采女(うねめ)の袖吹きかへす明日香風都を遠みいたづらに吹く(万葉集)
の、
采女、
は、
郡の次官以上の容姿端麗な姉妹子女で、宮廷に召された者。天皇の身辺に奉仕、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
采女、
は、
うねべ、
とも訓ませ、
娞、
とも書く(日本大百科全書)。
宮中において天皇に近侍し、主として炊事や食事などをつかさどった下級女官、
で、
供奉、御饌(みけ)のことに奉仕す、
とあり(大言海)、大化改新以前は、
其れ、倭直(やまとのあたい)等、采女(うねへ)を貢(たてまつ)ること蓋し此の時に始るか(日本書紀)、
とあり、大和(やまと)朝廷が地方豪族に服属の証(あかし)として、
国造(くにのみやつこ)・県主(あがたぬし)などの地方豪族が一族の子女を、容貌美しき者より大王に奉仕させ、
て、
采女司に属す、
という(仝上・精選版日本国語大辞典)。律令制では、これを継承して、
其貢采女者。郡少領以上姉妹及女(「令義解(718)」)、
と、
郡を貢進の単位として少領(しょうりょう)以上の郡司の姉妹や女(むすめ)のうち容姿端麗な者を後宮に貢上させることを定め、制度として確立し(日本大百科全書)、
諸国の郡司一族の子女のうちで一三歳から三〇歳までの容姿端正な者を選んで出仕させて宮内省采女司が管轄し、後宮の水司、膳司などに置かれた、
とある(仝上・精選版日本国語大辞典)。令の規定では、
後宮の水司(もいとりのつかさ)に6人、膳(かしわで)司に60人、縫(ぬい)司などに若干名の采女を置き、宮内省の采女司がこれをつかさどった、
とある(仝上)。本来は、
もっぱら天皇に奉仕すべき役割をもち、原則として終身の職であった。采女貢進単位は奈良時代において、兵衛と同じく郡であったので、「牟婁采女」などのように郡名をもって呼ばれるのが原則であった(仝上)。采女の資養には庸(よう)と諸国の采女田の地子(じし)があてられ、名前は出身の郡名を冠してよぶのが普通であった。
采女、
は、原則として後宮の雑役に従う下級女官であるが、実際には女帝のもとにあって政治に参与したり、天皇の寵(ちょう)を得て子女を産むものなどもあって、奈良時代には女官として重要な位置を占めていた(仝上)という。9世紀に入ると、貢進単位は国となり、「紀伊国采女紀寛子」のように国名を冠して呼ばれ、定員も47名に減員され、その後形骸化していく(世界大百科事典)。
采女(さいじょ)、
と訓ませると漢語であり、
采女、
は、
中国後宮の制に倣ったもので、『後漢書』皇后傳に、
采女、采、擇也、以因采擇而立名、
とあるように、
采擇(採択)せし女、
の義(字源)で、
宮中に奉仕する女官、
であり、
民間より選んだ。『後漢書』五行志に、
靈帝數々(しばしば)西園中に遊戲し、後宮の采女をして客舍の主人と爲し、身には商賈の服を爲し、行いて舍に至り、采女酒食を下し、因りて~飮食を共にし以て戲樂を爲す、
とある(字通)。
宮中に奉仕する女官、
の意の、漢語、
采女(さいじょ)、
に当てた、
うねめ、
の由来は、
「うね」は領巾(ひれ)などを首に懸ける意の「うなく」と関係があるか(精選版日本国語大辞典)、
(「うねべ」は)嬰部(うなげべ)の約にて(いしなげどり、いしなどり)、領巾(ひれ)、襷を嬰(うなげ)り(項(うな)を活用した語)てある意なるべし。この「うねべ」が転じて「うねめ」となった(古事記傳・大言海)、
ウはウチの略、ネは神職の意で、ウネは内巫に当たる。官巫の集団をさすウネメベ(采女部)が変化し、その中の一人をもウネメと称したものか(宮廷儀礼の民俗学的考察=折口信夫)、
名門の女の意のウネメ(大系女)から、ネ(系)は、根の転義で、系統の意(日本古語大辞典=松岡静雄)、
ウヂノメ(氏之女)の略転(万葉考・類聚名物考)、
ウオヒメ(卯童女)の義(和訓栞)、
ウナヰメの義(南留別志)、
ウケメ(受女)の転。諸国から獻ずる女を上に受ける意(名言通)、
「うなゐめ」すなわち処女の意(本大百科全書)、
等々諸説あるが、
宮中に奉仕する女官、
の意の、漢語、
采女(さいじょ)、
に当てた以上、それとの関連を付けなくてはならないが、どうもはっきりしない。
「うね」は、領巾(ひれ)などを首にかける意の「うなぐ(項・嬰)」と関係があるか、
とする(日本語源大辞典)のが最も、意味がある。
領巾(ひれ)、襷を嬰(うなげ)り、
とするのは、
主として炊事や食事などをつかさどった下級女官、
の身づくろいと一致するのではあるまいか。領布(ひれ)で触れたように、
『日本書紀』天武天皇11年(682)の条に、
膳夫(かしわで)、采女(うねめ)等の手繦(たすき)、肩巾(ひれ)は並び莫服(なせそ)、
と廃止されたことが記されており(日本大百科全書)、それまで采女の朝服(諸臣の参朝の際に着用)であったとわかる。
領布、
は、
上代から平安時代にかけての女子の装身具、
で、
首から肩に掛けて左右へ長く垂らした装飾用の白い布、
をいい、魔除けなどの呪力をもつと考えられた。
(「采」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%87%87より)
「采」(サイ)は、
会意文字。「爪(手先)+果物のなった木、または木」で、指でつかんで取ること、採の原字、
とある(漢字源)。異体字に、
采󠄁(旧字体)、埰(別字、繁体字)、採(別字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%87%87)ように、
採、
と同義になる。他も、
会意。「爪」(手)+「木」。「とる」「つみとる」を意味する漢語{採 /*tshəəʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%87%87)、
会意。爪と、木(き)とから成る。手(爪)で木から果実などを取り集めるさまにより、「とる」意を表す。「(サイ)」の原字(角川新字源)、
会意文字です(爫+木)。「手」の象形と「木と実」の象形から、果実を採取する事を意味し、そこから、「とる(手に取る、選び取る)」を意味する「采」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2128.html)、
会意。爪(そう)+木。木の実を采取する意。〔説文〕六上に「捋取(らつしゅ)するなり」とあり、もぎとることをいう。采取の意より、采地・采邑の意に用い、金文に多くその義に用いて「乃(なんぢ)の采󠄁と爲せ」のようにいう。また彩(彩)と通用し、采色の意に用いる(字通)、
と、ほぼ同じである。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95