泉の川に持ち越せる真木のつまでを百足(ももた)らず筏に作り泝(のぼ)すらむいそはく見れば神からにあらし(万葉集)
の、
百足(ももた)らず、
は、
「筏」の枕詞。百に足りない「い」(五十)の意、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。わかりにくいが、
百に足りない意で、「八十(やそ)」、「五十(い)」に掛かり、転じて、同音をもつ、「い」「や」などにかかり、八十と同音の山田、五十の「筏」「斎規(いつき)」にかかる、
とあり(広辞苑・岩波古語辞典)、
いそはく見れば神からにあらし、
は、
精出しているのを見ると、神慮のままであるらしい、
と、注釈される(仝上)。
いそはく、
は、四段活用の、
いそふ、
で、その活用は、
は/ひ/ふ/ふ/へ/へ、
で、
争ふ、
勤ふ、
競ふ、
と当て(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)、
「いそぐ」、「いそいそ」などと同源(広辞苑)、
(シク活用の形容詞)「いそし」、「急ぐ」と同根(岩波古語辞典)、
とあるが、
イは、息の略(息吹(いきふき)、いぶき。気含(いきふく)む、いくくむ)、ソフはあらそふ、きそふの、ソフに同じ、
ともある(大言海)。色葉字類抄(1177~81)には、
争、競、イソフ、
とあり、もとは、
国内巫覡等、……争(イソヒテ)、陳神語(かむごと)入微(たへなる)之説(ことば)を陳(まう)す(皇極紀)、
と、
先を争う、
競争する、
意だが、それをメタファに、
頬の上に花開きて、春をいそふに似たり(「遊仙窟」鎌倉期点)、
と、
一心にする、
努め励む、
意でも使う(仝上)。
いそふ、
は、
イソシ(勤)・イソグ(急)と同根、
とあり(岩波古語辞典)、
イは息の略(息吹(いきふき)、いぶき。気含む(いきくく)む、いくくむ)、ソフは、あらそふ、きそふ、のソフに同じ(大言海)、
キソフ(息並)の義(俚言集覧)、
といった由来説しか載らないが、同根とされる、
いそぐ(急)、
は、天治字鏡(平安中期)に、
經紀、伊曾支毛止牟(いそきもとむ)、
類聚名義抄(11~12世紀)に、
遽、競、イソグ、
とあり、
イソフ(勤)・いそいそなどと同根、仕事に積極的にはげむ意、
とある(岩波古語辞典)。その由来を見ると、
息急(いきせ)くの略転なるか(息吹(いきふく)、いぶく。せはせはし、そはそはし)、争(いそ)ふといふ語と同趣(大言海)、
イソグ(息進)の義(日本語源=賀茂百樹)、
イキ(息)ヲソグの義(日本声母伝)、
イは発語、イ-シク(及)の義、及は息の意を有する(和訓栞)、
イセク(往急)の義(言元梯)、
イソは磯か、クは行クから(和句解・柴門和語類集)、
イソはイトナム(營)の語根イトに通ず(国語の語根とその分類=大島正健)、
等々あるが、どうやら、
争ふ、
とほぼ同義の、
一身に何かをする、
その、
息使い、
が由来と思われる。だから、
争ふ、
を、
あらそふ、
と訓む場合は、
自分の気持や判断を是非にも通そうと、きつく対手を押しのける意。類義語アラガフは、相手の言葉を否定したり拒否したりする意、キホフは、相手に先んじようとせり合う意(岩波古語辞典)、
同源と思われる「あらがう」「あらそう」は、自身を強く押し出して他者に対抗する意が共通するが、「あらがう」が他者の言動に直接向かう否定や拒否をいうのに対し、「あらそう」は自己の目的の実現のために他者と張り合うことをいう(精選版日本国語大辞典)、
とあり、
荒し合ふの、あらさふ、アラソフと約轉したる語なるべし(大言海・日本古語大辞典=松岡静雄・日本語源=賀茂百樹)、
アラキソフ(荒競)の約(万葉代匠記・和訓栞・言元梯・名言通・古語類韻=堀秀成)、
とされるが、
香具山は畝火(うねび)ををしと耳梨と相(あひ)諍競(あらそひ)き……うつせみも 嬬(つま)を 相挌(あらそふ)らしき(万葉集)、
と、
何かをしようとして、また、何かを得ようとして、張り合う、
互いに相手に勝とうとする、また、互いにすぐれていることを誇示しあって張りあう、戦う、
意の場合は、
争ふ、
と当て、
行く鳥の相競(あらそふ)間(はし)に〈一云うつせみと 安良蘇布(アラソフ)はしに〉(万葉集)、
と、
相手と競う、
意の場合は、
競ふ、
と当てる(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。なお、
争ふ、
を、
すまふ、
と訓ます場合は、「すまふ」で触れたように、
抗ふ、
拒ふ、
とも当て、
相手の働きかけを力で拒否する意、
で(岩波古語辞典)、
人の子なれば、まだ心いきほひなかりければ、とどむるいきほひなし。女もいやしければ、すまふ力なし(伊勢物語)、
と、
争ふ、
負けじと張り合ふ、
抵抗する、
為さんとすることを、争ひて為させず、
という意味と、
もとより歌の事は知らざりければ、すまひけれど、しひてよませければ、かくなむ(仝上)
草子に歌ひとつ書けと、殿上人におほせられければ、いみじう書きにくう、すまひ申す人々ありけるに(枕草子)、
と(大言海)、
拒む、
ことわる、
辞退する、
と、微妙に意味のずれる使い方をする(広辞苑)。この名詞、
すまひ、
は、
相撲、
角力、
と当て、
乃ち采女を喚し集(つと)へて、衣裙(きぬも)を脱(ぬ)きて、犢鼻(たふさぎ)を着(き)せて、露(あらは)なる所に相撲(スマヒ)とらしむ(日本書紀)、
と、
互いに相手の身体をつかんだりして、力や技を争うこと(日本語源大辞典)、
つまり、
二人が組み合って力を闘わせる武技(岩波古語辞典)、
である、
すもう(相撲)、
の意になる。
争ふ、
を、
あらがふ、
と訓ますと、
諍ふ、
とも当て、
事の成否・有無などについて相手の言葉を否定したり拒否したりすると。類義語アラソフは、互いに自分の気持や判断を通すために相手を押しのけて頑張る意、
とあり(岩波古語辞典)、
アラは争也、カフは。行交(ゆきか)ふのカフにて、互いに争ひ合ふに云へり(雅言考)、
とある。
馬子宿禰諍(アラカヒ)て従はず(日本書紀)、
と、
相手の言うことを否定して自分の考えを言い張る、言い争う、
意、
一日などぞいふべかりけると、下には思へど、……いひそめてんことはとて、かたうあらがひつ(枕草子)、
と、
賭け事で張り合う、
賭で確かにこうなると主張する、
意や、
その一巻ここへ出せば、苦痛せずに一思ひ、あらがふとなぶり殺し(浄瑠璃「妹背山婦女庭訓(1771)」)、
と、
力ずくで張り合う、
抵抗する、
意で使う(精選版日本国語大辞典・大言海)。
(「爭(争)」 https://kakijun.jp/page/sou08200.htmlより)
(「爭」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%88%ADより)
「爭(争)」(漢音ソウ、呉音ショウ)は、異体字が、
争(新字形・新字体)、 鿇、 𠄙(古文)、𠫩(古字)、𣌦、 𤪡、 𪜃、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%88%AD)、
会意文字。「爪+一印+手」で、ある物を両者が手で引っ張り合うさまを示す。反対の方向へ引っ張り合うの意を含む、
とある(漢字源)。他も、
会意。ある物(「亅」)を両者が手(「爫(<爪)」及び「ヨ」)で反対に引っぱりあうさま。(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%88%AD)、
会意。爪と、尹(いん)(棒を手に持ったさま)とから成る。農具のすきをうばいあうことから、「あらそう」意を表す。教育用漢字は俗字による。(角川新字源)、
会意文字です。「ある物を上下から手で引き合う」象形と「力強い腕の象形が変形した文字」から力を入れて「引き合う」・「あらそう」を意味する「争」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji714.html)、
会意。旧字は爭に作り、杖形のものを両端より相援(ひ)いて争う形(字通)、
と、同趣旨である。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95