たり、春の風山祇の髪を梳る、魚鼈遊戯す、秋の水河伯の民を字(やしな)ふ(和漢朗詠集)、
と、
河伯の民、
というと、
川の神に支配されているもの、
つまり、
魚類、
をいう(精選版日本国語大辞典)。
後の千金、
で触れたが、『宇治拾遺物語』に、「後ノ千金ノ事」と題して、『荘子』外物篇の逸話を、まるで隣家にちょっと借米に行ったような話に変えて、
今はむかし、もろこしに荘子(さうじ)といふ人ありけり。家いみじう貧づしくて、けふの食物たえぬ。隣にかんあとうといふ人ありけり。それがもとへけふ食ふべき料(れふ)の粟(ぞく 玄米)をこふ。あとうがいはく、「今五日ありておはせよ。千両の金を得んとす。それをたてまつらん。いかでか、やんごとなき人に、けふまゐるばかりの粟をばたてまつらん。返々(かへすがへす)おのがはぢなるべし」といへば、荘子のいはく、「昨日道をまかりしに、あとに呼ばふこゑあり。かへりみれば人なし。ただ車の輪のあとのくぼみたる所にたまりたる少水に(せうすい)に、鮒(ふな)一(ひとつ)ふためく。なにぞのふなにかあらんと思ひて、よりてみれば、すこしばかりの水にいみじう大(おほ)きなるふなあり。『なにぞの鮒ぞ』ととへば、鮒のいはく、『我は河伯神(かはくしん)の使(つかい)に、江湖(かうこ)へ行也。それがとびそこなひて、此溝に落入りたるなり。喉(のど)かはき、しなんとす。我をたすけよと思てよびつるなり』といふ。答へて曰く、『我今二三日ありて、江湖(かうこ)といふ所にあそびしにいかんとす。そこにもて行て、放さん』といふに、魚のはく、『さらにそれまで、え待つまじ。ただけふ一提(ひとひさげ)ばかりの水をもて喉をうるへよ』といひしかば、さてなんたすけし。鮒のいひしこと我が身に知りぬ。さらにけふの命、物くはずはいくべからず。後(のち)の千のこがねさらに益(やく)なし。」とぞいひける。それより、「後(のち)の千金」いふ事、名誉せり、
と載せている。ここに、原文にはない「河伯」が登場している。
(「伯」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BC%AFより)
「伯」(①漢音ハク、呉音ヒャク、②漢音ハ、呉音ヘ)は、
形声。「人+音符白(ハク)」で、しろいの意には関係がない。昔、父と同輩の年長の男をパといい、それを表わすのに当てた字、
とある(漢字源)。年長の男を尊敬して言うことば、兄弟の序列で最年長の人(伯兄)、父の兄(伯兄)等々年上の意の場合、①の音、「五伯」というように、諸侯の統率者の意の場合、②の音となる(仝上)。他も、
形声。「人」+音符「白 /*PAK/」。「かしら」を意味する漢語{伯 /*praak/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BC%AF)、
形声。人と、音符白(はく)とから成る(角川新字源)、
形声文字です(人+白)。「横から見た人」の象形と「頭の白い骨または、日光または、どんぐりの実」の象形(「白い」の意味だが、ここでは、「父」に通じ(「父」と同じ意味を持つようになって)、「一族の統率者」の意味)から、「おさ」、「かしら」を意味する「伯」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1996.html)、
と、解釈は異なるが、いずれも、形声文字とする。
参考文献;
柳田國男『増補 山島民譚集』(東洋文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
乾克己他編『日本伝奇伝説大辞典』(角川書店)
稲田浩二他編『日本昔話事典』(弘文堂)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95