2024年12月21日

くま(隈)


味酒(うまざけ)三輪の山あをによし奈良の山の山の際(ま)にい隠るまで道の隈(くま)い積(つ)もるまでにつばらに見つつ行かむをしばしばも見放(みさ)けむ山を心なく雲の隠さふべしや(万葉集)

の、

道の隈(くま)、

は、

道の曲り角が幾つも重なるまで、

の意で、

隈、

は、

邪神の籠る所、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

見放(みさ)けむ山、

は、

遠く見つめたい山であるのに、

の意、

隠さふべしや、

は、

隠したりしてよいものか、

として、

神々しき三輪の山よ、この山を、青丹(あをに)よし奈良の山の、山の間に隠れるまでも、道の隅々が幾曲がりも重なるまでも、充分に見ながら行きたいのに、いくたびも見はるかしたい山なのに、つれなくも、雲が隠したりしてよいものか、

と注釈する(仝上)。

つばらに、

の、

つばら、

は、

委曲、

と当て、

つばひらか(詳らか)と同根、

とあり、

くまないこと、
まんべんなくすること、
くわしいこと、

の意(岩波古語辞典・広辞苑)で、

つばらに、

で、

くまなく、
まんべんなく、

の意となる(仝上)。

隈(くま)、

は、別の、

時なくぞ雪は降りける間なくぞ雨は降りけるその雪の時なきがごとその雨の間なきがごと隈もおちず(万葉集)

では、

道の曲り角一つ残さずずっと、

の意とし、

長の道中ずっと、

と注釈している(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

くま、

は、

隈、

のほか、

曲、
阿、
暈、

とも当て(広辞苑・日本語源大辞典)、

道や川の曲がり込んだ所、類義語スミは、周囲をかこわれているものの奥の箇所(岩波古語辞典)、
他と境界を接する地点、奥まった場所(精選版日本国語大辞典)、

をいうとあり、この由来については、

奥閒(おくま)の上略か(おとなふ、となふ。おもや、もや)、隠(こもり)と通ずと云ふ。(中国最古の字書)『爾雅』(秦・漢初頃)、釋地篇「隩隈」、疏「隩、一名隈也、隈、即、厓内深隩(カクルル)之處也」、『玉篇(ぎょくへん、ごくへん)』(南北朝時代に編纂された部首別漢字字典)「阿、水岸也」、字鏡(平安後期頃)「隩、蔵也、久牟志良」(大言海)、
コリコモル(凝籠)の意(雅言考)、
クマ(陰)はクラ(闇)、クマ(曲)はクマ(陰)の転義(言元梯)、
クレマガリ(転曲)の義(名言通)、
水の入江は陸(クガ)が曲がっているところから、クはクガ(陸)、マはマガリ(曲)の義(日本釈名)、
入り込んだ処の義、クは物の中へ入り込む義で、マは間(国語の語根とその分類=大島正健)
朝鮮語kop(曲)と同源か(岩波古語辞典)、
曲がり角の意で、朝鮮語kop(曲)と同源(万葉集=日本古典文学大系)、

等々の諸説があり、

我、當(マサニ)於百不足(モモタラズ)之八十隈(ヤソクマヂ)、将隠去矣(カクレナム)、隈、此云矩磨埿(くまぢ)(隈路なり)、

と、

曲がり入り、隠れて見えぬ處、道にも、河にも云ふ(大言海)、

とあるのが原義だろう。で、拡げて、冒頭の、

道のくまい積もるまでにつばらにも見つつ行かむを、

と、

曲がり角、
曲がり目、

の意(学研全訳古語辞典・岩波古語辞典)や、

山の阿(くま)に伏せ隠し、賊(あた)を滅さむ器(つはもの)を造り備へて(常陸風土記)、

と、

奥まったところ、
奥まって隠れたところ、
物陰、
陰になった所、

等々の意で使う(仝上・デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)。それをメタファに、

思ふてふ人の心のくまごとに立ち隠れつつ見るよしもがな(古今和歌集)、

では、

人の心の隈に入り込んで、そこから相手のこころをみる、

という発想(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)で、人の心の、

隠しているところ、
秘めているところ、
見えないところ、

の意で使ったり(岩波古語辞典)、

山里めいたるくまなどに、おのづから侍るべかめり(源氏物語)、

と、

へんぴな所、
片田舎、

の意(精選版日本国語大辞典)、さらに、

少しゆゑづきてきこゆるわたりは、御耳とどめ給はぬくまなきに(源氏物語)、

と、

(形式名詞的に用いて)ところ、点、

の意で、

打消「なし」を伴って、

全体にわたっている、

意で、形容詞「くまなし」の連用形から、

くまなく、

の形で、

行き届かない所がなく、
すみずみまで、

の意で使う(精選版日本国語大辞典)。

くま、

に、

暈、

と当てるのは、上記、

くま、

の転で(大言海)、

光と雲(くもり)との出会い、一方、影のくらがること、

の意で、

月の少しくまあるたてじとみのもとに立てりけるを知らで(源氏物語)、

と、

曇り、
くらがり、
かげ、

の意や、

かきつばた白と紫くまなして流るる水に鯉の餌(ゑ)かはむ(与謝野晶子「舞姫(1906)」)、

と、

色の濃い部分と淡い部分、あるいは、光と陰とが接する部分、
また、
色の重なった部分、
色の濃い部分、

などの意で使う(精選版日本国語大辞典)。

色や影の濃い部分、

の意から、歌舞伎の、

隈取り、

の意にも使う(仝上・岩波古語辞典)。

「隈」.gif


「隈」(漢音ワイ、呉音エ)は、

会意兼形声。「阜(土盛り)+音符畏(へこむ)」で、へこむ意を含む、

とある(漢字源)が、他は、

形声。「阜」+音符「/*ɁUJ/」。{隈 /*ʔuuj/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9A%88

形声。阜と、音符畏(ヰ)→(ワイ)とから成る(角川新字源)、

形声文字です(阝+畏)。「段のついた土の山」の象形と「グロテスクな頭部を持つ人の象形と鞭(ムチ)の象形」(「怪しい者がムチを持つ」、「畏(おそ)れる」の意味だが、ここでは「屈」に通じ(「屈」と同じ意味を持つようになって)、「曲がる」の意味)から、「山や水などの曲がった所」を意味する「隈」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2778.html)

形声。声符は畏(い)。畏に畏懼して、回避する意がある。〔説文〕十四下に「水の曲れる隩(くま)なり」、また隩(おう)字条に「水の隈厓(わいがい)なり」という。𨸏 (ふ)は神梯の象で聖域、隈とは深奥、恐懼すべきところをいう。神異のあるところであった(字通)。

と、いずれも、形声文字とする。

「曲」.gif

(「曲」 https://kakijun.jp/page/0692200.htmlより)

「曲」(漢音キョク、呉音コク)は、「曲水の宴」で触れたように、

象形、曲がったものさし描いたもので、曲がって入り組んだ意を含む、

とあり(漢字源)、直の対、邪の類語になる。別に、

象形。木や竹などで作ったまげものの形にかたどり、「まがる」「まげる」意を表す。転じて、変化があることから、楽曲・戯曲の意に用いる(角川新字源)、

象形。竹などで編んで作った器の形。〔説文〕十二下に「器の曲りて物を受くる形に象る」とあり、一説として蚕薄(養蚕のす)の意とする。すべて竹籠の類をいい、金文の簠(ほ)はその形に従う。簠の遺存するものは青銅の器であるが、常用の器は竹器であったのであろう。それで屈曲・委曲の意となり、直方に対して曲折・邪曲の意がある(字通)、

ともある。

「阿」.gif



「阿」(ア)は、

会意兼形声。「阜(おか)+音符可(かぎ形に曲がる)」。かぎ形の台地。また、かぎ形にいり込んだ台地、

とあり(漢字源)、別に、

会意兼形声文字です(阝+可)。「段のついた土山」の象形(「丘」の意味)と「口の奥の象形と口の象形」(口の奥から大きな声を出すさまから、「良い」の意味だが、ここでは、「かぎ型に曲がる」の意味)から、丘の曲がった所「くま(湾曲して入りくんだ所)」を意味する「阿」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2020.html

ともあるが、

形声。阜と、音符可(カ)→(ア)とから成る(角川新字源)、
形声。
声符は可(か)。〔説文〕十四下に「大陵を阿と曰ふ。𨸏(ふ)に從ひ、可の聲なり。一に曰く、阿は曲れる𨸏(をか)なり」(段注本)とみえる。可声が阿となるのは圭(けい)・奇(き)が蛙(あ)・倚(い)となるのと同じ。可は、木の枝で祝詞を収めた器であるᗨ(さい)を殴(う)ち、神の許可を求める意。𨸏は神の降下する神梯。たいてい山陵の屈曲したところで、その下で儀礼を行う(字通)、

と、形声文字とする説もある。

「暈」.gif



「暈」 甲骨文字・殷.png

(「暈」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9A%88より)

「暈」(ウン)は、

会意兼形声。軍は、車を並べてまるくとりまいた営舎のこと。丸く取り囲む意を含む。暈は「日+音符軍」で、日をまるく取り巻く光の輪、

とある(漢字源)が、

かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9A%88

形声。「日」+音符「軍 /*WƏN/」(仝上)、

形声文字です(阝+畏)。「段のついた土の山」の象形と「グロテスクな頭部を持つ人の象形と鞭(ムチ)の象形」(「怪しい者がムチを持つ」、「畏(おそ)れる」の意味だが、ここでは「屈」に通じ(「屈」と同じ意味を持つようになって)、「曲がる」の意味)から、「山や水などの曲がった所」を意味する「隈」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2778.html

形声。声符は軍(ぐん)。軍に運(うん)の声がある。〔説文新附〕七上に「日月の气なり」とあり、日月の周囲に生ずるかさをいう(字通)

と、形声文字とする。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:47| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする