耳成の青菅山(あおすがやま)は背面(そとも)の大き御門(みかど)によろしなへ神さび立てり名ぐはし吉野の山は影面(かげとも)の大き御門ゆ雲居にぞ(万葉集)
の、
よろしなへ、
は、
いかにも具合よろしく、
とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
神さび、
は、
神さびる、
で触れたように、
神々(こうごう)しい、
意で、
名ぐはし、
は、
名細し、
と当て、
長が美しい、
名高い、
意とある(広辞苑)。
背面(そとも)、
影面(かげとも)、
は、冒頭の歌の前の、
大和の青香具山(あをかぐやま)は日の経(たて)の大き御門に春山と茂(し)みさび立てり畝傍のこの瑞山(みづやま)は日の緯(よこ)の大き御門に瑞山と山さびいます(仝上)、
の、
日の経(たて)、
日の緯(よこ)、
と対で、
背面(そとも)、
は、
北面(きたおもて)、
影面(かげとも)、
は、
南面、
日の経(たて)、
は、
東面(ひがしおもて)、
日の緯(よこ)、
は、
西面(にしおもて)、
と訳されている(伊藤博訳注『新版万葉集』)。つまり、香具山は、
日の経(よこ)、
つまり、東、畝傍山は、
日の緯(たて)、
つまり、西、耳成山は、
背面(そとも)、
つまり、北、吉野の山は、
影面(かげとも)、
つまり、南、となる。
背面、
は、
「そ(背)つおも(面)」の変化した語(精選版日本国語大辞典)、
背(ソ)之(ツ)面(オモ)の約(大言海)、
背(ソ)ツオモ(面)の約(広辞苑)、
背(ソ)ツオモ(面)の約、ソは連体助詞、光の射す南に対して、その背面の意(岩波古語辞典)、
等々とあるように、
山の日の当たる方から見て背後に当たる方向、
を、つまり、
山の陰、
をいい(大言海)、
山の北側、
また、
北の方角、
をいう(精選版日本国語大辞典)。これをメタファに、
わがかどのそともにたてるならの葉のしげみにすずむ夏はきにけり(「書陵部本恵慶集(985~87頃)」)、
と、
背中の方向、
後ろの方向、
また、
家のうら手、
をいい、転じて、
ぬしなくて荒れたる宿のそともには月の光ぞひとりすみける(能因法師集)、
と、
外面、
とも当て、
事物のそとがわ、
家のそと、
の意でも使う(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。この対は、
山陽(やまのみなみ)を影面(かけとも)と曰(い)ひ山の陰(きた)を背面(そとも)と曰(い)ふ(日本書紀)、
とあるように、
影面(かけとも)、
と言い、
「かげつおも(影つ面)」の音変化。「かげ」は光の意(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)、
カゲ(影)ツ(之)オモテ(面)の約(広辞苑・大言海)、
カゲ(光)ツオモ(面)の約、ツは連体助詞(岩波古語辞典)、
などとあり、
日の光に向かう方、南(岩波古語辞典)、
日影すなわち太陽に向かう方、南(広辞苑・大言海)、
太陽に向かう方、南の面、南方(精選版日本国語大辞典)、
の意で、
背面、
の、
山の北面、
に対して、
山の南面を云へる語、
である(大言海)。
日の経(ひのたて)、
は、
日の縦(ひのたたし)、
ともいい、
タテはタタ(楯 たつの古形)の轉、
日の縦(ひのたたし)、
の、
たたし、
は、
タタはタツ(立)の名詞形、シは方向、日の登る方向の意、
で、(岩波古語辞典)、
たて(縦)に同じ、
とあり(大言海)、
日の立つ(出る)方向、
つまり、
東、
である(岩波古語辞典)。
シ、
は、
息、
風、
と当て、息、風の意から転じて、
日向(ひむか)し(「日向かし」の意。ひんがし→ひがし)の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ(万葉集)、
と、
方角、
の意になる(岩波古語辞典)。
以東西為日縦(ひのたたたし)、南北為日横(ひのよこし)(成務記)、
と、
東西、
の意で用いるのは誤用(岩波古語辞典)とある。
日の経、
の対は、
日の緯(よこ)、
で、
日の横(よこし)の略、
とある(岩波古語辞典)。つまり、
西、
の意である。ただ、上述のように、
以東西為日縦(ひのたたたし)、南北為日横(ひのよこし)(成務記)、
と、誤用して、
南北、
の意でも使う(岩波古語辞典)とあるが、
太陽を中心とし、東西を経(たて)とし、南北を緯(よこ)とす。支那にては、北辰を中心とし、南北を経とし、東西を緯とす、
という(大言海)とあるので、故はある。漢字、
経(ケイ たていと)、
は、
緯(イ よこいと)、
の対で、
織物の縦糸、
また、
縦・南北の方向、
をいい(字源)、
緯、
は、
織物の横糸、
また、
左右・東西の方向、
をいう(字源)。
なお、
立つ、
たて、
よこ、
については触れた。
「背」(漢音ハイ、呉音へ・ハイ、ベ・バイ)は、「背向(そがい)」で触れたように、
会意兼形声。北(ホク)は、二人のひとが背中を向けあったさま。背は「肉+音符北」で、背中、背中を向けるの意、
とある(漢字源)。「北」は(寒くていつも)背中を向ける方角、とある(「北」は「背く」意がある)。また「背」の対は、「腹背」というように腹だが、また「背」は「そむく」意があり、「向背」(従うか背くか)というように「向」(=従)が対となる(仝上)。別に、
会意形声。「肉」+音符「北」、「北」は、二人が背中を合わせる様の象形。「北」が太陽に背を向けるの意から「きた」を意味するようになったのにともない、(切った)「肉」をつけて「せ」「せなか」「そむく」を意味するようになった(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%83%8C)、
会意形声。肉と、北(ホク)→(ハイ)(そむく)とから成る。からだのうしろ側、「せ」の意を表す。「北」の後にできた字(角川新字源)、
と会意兼形声とするが、
形声。声符は北(ほく)。北に邶(はい)の声があり、北を邶・背の初文として用いる。〔説文〕四下に「脊(せき)なり」とあり、脊は身の背後にあたり、脊肉の象に従う。後ろより違背の意があり、背馳・叛背のように用いる(字通)、
と形声文字とする説もある。
「影」(漢音エイ、呉音ヨウ)は、「影向の松」で触れたように、
会意兼形声。景は「日(太陽)+音符京」からなり、日光に照らされて明暗のついた像のこと。影は「彡(模様)+音符景」で、光によって明暗の境界がついたこと。とくに、その暗い部分、
とあり(漢字源)、別に、
会意兼形声文字です(景+彡)。「太陽の象形と高い丘の上に建つ家」の象形(「光により生ずるかげ」の意味)と「長く流れる豊かでつややかな髪」の象形(「模様・色どり」の意味)から、「かげ」を意味する「影」という漢字が成り立ちました、
とも(https://okjiten.jp/kanji1289.html)、
会意形声。彡と、景(ケイ)→(エイ)(ひかり)とから成り、光、転じて物の「かげ」の意を表す。「景」の後にできた字、
とも(角川新字源)あるが、
会意。景+彡(さん)。景は望楼状のアーチ門である京の上に日をしるし、日影をはかる意で、影の初文。彡は光や音をしるす記号(字通)、
と、会意文字とする説もある。なお、「景」(漢音ケイ・エイ、呉音キョウ・ヨウ)は、
形声。京とは、高い丘にたてた家をえがいた象形文字。高く大きい意を含む。景は「日+音符京」で、大きい意に用いた場合は、京と同系。日かげの意に用いるのは、境(けじめ)と同系で、明暗の境界を生じること、
とある(仝上)。
(「經(経)」 https://kakijun.jp/page/E353200.htmlより)
「經(経)」(漢音ケイ、呉音キョウ、唐音キン)は、「経営(けいめい)」で触れたように、
会意兼形声。巠(ケイ)は、上の枠から下の台へ縦糸をまっすぐに張り通したさまを描いた象形文字。經は、それを音符とし、糸篇を添えて、たていとの意を明示した字、
とある(漢字源)。別に、
会意兼形声文字です(糸+圣(坙))。「より糸」の象形と「はた織りの縦糸」の象形から「たていと」、「たて」を意味する「経」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji745.html)、
ともあるが、他は、
形声。もと「巠」が「經」を表す字であったが、糸偏を加えた(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B6%93#%E5%AD%97%E6%BA%90)、
形声。織機のたて糸、ひいて、すじみち、おさめる意を表す(角川新字源)、
形声。旧字は經に作り、巠(けい)声。巠は織機のたて糸を張りかけた形で、たて糸。經の初文。金文の「德經」「經維」の字を巠に作るものがある。〔説文〕十三上に「織るなり」とするが、横糸の緯と合わせてはじめて織成することができるので、合わせて経緯という。〔太平御覧〕に引く〔説文〕に「織の從絲(たていと)なり」に作る。交織の基本をなすものであるから、経紀・経綸・経営の意に用い、経書の意となり、経緯より経過・経験の意となる(字通)、
と、形声文字としている。
会意兼形声。「緯」(イ)は、韋(イ)は、口印のまわりを、上の足は←方向に、下の足は→方向にめぐるさまを描いた会意文字。緯は「糸+音符韋」で、経(縦糸)の閒をめぐってゆきつもどりつするよこ糸、
とある(漢字源)が、他は、
形声。「糸」+音符「韋 /*WƏJ/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B7%AF)、
形声。糸と、音符韋(ヰ)とから成る。機織りの「よこいと」の意を表す(角川新字源)、
形声文字です(糸+韋)。「より糸」の象形と「ステップの方向が違う足の象形と場所を示す文字」(「そむく」の意味だが、ここでは、「囲(イ)」に通じ(同じ読みを持つ「囲」と同じ意味を持つようになって)、「めぐらす」の意味)から、機織りで縦糸の周囲をめぐらしていく糸を意味し、そこから、「横糸」を意味する「緯」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1129.html)、
形声。声符は韋(い)。韋は圍(囲)の初文で、囗(い)(城郭)の上下をめぐる形。上は左へ、下は右への足(止)の形。そのように織物の横糸をめぐらすことを緯という。〔説文〕十三上に「織る横絲なり」とみえる(字通)、
と、いずれも形声文字とする。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95