2024年12月22日

武家の実像


武士生活研究会編『図録近世武士生活史入門事典』を読む。

近世武士生活史入門辞典.jpg


本書は、武家、殊に江戸時代の武家の、

身分、職制、
服装、
儀礼と儀式、
政治、
経済生活、
居住、
食生活、
女性、
教育、
文化、娯楽、

などと、生活全般の、実情を網羅したものになっている。

特に、その収入と生活をみると、

定収入である、

禄、

と、

役職に伴う、

役高、

とがあるが、たとえば、

二百石、

の家禄のものだと、仮に、

四公六民、

として、

八十石、

が取り分になる。これを俵に直すと、四斗俵で、

二百俵、

となる。元和(1615~24)の頃だと、米一石が銀二十匁、この頃、

銀五十匁を一両、

としたので、

一両で、二百五十斗、

という相場になる。これが、元禄(1688~1704)だと、

銀六十匁が一両、

で、慶應元年(1865)だと、

一石が七両二分、

に高騰、最下層の武家の、

三両一人半扶持(これが、三一(さんぴん)侍と悪口の謂れ)、

では、江戸初期なら、

米八石、

買えたのが、幕末では、

五斗、

の米がやっと買える状態になる。仮に、中頃の、

一石一両、

と考えても、二百石で、

八十両、

の収入で、これで、

家族・武家奉公人、

を養うのである。

江戸時代、

百石、

の侍は、登下城、公用などの外出時、

槍一筋を供に持たせ、草履取(戦時には主人の必要品を持つ)の二人の供(武家奉公人)、

で、主人は徒(かち)である。これ以下は、

自前の槍ではなく、御貸槍、

で、戦時以外は槍を持てない。

百石の外出.jpg

(百石の外出 本書より)

騎乗できるのは、

二百石以上、

で、江戸幕府規定の、

軍役による着到(陣触れにより参陣すること)の軍規、

では、

侍一人、槍持一人、馬の口取一人、甲冑持一人、小荷駄一人、

の五人を連れる。

この収入では、

登城に必要な槍持、草履取の二、三人、

を雇うのが限度であった。

三百石の軍役.jpg

(二百石の軍役 図説 日本戦陣作法事典より)


三百石の軍役 (2).jpg

(三百石の軍役 本書より)

三百石、

となると、かなり上級の収入であるが、軍役では、

侍一人、槍持一人、馬の口取一人、挟箱持一人、甲冑持一人、小荷駄一人、

という規定になり、

七人、

を抱えなくてはならない。一例では、

実収入百二十石、

で、

ほぼ、

百二十両、

主人一家、家来の食費 四十五両、
家来への給金 三十八両、
諸雑費 四十両、
主人一家の衣物代 三十両、

で、

三十三両、

の赤字となる。三百石でこれである。あとは、推して知るべしである。

武家の家計は、いわば、慢性的な赤字になっており、中下級武士は、

屋敷内を畑にするなどして、副食品の自給自足をはかり、

微禄のものは、

内職に精を出す、

ということになる。

貴人に対する挨拶.jpg

(貴人に対する挨拶 本書より)

身分制なので、

服装、

から、

儀礼、

まで、規定があり、

席、

の位置から、

お辞儀の仕方、

まで定められ、窮屈なものであった。たとえば、

貴人に対する挨拶、

は、

貴人へ拝礼するにはわが付すべき座席のすこし手前にひざまづき左のひざより三足すりより平伏す、両手先左右の閒およそ三寸くびよりひざを凡五寸にして首を畳に附くべし、

とある。

参考文献;
武士生活研究会編『図録近世武士生活史入門事典』(柏書房)
笹間良彦『図説 日本戦陣作法事典』(柏書房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:59| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする